6月1日木曜日・
・店主敬白
絵本を探しに、また注文品を受け取りに来られるお客様で布製のショルダーから風呂敷をお出しになって紙袋は不要ですと仰られる方がお二人。
誠に失礼ながら、「あ、先日の風呂敷の方ですか!」と申し上げたら「いえ、違います、今日が初めてです。」とのお答え。
そのあと反省しきり。
年のころ、女性だからといって同一人物だと勘違いしてしまいました。
私は人を覚えるのに、
そう案の定、名前は最後の最後まで覚えられない、だからあだ名をつけて密かに呼んでいる。例えば、ガンダムネーさん、バンパイアエリ、ワッチ(本名だったりする)、究めつけは・生き損ない(本人前にして絶叫)。
お買い求めになる本が主になります、先日・・・を買われた人。
補完するものとして、その他特徴的な持ち物やスタイル、例えばシモンマサトのような髪の毛。
今回は絵本と布製のショルダーと風呂敷で同一人物。
付け加えれば、更紗のスカート、襟巻き(古!)
で、本を風呂敷で包んでお持ち帰りになる。
そういえば以前、中年の紳士が本を買ってくれとレジ台に本が包まれたまま置き、風呂敷をサット手前に抜いた時はびっくりしました。
まるでかくし芸を見ているようで。
あ!帯がと思わず言うと、付いていない本が一番下ですからとのお答え。
何から何まで頭が下がりました。
6月8日木曜日・
・店主敬白
昼過ぎに放置自転車撤去の作業員が3人連れでトラックに乗ってやって来た。
そして巨大なワイヤーカッターを持ち出しチェーン錠をパチンパチンと切って次々車戴していく。
隣のビルは自転車置き場がない。
恐らく学生がたまに乗る自家用車であろう、そして何週間も乗らずに違反ですようの札が貼られたままにして置いてあったものを撤去していく。
他人の所有物を許可なく持ち去ってしまうのだから、条例で決められているとはいえ納得がいかない部分もある。
歩道は自転車の走行が許可されているところもあれば、専用道路を走らなければならない場合、それ以外は車道の左側部分の走行を義務付けられている。
原付も含め自動車は歩道上への駐車は違反となるが、自転車は道路交通法ではどういった扱いになっているのであろうか。
ちょっとぐぐる。
なるほど、歩道の定義が、歩行者の通行の用に供するための道路であるから、自転車、植木鉢、看板を置くことが禁じられていると考えるべきなのか!
結局6、7台積んでいったのだろうか、まだまだ10台以上原チャリも含めて残っているので、綺麗に片付いたとは言えないな〜。
自転車、原チャリ置いたそばから、トラックに積み込む民間委託駐輪違反取り締まり、あったらだいぶ困る。
外回りの銀行員のあなた、もううな重が食えなくなります。
私は、牛丼であれば3分以内に平らげる自信があるが、うな重はジックリ効目も含めて味わいたい。
6月11日日曜日・
・店主敬白
おばあちゃんちに遊びに来ている、ようた君。
物置で偶然見つけた黒いトンカチで叩くと、すべて真っ黒になってしまう。
台所の鍋もやかんもクレヨン、眼がね、三輪車、、、
笑ったのは、お座敷にある碁石もすべて真っ黒!
それじゃオセロじゃ?
形はわかるがすべて影のように真っ黒になってしまう。
しまいにはおばあちゃんのトラ猫も。
怒った猫に飛び掛られ、自分の頭をトンカチ。
とうとう自分も真っ黒け。
困ったようたは洗面所でゴシゴシ洗うが真っ黒けのまま。
途方にくれ自分の頭を黒いトンカチで叩くとアーラ不思議元に戻りました。
せっせと全てをもう一度叩いて元に戻します。
さて内容紹介はこのくらいで。
この本を子供と一緒に読むだろう親はどういう反応をするのだろうか。
それが私には最大の関心事である。
むやみにいたずらするといけません、困ったことになりますよ。
それが他人に迷惑をかけるいたずらであれば、絶対にしてはいけません。
黒いもしくは赤いトンカチが物置にあっても無断で持ち出したり、いたずらしてはいけません、というような教育的指導だけであろうか。
いやいや赤いトンカチと黒いトンカチではいたずらの度合いがまったく異なる、何がって。
黄も赤も白も全ての色が混じった物が黒い色。
全てが赤くなってもまだ目鼻口は区別がつくかもしれない。
だが、すべて黒い色になってしまったら、影すらないのだから高低もわからないだろう。
クラス全員が真っ黒では、勿論真っ黒な先生には区別が付く筈がない。
全てが黒色では、何より大事な物を理解する上での名前付けがの意味がなくなってしまうことになる。
もっと言ってしまえば、人を含めて物に名前が無ければ区別する意味がなくなり、この世に存在しなくなってしまうという事になる。
知らない物、よく判らない物ばかりになる。
いろんな彩があってこそ、人も物も存在するとこの絵本は伝えているのだろう。
真っ黒になった物をまた黒いトンカチで叩きなおして彩りと名前を復元し、めでたしめでたし。
ようた君だけではなく、僕たち君たちの周りには一杯知らない彩りを持った名付けられたものが存在しているんだよー。
と、作者は伝えたかったように私は理解するのだが。
子供にとって世界は知らないことばかりだから、無色に近い。
子供時代の全く無垢な真っ白な世界にもう一度戻りたいなどと言う輩がいるが、振り返った今までの人生が、彩の少ない狭小な世界だったと他人に宣伝しているに過ぎないと私は思う。
無色だから可能性が広がっている、広がるのではなく、極彩色の大人の方が可能性は大なはずである。
色々可能性はあるの2色より4色の方がね、可能性は大でしょうと私は思うのですよ。
山崎 英介さく
税込価格 : \714 (本体 : \680)
出版 : 福音館書店
サイズ : A5判 / 22p
発行年月 : 1995.1
いろどりさんへ捧ぐ
(2006/5/27)
別なブログに書いた文章を転載しました。
ココには本に付いては書かないと思っていたのですが、別なところに書かれても読めないという意見があり、今回掲載しました。
6月18日日曜日・
・店主敬白
長谷川集平が「はせがわくんきらいや」から5年の沈黙を破って描いた大人向けの絵本。
大人向けの叙情絵本との帯の紹介文には異論があるが、ただ浜チャン風に言えば合体シーンがあるくらい。
それも無理して角度を出しているえろびでお、そりゃ普通無理でしょうという画面、どうってことない。
神田川風に男と女が銭湯に石鹸カタカタならしていく道筋の会話が、ねえ、体のどこから洗う?おれチ○ボ。
湯上りのほてった体の女に聞くことが、どこから洗った、アソコから?
