バスター吉田の知ったかぶりブックレビュー4

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バスター吉田の知ったかぶりブックレビュー25

軽薄派の発想・吉行淳之介文人を偲ぶ・生田耕作評論集成2

『同い年の類似または相違−吉行淳之介と生田耕作』

誰と誰が同い年というのを調べてみるのはなかなか面白いモノである。ちょっとクイズを出そう。たとえば次に挙げる人たちは全員1936年生まれである。

・表象文化論が専門。前東大総長。フロベール研究でも有名。
・前巨人軍監督。名言は「巨人軍は〜に不滅です」。
・イラストレーターから美術家へ。彼の著作はすべて日記と喝破したのは小西康陽。
・日本のコクトー。ほとんどのジャンルに手を染めている。代表作を一つ挙げれば『お楽しみはこれからだ』
・世界の巨人。〜キックはおなじみ。

 この正解は最後に。

 そこで同い年で面白そうな人を探してみると生年も没年も全く同じという二人を見つけた。一人は「第三の新人」の代表する作家、吉行淳之介。もう一人は異端仏文学者で古書コレクターとしても著名だった生田耕作である。(どちらも生没年は1924〜1994) 
 筆者は吉行淳之介に対し、偏見を抱いていた。吉田健一が『吉田健一集成』別巻(新潮社 1995)に収録された「禿山頑太集」(東京新聞の「大波小波」に掲載されたモノ)で吉行と安岡章太郎とをぼろくそに叩いていたからである。
 だが吉田健一派の代表作家である丸谷才一が、「対談の名人」の三傑として文芸誌なら武田泰淳、綜合誌なら山崎正和、週刊誌なら吉行淳之介。と挙げていたのを向井敏(1930〜2002)の『傑作の条件』(文春文庫 1992)で読んだ記憶がある。そこで吉行淳之介の対談選『やわらかい話』(講談社文芸文庫 2001)を読むと確かに対談の名人というのが理解できたのである。
 もう一つ決定的な要因が一つあった。それが生田耕作の『生田耕作評論集成2 文人を偲ぶ』(サバト館 1992)中の書斎日記の一文。

 「ヘンリー・ミラー短編集『愛と笑いの夜』吉行淳之介訳(「福武文庫」版)を読む。訳文の見事さに脱帽。日本語も満足につづれぬくせに、おこがましくも翻訳家をもって自任する大学の語学屋教師連は、初めて翻訳なるものを試みたという吉行氏の、名人域に達した翻訳技術、何よりも見事な日本語の前に、自ら顧みて愧死すべきなり。所詮は「言霊」をうちに有すると有せざるとの違いか。」


 生田耕作が同時代の作家や文学者に対してこういった賛辞を送ることは滅多にない。リラダンの名訳で知られる斉藤磯雄に対しては、こけおどしのエセ文語調などとののしっているのだから。滝口修造や、澁澤龍彦を没後あしざまにけなした話は有名だし、篠田一士や飯島耕一などにも論争でかみついていたから。
 それで吉行の『軽薄派の発想』(芳賀書店 初版は1966だが筆者の所持本は1969年の再版。のちに『軽薄のすすめ』と改題されて角川文庫)をよく読むと、生田耕作との共通項が多かった。永井荷風が好きなこと。仮病を使って徴兵を拒否した話などなど。ただ決定的な違いは吉行は同年代の友人との交流があったけれども、生田耕作は同年代の友人よりも寿岳文章、保田輿重郎といった先輩や、アルフォンス・イノウエ、 金子國義といった年少の友人との交流が多かったのではないかと残されたエッセイを読むと感じるのである。四つ年下の澁澤よりも同い年である吉行淳之介、一つ年少の三島由紀夫に親近感を持ち最大級の賛辞を寄せたのも同世代の表現者として確実に意識していたことを文章として残しておきたかったからであろう。
 この文章を締めるに当たって吉行の『軽薄派の発想』の中から、気に入った文を引くと、

 「私は本物のマイナー・ポエットとして「大成」したい。(中略)本当に芸術的なダイゴ味のあるのはマイナー・ポエット的なところなのである。」

 本質的にはこちらを目指していた吉行の気迫が感じられる。(了)
 
