バスター吉田の知ったかぶり雑筆1
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バスター吉田の知ったかぶり雑筆10
山田稔 京都新聞社 1996
小林秀雄、渡辺一夫、大江健三郎、蓮実重彦、鹿島茂という卒業生の面々を見ても、確かに東大仏文科が文学界に及ぼした影響は計り知れない。
だが東大と並ぶもう一方の雄京大仏文科も、河盛好蔵、生島遼一、桑原武夫、大岡昇平、生田耕作という面々を輩出している。一寸後には現在古稀を迎えた三人、杉本秀太郎、山田稔、多田道太郎がいて優れた散文の書き手として名高い。
その中の一人山田稔を今回取り上げてみたい。最近では昨年新聞でも話題になった『北園町九十三番地 天野忠さんのこと』(2000)や出版元を変えて最近復刊された『幸福へのパスポート』(2001)(ともに編集工房ノア刊)などがある。
68篇のエッセイが書かれていて一つの内容をだいたい3ページで収めている。最後の3篇が5ページだがそれでも短い。山田稔自身のあとがきによると京都新聞夕刊の「現代のことば」欄に収録されたものが大半を占めているからのようだ。その「現代のことば」欄の原稿用紙の枚数が3枚なのである。
山田稔は「日本小説を読む会」の主宰者でもあるため、作家あるいはその作品についてもエッセイの中に出てくる。近松秋江、木山捷平、小沼丹、広津桃子、網野菊といった知る人ぞしるマイナーな作家たち(最も近松秋江以外は講談社文芸文庫で主な著作は刊行されている)を見ることができる。また生島遼一、伊吹武彦といった京大時代の師、同学年で早世した大槻鉄男、親交のあった富士正晴、天野忠の想い出なども味わい深かった。
筆者が興味を引かれたのは広津和郎(広津桃子の父)について書かれたエッセイ二篇、『人生の側から』『作家の「徳」』である。ちょうど広津和郎の回想記『新編同時代の作家たち』(岩波文庫 1992)を読んだ後に目にしたこともあってより印象深く見えたのかもしれない。また小沼丹の『珈琲挽き』(みすず書房 1994)の文章の特色について書いた『文の芸』も素晴らしい。
山田稔の他のエッセイ集は『影とささやき』『太陽の門をくぐって』『生の傾き』(編集工房ノア)や『コーマルタン界隈』『シネマのある風景』(みすず書房)『特別な一日』(平凡社ライブラリー)が刊行されている。この駄文を読んで山田稔に興味を持たれた方は、素晴らしい散文に是非目を通していただきたい。
(了)
(追記)前回取り上げた西村孝次が従兄の小林秀雄について書いた本のタイトルを知った。『わが従兄・小林秀雄』(筑摩書房 1995)でまだ読んではいないが、興味のある方はご覧になっていただきたい。
バスター吉田の知ったかぶり雑筆9
西村孝次 青土社 1981
西村孝次(1907〜)は英文学者、批評家。ご存命ということは新刊書店で出ていた、ワイルドの『幸福な王子』(新潮文庫)で知った。(平成12年3月時点)
西村孝次の仕事としては『オスカー・ワイルド全集』(青土社)の個人完訳があまりにも有名だが、筆者が西村の名前を知ったのは別の面からである。
吉田健一、山本健吉、中村光夫らと同人誌『批評』を創刊したメンバーだったこと、特に吉田健一と仲が良く二人で泥酔し(『吉田健一集成 別巻』で見るとしょっちゅう飲みに出ていたらしい)、中島健蔵に迷惑をかけた話や、小林秀雄にぶん殴られたことがあるなどといった文壇的つながりやゴシップは知っていた。
この本は、1981年に発刊されたのだが、文章は『あるびよん』(1952〜1959)という英文学総合誌(林達夫、中野好夫、吉田健一らが編集)に連載されたものを16編抜粋し、編集されている。文章はポウ、ハックスリー、ジョン・ウェイン、エドウィン・ミュア、オーウェルという作家たちとの作品との出会いや、作家の人生やスタイル(文章のスタイルや派閥なども含む)について触れたものなのだが、西村孝次は自分の過去をその文中にさりげなく含ませて一種の自伝的エッセイを書き込むことに成功している。
