どんぐりの合併日記

なかなか経験できない越県、越エリア市町村合併騒動を楽しんじゃいましょう。特に主張があるわけでもなく、何か特別の立場があるわけでもなく、何気なく地面に転がっているどんぐりの目で。

2005/4/14(木)
 やはり山口と同時期に中津川市と合併した付知の小学校に掲示してある岐阜県地図に、山口が手書きで付け加えられていた。なんだか嬉しかった。中津川市の教育委員会に掲示してある地図にはなかったのに。

2005/3/13(日)
 合併してからはいろいろな場所で不満しか聞かない。木曾農協山口村支所が撤退するのがおじさん、おばさんたちにとっては大きな問題らしい。来年の5月までは山口村支所もやっているという話だったが、数ヶ月前に早々にATMは撤去されたし、先日買い物をしようとしたら店舗はもう商品がほとんど撤去されていた。食品の宅配サービスを受けていたお年より世帯はどうなるのだろう。役場関係では、山口の現場の声を聞かずに決めてこられるとか、何でも書類ばっかりで形式的だという不満が多いようだ。学校もいよいよ引き継がれるのだが、そんなやりかたは生徒を信用していないとか、形式ばかりだとか不満のこえばかりが聞こえてくる。私の身近なところでは、ごみ袋が高くなり、しかも少ししかはいらなくて、その上破れやすいと不満を言いたい。普段買い物に行くスーパーでごみ袋が買えるのはまあいいかというぐらい。なんだか気恥ずかしかった住所も、最近は書きなれてきた。でも、まだ我が家の誰も郵便番号を覚えていない。電気屋さんで配達を頼んで、「山口村です」というのも変かと思い、「山口です」と言ったら、山口県かと勘違いされたので、以後「山口村です」と言う事にしている。


 3月3日付けで新しい無線局の免許がきた。今までのは返さなくてはいけないので記念に写真をとっておいた。旧免許返信用の切手つき返信封筒まで届けられた。もう6月には期限が切れるので早めに申請をしなければ。最近こういう手続きは面倒でつらい感じ。それに、勉強不足なので、新しい電波形式の記号がわからないぞ。3HAとかなんだあ。

2005/2/18(金)
 いつものように、Yahoo天気情報の山口村のページを開いたら、中津川になっていた。住所を書くときなかなか岐阜県中津川市と書けない。郵便番号を覚えていないし、なんだか照れくさいというか、変というか。で、支障のないところには山口村と書いておいた。朝、学校の周りを、「中津川市学校安全パトロール」とか書かれた車が徐行していた。ちょっと、変化を実感した。新聞は、家人は信毎を続けると言い、私は岐阜新聞か中日を読みたいとも思うので、とりあえずしばらくは両方取ることにした。

2005/2/16(水)
 中央公民館の役割をもつ村民センターの正面のモルタルが、今まで気づかなかったが黒ずんでいて寂しさをかもしだしている。合併直前の慌しさがうそのようにどこもかしこも静かだ。旧役場の前を歩く職員の人が気のせいかわびしそうに見える。雨のせいかも知れない。
 自動車税を2月までは長野県、3月からは岐阜県に納めるらしい。3月までは1年間の支払済みなので、長野県総務部税務課から、ひと月分が銀行振り込みでの還付され、新たに、岐阜県から一月分の納付書がきてまた、金融機関から収め直すことになるらしい。まとめて県同士でやってくれれば、手数も郵送費もはぶけるのに、そうもいかないところがあるのだろうか。

2005/2/14(月)
 今日は、岐阜県の職員となる学校の先生や、中津川市の職員となる役場関係などの辞令交付がおこなわれた。学校では木曾消防署の人が来てなにやらアンテナをはずしていった。あちこちで新しい中津川市OOという看板と従来の標識等とが混在している。学校では山口村立の文字が隠された看板がたっていた。合併前から表立っては新しいことへの準備もできないので、これから慌しくなされていくのだろう。

2005/2/13(日)
 
 朝新聞を取ってみると一面トップの「さようなら山口村」の文字が目ににとびこんできた。いよいよ長野県とも別れるのだと急にドキッとした。村から長野県に向けた広告もあった。多くの村民の気持ちを良く代弁していると思う。また、「広報ながのけん」が山口村と中津川市の折り込み広告で配布された。内容は、田中知事が合併に反対した心情等がつづらてたものだ。村内では目だってなんの変化もなく、息子が「長野のほうが騒いでいるけど、こっちは静かだね。」と拍子抜けしたようすだった。ほんとに静かな一日だった。


 

2005/2/10(木)
 
