
辞書なんかでは当たり前だけど、巻末に索引がある本というのは非常に便利かつ有用である。古書の索引の中で値が張るものといえば、『明治文学全集』〈筑摩書房)の総索引、沢潟久孝が使った萬葉集の索引など。これから値が張りそうと言われているのは、講談社文藝文庫の『日本文壇史総索引』かもしれない。品切れにならない限り古書価は上がらないだろうけれども。
辞書や全集ものだと、総索引という形で単著に出来るのだが、事項、人物などの索引が巻末に付いていたらどんなに便利かつ楽しいかと思わせる本がある。
例を挙げれば四方田犬彦の『星とともに走る』(七月堂)、雑誌『東京人』の書評で鹿島茂が、この本の唯一の欠点は索引がない事だと指摘していたし、赤田祐一の『ポパイの時代』(大田出版)は著者の赤田本人が、巻末に索引を入れたかったけれど大田出版の編集の方から泣きが入ってあきらめたと坪内祐三や小西康陽との対談で語っていたから。(『Quickjapan
49』大田出版)
今回紹介する本は筆者が個人的には索引がついていたら、便利かつ楽しいとより思う本である。この本を読むきっかけは最近の読書傾向に関係がある。
最近演劇人の回想記というものに興味が沸いて目を通しているのだが、なかなか面白い。阿木翁助『演劇の青春』〈早川書房)や土方与志などの評伝を購入した。どちらも戦前から戦後にかけてのところが面白かった。
長岡輝子の『ふたりの夫からの贈り物』も(草思社 1988)もそんなつもりで購入した本。長岡輝子(1908〜)は、女優、演出家。テアトル・コメディ創立者。筆者が長岡輝子の名前を知ったのは、筆者の母親が、長岡輝子の朗読した宮沢賢治の童話のカセットテープを購入して聞いていた事からと思う。実際に顔や、表情を見たのは、テレビの『徹子の部屋』もしくは『スタジオパークからこんにちは』だったか、うろ覚えなのだがたぶん、菊池寛賞を受賞した時に出演していた頃に出演していたのを見たという記憶がある。自伝的昭和史なのだが、登場する人物たちが、帯に書いてあるだけの人だけでも凄い。芥川比呂志、飯沢匡、伊藤熹朔、岩田豊雄(獅子文六)、川上澄生、加藤道夫、木村光一、十朱久雄(十朱幸代のお父さん)、久保田万太郎、三島由紀夫、福田恒存、田村秋子、森雅之、森本薫、そして二人の夫、金杉惇郎、篠原玄。これ以外にも植草甚一、柳宗悦、杉浦幸雄、伊達得夫(書肆ユリイカ)、中村真一郎、関口良雄(山王書房店主)、那阿書店といった本好きにはたまらない人や固有名詞がでてくるのだから。黒柳徹子とはNHKの児童番組で黒柳がデビューしたときから付き合いがあるというのも凄いけど。
ただ本当に索引が欲しかった。筆写が得意ではないので、何回も本に当たって確認するという日々が続いたので。もう少し引用などを入れたかったのだが。
一番面白いエピソードだけを挙げて、終えさせてもらおう。長岡輝子と金杉惇郎との間に出来た一人息子が結婚した相手の家が、あの玄洋社の頭山満の孫娘だったという話が本当に面白かった。
余談二つ。
1.長岡輝子には書肆ユリイカから出た詩集『詩暦』があり現在の古書価はある目録で一万八千円がついていた。
2.玄洋社で思い出したのだが、渡辺真理(元TBSアナウンサー)のお祖母さんが夢野久作の妹、つまり杉山茂丸の娘という事を家庭画報かなんかの記事で見た。(了)

『栗本慎一郎』という名前を知ったのは多分テレビである。80年代末〜90年代初頭にフジテレビでやっていた『クイズ年の差なんて』という番組での印象が頭に残っている。顔とハンチング帽、明大教授という肩書。その後明大教授を辞めて、衆院か参院選に立候補し、当選したか、しなかったかくらいの印象しかなかった。脳梗塞か脳溢血で倒れたという話も聞いてはいたけど特に興味を持っていたわけではない。
栗本慎一郎が一番執筆していたニューアカブームの頃、筆者は小学5、6年生だったし、当時はアニメやマンガに夢中だったから。ニューアカブームをリアルに体験し、現在活躍されている1957年〜1965年生まれの方々が今はうらやましく思えて仕方がないのだが。もし筆者がたった一度だけ過去に戻れるとしたらニューアカブームが小学5、6年生でどれだけ理解できるかわからないけど、過去の自分に青土社、筑摩書房、朝日出版社などから出た刊行物を読ませてやり、今の年齢くらいになれば少しはこみいった思考が出来るかも知れない、もっとも生来の怠け者だから無理であろう。