筆者が惹かれたのは『初恋』(エドガー・ポウ)と『伝記のはしり』(ストレイチー)、前者は英文学に惹かれたきっかけや、小林秀雄との初対面時の印象が書かれていて〔『兄小林秀雄』(高見沢潤子著 新潮社)を読んで知ったのだが、小林秀雄と西村孝次は従兄弟の関係にあたるらしい〕、後者は『批評』創刊時の話がさりげなく書かれていて吉田健一や山本健吉といった人たちとの交友関係が忍ばれる。
また最近になって西村孝次が小林秀雄について書いた本があることを知った。現在は絶版らしく題名も分からないけれども。ただ筆者は小林秀雄はあまり好きではないので、何故西村孝次は小林秀雄にぶん殴られたのかという理由をその本を読んで知りたいと思っている。
そろそろ拙文を終えようと思うが、この本のあとがきは素晴らしい。全編引用したいと思うがわずか二ページしかないので目を通していただきたい。だが最後の二行だけ引用させていただく。
『わたしはなにも強いない。なにも求めない。ただ語るだけである、ちっぽけな、いやらしい、しかしかけがえのない、ちょっぴり無邪気な自分というものを。』
(了)
バスター吉田の知ったかぶり雑筆8
川本三郎 日本文芸社 1993
先週の水曜日、友人と鎌倉へ行った。(実は筆者は鎌倉へ行ったのはこれが初めて)、その折東慶寺、浄智寺、寿福寺などを廻ったのだが、有名人の墓が、結構多いことに改めて気づいた。東慶寺では小林秀雄、鈴木大拙、和辻哲郎、高見順、谷川徹三、川田順などの墓を見るのに一時間以上も費やした。大松博文と織田幹雄の墓は墓よりも隣のポストの方が目立っていた。
しかしびっくりしたのは浄智寺。もともと浄智寺には立ち寄る予定ではなかったが、友人と、JR鎌倉駅への通り道ということもあって行ってみようと思い立って行ったのだが、そこで磯田光一と澁澤龍彦の墓があるということに驚いてしまったのである。特に澁澤の墓が鎌倉にあることに。澁澤のイメージが鎌倉という場所からかけ離れている。筆者は都内の教会にでも澁澤の墓があると思っていたから、寺に墓があるとは・・・。しかも鎌倉に(お墓はごくふつうの墓。最も戒名はなく、お墓の隣の碑には澁澤龍彦とだけ澁澤の署名が入っていた)。
磯田光一と澁澤龍彦の墓があると知って驚いたのは、川本三郎がこの『夢の日だまり』のなかでこの二人と寺山修司についてとりあげていたのを鎌倉へ行くまえに読んでいるところだったので、偶然の一致というものはあるものだなと思わず感慨に浸ってしまった。
筆者は結構川本三郎が好きで、『大正幻影』(ちくま文庫 1997)とか『荷風と東京』(都市出版 1997)などの文芸批評から、『朝日のようにさわやかに』(ちくま文庫 1987)や『ロードショーが一五〇円だった頃』(晶文社 2000)などの映画評なども読んでいる。川本三郎の文章の魅力を一言でいうのは難しいが、世間を拗ねた目で見ている人間でも、読むと自分の視点を少し柔らかくしてみようかと感じさせる文章なのである。
このエッセイ集は先に挙げた三人についてのエッセイと、永井荷風や小山内薫について書かれたエッセイ、今和次郎(「孝現学」の祖、赤瀬川原平の大好きな人)の本についてのエッセイなどが中心となっているが、筆者が好きなのは野呂邦暢の『鳥たちの河口』と内田百?閧フ『ノラや』について書いたエッセイである。またこの本には付録として、仏文学者の鹿島茂との対談が収録されているのだが、この対談を読む前に川本三郎の別の著作、『マイ・バック・ページ』(河出文庫 1993)を読んでおくと、その対談を読む楽しさが二倍になることは間違いない。ちなみに『マイ・バック・ページ』の解説文を書いているのはその鹿島茂である。