昨日は、長野県山口村山口小中学校の閉校式が行われた。今日は神坂小学校でおこなわれた。
 一昨日は、長野県費で採用されていた、ALTと美術の先生とのお別れの式。昨日は、同じく県費の補助職員2名とのお別れの式もあった。
 閉校式は、山口では、あまり子供に慌しい感じを与えないようにということなのか、あっさりと校長先生の話と、教育委員長の話だけだった。来賓ももちろんなく、列席は他に教育長。校長先生は、戦後山口学校として、物資の無い時代に、特に戦時中の拠出のため、くぎがないので、名古屋まで買いに行って、いっぽんいっぽんの釘を大事に使って校舎を建てたという話をした。今までは学校のことは山口村が修理したりしてきたが、これからは中津川市がやるのだとの話だった。涙もろい校長先生なので心配したが今回はだいじょうぶだったようだ。
 涙声になったのは、教育委員長だ。いつも威勢の良いあいさつをする元気な人で、最初はその調子で始まったが、最後には涙になってしまった。確かに、子どもたちはいずれ学校生活を続けるわけだが、教育委員会や教育長は失職し、中津川市教育委員会に学校はゆだねられることになるのだから、今まで関わってきた人としては思いも深いのだろうと思う。私も、この委員長が図書館を大事に考えていたので採用されたとも言える。
 冷静に考えれば、開校式をしてもいいのかも知れない。中津川市山口小中学校としての。しかし、だれもそこに気持ちはまだいかない。さよならのほうが人の心に重くせまってくる。
 役場では、閉庁式がおこなわれ、山口村役場の看板が村長らの手ではずされたらしい。私も、月曜日からは中津川市の臨時職員ということで、労働契約とかの書類を書くらしい。駐在所も「お世話になりました。」と広報で言っていた。木曾警察署の管轄を離れ中津川警察署の管轄になるのだろうと思うがmその点については触れらら無かった。だんだん合併の実感がわいてきた。長男もテレビ等を見て、そんな気持ちになってきたのか、明日は帰ってくるという。

2005/2/8(火)

 朝から暖かいと言えば雨降りで暖かい一日。雨が止めば霧がまいて、来賓の言葉にあったとおり、いかにも山あいの村という雰囲気を盛り上げた一日だった。「ご臨席」してきました、閉村式。
 文書ではまわらなかったが、朝の広報無線で「村民の皆様もご臨席ください」と言っていたので、午前中で仕事を切り上げて、昼食をとるまもなく1時からの式典にもぐりこんだ。。招待者は約170名、一般席はその後ろに100ほどあったようだ。おじさん、おばさんたちの他に村民ではないと見える人も大勢いた。見渡したところ、反対派だった婦人連は見えないようだ。
 中学生の校歌合唱で幕をあけた。今年の1,2年生はそこそこ声が出ているのでまあまあに聞こえるので良かったなあと思う。中学は閉校になるが、小中併設校なので、この校歌は小学校で歌い継がれていくことができる。そんなことを考えていたら涙が出てきた。年のせいか最近すぐ泣けてしまう。いけない、こんなところで泣いていたら、カメラにとられてしまう、とこっそりぬぐって知らん顔をした。最後に信濃の国を歌ったときには涙を流していたおばさんにカメラが集中していた。あぶないあぶない。
 挨拶は、村長、田中知事、後藤国会議員代読、県議会総務委員長、木曾選出県議、村会議長、中津川市長、木曾郡議会連合(?)、木曾町村長会(南木曽町長)、小諸市長(姉妹都市)だったと記憶している。
 
 
 村長は、昭和の合併の時のような騒動が再燃することなくて良かったこと、住民の力でこれからの地域づくりをとの話。「ありがとう長野県、さようなら山口村」と締めくくった。そして、田中知事登場。もともと静かに話す人だが、一層トーンが落ちている感じだ。ボンネットバスの時代に馬籠に家族で観光に来たことから話は始まった。信濃の国の歌と島崎藤村を長野県人の心のふるさととし、フランスのラ・マルセーユを例にあげて、山口村のみなさんも、時には「信濃の国」を思い歌って欲しい、と言ったように記憶している。弱者を救うことをしてきた者として、長野県に留まりたいとする人を救わなければ「ならないと考えたとも言った。時間は5分ほどではなかっただろうか、軽い感じの話であまり心に残らなかった。ただ、いかにも、康夫ちゃんと言われる、何時も地の人で、政治的な駆け引きとかをするようなタイプの人ではないという印象が残った。
 実はこの知事の話のとき、音響系統に雑音が度々入って聞き苦しく、意識も中断してしまった。報道関係の機器の電波が入ったのだろう。混信しないよう使用周波数の確認は周知のはずなのだろうが。知事の話の途中なのに、総務課長がこちらまで聞こえてくる程の声で注意していたので、ついそちらに注意が行ってしまった。式典の準備を中心になって進めてきた総務課長としては怒りたくなったのだろう。
 県議会代表者の話は、明らかに知事を意識していた。住民の意思が尊重されたことを、40年前の県議会が反対して混乱したことと比較して強調した。さすがに原稿なしで、雄弁に語り政治家だなあと思った。
 さすがに「おめでとう」と言う人は少なく、2人だけだったと記憶する。木曾選出県議が、最後涙声になってしまったのは、子供たちのことに言及したときだった。
 功労者表彰があったが、第一が前村会議長だった。知事の合併反対の会見のネット中継を見るために飲酒運転をし、辞職(正式には病気)した人だ。合併騒動がなければ無事職をまっとうしめでたく任期を終えたのだろうに。
 