脱線してしまったが、栗本慎一郎の著作を読むようになったきっかけは坪内祐三の『新書百冊』(新潮新書 2003)である。『鉄の処女』(光文社カッパブックス 1985)と『毒入り教授より愛をこめて』(光文社文庫 1986)が紹介されていてちょっと目を通してみようと思った。古書価もすごく安いので大概は200円〜300円あれば購入できたことも理由の一つだろう。購入したなかで特に面白かったのが先に挙げた『毒入り教授より愛をこめて』(光文社文庫 1986)と『五月のテニスボール』(六興出版 1990)である。前著は『新書百冊』でも紹介されてるように「新刊本」などのニューアカブーム批判が含まれているけれど、それよりも「美男!鈴木健二」と題された文章に特に惹かれた。
「私の体験によれば、現代世界と人間 という問題にも目くばりしながら諸問題を考える日本人の数は総勢十万人に過ぎない。(中略) 十万のうち、五千人は思想とか知識人好きのある意味で偏屈な思想ファンであり、一万人ほどは前衛的な知的ファッションが好きだとか、非体制的なことの中で何かを捜そうとしている人々である。この一万五千人が本好きな人々である。無名な私もこの中にいた。だから知っているのだが、この人たちは狭い下宿や、二、三DKの一部屋に本をたくさん積み上げているし、書籍代も毎月ひどくかさんでいるから、思想書や反核問題が出ても全部買えるわけではない。店頭で厳しく選んで、欲しい本の五分の一、十分の一をようやく入手するのである。断言するが『気くばりのすすめ』は絶対に買わないだろう。この一万五千人のうち約半分くらいが大学生であり、間違いなくこの数千人のうちから人文科学、社会科学の優れた学者が誕生していく。これ以外からは絶対出ない。この学者予備軍の質を向上させるためには一万五千人をせめて十倍にする必要がある。質の高い世間がなければ、本当の世界的学者は育たない。そうなると浅田彰クンほどでなくとも若い学者の本がどんどん世に問えるようになり、ちょっと著名な学者の本も安価になる。『気くばりのすすめ』のようなハウツー本はいかに売れても一万五千人を増やすことにはならない。」
18年前に発表されたものだが、周囲の人たちが読んでない本ばかり読んでいる筆者はかなり勇気づけられた。とくに本をたくさん積み上げているしという箇所には自分の部屋の状況もだぶらせて。
『五月のテニスボール』にあまりふれなかったけど、帯にプライベイト・エッセイと題されている通り私的なエッセイである。お気に入りを挙げるなら「東京」「あとがき」を挙げておこう。
(補足)最近ちくま学芸文庫でカール・ポランニーの旧刊が復刊された。栗本慎一郎が翻訳をやっていたのだが、肩書きが東農大教授になっていた。奉職したのだろうか。ご存じの方掲示板にでも書き込んで下さい。(了)

台風のせいなのだろうか。あらゆる事がうっとうしく感じられる。ここ四ヶ月くらいに目を通した本のなかの一冊から気になるところを抜粋していこうと思う。まずはそのままずばり、「書くための読書」
「書くために本を読む。そんな生活がこの頃はずつとつヾいている。一体本を読むといふのは、読書そのことが興味の中心たるべき筈なのだ。そこから何か研究上の資料が得られたとしても、それは要するに読書の副産物に過ぎない。然るに今の私はその副産物だけが目的でいつも本を読んで居るのだ。――といふよりは読んで居なければならないのだ。だから一冊の本をすつかり通読するといふような余裕は殆どない。もとより通読するような本も随分多い。しかし読みかけるとそのまゝ止められない場合でも、さし当り必要でないところは割愛せねばならぬ。時間の制限があるからだ。
かうした読書はむしろ苦痛である。少なくとも興味索然たるものである。そんな思ひで本に対する時、つくづく教師生活がいやになつて来る。講義のノートを作る必要がなくて本が読めたら、何とこの書斎が朗らかになることだらう。だが今さら商売がへも出来さうにない、かへた所でやつぱりそれぞれの職業につきまとふ現実の悲哀は尽きぬに極つている。せめていやながらも本が読める商売の方が宣いとあきらめる外はない。しかし何とかも少し面白く本が読めないものかなあ……。」(若干書換あり以下略)
同じ著者で「乱抽の讃」
「朝食をすますと私はすぐ書斎へ引込んでしまふ。そして机の抽斗から煙草を一本取り出して火をつける。――私の一日の喫烟量はこの一本だけである。だからバツトの箱が空になると、もう十日たつたかなと思つて感慨に耽る――出来るだけゆつくり吸ふ。その間に今日の仕事を考へるのである。が、勿論すぐ仕事を始めるつもりなのではない。煙草の烟が淡く消えて行く先の書架から、何か一寸思いついた書物を引き出して見る。別段あてはないのだから何処を開けてもよい。あちこち開けて居る中に何か面白い所を見つけ出すものだ。全く興が起らなかつたら、他の本と取替へるだけのことである。かうして居る間に三、四十分の時間はすぐたつてしまふ。
