第4シリーズ、「楽しむジャカルタ」
野菜を少し厚くテンプラにしたもの、テンペもあります、此れは最近日本でも発酵健康食品として人気があります、その他ナスの煮付け、卵焼きもありますそんな昼食は日本円で50円くらいです。麺類はインスタントラーメンに玉子と野菜とトマトの2枚ぐらい入った麺類も同じくらいの値段です。 しかし夕方日本人が一杯飲みながら本格的な日本食でゆっくり食べると4〜5000円くらい、この差は一体何なのでしょう、中華も高いが、洋食の方が安い、和食が一番高いのです、全て輸入だからと言うが高すぎます、運んできたウエートレスの1か月分くらいの収入に匹敵しますからね。ジャカルタの生活は全てこの物価の違い、貧富の差の中で成り立っている不思議な町ですね。
市内中心街から車で40分ぐらい走ると、ミニチュア版のインドネシアで広さは120ha(日比谷公園の7.5倍、計算が間違っていなければ)と言う広大な遊園地です、園内にはミニ列車、ロープウエイ、インドネシア群島を浮かべた島と池があり、27の各地の民家を周囲に移築して各民族の生活用品や農具などが展示されています。そのた切手博物館、ランの博物館、飛行機の博物館、交通博物館、放送博物館、蝶の博物館、国家英雄の博物館、フラワーパーク、国の象徴のガルーダや極楽鳥があるバードパークなどが沢山あります。初めての人はとても一日では廻りきれないでしよう。 今年の新年を迎えるカウントダウンにはダンドゥットの王様ロマ・イラマが、大観衆の前でマイクを握り、首都圏の若者や家族連れで身動きが取れないにぎわいとなり、昨年の十万人を超える十一万五千人に達しました。 昨年中止した花火大会を復活させ、ワヤン・クリット(影絵芝居)や伝統舞踊ジャイポンガン、野外での映画上映など盛りだくさんのイベントがありました。 インドネシアの生活の悩みや、子育て、地域情報など何でも出ています。 「健康、医療」の相談や「バリ島の観光」、「宗教」に付いても専門のコーナーが ありますので調べて見て下さい。 よろずインドネシア掲示板 http://www.yorozu.indosite.org/keijiban/main/threads_new.html 日本に居ながら毎朝、最新のインドネシアの邦字新聞(一面だけ)がタダで 読めます。見出しだけなら過去のニュースも検索出来ます。 じゃかるた新聞 http://www.jakartashimbun.com/ 放送、テレビ、新聞などに出ているインドネシアに付いての行事や予定など インドネシアや日本での情報も毎日書き込まれています。 専修大ホームページ 日本に居ながらインドネシアのお土産も買うことが出来ます。 高田馬場駅近くですが地図はホームページに出ています。 インドネシア文化宮へ http://www.harapan.co.jp/Indonesia/GBI/GBI_index.htm インドネシア専科 此れ一冊でインドネシアの歴史、政治、文化、生活、習慣など全て網羅された すばらしいホームページです、何時でも何でも調べられます。 http://www.jttk.zaq.ne.jp/bachw308/index.html
二番目に低い、分類A―798,160〜136,380 三番目に低い 分類B―995,940〜160,320 一番高い位置, 分類C―1,176,460〜1,950,000 それがまた横にそれぞれ4つから5つに分類されています。あわせると全部で21の分類で、職種などは書いてありません。分類の内容にも何も書いてなく学歴や役職などの分類だと言う事でした。 縦には1から32ぐらいまでまた、それぞれランクがあり、此れは年功や入社経験などが加算されるようです。つまり日本の年功序列の給料表に近いものでしょうか。 この本給のほかに子供に1人30,000ルピア(2人迄)奥さんは30,000ルピア(1人まで)お米代10Kg(約50,000ルピア)交通費は鉄道会社の為か出ないそうです。 此れがインドネシアの中で高いのか安いのかは判りませんが決して高いとは言えないと思います。此れを今の為替で日本円に換算すると最低給は7,906円、最高給は24,500円、家族手当などは全部で1,750円でした。
