• 赤谷線跡探訪記

  • 沿革

     赤谷線は赤谷鉱山の鉄鉱石輸送を目的に建設され、1922年12月に新発田−赤谷間が開通したものの鉄鋼の暴落により開業が延期され、1925-11-20に旅客営業のみとして開業する。その後1940年に戦略物資の自給策により鉱山開発が再開され1941-06-01に東赤谷までが全通する。
     その後も鉱山開発は進み、石炭、鉛、石灰などを産出するようになったが、昭和40年代に入ると安価の輸入鉄鉱石などにシェアを奪われ、鉱山は次々と閉山に追い込まれ、赤谷線も国鉄再建法により第1次廃止対象線区に指定され、1984-03-31を最後に廃止された。


  • 探訪記

     会社の同期の友人の沓澤君とはよくドライブをしたが新潟方面に来たのはこの日が始めてである。米沢から坂町に抜け、国道7号を新潟に向け走って新発田に近づいたとき、ふと「いい旅チャレンジ20,000km」で踏破の前に廃止された赤谷線を思い出した。
    沓澤君に赤谷線跡を車でたどってみたいと言ってみると、どうせ元々宛もないドライブなので快く承知してくれた。

     この後、沓澤君とは新潟、福島の廃線跡をいくつかまわり、元々「鉄っちゃん」の素質を持った彼は廃線跡に興味を持つようになり、その後宮脇峻三氏の「鉄道廃線跡を歩く」も購入したそうである。
     また、赤谷線をまわった翌週には一緒に日中線もまわっている。

     とりあえず、国道7号を外れて新発田駅前に到着し、赤谷線は新発田駅から秋田方向に向けて発車後新発田駅構内の外れで羽越本線と分かれていたので、新発田駅の裏の方にまわってみたら線路そのものが羽越本線から分かれて数100m余り続いていて、そこには架線も張られている。


    赤谷線の名残が羽越本線から分かれて数100mほど続いている

     廃線跡はそこから駐車場をはさんですぐ整備されたサイクリングロードとなっている。正式には「歴史探勝の道」というそうで第7回全国街路事業コンクールで特別賞を授賞したそうである。

     東中学校前は同名のバス停が県道沿いにあり、そこから県道を外れるとサイクリングロードが続いている。

     さらに県道を赤谷方向に進み、大体目星をつけて県道を外れると、五十公野駅跡であった。ここもサイクリングロードが続いている。この駅は対向式のホームが残り、ホーム上には屋根付きのベンチが残っている。また、ホームの後ろには農業倉庫、駅前には製材所あり、鉄道営業当時を忍ぶことができる。駅前の2本の桜の木も当時からのものである。


    サイクリングロードから五十公野駅跡を望む
    右の建物は農業倉庫



    元五十公野駅前から元駅方向を望む
    昔駅前にあったと思われる桜の古木が残っている

     サイクリングロードは次の新江口駅の手前まで続いている。

     新江口駅跡付近は若干集落から離れており、周囲は田んぼになるが、その分築堤はほとんど残っている。
    ここからは線路跡の築堤と県道が交差したり並行したりしながら赤谷方面へ向かう。

     米倉駅は小さな集落の中で路盤は残るものの駅舎跡の更地にはススキが覆っていたが、踏切は跡は生活道路になっており、枕木も多数見られる。


    元米倉駅前から駅舎跡を望む

     中々山地区から山内地区までもほぼ完全に築堤が残っている。新山内駅跡付近は県道に並行しており、周囲には小集落があり、築堤はしっかり残っている。


    新山内−赤谷間の路盤跡
    県道と赤谷線を越えてた農業水路が見える

     赤倉車庫前バス停付近には赤谷駅の駅舎は地区の集会所として使われているような感じで残っている。この付近は線路跡を県道の新道にしたような感じで、旧道が民家の間を抜けている。


    旧赤谷駅駅舎
    地区の集会所として使われているようである


    県道(線路跡?)から旧赤谷駅を望む

     この先は若干県道から外れる。そして、しばらく進むと突然右側に加治川の支流である夏井川にかかっていた小さな鉄橋の一部が姿を見せる。


    夏井川を跨ぐ鉄橋

     ここから先の線路跡は県道と交差して左方向へ舗装道路として続いているが、幅はほとんど元の線路跡のままで小型車のすれ違いもままならないようなところである。


    上赤谷の集落の裏を抜ける舗装された線路跡

     舗装された線路跡は上赤谷の集落の裏を抜け、集落を過ぎたところで県道から分かれた市道と合流し、並行しつつ進んでいる。また、一部は線路跡が市道の新道になってるようなところもある。

     そして視界が開けるとそこは東赤谷駅跡である。東赤谷は終点がスイッチバックという珍しい駅であったがその跡はバスの転回場になっていた。もっともバスは一日数本しか来ないようであるが。。。


    東赤谷駅跡
    中央右に見えるのはバス停
    だだっ広い敷地はバスの転回に使われるのみである

     東赤谷駅跡の向こうには赤谷鉱山の施設が残っており、一部操業をしているような雰囲気であった。東赤谷から先はトロッコが残っており市道に並行してトタンに覆われた軌道が続いていた。


    赤谷鉱山のトロッコの車庫
    手前は東赤谷駅のヤード跡と思われ、枕木が残っているところもあった
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