クイズの解答だが、蓮實重彦、長島茂雄、横尾忠則、和田誠、ジャイアント馬場。


バスター吉田の知ったかぶりブックレビュー24

読書と或る人生

『読書という行為について』

 読書週間はもうとうに過ぎ、初雪も降って完全に冬を迎えてしまったが、読書について書かれた本を取り上げてみたい。毎年秋の読書週間からクリスマスにかけて、本年度のベスト10とかベスト50、ベスト100とかいうのが新聞や新刊書店とかでは出てくるけど、筆者はそういったものには全く興味がない。(もっとも一人の人が自分にとっての影響を与えてくれた本について語っているのは好きなのだが。例を挙げればダ・ヴィンチの「私にとっての10冊」とか、最近では『鳩よ』の中での坪内祐三の100冊や『クイック・ジャパン』の小西康陽の100冊など。)それにこの手の書評や解説文を見て、面白そうと思ったものの実際目を通すとつまらなかったというのが多々あるからである。
 で今回取り上げる本2冊だが、福原麟太郎の『読書と或る人生』(新潮選書 初版は1967年だが、所持しているのは1972年の再版)と出久根達郎の『いつのまにやら本の虫』(講談社文庫 2002)である。
 福原麟太郎(1894〜1980)は英文学者、随筆家。東京教育大(現在の筑波大)の教授で、早稲田大の日夏耿之介(1890〜1971)、慶應義塾の西脇順三郎(1894〜1982)、東大の中野好夫(1903〜1985)らとともに我が国の英文学を発展させた一人である。
 今名前を挙げた四人の専門の主を挙げても、福原がトマス・グレイとチャールズ・ラム、日夏がエドガー・アラン・ポオとオスカー・ワイルド、西脇がウォルター・ペイター、中野がジョナサン・スウィフト。まさに絢爛豪華。英文学の日本の流派を作った中の一人。随筆家としても著名で、主立った随筆を集めた『福原麟太郎随想全集』(全8巻 福武書店 1983)は何年か前に入手し、一通り目を通したがこの『読書と或る人生』は収録されていなくて、古本屋で見かけてはいたのだがつい買いそびれていた。『福原麟太郎随想全集』を読んでから、吉田健一や福田恆存といった後輩の英文学者や白洲正子が尊敬、私淑し、教え子の中には最近みすず書房から著作集が刊行され始めた外山滋比古がいると知った。 
 『読書と或る人生』は新潮社の創立七十周年記念に編集者から読書の思い出を書けといわれて書いたものらしいが、福原はあとがきでこう書いている。

 「そしてここに、珍しい、自分では読書家と思っていない男の読書の一生が披露されることとなった。それ以外に言うことなし。御叱正を乞う。」

 こんな事を書いているが、文章からもそして巻末につけられた索引からも、彼が読書家だということは見て取れるのである。特にこの文章などには。

 「ねる前まで読んでいて、あとは明日にしようと、残り惜しくも本を閉じ、あしたの朝を待つ心持で枕につくとか、外から家に帰ってくるとき、帰ったら、あの本にすぐ取りつこうぜと心に思いながら、電車に乗っているというようなことは、決して無くはない。私自身の経験にもそのような時代があった。今から思うと、どんなに貧乏でも、どんなに辛いことがあっても、そういう時にその人は幸福なのである。小説、詩歌の本に限らない。無味乾燥と思える学問の書でも、そういう楽しい愛着をもって、がむしゃらに読めるものである。読書の愉しみというのはそれだ。それは生きることと共にある愉しみというものではないであろうか。」

 読書の愉しみについて語ったものでこれだけ的を得たものを知らないが、新潮選書の1冊として書かれたものだからわからない人でもさくさく読んで行けるだろう。文学史に興味がある方なら、中野好夫や山本健吉、畏友と断言する西脇順三郎、福原の先生である岡倉由三郎(岡倉天心の弟)についての記述などにも関心が行くだろう。
 出久根達郎(1944〜)は、直木賞作家で古書店芳雅堂主人。古書に少しでも関心のある方なら芳雅堂の目録『書宴』はご存じだろう。筆者が読んだ出久根達郎の本は『古本綺譚』(中公文庫 1990)についで2冊目だが、こちらの方がずっと面白かった。出久根が『書宴』を出すことになったきっかけとか、上林暁の滅多に出てこない初版本を『書宴』に安く載せてしまったことなど。作家達のエピソードも豊富だが、特に個人的におかしかったのが、立原道造と杉浦民平が同い年(1913年生まれ)で大学の同級生だったということ。若くして死んだ詩人とつい最近亡くなるまで盛んに発言していた作家の印象がずれていた。杉浦民平の若い頃の写真を見たことがないからだと言えるけれど。
 だがもっとも興味を惹かれたのは「見すぎ世すぎ」と「話の場」という二編。本に関わる仕事をしている人には是非一読をお勧めする。
 今回取り上げた本は読書という行為の愉しみや、書店との関わり方ということで紹介させていただいた。筆者自身が最近読書って何だろうと考えていたこともあったので、私的なモノになったことを深くお詫びする。 最後に福原麟太郎の本の表紙の一文から、