大統領選挙が始まり社会情勢が不安定になるかと心配されましたが「勝利も敗北も受け入れる」という選挙キャンペーンの様に街は意外と静かです、今のところ大きな混乱も無さそうです、しかし選挙のためか2年2ヶ月ぶりにルピアが9590まで下落しています。 初日にはジャカルタの大道りに各候補を宣伝する大型トラックなどが派手なデコレーションを飾りキャラバンをしており、またそれを見る為の見物客で街は大渋滞を起こしていました。しかし今では4月の総選挙の時は24もの政党選挙でしたが今回は大きく3人の候補者が有力なのでポスターも少なく、旗だけが道路に並んでいます。 軍人候補のユドヨノ氏は此れまでもテロリスト摘発に強い指導力を発揮する意欲を示し支持率を順調に伸ばしています。元国軍司令官のウイラント氏はジョグジャカルタで支持者5千人を集めています。現職のメガワティ大統領はジャカルタ市内で「庶民の味方」をアッピールしていますがマスコミ嫌いで有名だったため積極的にメディアに応じているが「受け答えがよそよそしくて傲慢だ」と評判は今ひとつのようです。 世論調査ではユドヨノ氏が41%、メガワティ氏11%、ウイラント氏が10%と言われていますが、ユドヨノ氏はテロ対策には強いが大政党ではなく、メガワティ氏は組織が強いが物価値上げなどに期待はずれ、ウイラント氏は大政党候補であり元国軍司令官として急速に追い上げていると言われ、予想は混沌としている様です。 その内特に有名なCarrfourはフランス系のようですがジャカルタ市内だけでも9店舗、朝9時半から夜22時まで毎日開いています、一部地域の店では24時間営業だと言う事でした。それでも店員募集には若い応募者が殺到します。 店にはテレビなどの電化製品から衣類、生活雑貨、食料品まで何でも揃っています、人気はなんと言っても外資系の店らしくレジも多く、広場で音楽会をやったり、時期にあわせ制服を変えるスマートさで、また店が広いので何でも買える便利さでしょう。15インチのテレビが日本円で15,000円ぐらい、21インチの高級品でも76,000円、シャツ類は1000円足らず、歯磨き粉63円、粉石けん170円、玉子10個104円、とうもろこし518円/Kg、昼食は150円ぐらい、ラーメン売り場の棚だけで10m以上品物がありました。 ヒッタクリに有ってお金も取られ怪我もした。タクシーで遠回りされ膨大な請求をされた。交通事故に会い大きな損害にあった。病気で長く寝込んでしまった。などたまに友人などから聞く話も有りますが、此方に来て1年半お陰さまで大きな失敗や危険な経験もありません。自分の小さな失敗はたくさんありますけどね。 アパートに来て直ぐの頃、各部屋の鍵を点検して台所の鍵を閉めたとたん、オートロックの為、外からは開けられず部屋に戻れません「困った」思わず自分の服と履物を見てしまいました「よし此れで良い」慌ててアパートの受付の女性に「ヘルプミー」インドネシア語も良く話せない頃でした、受付の人も笑いながらマスターキーを借りてきて何とか一件落着となりましたとさ。 6月14日、スナヤン近くで首都モノレールの起工式が行われました。式典に出席した大統領も「プロジェクトとしても雇用拡大のためにもなる」と乗り気でした。またジャカルタ市長は「公共輸送はバスレーン、モノレール、MRT(大量輸送交通)、水上交通の4本柱で進めていく」と話していましたが、鉄道の役割はどうなるのでしょうかね。しかし責任者によれば6億ドルの総工費の内4億ドルの資金調達のめどが今だ立っていないと言う事です。 計画のよれば、モノレールの建設は2本あり、ブルーライン(東西線)は12,2Kmで13箇所の駅、2007年7月完成予定。グリーンライン(環状線)は14,2Kmで17箇所の駅、2006年12月完成予定です。