 
 反対派の代表者の村議の庄司さんも表彰者に名前があったが、会場にはいないようだった。しかし、閉式して帰るときには大勢の報道の人に囲まれてインタビューを受けていたのでどこかにはいたのかなあ。この人は、5,6年前に隣の南木曽町から越してきた人だ。東北大卒の才媛でご主人は大学教授だ。個性的な人だと前から思っていたが、ここまでやるなんて強い人だと思う。これからも、地域づくりのために力を注いで欲しいと思う人だ。
 祝電披露は、村井、若林各国会議員方からのものに続いて、最後に長野駅前交番派出所、林さんというのがあって、つい微笑んでしまった。前の駐在さんで、カラオケが好きで村の集会所でおばあさんたちと一緒に歌ったり、朝早くから国道の交差点に立っていたりと、村民に親しまれた人だ。
 それぞれの人にそれぞれの思いがあり、それぞれにその思いをかみしめた良い式典だったと思う。誰かが言っていた「合併に反対した人にとっても、賛成した人にとっても、すべての村民にとって、そして、送り出す長野県にとっても、迎える岐阜県にとっても、して良かったと思える合併にしなくてはならない。」 一どんぐりとしても、前向きにやっていこうと思う。

2005/2/2
 

 職場に郵便局から電話が来ました。局長さんからでした、狭い村なので、まあどこにいるかご存知なわけですが。何かと思ったら、簡易書留が来ているが自宅は留守だったのでそちらへ届けるが良いか、というものでした。
 その簡易書留がこちらです。拡大してお読みいただけると思いますが、0か2を選べるというもの。ちょっと良いように聞こえますが、疑問に思って、「合併後新たに同じ従事者免許で開局等の申請をした場合2のコールサインを割り当てていただけるのか。」と電話で確認しました。「移動する局を0に今回選択して、固定局等を開局するばあいですね。」と確認され、めんどうだったので、頭では、移動局を廃止、あるいは失効させて新たに申請することを考えていた(場合によっては、固定局でも)のですが、「はい。そうです。」と答えました。確認して電話をいただけるということなのでいったん電話をきりました。数分でかかってきた電話によると、「移動局で0のコールをお持ちで、新たに固定局を申請された場合、同じ0のコールサインになります。2つのコールを持つことはできません。」というものでした。
 実際これは困ってしまいます。コールサインでエリアを識別している日本にあっては、コンテストをするにしても、アワード申請をするにしても何かと混乱を引き起こしそうです。いざとなったらJA0QWO/2という手がありますが、それで5919500とか言ったらうさんくさがれてしまいます。コンテスト界もいまやそう広くはないので各局にそう認識していただければいいのかとも思いますが。とりあえず、ここは0のコールを残しておくしか手はないと思われます。今後JA0QWO
で運用を続けるには、各局の理解をいただくことが必要になります。機械的に割り当て変更になるのではない、せっかくの取り計らいなので、それを生かしていければと思っていますが、アマチュア各局のご意見をお聞きかせいただきたいと思うところです。2月8日必着で返信のハガキを送付しなければなりません。みなさまのお知恵、ご意見をお願いいたします。