(了)
バスター吉田のブックレビュー7
堀切直人 沖積舎 1987
編集工学研究所のホームページに「松岡正剛の千夜千冊」というコーナーがあるが、つい最近、そこで冥草舎版『死都ブリュージュ』(ローデンバッハ 窪田般彌訳)が取り上げられているのを見た。冥草舎は第二回の知ったかぶりブックレビューで取り上げた西岡武良が設立した出版社であることは本欄をお読み下さる奇特な読者のかたがたはとうにご承知のことと思うが、 そこで松岡正剛が西岡武良と昔からの知り合いで、伝説的オブジェマガジン『遊』を作るときに編集の面で色々助力してもらったことを書いていた。この二人にそんな交流があったことを知って驚いた。
何故この話題から入ったかと言えば今回取り上げる本の著者堀切直人も、松岡正剛と昔からの知り合いだからだ。松岡正剛によると『死都ブリュージュ』の中で堀切直人は一文を書いているらしい。(『死都ブリュージュ』は未読。限定千部のため)
筆者が堀切直人という人物を知ったのは西岡武良の『愛書異聞』を読んだ後である。種村季弘の年少の知り合い(西岡武良は堀切直人の初対面の印象を巨人ゴーレムのようだったと書いている)で、略歴は堀切直人が浜いさをの人形に関して書いた文に付いていたものを見て知った。1948年、横浜市に生まれる。文芸評論家。早稲田大学第一文学部中退。早稲田大学時代に映画サークルVAMP団に所属、 映画評論から文学評論に転じ、美術批評、演劇批評なども手がける。という経歴だった。季刊『牧神』や、北宋社の『イメージの文学誌』の編集も手がけ、思想史家の関曠野の才能をかなり早い時期からプッシュしていた人でもあるらしい。
『愚者の飛行術』は、中編エッセイ六編からなる本で『水晶幻想』『石の花』『喜劇の誕生』『ファンタジーとフモール』『ヘルメスは自転車に乗って』『目覚まし草』(以上、沖積舎)といった一連の沖積舎から刊行された本の中の一冊である。
内容は、金子光晴、稲垣足穂、谷崎潤一郎、岡本かの子、江戸川乱歩などの諸作に見られる愚か者の文学の系譜について触れたエッセイだが、ただここでいう愚か者とは馬鹿とは違う。堀切自身はこう書いているのだ。
『「愚か者」とは決して下界への反応の鈍い痴れ者の謂ではない。自分のことにかまけないで、何ものにもとらわれず自由に遊べるような人間、少年の心を取り戻すことに成功した、生気はつらつたる人間のことを指す。』(P119 参照)
この五人の作家は、文壇デビュー時から名声を得るまでの作品は、試行錯誤が続いていた。堀切直人はその試行錯誤を「愚か者」の精神を磨き、作家(つまり戯作者)となるための自己形成と位置づけて行くのである。取り上げられた五人の作家の中で筆者が一番惹かれたのは金子光晴について書いたエッセイ「人間の喜劇」である。これを読んだ後、取り上げられた金子の著作を読もうという気にさせられた。もう少し言及したいが紙面がつきた。読み手を啓蒙する本であることだけは確実に保証する。
(了)
バスター吉田のブックレビュー6
小泉喜美子 文春文庫 1985
作家で翻訳家の小泉喜美子(1934〜1985)という名前をご存じ無い方が多いかもしれない。筆者も知ったのはここ1、2年のことだから。きっかけは小林信彦の文春文庫の読書についての本(『本は寝ころんで』『〈超〉読書法』『読書中毒 ブックレシピ61』のどれかで小泉喜美子に関することを書いていたのを読んだ記憶があるが、再読していない。)だったと思う。