車両は日立製で4両、全長37,2m、45,4トン。座席124人、立席326人、合計1400人(計算が合わないけれど)。直流電圧600V、時速60Km走行の予定です。橋桁も地上15mの高さの計画でした。 ラスナサイド通りやカサブランカ通りにも駅が出来る予定なので都心の高級サラリーマンの利用を狙った計画でしょうか。 車庫建設事業は国鉄(KAI)デポック駅北側の総面積26ヘクタールの土地に鉄道車庫を新規に建設するもので首都圏で運行する電車の一部を留置、整備する設備をもつ。契約は土木、建築工事、軌道敷設工事、電力供給システム、信号―通信機器システム建設、基地内整備機器などを含み、7月に着工し、2007年7月の竣工の見込み。三菱重工はインドネシアでも科学、発電プラントの受注はあるが鉄道分野での受注は初めて。 住友商事は此れまでにもKAI向けに500両以上の鉄道納入の実績があり、今回は信号危機の供給を担当。此れまでのKAIはフランス製の信号機器を使用していたが、今回初めて日本製を導入する事で、メンテナンスなどが容易になるものと期待されている。 ジャカルタ首都圏の鉄道システムは80年代にジャボタベック地区の複線化など鉄道の近代化工事が日本の円借款で行われている。現在は車両数がさらに増加し、車両システムの維持、管理を行う新たな車庫建設が急務となっていた。(ジャカルタ新聞) CIREBON(チルボン)はジャワ海に面した西部ジャワ州の小さな港町で、ジャカルタから250Km急行列車で3時間、少し前は26万の市民で日本人は10数人と言われていました。古くから港を利用して中国などと交流があり今はバティックとラタン家具工場が有名です。 小さな町ですがクスバハン王宮(岩の宮殿)、カノマントラ王宮などがあり、多分一番小さな「カテレボナン王宮」を訪ね日曜日なので入場を遠慮していたら運転手が誰かに交渉してくれました、半ズボンで少し背中が丸くなった中年の小母さんがオランダ時代の机やイス、そして小さなシャインデリア、各国から送られた記念品など紹介してくれますがケースは暗くてよく判りません、歴代の王様の写真も何代目だか説明されても覚えられません、でもダブルベッドの部屋で「此処に誰か住んでいるのですか?」と聞いたらその小母さんがすこし笑顔で「私です」と答えてくれました「そうか此処の王妃さんなんだ」知らなかった、日本人の観光客は珍しいのか自分の踊りを見せてくれると言います、テープで音楽を流し王妃さまはこの地方で有名な仮面舞踏を観客2人に見せてくれました。 トウルスミのバッティク工場も覗いて見ました、案内人は出来上がった製品を見せてくれたが、それではなく作っている所を見たいと頼みました、日曜日なので少ないというが「火で溶かしたロウ」を中心に輪になって10人ぐらいの若い女性が働いていました、製品は日本の注文で6ヶ月掛かるといいます、気が遠くなるほどの根気と熟練された技術です、作業場は薄暗いので「暗いじゃーないか」と言ったら「日本人は目が小さいから見えない、インドネシア人は良く見える」と娘たちは笑って答えてくれました。
郊外に住む父親は少し高額なサラリーマンの様で、手術の様子をビデオで見せてくれました、小学3年生の子が横になり窓から同じ様な男の子が数人覗いていました、ドクターと呼ばれて居ましたが本当の医者かどうか判りません、以前は「ドックン」と呼ばれる祈祷師などが行っていたようですが年老いた男性と中年の女が消毒をしてそれを数センチも引っ張り、大胆に横に輪切りにしました、始め少し泣いていた子も泣き止み緊張しながら本人も覗いていました、しかしその後、傷口を縫い合わせるのにかなりの時間が掛かり本人も痛がっていたようです。だから真っ赤にはれた傷口が少しでも乾くようにスカートを撒いてパンツも履かず布に触らない様にしていたのです。 親戚や近所の人、会社の友人などが正装して包金を渡し、料理を頂き、参加者全員でお祈りを行い、その後、家の前で「小銭とキャンデーとお米」を40〜50人の近所の人にばら撒いていました。物の本によれば割礼は旧約聖書の頃から行われイスラムの世界では当然で男の子は12から13才の頃、全員行い「清潔にするためにだと説明されましたが」今では広く成人式の意味があるようで、本人も大人になった気持ちなのでしょうか今では平気でした、「痛かった?」と聞いて見ましたが「少し痛かったけど今は平気だよ」と答えていましたが学校は1週間ぐらい休むようです。
