日本詩人クラブの沿革 昭和20年代(1948〜1954)
昭和23年春、正富汪洋が豊田実を訪ね、提唱。山宮允に準備を委せ、翌24年10月3日、日夏、西條、柳沢、正富、豊田、山宮を発起人として会合を開いた。交通不便の当時のことで、13名来会。その後9回ほど会合を重ねた。
会名を日本詩人クラブ、機関誌を『詩界』とし、第一期会員を60名ぐらいの範囲で出発しようということになり、業務担当を決めた。
すなわち(1)渉外(豊田、柳沢)(2)編集出版(正富、佐藤春、服部、野田)(3)庶務会計(正富、森川、石川、服部)(4)講演、放送(柳沢、南江)である。
そして、昭和25年5月14日午後、明治神宮北の休憩所で発会式ならびに第一回総会を開いた。
出席者は、河井酔茗、山宮允、石川道雄、牛山充、大木惇夫、大野良子、尾島庄太郎、門田穣、川路柳虹、小牧健夫、西條八十、斎藤勇、佐藤輝夫、城左門、豊田実、中西悟堂、南江治郎、西崎一郎、野田宇太郎、能村潔、服部嘉香、平野威馬雄、前田鐡之助、正富汪洋、柳沢健、大和資雄の26名。
蒲原有明からのメッセージ、土井晩翠から祝電があり、英国詩人フレーザーは夫人同伴で来会した。
司会は柳沢で、西條理事長の挨拶、山宮常務理事の挨拶、経過報告、正富理事の業務報告、計画の後、規約承認その他があり、会員の自己紹介、フレーザーの挨拶、詩の朗読を行い盛会であった。
この会より前の3月18日には、旧赤坂離宮内エジプトの間でエドマンド・ブランデンの送別会を開いたり、5月26日、毎日ホールで開催された日本女流詩人会と冬柏同人主催の与謝野晶子祭には正富出席、感想文を朗読。
7月9日、吉田晴風逝去、告別式には柳沢が弔辞を読んだ。
11月9日、文化勲章を受けた土井晩翠が仙台から上京、「土井晩翠翁の夕」を東京朝日新聞講堂で開催、盛会であった。
理事長西條八十、常務理事山宮允、理事石川道雄、佐藤春夫、豊田実、南江治郎、野田宇太郎、服部嘉香、正富汪洋、森川葵村、柳沢健、評議員石川道雄、勝本正晃、川路柳虹、斎藤勇、斎藤正雄、佐藤清、中西悟堂、堀口大学、前田鐡之助、山田耕筰、大和資雄、事務所を正富方に置き、そして名誉会員に河井酔茗、蒲原有明、土井晩翠、エドマンド・ブランデンを仰ぎ、会員65名で発足した。
『詩界』第1号を25年10月30日に刊行、88頁である。第2号は土井晩翠記念号として26年9月発行、88頁。会員も140名に増え、事務所は昭和女子大学構内に置くことができた。
第1号から日本詩人クラブ会報と表紙にあるが、第3号から第49号までは表紙のない10頁前後の毎月発行の会報形式であり、第50号からは雑誌形態にかわり、季刊から、やがて隔月刊となった
(昭和26年)1951
・11月から「詩研究会」を設け、毎月開催、約2年間続く。
(昭和27年)1952
・2月3日、名誉会員蒲原有明逝去、『詩界』で追悼集をだす。
・4月、第3回総会の改選役員は、(理事長)西條八十、(常務理事)山宮允、中西悟堂、柳沢健、(理事)安部宙之介、石川道雄、勝本正晃、門田穣、川路柳虹、佐藤春夫、豊田実、南江治郎、野田宇太郎、服部嘉香、人見円吉、堀口大学、正富汪洋、森川葵村、(評議員)大野良子、斎藤勇、斎藤正雄、佐藤清、城左門、前田鐡之助、山田耕筰、山村順、大和資雄であった。
・6月26日、福田正夫逝去、弔辞をおくる。
・9月、国際詩人会議をベルギー政府主宰で開催、日本詩人クラブ、現代詩人会共同のメッセージを送る。
・9月20日、秋季大会を昭和女子大学講堂で開催、講演(西條八十、村野四郎、川路柳虹)、詩朗読、舞踏あり。
・10月19日、名誉会員土井晩翠逝去、例会は、追悼講演を行った。
・11月、中西梧堂「越冬燕」歌碑が千葉東金市に建つ。
・12月13日、蒲原有明、土井晩翠追悼講演会を昭和女子大学講堂で開催、講演(矢野峯人、佐藤清、斎藤勇)、詩朗読、独唱等。
(昭和28年)1953
・4月「中西梧堂野鳥の句碑」が福島県郡山市郊外に建つ。
・5月、柳沢健逝去、7月、追悼会を開く。
(昭和29年)1954
・5月、柳沢健作校歌の「花塚」福島県熱塩温泉に建つ。
・「国語表記改定に関する吾々の意見」を日本詩人クラブ有志として公表。
・9月2日より5日間、ベルギーで開催の国際詩人会議に日本詩人クラブ、現代詩人会連署のメッセージを出席の安藤一郎に託す。
・11月「詩の朗読と講演会」を昭和女子大学講堂で開催。講演(安藤一郎、勝本正晃、金子光晴)、独唱会、浅野千鶴子。
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