2005/1/16
 勝てば官軍負ければ賊軍という言葉を思い出す。田中知事も反対するなら最後まですればいいのに。中途半端だ。去年、村に県の「自立支援プラン」というのを説明に来られた時に聞きに行ったが、この村の事を真剣に考えてくれる人には見えなかった。信頼できるという印象を持てなかった。反対派の人たちは、より一層傷ついたと思う。
 昨日、例の反対運動をしていた友人が電話をくれた。「人間不信になって外には出られない。」のだそうだ。今日の、新聞によると、賛成派の人が音頭をとり、県庁にお世話になった「お礼」に行くので、反対派も参加して欲しいとして融和を図っているとのこと。勝った人は心のゆとりもあるが、負けた人にはそれらの気持ちをを受け止める心の余裕がないだろうと思う。彼女らが今後どんなふうに地域生活を送っていくことになるのか心配だ。私も、時機を見て声をかけていこうと思う。
 小学2年生の無邪気な会話がおもしろかった。
 A「合併して中津川市になるんだよ。」
 B「えっ。ぼく中津川市に引っ越すの? どこに行くのかなあ。(ウキウキ)」
 A[違うよ、名前だけ変わるんだよ。」
 B「えっ。ぼくどんな名前になるのかなぁ。(ウキウキ)」

 私などは、この地で育った人とは違い、ずっと「普通の」長野県人だったので、それなりの誇りやアイデンティティを持っていたと見えて、岐阜県人になることに、不安な気がする。ひとつの心のよりどころがなくなる様で。この風土の中で暮らしながら、新たな心のよりどころが築けるだろうか。

2004/12/17
 今日の新聞に知事が「逡巡している。」と言ったのに対して、村長の「そんな悠長なことを言っている場合ではない。」という発言が出ていた、そのとおりだと思う。反対を表明する時期が遅すぎたことは認めているのだから、せめて決断は急いで欲しいと思う。
 笑ってしまった話がある。現在、反対、賛成各派が宣伝カーで村内を回っているが、反対派が「自分たちの未来は自分たちで考えよう。」と言ったのに対して、たまたま通りかかった男子中学生のオチャメな集団が、面白半分にジャイアント馬場風にこぶしを振り上げて「おう!」と答えたらしい。それを反対派の県議がとりあげて「中学生も反対していて、宣伝カーにかけより『ぼくたちも反対です。』と言っている。」と発言された。親が、事実と違うと抗議したと、これも新聞に出ていた。子供に確認したら「ただ騒いだだけ。」との事だったらしい。「ただ騒いだ。」というのに笑ってしまう。その中学生たちを知っているが、確かに「ただ騒ぐ。」子供たちだ。しかし、笑ってはいられない、話はこうやって捏造されるということだ。

2004/12/3
 合併議案提出見送りを受けて、さすがに学校も動揺してきた。今までは粛々と合併ありで進めてきたが、もうそうしていられなくなったということだ。山口地区は比較的静かな感じだが、神坂地区は目立たないけれども、かなり動きがあるように感じる。

2004/11/12
 11/7に第43回 木曽郡公民館大会というのに動員されて行ってきた。楢川村は塩尻市と合併するし、山口村の他にも合併があるかもしれないので、この形での大会は、これが最後だろうとの事。大会の最後に「椰子の実」の合唱があった。指揮の人が、「私たち木曽の藤村の・・・・」と感慨深げに言われた。藤村がどこかに行ってしまうような寂しさのようなものが多くの長野県人にあるのだろうと思う。
 今日配布された、「藤村記念館だより」にも、田中知事を担ぎ出し、今は袂を分かっているかの柳沢京子が『今、木曽馬籠を想う』と寄稿している。その中で、声高には言わないが、藤村文学のふるさとを木曽にとどめたいとのメッセージを発している。
 
2004/10/20
 先日、火事通報のいたずらがあったようで、消防車まで出動した。火事だと名前を使われた人が、役場職員で、中津川市との合併事務関係をやっていて、PTA会長だったりする。個人的な憶測だが、合併後の人事にまで話が進んで来た今、それに関係して卑劣なことをするヤツがいるのではないかとも思われてしまう。
 村外の人と話をすると、山口もタイヘンダネとの反応が多く、田中知事の行動には批判的な声が聞こえる。いっそ県民意識調査とかをやってみると面白い気もする。中津川市の人たちからは、山口が編入されることに好意的な声が聞かれる。もう、山口なんてケッコウと言われたらおしまいだ。
 東濃や恵北地区との交流も始まってきた。岐阜の人たちがそういった声をかけてくれることをありがたく思う。