「当たった」と言っても宝くじや交通事故ではありません、しかし南の国にいる限りそれより遥かに確立が高いそうです。そう日曜日の夜から嘔吐と下痢が激しくなりました、下痢は7から10回ぐらいですがそれより嘔吐は普段使わない筋肉を搾り出すように強制的に動かされるので、そのあと体中の筋肉が痛くて歩けません。勿論眠れません。 まるで、おしっこみたいな下痢が続きます、でも屋台なんかで
食べなくても、一流ホテルのサラダでもなる可能性があります。日本だとすぐ隔離され店は営業停止になり、なれない日本人の医師は慌てますが、此方では滅多に入院する事はありません抗生物質の初期治療ですぐよくなります、食べた人が悪い、あるいは運が悪いというだけです。 考えられる事はゴルフ場やテニスコートもあるかなり高級なスポーツセンターで昼食にラーメンのようなものを食べたのですが、一緒に行った現地の1人は軽く、もう1人は全然異常がありませんでした、 10分足らずの所にある診療所の入口は狭いのですが中は日本の病院より綺麗なぐらい、現地の人は滅多に行かない外国人向けの診療所で日本人向けのコーナーもありました、見る限り施設も医療器具も近代的、中国系の医者は親切で、看護婦などはインドネシア語と英語と日本語の混じった言葉で説明してくれます、スタッフ募集のチラシには「英語が話せる事」とありました。でもどんなに綺麗な看護婦さんが居ても二度と行きたくはありませんね。 「作っている所はないの?」と聞いたら「ロウケツ染めの講習会をやっています」それだよ! 会場費もなし材料はコットンで暖簾ぐらいの大きさで250,000RP、ハンカチ大は50,000RP、しかも作品が完成するまで、何回通ってもOK。染料は残念ながら草木染ではなく科学染料だと思います。丁寧な作品を作るには、小さい方で2日、大きい方で5日は最低必要だと思いました。 参加者は外国の方が多いようですが現地の方たちも、親子で参加していました。また本格的に大きな作品に取り組んでいる若い方もいました。勿論会話はインドネシア語と英語が中心ですが言葉は世界共通でボデイランディングでも何とかなります。参加者どうし国が違っても、なんとなく会話したり、日本人同士ですとお友達になります。出来ればもう一度でも二度でも、今度はゆっくり丁寧に作品作りをしたいですね、と妻は言っています。またインドネシアのバッティク、イカットの工房を巡る旅が出来たら楽しいでしょうね。 13日から始まったアテネ五輪の国内放映は過去3年間放映してきましたがIOCとの契約がまとまらず、生中継しない事になりました。テレビ局は「国民の関心も低く、高額な放映権支払えないしスポンサーも居ない」としています。放映権は90万ドル、ワールドカップは500万ドルと安価にも拘わらず放映を見送りました、だから「アジアで唯一テレビ放映の無いオリンピック参加国」だと言われています。インドネシアは14種目、計39人の送り出していますがメダルを期待できるのは、バトミントン、重量挙げ、槍投げだけ、また開催地が遠いため放映が10時以降になるので「高い聴取率も見込めない」としています。 一方NHKの海外放送も「五輪はみられません」NHKが1億5千万ドルで獲得した生中継は日本国内だけ、そして海外の方は1日3回の5分間のハイライトを見てください。との事それも15時間後、1種目30秒、同じ映像の再放送は2回まで。特に見たい人は「ワールドプレミアム」1ヶ月16万ルピアを払って下さい、と言っています。 