小泉喜美子の著書(小説やエッセイ)自体がもう手に入りにくくなってしまっている。現在刊行されているのが『弁護側の証人』〔デビュー作〕(出版芸術社)と『ミステリー歳時記』(晶文社 1985)だけ。翻訳書はP.D.ジェイムズ『女には向かない職業』(ハヤカワ文庫)をはじめたくさん出ているけれども。小説は『弁護側の証人』だけではなく『ダイナマイト円舞曲』『血の季節』が生前に刊行されたらしい。29歳で作家デビューしてから51歳で急逝するまでこの三つを10年に一本ずつ刊行した。この三つの小説は順に「シンデレラ」「青ひげ」「ドラキュラ」という西洋三大ロマンがテーマとなっている。(もちろん全部未読)
小泉喜美子は作家、翻訳家の仕事だけではなくミステリや歌舞伎のエッセイストとしても有名だった。先に挙げた『ミステリー歳時記』『殺人は女の仕事』といったミステリエッセイの他に、『歌舞伎は花ざかり』という著書も残している。
今回取り上げた本はそんな小泉喜美子の自伝風エッセイである。四月頃お店を閉める古書店の棚で偶然見つけ購入した。本に登場する人物も多彩、青木雨彦、生島治郎(本名は小泉太郎 小泉喜美子の元夫)色川武大、田村隆一、都築道夫、筒井康隆などが登場するし、中でも「文壇交遊」というエッセイでは、小泉喜美子が高校を卒業してからジャパンタイムズに就職し、田村隆一に直談判して早川書房で働き、作家になっていくまでの経緯がまとめられている。また戦後すぐの早川書房編集部の雰囲気も。
だが一番おすすめしたいのは「無難な常識≠ヘいらない」というエッセイ。読むと、自分が多少何か人と違う行動をとっても大丈夫なんだと思いこませてくれるエッセイである。(自己啓発と勘違いされると困る、あくまでもエッセイだ。)
最後に、宮田昇『戦後「翻訳」風雲録』(本の雑誌社 2000)を読んで戦後の欧米のミステリー翻訳文化や、作家のつながりなんかを知って、青木雨彦『共犯関係』(ハヤカワ文庫 1989)などに綴られている小泉喜美子に関する文を読むとこのエッセイ集をより楽しく読めるということを述べて文を終えさせていただく。
(了)
バスター吉田の知ったかぶり雑筆5
高橋英夫 新潮社 1996
文芸評論家としての高橋英夫の名前を知ったのはいつだったろうか? おそらく筆者が高校生の頃に刊行が始まった『吉田健一集成』(新潮社 1993〜94)の月報に載っていた文章を読んだことは今でも覚えているからたぶんその頃だろう。当時(今でもそうだが)は吉田健一の著作や関連本、研究書などを読みあさっていたから吉田健一に関する研究者の一人として覚えていたのだと思う。
略歴(東大独文科出身で手塚富雄や竹山道雄の指導を受ける)や文芸評論家としての著書に『琥珀の夜から朝の光へ −吉田健一逍遥−』(新潮社 1994)や訳書にホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中公文庫 出版年はわからず)などがあると知ったのは大学に入ってからだった。筆者が高橋の著作を読み始めたのはつい最近のことである。これには二つの理由があって一つは昨年日経新聞に連載されていた連載が最近『友情の文学誌』(岩波新書 2001)として刊行されたこと、もう一つは高橋英夫の著作の大半を出版していた小沢書店が昨年の秋自己破産してしまった為、一部の新刊書店や古書店でゾッキ本として安く手にはいることに味を占めた筆者は好みに合いそうな本をかたっぱしから購入したのである。今回紹介する本は、先に挙げた一連の批評作品とは違い高橋の数少ないエッセイ集である。