2004/10/9
 一昨日の県議会で。山口村の合併についての県民意識調査の予算削除が決定された。この調査が12月の議案提出の前提だとしていた田中知事は今後どうするのだろう。
 一週間前、例の反対運動をしている友人がまた電話で、署名依頼をしてきた。田中知事の意思を強化するためにも数が必要なのだろうか。私はそんな署名などしないとはっきり伝えた。先の投票では合併反対に入れたものの、結果は賛成が多かったので、村全体としてその方向をとるなら前向きにそれに沿っていこうと気持ちを切り替えてきた。そうやって醸成させてきた気持ちを、変えることはできない。時として少数意見が正しいこともあるけれど、今度の場合、今後の村づくり、地域作りをしていくためにも住民投票の結果に従うのが正しい道だと考える。
 電話を切ったとき、友人関係もこれで終わりだと感じた。人間関係とは別問題とわりきれるものではない。
 
 神坂小学校(長野県)での交流会の様子
 
 県レベルの騒動をよそに、村では粛々と合併に向けた準備が進んでいるようだ。学校も、統合する相手と交流会を開き、PATも組織等を中心に検討を進めている。私の仕事関係でも、某基金の処理を急いでいる。
 山口村の合併に明白に反対を表明した田中知事だが、この状況の中では、よもや12月県会に議案提出することなく合併をつぶすなどということはしないだろうと予想する。

2004/9/29
 田中知事が議案提出をしないと記者会見をした日、そのインターネット中継を見ようと役場にくる途中の損壊議長が飲酒運転で物損事故を起こし、事態は混迷を深めている。しかも、村主催の敬老会で飲酒しそのまま運転して帰宅したのだという。岐阜県側も、当然悪い印象をもったようだ。合併問題にからめて批判する人と擁護する人とがいる。
 昨日、村の老人会長さんを車に乗せてあげたとき、開口一番、「天候も不順で、地震や噴火はあるし、いやな事件も起っているし、合併もどっちに決まったにしろ、しこりは残るし、なんだか不安な気持ちがいっぱいだよ。」と話してくれた。メリットが多く、住民に希望を与える町村合併のはずではなかったのか。
 反対運動をしていた友人は、先日行き逢ったら嬉々として、「今日は村会の傍聴だ。」と言っていた。その他の人たちは、沈黙は金なりと口を閉ざす。
 さあ、どうなっていくのか、この合併騒動。

2004/9/17
 おとといの晩、息子から電話がかかってきた。インターネットのニュースで、田中知事が合併の議案提出をしないと出ていたと驚いていた。まったく驚いてしまう。なんで今ごろになってという感じだ。県民の意向を聞いてからだという。それならこれまでいったい何をしていたんだ。ここまで進んで来た村民の気持ちや合併に向けての作業やそれに伴う財政的な予定はいったいどうなるんだと言いたい。
 それにしても、田中知事ならそんなこともし兼ねないとも思われたし、もしかしたら35年前のように県議会が反対決議をするかもしかれないとも思われたが、まさか、まさかそんなことはないだろうと考えられた。住民投票の頃、誰もが、住民の意向を尊重すると言っていたではないか。
 もし合併しないとなったら、今後の村はどうなっていくのだろう。反対した人たちは、そこに何か支援をしてくれると言うのだろうか。庄司さんが村長になってどんな村をつくっていけるのだろう。
 藤村記念館だよりに。去年ごろだと記憶するが、観光客が、「長野県から出て行くんなら早く出て行け」とつばをはいていたとあった。8月の署名集めには、村内は二百数十だったが、村外からは千数百あったと聞いた。前中津川市長も署名したと聞いた。長野県としておきたいという気持ちは多くの人にあるのだろう。田中知事もその数字に心が動いたのかもしれない。
 心の紆余曲折をへて、ようやく来年から坂下中学に行くとこころ準備が整って落ち着いてきた次女に、今回の件を話したら、「合併しなくていいんなら、いいね」とポツリと言った。
 小さな村が、大きな日本のうねりの中で、県境にあること、藤村の生地であることのゆえに揺れている。

2004/8/3
 合併に向けた作業は着々と進んでいるらしい。が、反対を主張する人たちは、まだあきらめていないようだ。半月ほど前には、県議会への陳情をしたいとかで、署名を送ってくれという封筒が中学生以上の家族全員分配られてきた。住民投票で村民の意思が明らかになったのに、その頭越しに強権で決着をつけようというやり方には嫌悪感を持ってしまう。これは、もう地域のことを考えてというのではなく、個人の利益、嗜好のレベルになっていると思う。
 その反対運動のさなかにいる友人から電話がかかってきたので、その考えをはっきり伝えた。彼女らの考えは、閉鎖的、排他的、利己的になってきていると思う。運動を続けた結果そうなってきているのだとしたら、民主主義はそこには生きていない。