その他のインドネシアのスポーツはリトルリーグアジア太平洋大会が23日〜29日までグアムで開かれ、インドネシア人は4人、日本人9人でインドネシアのチーム作り参加ほかに、グアム、サイパン、ヒイリッピンが出て昨年は1勝2敗、3位だが予選突破は出来ませんでした。 先日行われたサッカーアアジアカップ中国大会では、インドネシアは予選A組首位に立ちましたが今まで3回目の参加では始めての事でした。 女子テニス国別対抗戦フェドカップで12年ぶりにワールドグループ進出をはたしたインドネシアチームにプルマタ銀行から6,600万ルピアの特別ボーナスが出て「国家の威信を高めた若者たちへの贈り物」としています。 サッカーのアジア杯は2007年に開かれる次回開催地を、インドネシア、タイ、マレーシア、ベトナムの4カ国で共同開催する事が決まりました、そのため次回は予選を免除されます、アジア杯は4年に一度開かれますがオリンピックと重なるため次回からは5輪の前年に行うことも決まりました。 インドネシア人がこんなに植物が好きだとは知りませんでした。ジャカルタでも最高級のホテル、ボロブドールの前の公園は緑で一杯で「フローラ、ジャカルタ2004」と呼ぶ植物展が開かれました、毎年1回開かれ今年は18回目、参加したお店も約300店だと言うことでした。会場はバラ、菊、ハーブ、マリーゴルド、ジャスミン、シャクナゲ、カトレヤ、ラン、サボテン、その他名前はとても判りません。そして嬉しいのは会場の半分ぐらいが果物のお店でドリアン、ナンカ、ミカン、アングレック、マンゴ、スターフルーツこれもとても名前がわかりません。 花は決して日本の様に豪華、絢爛たる派手さはありませんが、年中暑いのですぐ育つし種類も多いのかも知れませんね、しかし全く季節感もなく春の花も秋の花もあるのにはちょっと戸惑いますね。此処で買い物をするのは中級家庭以上かオフイスだと言う事ですが、小さな植木鉢から、果物まで自分の家の庭で果物が出来る、それもマンゴーなんか出来るなんて嬉しい風景ですね、その他ミカンの種類も多く、確か日本でもバナナを栽培している個人の話がありましたが先ずは日本では無理でしょう。 それから盆栽コーナーもありました、松などの針葉樹は少ないのですが、ツゲのような植物が根元を太らせたもの、寄せ植えなどにして一応の盆栽の様子を作ってありました、それも植木鉢などもなかなか良い形なのできっと流行なのでしょうね。言葉もそのまま「ぼんさい」でした。
日本人仲間が数人集まるといつも話題に成ります、メイドを雇っても運転手を雇っても日本人が一番悩むのはなんと言ってもお金の問題です、高すぎるからと悩むのではなく此方の人の金銭感覚のいいかげんさです。雇ってから暫らくすると殆ど、値上げして欲しい、お金を貸して欲しい、前払いして欲しい。そして子供が病気だ、田舎に帰るお金が無いなどです。契約以外は断るが、数回に一度はまけてしまい、此れでも彼等に取って言っただけ得した事になります。 相当信頼していた現地友人から友人だからお金を貸して欲しいと言って来ます「友人を失いたくないから貸さない」と言っても理解されません。日本人が一番嫌いな事は「お金を貸すこと」だと何時も言って来たのに。 現地の人と遊びに行った時、入場料から食事、少しのお土産代として事前に渡しておくと殆どはお釣りが返って来ません。だいたい計算はしません、有るだけがお金で、少しの残りは返って来ません。数人が一緒に食事をしても一番お金持ちが払うのは当然、だから有り難うとは言いません。日本人が払うのは判っていてもせめてお礼ぐらい聞きたいのは日本人のひがみでしょうか。 今お金をもっている人も神様が一時的に預けたもの、だからお金が無い人は貰うのは当然。そんな事が宗教的に有るようです、そう言えば自分が大してお金を持っていないメイドでも道路に居る「お貰いさん」には小銭を渡します。またレストランで食事をしても食後此方から請求しないと請求書を持って来ません。など日本人には理解できない金銭感覚がたくさんありますね。 