 「友を選まば書を読みて」

(了)


バスター吉田の知ったかぶりブックレビュー23 植草&タモリ


素敵な『おじさん』のNY散歩ガイド

 海外旅行に行くことは、現在はごく当たり前のことになってしまったけれども、1960年代から70年代(固定相場制から変動相場制への移行時期)にはまだまだ高嶺の花だった。旅行に行くとしても大概は留学、研修といった事柄で赴く人が大半を占め、遊行としての旅行を楽しむ人は圧倒的に少なかった。
 昔も今も変わらないが、国内でも海外でも旅行に出かける場合、情報を入手したがるものである。現在はインターネットという便利な手段もあるが、基本的に、旅行先のガイドブックを購入し情報を仕入れて、旅行に出かける。
 だが「旅行ガイド」という本の性質は、代表的なものといわれる「地球の歩き方」シリーズが年度ごとに改訂されることから見ても読み捨てのサイクルが早く、情報も古びてしまう。それに読み物としても実際に旅行に行き、「〜へ行く」「〜を見る」「〜を食べる」といった目的に関しては、有用で面白く読めるけれどそれ以外のことで読んで面白いものとは思えない。これは筆者が旅行に滅多に行くことがないからで、「旅行ガイド」が好きな方はご容赦いただきたい。
 だが「旅行ガイド」の中にも、刊行されてから20〜30年経過しても古くならず、読み物としても十分に読めるものも存在する。それは大抵一人の著者あるいは編者が一つの場所について自分の好みを中心にして書いたものである。
 筆者が死ぬまでに一度行ってみたいと思っている場所にニューヨークがあるが、ニューヨークについて書かれた「旅行ガイド」で最近二つの面白い本を読んだ。植草甚一編集の『植草甚一の英語百貨店』(主婦と生活社 1976)とタモリの『行ってから読むか 読んでから行くか タモリのNEW York旅行術』(講談社 1980)である。はからずして二人とも早稲田大出身の先輩と後輩で、70年代から80年代はじめの若者の教祖的存在だったことも共通している。
 植草甚一ことJ・Jおじさんに対してはことさら説明は不用だろう。『知らない本や本屋を探したり読んだり』(1974)や『ぼくのニューヨーク地図ができるまで』(1977 共に晶文社)のようなニューヨークに関して書かれた代表作もあるが、この『植草甚一の英語百貨店』はそれらを一冊に圧縮したような感じではないだろうか。本文レイアウトを植草本人が手掛け、安西水丸と本山賢司がイラストで花を添えている感じである。
 一方のタモリ、今でこそ鹿島茂に「宮田輝」芸などと酷評されているが、この『行ってから読むか 読んでから行くか タモリのNEW York旅行術』を執筆した頃は平岡正明や松岡正剛などからも注目をあつめ、平岡は『タモリだよ!』を執筆したり、松岡は「プラネタリー・ブックス」シリーズでタモリを特集していたほどだったのだから。「四カ国親善マージャン」「宣教師の酒場説教」「ハナモゲラ語」といった至芸は今でこそ見せなくなってしまったが、当時はアイパッチ姿でやっていたのだから芸能界に与えた衝撃は相当なものだったに違いない。あと最近「クイック・ジャパン」の41号でも確かタモリが大きく取り上げられていたはずなので最近再評価の機運があるのかも知れないので、目を通すつもりでいるのだが。
 でその文章だが非常にポップなのである。「我がビータ事始め」と題された初めての旅行についての話、「カタログ小説・ガイジンになったオレ」という文章を読んでも、現在執筆を再開してもビートたけし、松本人志、爆笑問題の太田光のように十分通用すると思えるほどに。安西水丸のイラストもとても良い。
 文章中に植草甚一に関する文章が二カ所ほどあった。植草甚一がタモリが大学時代に所属していたジャズ・グループの名誉顧問でもあり、タモリの大親友でもある高平哲郎とは懇意にしていたこともあって、植草の没後に所蔵レコードをタモリが一括して引き取ったという話をその後「太陽」かなんかで読んだ。この本を書くときはそうとう植草甚一を意識していたのかも知れない。
 最後に『行ってから読むか 読んでから行くか タモリのNEW York旅行術』のあとがきより、