内容は本に関するエッセイ、音楽、芸術、人物随想など多岐に渡っているが筆者の好きなのは本に関わるエッセイ「本さがし」「また、本さがし」「本の悩み」「売る本、売らない本」などは本が好きな人ならおもわず頷きたくなるような文章が並ぶ。だが本の題名にもなっている「今日も、本さがし」や「書評八百冊」などを読むとプロの文芸評論家や書評家という職業はつくづく読むことを強いられた人間だと思えた。筆者は適当に好きな本を選びこういう駄文を締め切りも守らず書いているのだから余計にそのことを強く感じたのかもしれないけれど。これ以上の舌足らずの説明は読者の楽しみを奪うから「今日も、本さがし」の中の一番好きな文を引用して駄文を終える。
『しかし読むべき本がなくなることはありえないのだ。それがなくなったらおしまいである』
(了)
バスター吉田の知ったかぶり雑筆4
和田誠 1997 文春文庫
いきなり自分の無知をさらけ出すようで恐縮するが、高校生の時の筆者は和田誠が、歌手平野レミの旦那さんという認識しか持っていなかった。イラストレーター、ゴールデン洋画劇場のタイトルバックに流れるアニメーションの作者であり、作家であり、作曲家、映画監督などといった多彩な顔の持ち主ということを知ったのは大学に入って和田の『お楽しみはこれからだ』『ブラウン管の映画館』『ビギン・ザ・ビギン』『たかが映画じゃないか』(これは山田宏一との共著)などを読んでからである。
最近になってトライセラトップスの和田唱が息子、義父が仏文学者の平野威馬雄ということも知った。
本書は1959年に和田が多摩美大を卒業後、ライトパブリシティに入社してから1968年に退社するまでの思い出を綴ったエッセイなのだが、とにかく登場する人物に驚かされる。杉浦康平、横尾忠則、宇野亜喜良、粟津潔、高橋悠治、武満徹、八木正生、芥川也寸志、篠山紀信、立木義浩、矢崎泰久(これだけ挙げても一部である)が八年間の間に何らかの関わりを持ってくるのだから。
又、たばこを吸われる方ならハイライトというたばこをご存じかもしれないが、あのパッケージデザインが和田誠の手によるものということもこの本で始めて知った。(「6.タバコとアンポ」参照) 単行本を三年前ぐらいに読み、文庫本を今回読み直したのだが、三年前に読んだときには、和田の回想風エッセイとしか読めなかったが、再読すると、一デザイナーの目から見た60年代から70年代にかけてのデザイン業界全体の質的変化を声高になることなく綴った本という感じを受けた。多少筆者自身のものの見方が変化したのかもしれない。
この本は和田誠に関心のない人でも彼が綴る当時の銀座の風景や雰囲気、登場する人物たちのエピソードを読むと60年代の銀座ってこんなに楽しかったんだ。とページをめくりつつ一気に読み終えてしまうことだろう。
筆者がこの本で一番惹かれた言葉を紹介して拙文を終えようと思う。作家で仏文学者(ロートレアモンの翻訳は有名)の栗田勇が、和田誠に話した言葉で和田自身が特に印象に残っているという言葉。
「君の仕事が誰かに痛烈に批判されたとしても、それでしょげることはない。一人に酷評されたら、どこかで一人、君を絶賛している人がいる筈だ。十人に酷評されたら、褒める人がどこかに必ず十人いる。その代わり、十人に褒められたら、どこかで十人がけなしていると思った方がいいよ」
(了)
バスター吉田の知ったかぶり雑筆3
青山南 ちくま文庫 1999
青山南はもちろん、常盤新平、川本三郎、村上春樹、佐藤良明、柴田元幸らと並ぶ70〜80年代のアメリカ現代文学の新作を多数紹介、翻訳してきた翻訳家である。彼が手がけた翻訳のなかで筆者が好きなのは、トム・ウルフの『そしてみんな軽くなった』やゼルダ・フィッツジェラルドの『ワルツとわたし』(最近全文改訳版が出た。これは未読)などである。
青山南はまた優れたエッセイストでもある。『ピーターとペーターの狭間で』『翻訳家という楽天家たち』が文庫で版を重ねているのは翻訳家という立場から見れば(作家や批評家という職業から考えれば地味)、名文家といえるのではないだろうか?