オーストラリア大使館から5Kmぐらい離れているでしょうか、現場で働いていた時なので大きな音も感じませんでした、11時頃現地の係員に奥さんから連絡があり「オーストラリア大使館で爆発があったが大丈夫か」とSMSがあり直ぐその後私の所にも話がありました、テレビのある部屋に入ると職場の職員がわざわざイスを出して見て行けと進めてくれます。 爆発のあったオーストラリア大使館は我がアパートから300mぐらいなので、少し心配で画面を見て、すぐアパートの管理人にも電話をして見ました、「ガラスが何枚か割れた、子供部屋で遊んでいた子が割れたガラスで手足を怪我した」との事でした。またアパートのある人はきのこ雲が見えたと言います。 テレビで見ても我が屋の前の通りは既に全面禁止のバリケードです。運転手に相談しながら裏道から入り、部屋を見ましたが15階なので直接音が響いたのか2m×70cm厚さ5mmのガラスが一枚割れましたが割れても落ちなかったので部屋は汚れていません。同じ階の人も壊れ、アパート全体では現在15軒のガラスが壊れたと言います、ガラスの交換も間に合わず暫らくはベニヤ板になりそうです。 大使館の前は既に通行禁止です、しかし野次馬根性は居る場所を問いません、マスコミは大きなカメラを担いで近くまで入れます、それなら運輸省の制服に似た制服で小さなデジカメを持ち変な日本のおじさんでも入れるはず、話せば簡単にOK。死者は9人、負傷者180人以上と言いますが、町の人にはそれ程の緊迫感は感じられません、長居は危険です、近くから撮った写真は現地の人でもビックリして見ていました。
峠に行くには電車も無く、タクシーも殆どありません、アンコッタと呼ばれる小さなバスが沢山走っていて大型の観光バス小さなバス、自家用車がまた渋滞の原因でもあります。近くにはサファリ・パークがあり、放し飼いにされた動物は日本より遥かに広いのでのんびりしている様です、その中を人間が車に乗って見て廻ります。最近はその他に超高級な別荘地が谷を見渡すように綺麗に並んでいますが不思議にその奥にも遊園地があります、温泉が出る遊園地には温泉のプールがありますが日本のように皆が裸になって入るお風呂はありません、また「花の遊園地」という所はベニスに似せた運河やヨーロッパ風の建物が有名なようです。イベントも出来る大きな野外劇場もあります。 付近にはホテルも道沿いにたくさんありますが此方ではビラと呼ばれる貸し部屋が沢山あります、ロッジ風な建物から、大きな集会場のような物まであります、そこは数十人入れる大きなロビーと6つの小部屋があり部屋は全てダブルベッド、だから12人はベッド、その他の人はソフアーベッドが数台です、此れなら何人来ても、人数の確認は必要ありません、遅く来た人は床に寝るだけの事です。 しかしジャカルタとは違い夕方には長袖が必要だし、夜は薄いものを掛けないと寒くて寝られません、此れで全ての部屋代が日本円で8000円くらいでした、食事は頼むと大家さんが作ってくれます、4回、20人分を頼みましたでもたいした事はありません。 簡単に自分で勝手に取る料理なので何人来ても大丈夫です。此処で夜は夫婦ずれや彼女ずれでゲームを楽しみ、カラオケで楽しい一夜を過ごしました。退職を記念した事務所の家族旅行でしたが20人ぐらい来てくれたのは嬉しいですね。勿論日本人は私1人です。 決選大統領選挙 (NO,99) 史上初めての国民による直接大統領選挙が20日7時から午後1時まで行われました、当日は国民全て休み、投票所は全国56万箇所、有権者1億5千3百万人、17歳以上の有権者(既婚者は未満でも選挙権あり)で即日開票。いたる所の道路に大きなテントを張り下町では大きなお祭り騒ぎとなります、候補者の写真が印刷された大きな投票用紙に釘で穴をあけ、不正防止のため指にインクを付けられます、当日はデパートやスーパーもお休み、前回の総選挙の時は町にオートバイや宣伝のトラックが走ったのと違い、当日まで町に大きな写真や旗があるのとテレビ広告があるぐらいで静かでした。 