 学校の準備も手探り状態ながら、進んでいるようだ。名目上は、2月に中津川市立山口中学になってから、4月に統合されるということで、対等の統合だと言い張る親もいるが、実質は、坂下中学,神坂中学に吸収されるということだと思える。そのことには、双方ともにデリケートな感情を持っているようだ。坂下中学の職員が、山口の備品を見ながら、これは使えるとか物色される様は、財産の差し押さえをされるような感じだった。歴代の関係の人たちの努力の賜物が、無残に地に落とされる印象だった。つまりは、こういうことなんだと。

2004/4/2
 先月末頃、宴会で村長さんと話す機会があった。我が一家が、木曽のこの村が良くて、この地に住み始めた事を知っておられるので、「いやぁ、せっかくこの村に来てくれたのに、申し訳ないが、国の方針でやってこられるんでどうしようもないんだ。」と言われた。私は、この村長さんは、人柄が好きだ。
 次女が学校の帰りに、友達と歩いているところを岐阜放送に、合併にともないう学校問題についてインタビューされ、それが先日、放送されたらしい。友だちの親ごさんは、親の立場もあるので、子どもの発言に困惑したようだ。次女は、叱られると思うのか内容は話してくれないが、突然の未成年者へのインタビューを親の了解もなく放送されたことに釈然としないものを感じる。

2004/3/18
 村からお給料をいただいている私のパート仕事も、とりあえず合併の来年2/13まではあるようだ。学校の先生もあと1年で一斉に岐阜の先生に代わるらしい、前代未問の事態と言うべきか。子どもたちはどうなるのだろう。
 反対運動をしていた人たちは、まだ希望をすてないで活動をしているらしい。県議会にでも働きかけるのかな?

2004/3/6
 2/22の結果は賛成多数だった。予想外の大差だった。結果を聞いて、静かに涙を流していた次女には、人生塞翁が馬の言葉を伝えるのみだ。反対運動をしていた友人も気力を喪失しているらしい。でも、きっと彼女らにとって良い経験になったし、村の人々にとっても意義あることだったと思う。今のところ、しこりといったものも聞こえてこない。さあ、決まったからには前向きに楽しんでいこう。

2004/2/19
 いよいよ、投票が目の前だ。神坂地区は賛成が大勢らしい。ここにきて、反対する人、個人のチラシも増えてきた。未だに迷っている私は、必死に主張するも、投票できない次女に代わって「反対」に決めた。18歳の長男にも投票権があるが、試験で、投票には来られないらしい。
 道端に、反対の目新しい看板が立っていた。

2004/2/18
 昨日、神坂での、島崎藤村生誕祭を仕事がらみで見させていただいた。生誕132年だという。子どもたちの出し物が中心のこの行事、合併になれば今のような形のものは無くなるのだろうか。

2004/2/12
 続く微熱のうちに昼寝をむさぼっていたら、反対派の訪問を受ける。知らない人でもないので、むげにもできず、寒い玄関でお説を拝聴する。やはり、ちまたでは、激しい票読み、票取り合戦が繰り広げられているのだろう。投票日まで、こんな訪問が増えるのだろう。憂鬱だ。

2004/2/10
 一昨日、岐阜新聞の勧誘が来た。生まれてからこのかた、信濃毎日新聞ばかりの私としては、もし、岐阜県になったらどの新聞にしようか、大いに迷うところ。

2004/2/7
  
             

 田中知事が、「長野県市町村自律支援プラン」を説明しに来られたので、聞きに行ってきた。自分としては、まだ決めかねてい,Yes,Noをここらで決めたいと考えたからだ。
 2/4の村長始め、お歴々が行う地区説明会というのには、説明を聞かなくても、文書でわかっているので、と考え欠席したので、なんだか、ちょっと行きにくかったのが(田舎とはそういうところ)、ミーハー気分もあって行ってきた。
 合併してもしなくても、いずれ15年、20年のうちには財政的に厳しい時代がやってくることをかくごしなければいけないということ、国策に従うことが、がかならずしも正しくは無いということは歴史が証明しているということ、との話が印象に残った。。
 質問への答えを聞いていると、知事は、必ずしもこんも村の問題に、力を入れているというふにも感じられなかった。というか、どこか無責任な感じもした。ま、知事の仕事としてはそんなものなんでしょうが。
 マスコミ関係の方もたくさんみえていて、マイクを向けられるのもイヤなので早々に帰ってきた。信州県知事という名刺も作られたようだ。そんなの、もらっても仕方ないけど、今になってみると、握手ぐらいして来ても良かったかなあ。