 『ニューヨークは行って遊ぶところ。決して書くところじゃないよね。でも俺は魔が差して、ニューヨークを書くという悪魔の選択をしてしまった。その結果がこの本だ。ずいぶんと勝手な思いこみで書きとばしてしまったけれど、ニューヨークはそれを莞爾と笑って許してくれる町だと思う(これも勝手な思い込みカナ)』

(了)


バスター吉田の知ったかぶりブックレビュー22 「文士の時代」&「作家の風貌」


『文士=作家という名の肖像』

 和田誠『似顔絵物語』(白水社 1998)によると、評論家の草森紳一は、肖像画の機能を次のように定義したそうだ。

(1)崇拝像
(2)権威表示
(3)記念像
(4)風刺

 これは肖像画の機能定義だが、肖像写真の定義としても十分通用する。ただしもう一つ付け加える。草森によると、肖像画は肖像写真の登場により一度滅びたが、最大の理由が写真家がレンズを通して撮影した事実を「リアル」に記録するという事。その一事に関しては「画」より「写真」ということになるから、

(5)事実を「リアル」に記録する

ことであろう。肖像画はその後、(4)の機能が強調されるようになって復活するが、他の4つの機能は肖像写真に取って代わられたというものだった。
 で肖像写真の話にはいるが、政界や財界で活躍した人たちの写真よりも、文学界や芸能界で活躍した人の写真の方が基本的には面白い。どうしてなのか理由を考えてみると、政界や財界で活躍した人の肖像写真は基本的に(1)と(2)の機能が強調されがちであり、最近は存命中からスキャンダルが発覚するなどしてせっかく得た機能を失墜させてしまい省みられることが少なくなっていることもあるかも知れないが。
 これに対して文学界や芸能界で活躍した人の肖像写真は(3)と(5)の機能が主で、多少のスキャンダルではこの機能は失われることがないからである。
 個人的な好みをいわせてもらうと、様々な写真家が一人の人物にスポットを当てて撮った肖像写真集よりも、写真家が様々な人物にスポットを当てた肖像写真集の方に惹かれる。そういう写真集はやはり文学界の方が芸能界よりもより魅力的である。
 文学界の肖像写真家といえば、挙がってくるのは林忠彦(1918〜1990)と田沼武能(1929〜)の二人だろう。篠山紀信にも『作家の仕事場』という素晴らしい写真集があるが、先の二人が文学界の肖像写真家の双璧であることは間違いない。
 林の『文士の時代』(朝日文庫 1988)と田沼の『作家の風貌』(ちくま文庫 2000)を比較すると、林が121人、田沼が70人(ただし師匠の木村伊兵衛が入っているから実際は69人)を撮影している。林が文学界の肖像写真家として一躍名を知られるきっかけとなった、織田作、太宰、安吾などの無頼派の肖像、若い頃の野坂昭如や五木寛之の写真(当時の世相から見たら態度が生意気に見えただろう)や豊島輿志雄、内田百閧フ肖像写真が印象的である。
 一方田沼の写真だが、30歳代で撮られている作家は早世した梶山季之と寺山修司の二人だけ。掲載されているのはたいがい40〜50歳代、晩年の肖像が多い。久生十蘭(写真自体がかなり珍しい)、川崎長太郎(ビール箱の上にローソクが二本、その上で原稿を書いている写真には鬼気すら感じる)などに彼の個性を感じる。
 写真を撮りたくなる作家=文士はやはり共通するものが多いのか二人が撮った肖像写真中、共通する作家は26人(ただし林の場合は文章を付随したものに限らせていただいた)もいる。とくに印象に残った人を挙げると岸田國士、坪田譲治、石川淳、深沢七郎、壇一雄だろうか。10枚の写真から明暗、生死、陰陽とにかく様々な印象を受けた。ただ肖像写真というのは鑑賞者によって印象がまるで違ってくるから是非目を通していただきたい。
 最後に林忠彦がもっともお世話になった作家の一人と断言する大佛次郎が林の写真について述べた一言を引用させていただく。

 「もはや、あの世に赴いた作家が幾人かいる。みんな林君の力でまだ生きているのである。懐かしくも不気味なように思う。私より年長だった人もいる。それが若い顔をしている。いつの間にか私が長く生き、年も上になっているのであった」

(了)


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