もちろん選挙準備不足や不備もありましたが選挙妨害や投票後の心配された支持者同士の衝突などの混乱も死傷者も出ないで実施できたことは、フイリッピン、インドでは死傷者が多数出た事と比べ素晴らしいことです。日本政府選挙監視団も「インドネシア大統領決選投票が平和裏に実施された」と話しています。現在は開票も集計作業も予想を上回る速さで進んでいます。 7月の第一回の大統領選挙後、大政党と連合を組んだ「メガワティ大統領」は圧倒的な票田がありながら「政権周辺に汚職がはびこり、政党人も利権あさりに走った」「経済も低迷で物価が値上がりし、失業者は町に溢れている」と言う前評判でした。 一方の「ユドヨノ」は国軍出身だが清潔で実行力あると期待されている55歳。組織的には 議会でも多数はではありませんが、個人的な人気は抜群で、4月の総選挙でゼロ議席から56議席に獲得。選挙戦でも「汚職の撲滅」を強調、テロ対策でも実績あると評判でした。 しかし選挙後の9月24日には「多くの至らない点や未解決の問題が残されている事を認めなければ成らず、国民協議会と国民に謝罪したい」国会でのメガワティ最後の演説でした。 また「ユドヨノ」は「自ら率先して汚職と対決する」「疑いのある人事はしない」「政権発足から100日間は国内各地を訪ね労働者や農民と対話する」と最初は外遊は控える様です。 しかし政治のトップとしての指導力は未知数。以前は決断に当たって慎重を期すあまり「優柔不断」と言われて来ました。また国民の期待が多いので思い切った決断が必要でしょう。 任期は5年間。公式最終結論は10月5日。10月20日に大統領就任式が行われます。 約2年間続けて来た、ホームページのニュースが目標の100号を書き終えました。JICA、SV(国際協力事業団のシニア海外ボランティア)としてジャカルタで働いた2年間の任期中にジャカルタで気がついた小さなニュースを日本の友人たちにメールで毎週一度づつ送って来ました、それをホームページに載せたもので写真もなるべく撮ってきました。 毎週送って来た友人、知人も最近は読者がどんどん増えて50人ぐらいになってきました、たまには反応のご返事も頂きますし間違いの指摘もあります、しかし毎週一度何かを書く事が目標になると苦しくもあり、また楽しくもあります。 始めは1988年10月、朝日新聞「声」の欄にその当時嘱託として働いていた「都電荒川線のニュース」を載せたホームページの事を投稿したのがきっかけで、もう既に6年になるのですね、見て下さった方も9万のカウンターを越えました、最近は専修大学の授業で紹介されたり、他のHPでリンクされ1日30人ぐらい方が開いているようです。 私も何回か訪ねた海外旅行は美しい観光地が中心で今では殆ど困る事はありませんが、しかし生活してみると旅行だけでは気付かなかった生活、文化、習慣の面白さ、悩みも沢山出てきます、今では外国で生活する方は沢山おりますが そんな始めての感動、悩み、面白さを忘れない内に書いておこうと思いました。 長期滞在者の多いジャカルタでたった2年間で何が判るのか。大都会のジャカルタでインドネシアを語るな! という指摘もあります、また「それは違う」と言う部分も多々あると思います、しかし自分の周りの小さな世界の中でも感じた小さな感動も忘れないうちに記録したいと思っています。 ジャカルタ行きを決めた頃、友人たちも「汚い、暑い、言葉も判らない」そんな国に何故行くのか? という質問ばかりでした、確かに文化、習慣、宗教などまだまだ理解出来ない事も期待を裏切られる事も沢山あります、また此方に来て教えられる事も数々あります、過ってのよき時代の日本のように人間関係を大切にする、のんびり生活する、そんな事を大いに教えられました。 http://homepage3.nifty.com/j-densya/t6000/mitasen.htm
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