この本は青山としては珍しくコラムという体裁を取っている。全67篇、1篇の文量は4〜5ページほどである。「ファイヴ・スポットを探せ」「ジャスト・ルッキング」「読書というなんともみっともないもの」などさまざまなジャンルの文が並ぶが、筆者が特に惹かれたのは彼の大学院時代の指導教授だった作家小沼丹の授業の思い出を綴った「センチメンタル・ジャアニイ」である。
これは筆者が最近小沼の小説や随筆に関心があることをを付け加えておかねばなるまい。作品集を手元に置きたいと夢想しているほどなのだから・・・。しかし全67篇のコラムがすべて外れがないことだけは保障する。定価780円は決して高くない。
(了)
バスター吉田の知ったかぶり雑筆2
西岡武良 沖積舎 1981
筆者が彼の名前を最初に知ったのは坪内祐三が日本経済新聞の日曜版の書評コラム(2000年8月分だったような記憶がある。)で彼を取り上げていたからである。坪内が西岡武良のことを「知る人ぞしる編集者」という書き方をしていたので興味が沸き調べてみた。後で知ったのたが、西岡武良という名よりも林檎屋主人という名の方が古書業界や愛書家たちの間では通りがいいのかもしれない。仮面社や北宋社の名編集者として活躍し、その後は出版社冥草舎、書肆林檎屋主人として、種村季弘『影法師の誘惑』、堀切直人『日本夢文学志 始源の森へ』、池内紀『眼玉のひっこし』(以上三冊 冥草舎刊)や鷲巣繁男の詩集(筆者の記憶が不正確なので題名を書くのは差し控える。書肆林檎屋刊)などの製作をてがけてきた彼の唯一の本である。
内容は彼が高校時代から師事し続けた島尾敏雄、島尾に勧められ読むようになった小川国夫、編集者として本の制作に携わった、吉田一穂、稲垣足穂、加藤郁乎、種村季弘ら12人のそうそうたる顔ぶれとの交流を彼等の著書をフィルターとして間に挟むことによって、彼がその12人からどういう影響を受けてきたかを語っていくという構成になっている。
筆者が惹かれたのは吉田一穂、加藤郁乎、鹿島孝二(彼のもう一人私淑してやまない作家)に関する随想である。しかし何よりも彼の本に対する考え方が簡潔にまとめられたあとがき(わずか4ページしかないが)こそ筆者や本の好きな人たちにとって至言と言えるのではないかと思う。
全文を引用したいところだが、わずか4ページしかないので読んでいただくのが手っ取り早い。しかし絶版になってしまったようなので、読むには図書館か古書店で探していただくしかない。一見するだけの価値はあるということを述べさせていただき筆を措く。
(了)
バスター吉田の知ったかぶり雑筆1![And the Angels Sing アンド・ジ・エンジェルズ・シング 久保田二郎[傑作選]](img/kubota-jirou.jpg)
久保田二郎[傑作選]』河出書房新社1999年
久保田二郎という名を最初に知ったのは『対談 植草甚一』(晶文社 1979)だった。1926年生まれの彼の肩書きはエッセイストとなっていた。他の対談者の名前は知っていたけれどこの人のことは全く知らなかった。筆者にこの人に対する興味を抱かせたのは最近刊行された高平哲郎の『あなたの想い出』(晶文社 2000)だった。彼は久保田二郎についての思い出を一章をつかって語っている。その中でも特に惹かれたのが長いことあっていなかった植草甚一と久保田二郎を高平哲郎が会わせようとしたときの植草夫人(名前が梅子なので植草はウメ公とよんでいた)が、高平に対して言った言葉、「クボジ(久保田二郎の愛称)に会わせないで下さい。植草を不良にしたのはクボジなんですから。」(原文の抜粋ではない 筆者略)だった。
植草を不良にした男というだけでも面白そうな男だなと思い著作を探した。しかし生前にでたすべての本が絶版。図書館で探すかと思っていたところで近所の新刊書店でこの本を見つけ購入した。
筆者の特に好きな文は『植草甚一と守安祥太郎』の「翔べ!!甚一号ニューヨークの空へ」と『ショート・ストーリー・オン・パレード』の「ビル・エバンスよ何故麻薬をやめたんだい」だ。
読後の感想を書くのは筆者の主義に反するので書かない。興味があればこの本を読むきっかけとなった先の二冊も読まれると楽しいと言うことだけは保障できるけれども。バルト曰く「愛するものについて上手く語れない」からだ。(了)
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