(中略)朝の乱抽は三、四十分が一時間となり二時間となつても大した差支はない。どうかするとそれで一日暮らしてしまふこともある。
濫読の弊は誰しも戒めねばなるまい。だが乱抽の楽しみはまた知る人ぞ知るであらう。(中略)
聖賢古哲の言を味はつて世間区々の俗情を清めるのもよい。詩歌伝奇の美に寄つて夢幻の境に遊ぶのは益々嬉しい。だがもし人あつて読書の醍醐味を問ふならば、唯乱抽無為の間にありと答へたい」
文章の書き手は穎原退蔵(1894〜1948)。角川文庫で今も出てる『奥の細道』の注釈などを手掛けた方で、国文学者。文学部や国文学科の人たちには詩人の伊東静雄の京大時代の恩師と言った方が今の人にはわかりやすいかも知れない。はじめて穎原退蔵の名前を知ったのは以前アルバイトをしていた古本屋でデータ入力の仕事をしていた際、この人の名前の読み方がわからなくて、店長に聞いて読み方を覚えたのを思い出す。でも国文学に対する関心は薄かったし、穎原退蔵を再認識したのは、伊藤正雄『忘れ得ぬ国文学者たち(新版 右文書院 2001)を読んだときその中の八人で穎原退蔵も忘れられし国文学者の一人に名を挙げられていたからだ。穎原退蔵著作集
(中央公論社 1979)の二十巻(随筆・雑纂)を最近たまたま入手して斜め読みしてみるととても面白い。とくにこの二文から読み進めたから尚更。つまみ食いしただけでまだ138篇も残っている。
とくに「乱抽の讃」のように贅沢な読書を心ゆくまで楽しめたら……。(もちろんどこかで隠居生活でも送らない限り無理。)この著作集の月報に穎原退蔵日記抄が掲載されているのだがそれも面白かった。出てくる人物が。
あと穎原退蔵著作集、研究本をふくめ残り二十冊を買いそろえるかは迷っているが、月報だけ一寸通し読みしてみたいという気にさせられる日記だったことだけは付け加えておこう。(了)
| “もの”を買うということは自分以外の何を買うことでもない。 |
| −河合寛次郎− |
| 日本人は“モノ”に憑かれた“物教徒”だと思います。 |
| −栄久庵 憲司− |
“もの”もしくは“モノ”を購入あるいは収集する、あるいは愛用することについてはいろいろな人が書いている。たとえば古書収集とかなら鹿島茂『子供より古書が大事と思いたい』(文春文庫 1999)などのような本のように単独の著者が執筆しているようなものもあれば、複数の人に“モノ”について語ってもらった本もある。今回の本もそういった本の一冊。『私とモノとの出会い』(北斗出版 1981)である。余談になるがこの版元が外山滋比古の友人が設立したことを『日本の文章』(講談社学術文庫
1984)で知った。『私とモノとの出会い』の編者は『ビックリハウス』編集者の大熊進一となっているが、名前や略歴を見るとペンネームか?内容は1981年当時の著名人、または注目され始めた人たち50人(但し一人だけ別名義で同一人物がいるので正確には49人)の“モノ”についてのインタビュー。かなり偏った人選になっている。編者の好みだろうか。それだから面白い。
23年後の今見てみると、故人となった人もいる。竹内均、都筑道夫、田村隆一、梶原一騎、奥野健男、矢代静一、石森章太郎(改名後は石ノ森)、中村武志、樋口清之など。
1981年という時代に頭角を現した人たちだと《カッコの中が収集あるいは愛用品》、大林宣彦(鞍)とか赤瀬川原平(双眼鏡)=尾辻克彦(えんぴつ削り)、赤瀬川名義で受けたインタビューの「自意識としてあるのは作家じゃなくて画家なんです。」は貴重な発言と思えた。
糸井重里(ペンギン)この三年くらい後、湯村輝彦とのコンビで『情熱のペンギンごはん』が刊行されているから複線がこの時期からあった事がわかる。
木滑良久[マガジンハウス最高顧問刊行当時はブルータス編集長](ジャンプロープ=なわとび)とか。笑えたのは梶原一騎(サンドバッグ)その後の暴力事件を暗示しているみたいで。
ただ筆者が印象に残ったのは二人、一人は村上春樹(群像新人賞を取ったときのヤクルトの1978年の優勝メダル)。もう一人は2001年に亡くなった古今亭志ん朝の兄で先代の金原亭馬生(煙草入れ)。どちらも自分を語ることが少ないけど仕事以外の話だからか結構しゃべっている。
まずは村上春樹から。
「野球は大好きでプロ野球に興味あるんです。(中略) プロの選手がいい年して女房、子供を養うために一生懸命やっているでしょ。これが尊いんで、調子が悪ければ給料が下がる。世の中そういう風にしてなりたっているんだから、アマチュアに興味ないですね。」