 書くのが遅くなったが、大事な問題を書いておかなくてはいけない。合併案でいくと中3になるときに学校が廃校になる次女の学校問題である。案では、神坂中と坂下中にクラスメートが分かれる事になる。が在校生に限ってはどちらの学校に行くかの選択権があるらしい。らしいというのは、はっきり決まったのではなく、要望があれば考えるということらしい。投票に向けての票かせぎのような気もするが、そのために、子どもは選択を迫られ、苦しい思いをしている。残酷な話だ。それでも、親も子も、案に抗して、神坂中を選択した。子どもには、友人関係、学校規模が小さいほうが良い、などの理由があるようである。親としては、それそ尊重するしかない。しかし、こんな苦しい選択を子どもに強いて、結局それが、もし、生かされなかったら、なんとひどい話だろうと思う。

 いすれにしても、私のYes,Noはまだ決まっていない。

2004/1/15
 昨年の暮れに、学校配置案が公開されて以来、何度かPTAの会合が催されている。PTAの係りが情報を知らせるもののようである。が、私はいずれにも出席していない。昨夜は、中3で廃校になるだろう娘の学年のPTAがあった。出席してみる気で居たが、あいにくの荒れ模様も雪空だったので、道中の不安を思い欠席してしまった。ま、状況説明があったぐらいだろうと思うが、どうだったのだろう。学年PTAとして学校の廃校を延期するよう要望するとかいう話も2,3か月前にあったが、実現性と意見の統一がむずかしいので、たぶんボツだろう。私も、その時指名されて発言したが、それだけで、同意見で無い人には敵意を持たれたようだ。いたずらに無意味な話し合いを持つのも問題だと思う。
 神坂地区の学校配置が問題になっているようだが、地区のエゴという気もする。
 もうすぐ、投票なので、各陣営の運動も活発のようだ、が、反対派のほうの主張が客観性に乏しく、心情論になりすぎているように思われるし、ヒステリックな感じさえしてしまう。反対陣営に居る友だちに陣中見舞いをすべき時期かもしれない。

2003/11/16
 昨日は、反対派の、今日は賛成派の講演会、集会が開かれている。田舎の小さな村だけれど、しっかり自分の考えを持って、それを表明して行動する人が多くて関心する。人間関係を気遣ってナアナアですませないところが立派だと思う。ここに越してきて10年。近所のおじさん、おばさんたちも結構自分の意見はしっかり言うなあと思っている。それでいて、それなりに近所づきあいをしているの、若輩者の私には妙技だなと思われる。
 住民投票を求める署名をすると言っていた反対派が当面署名活動は凍結とした。当局側が住民意見集計みたいなことをすると決めたかららしい。署名して下さい、なんて言ってこられたらイヤだなと思っていた私は一安心だ。両派とも、その辺りの住民感情も考慮してのことかも知れない。
 この村には結構、思いやりの民主主義があるように思う。

2003/11/15
 住民投票をするとかしないとかで各陣営が沸いている。ここ1週間、毎日のように各派の新聞折込チラシが入ってくる。
 あまり克明には読んでいないが、合併反対派は将来のビジョンが弱いように思う。感情論や目先のことが重要視されているようだ。
 先日、瑞浪の陶器屋さんは、山口と聞いて「早く一緒になればいい。地形だってそうなってるんだから。」と言われた。中津のうなぎ屋さんは、山口と聞いて、「あっ、今度一緒になるんですね。よろしくお願いします。」と言われた。
 この週末も幾つか集会が開かれるらしい。

2003/9/26
 区の常会で「ごへい祭り」参加の如何を話し合う。来年合併になれば、現在のようなほぼ強制参加の形ではなくなるだろうとの話あり。毎年CQWWSSBと重なるこのとんでもない行事、なくなってくれるなら合併大賛成(!?)。 まごめ地区には合併に反対して不参加と決めた地区がいくつかあるとのうわさ。

2003/9/11
 新聞によると、おととい、合併反対のグループから住民投票をしてほしいという要望書が村長に出されたらしい。合併の話の出始めのころ(一昨年か?)の16歳以上の村民アンケートでは約8割が合併肯定だったが、こんどアンケートなり、投票なりをしたら、賛成はずっと減るだろう。反対の数と逆転するかもしれない。しかしそれも、時期によると思う。今すぐなら反対意見が多そうだが、もっと時間がたつと、もうゴタゴタはイヤダと思う人たちが多くなって、賛成が増えそうな気がする。
 