お前らの頭にはそれしかナインかとツッコミを入れる。
ただ優れたというより感心したのは、二次元の平面に男、女、犬からの視点が幾重にも描かれている点。
2人と1匹の影が交差している。
古臭いテクニックなのだろうが、それぞれの感情が画面に良く出ているように思う。
去年の夏のこと、場所は埠頭で始まる。
そして、クロールが得意な彼女が埠頭の先で泳ぐ遠景で男が遠くに行かないでくれと一人ゴチルシーンで終わる。
ここら辺りが、物語としては叙情がいまいちに思われるのです。
私が気に入ったのは晴れた海の上に浮かぶ、殻付きピーナッツに見える雲だ。
それはビールのつまみに丁度良いと思われ・
・北栄社
・1980年8月
(2006/4/14)
これも上記の別なブログに書いた本に付いてのことです。
そこは最近放置気味です、、m(__)m
6月19日月曜日・
・店主敬白
でご注文をたまに頂きます。
それはホームページからも楽天からもです。
そのIDからオークションの詳細検索のページを開き、IDを入れて落札品やら出品物を覗いてしまいます。
という事はオークション以外での取引は別のメアドをお使いになった方が宜しいのではという提案です。
オークションで何を買ったり売ったりしているかを、知らしめる必要はないと思います。
本当はコレッポッチも知りたいと思いませんが、ヤフーのシステムを知っているから、見てくださいといわれるとね〜、といったところですよ。
最終的には転売屋かどうかを確認するためです、やふーしーおーじぇいぴーのドメインの人はオークションやっているでしょうと。
店側の希望としてはフリーメールのご注文主様はいまいちメールの確認を頻繁になさらないのか、ご入金が無くキャンセルをする場合が多いです。
まだまだ他にもフリーメールはありますから、ヤフーオークション専用となさり、別なIDを取られるて本をご注文いただければと思いますが。
そこらへんはどうなんでしょうね?
変に気にする方が可笑しいのでしょうか?
最近この日記にスタイルシートを貼りました。5月と6月分にです。
6月22日木曜日・
・店主敬白
神に選ばれし無敵の男
昨日観たDVD。
評価には賛否両論あるだろう。 私はかなり高い70/100だな。
主人公である怪力王ジシェを演じるのは、本物のワールド・ストロンゲストマン・コンテストのチャンピオン、ヨウコ・アホラ
。
どうりでムキムキマン、父親役の俳優もかなりのツワモノと思うが。
ピアニスト役のマルタも、本物の世界的なピアニストのアンナ・ゴウリが演じていて、吹き替えなしの本物の演奏。
どうりで並外れて上手すぎると思った、演奏する時の仕草が、腕の、顔の振りが。
ラストでジシェの弟ベンジャミンが・・・するシーンはちと安易か。
その後のユダヤ人の未来を象徴しているのだろうが、納得行かんな〜。
私はベンジャミンも世の苦しみを担わせるべく神が選んだ正しき者であり、殉教者であると思って観ていたのだが。
肉体の殉教者=ジシェと知恵の殉教者=ベンジャミン。
シーンをポンポンと置くな!というような意見もあるようだが、確かに長編小説を読んでいて章の分かれ目で数頁読み直しをするような違和感があったかもしれない。
先ず作者の意図するところを読み取ろうとする態度こそが肝心と思う、理解はあとからついてくる。
監督の技術的な、編集に関してはこの作品に関してはなんら価値を下げるものでもなく、まったく見当違いなのかも知れないが、これがドイツ表現主義なのかと感心する。
そんなことはどうでも良い、観て違和感なりを感じれば良いだけで、と思う。
ナチス台頭の時期にドイツを取り巻く国とユダヤ人、そして大量虐殺。
キリスト教徒ではない私には理解し得ない殉教者という概念。
ただジシェはユダヤ人大量虐殺の未来が透視出来、その危機を伝えるため、もっと言えば宣伝するために肉体の力強さを群衆(村人)に見せつけることをしたがために傷つき死んでいった。
その死に方は決して殉教者の物とは到底私には思えない。
力を無駄に見せつけることはベルリンのオカルトの館と同じといえる。
ベルリンまでの道のりでジシェは英雄サムソンになったのであり、ベルリンではヘブライの民を救ったユダヤ人ではなく、力持ち自慢の有名人、しかもドイツ人(シークフリート)を騙っていた。
見世物としてユダヤ人の民の危機を説いても、殉教者としては死ななかったと思う。
そう、見世物である映画で取り上げる、殉教者にはなれなかった現代の英雄サムソン。
アンビバレンツがここに(も)ある。
6月30日金曜日・
・店主敬白
何をやって、何をやっていないのか、
ちと判らなくなってます。
店に来る人は風邪を移される覚悟できてください。
私は移して楽になる覚悟でおりますから。