という発言もしているとおり、本当にプロ野球が好きである。TVで野球を見るのが嫌いで最寄りの球場が近い球団を見に行っていたそうだ。幼い頃大阪に住んでいたことがあってそのときは阪神ファン。1978年当時はヤクルトファンだった。巨人みたいな中央的なチームが嫌い。ローカル色があるのがいい。デーゲームとダブルヘッダーがすき。外野のライトスタンド側から、外野手のお尻の形をそういう趣味はないと前置きしているが性格判断材料として面白いから見ているという。
ちなみに当時の選手だとロジャーは精悍、スコットがスマート、若松が可愛らしい、淡口はみっともない、張本はワイセツという感想。まるで山田五郎みたい。
今だったらこんなインタビューは村上春樹は絶対受けないだろう・
金原亭馬生は煙草と酒が切っても切れない人で、なければ他の国へ行ってしまうとまでうそぶいていたが、この本の刊行後一年もしないうちに急逝してしまう。
気になった箇所は父の志ん生と自分を比較して語っているところだろう。
「落語の本当の難しいところにつきあたって、それが出来上がったという時には、もう光がないんです、本当に。夢中になってやって、でもなかなかできないんですから。同じ噺をしゃべってんですよ。それであの人がやると面白くて、こっちは面白くも何ともない。どこにその差があるんだかわかんないんですよ。こっちも教えてあげられない。自分で悟る以外ない。(中略)芸というものが怖いことがわかるのは、まあある程度までいかないとねぇ。四十代後半が一つの山ですかね。」
小林信彦が『名人』(朝日新聞社 2003)で馬生が早世しなければ、志ん朝も一人で東京落語を背負わなくて良かったのに。と死を惜しんでいたが、インタビュー中にちょっとだけ漏らした言葉からも金原亭馬生という人の五十代半ばでの死は悔やまれることであった。
“もの”もしくは“モノ”を購入あるいは収集する、あるいは愛用することはやはり自分を見つめ直す、あるいは自分を語ることにつながってしまうことだけは確かだと言うことにして筆を置かせていただく。(了)

友部正人(1950〜)の名前を最初に目にしたのは、多分小室等の『小室等的〔音楽的生活〕事典』(晶文社
1989)だった。小室等は友部正人のレコードは持っているが、それをあまり聴かないといったことを書いていた。理由は極簡単なことなのだけれど。名前だけはそこで許容量の少ない頭にも残っていたのだろう。
で今回の本だが、なぜ読もうと思ったかといえば、先月の上旬二日かけて、京都に遊びに行ってきたからである。観光名所は清水寺に行ったくらいで、他は本屋巡りに費やしてしまったが。行ったところをあげると三月書房、アスタルテ書房、恵文社一乗寺店、百万遍の古本屋(店名を挙げるときりがない)といったところそして喫茶店二軒。百万遍の進々堂と京三条のイノダコーヒ。この本の中に「イノダコーヒー店」という一文が出ていたこともあって迷わずレジへ運んだ。
旅行誌の「じゃらん」に掲載された約五年分の文章を一冊にまとめた本だが、わずか二ページで、その場所を紹介している。本屋や喫茶店を語るときの文章は本当に唸らせる。たとえば大阪の天牛書店のことについて書いた「本屋で時間を使いたい」とか。もちろん今は存在しない場所もあるのだが、掲載されている写真(撮影は友部の夫人である小野由美子)とそれに添えられている友部の文章によってそこへ足を運んだ気になるから不思議なもの。こんな事を考えているから自分は出不精なのだろうなとも思うけど。
もう一つ思ったのは写真から受ける友部の印象が変わらないこと。この本を買う前後に『生活が好きになった』(晶文社 1986)を入手したのだが、1986年の写真と1999年の写真とがほとんど変わらない。一歳上の高田渡(1949〜)が若いときの印象と比べると現在は仙人みたいと呼ばれているのとは対照的に。ただこの二人を比較しているわけではなくあくまでも外見の印象=人相である。二人は「現代詩手帖」(特集友部正人)中の高田渡のインタビューを読むと、とても仲が良さそうだから。ただ筆者個人からみると人相は高田渡は若いときより今の方がかっこよく、友部正人は昔も今もかっこよい。(どこがデビット・ボウイとかルー・リード的)それだけなのだろう。
友部の歌や詩はまだ聴いたことも読んだこともないので機会があればと思っている。それ以上に雑文が読みたい。作家より俳優や歌手の書く文章が面白いというのは、よっぽど才能のないひとが「作家」を名乗っているからだろう。(了)