2003/8/28
 次女たちが学校で合併後にどの学校に通学したいかについて話し合ったらしい。

2003/8/27
 春の村長選、村議選以来静かな感じだったが、各方面での動きがまた活発になってきたようだ。このかん、合併協議会では合併後の行政についての具体的な決定がなされているらしい。
私に直接、すぐに関係するのは次女の学校がどうなるかということと、村の臨時職員である私の仕事は無くなるだろうということだ。合併した場合次女は中2の10月にそれを迎えることになる。わずか1年半後のことがどうなるかわからないのはかわいそうな気がする。どちらにしても早く決定して心準備をさせてあげたい。私の仕事についてはどちらでもいい。一応今年度末にはひとくぎりつくように仕事を進めているので問題はない。ただ、収入源がなくなるのは痛い。

2003/1/27
 馬籠の友達が「ねえさまたちの勉強会」とかいう、合併に付いてただ黙って行政に従うのでなく自分たちで勉強しようというのに参加していて忙しいらしい。地区懇談会で意見を言ったら「役場に反対するヤツは村民じゃない」とか言われたのが発端だという。でもちょっと疲れたとも言っていた。静かに見えているがやはりいろいろあるらしい。

 テレビのサンプロで田中知事が、「住民投票もしないで合併を決めてしまう、山口村のようなところもあるし」と批判していた。

 初めての法廷協議会があったらしい。防災無線のお知らせで何回も傍聴できると放送していたし、村内馬籠では会議をテレビで見られる設定もされたらしい。

 学校配置についてのアンケートが封筒入りで教委から届けられた。それについての説明会もあったのだが欠席したからだ。山口地区の小学校、幼稚園は残りそうな感じだ。あとは、中学は何処へ通うかと、神坂地区の小学校、または中学校の校舎はどちらを使うかが問題だろうか。合併に関して山口地区では学校配置が大きな問題になっていると考えられる。小学校もなくなってしまえば、神坂地区との格差が広がっていくという懸念からだろうか。

2002/12/20
 昨日の村会で法定協議会の設置が決まったらしい。賛成9反対2。
ご近所の奥さんたちは行政サービスが間違い無く低下すると嘆いている。馬籠はいいけど山口地区はただの付録のお荷物だからと。
 今日の新聞に中津川の東美濃農協の管轄が他と違って特別に農水省の直轄だと書いてあった。先の合併で長野県にも組合員がいるのでそういうことになったらしい。
「JA0QWOは2エリアに住む0エリアの免許人なので総務省直轄とします。」とか。識別符号はJA10(ten)QWO。いいな、いいな。

2002/9/2
 田中知事再選でNステに出演。市町村合併は中央集権化だと批判。やけに「夜明け前」と言うし、なんだか一波瀾起きそうな予感。

2002/5/13
 総通から電話が来ました。一言で言えば、この件についてはまだなんとも言えない、というものでした。
2002/5/8
 隣の岐阜県中津川市に合併と聞いて、まず気になるのはコールサインのことだったりします。さっそく、先手を打って尋ねてみました。

 信越総合通信局私設科 御中             2002年5月8日

                       名前    JA0QWO
                       〒399-5101 長野県木曽郡山口村山口 (番地)
                        e-mail ja0qwo@jarl.com

市町村合併に伴うアマチュア無線局呼出符号変更についてのお尋ねとお願い

 アマチュア無線につきましては日頃お世話になっています。
 新聞等の報道でご存知のことと思いますが。私の住んでおります、山口村がいよいよ
隣接の岐阜県中津川市と合併することが実現の方向に向かってきました。この際私ども
アマチュア無線家にとりまして何よりも気になりますのは、通信局の管轄が信越から東
海になることによる呼出符号の指定変えがあるかどうかということです。
 聞きますところでは、国の施策としても合併特例法を施行するなどして、合併を推進
するために、合併関係者への配慮されているようです。呼出符号の件につきましても、
事情をお察し下さり指定変えがなされないように、次の理由からお願いをいたします。
 
1、アマチュア無線における呼出符号は一般社会における氏名の役割を担うばかりで
  なく、住所、電話番号、さらには人格、無線における実績をも付帯させているも
  のであり、これを変更するということは、一般社会での戸籍が抹殺される事態に
  等しいものです。
2、私の場合約30年間親しんできた呼び出し符合がなくなってしまうことは、感情
  的にもつらいものです。
3、アマチュア無線には呼び出し符号をもとに、継続して運用することにより評価さ
  れるアワード、コンテスト成績等があり、指定変えが行われると種種混乱が発生
  することが予想されます。
 
 以上、何分こういった分野には不案内であり、言葉足らず、また認識不足の点がある
かとも思いますが、真意をお察しいただき、現在の呼出符号を引き続き使用できますよ
うご配慮をいただきたくお願いいたします。
 お忙しいこととは思いますが、なにとぞお返事をいただけますようお願いいたします。