上山田線跡探訪記
沿革
上山田線は1895-04-05に飯塚−臼井間が開業し、1907には上山田まで延長され、やはり石炭を主体とした輸送が行われた。その後、苅田港から石炭を積み出すことを目的に上山田−豊前川崎−油須原間の新線が計画され、1966-03-10に漆生線漆生−下山田間とともに上山田−豊前川崎間が開業し、上山田線は全線開業した。しかし、石炭の時代は終わり、油須原線豊前川崎−油須原間の建設は残り3%というところで凍結された。そして、上山田線も国鉄再建法による第2次廃止対象線区に指定され、全線開業から約22年6ヶ月の1988-09-01に廃止された。
探訪記
漆生線をまわり、嘉穂信号場跡で上山田線と合流してからは豊前川崎方向に向かった。
嘉穂信号場−下山田間は漆生線との二重戸籍区間であったが、下山田から先は上山田線のみの区間である。
上山田駅跡の敷地は一部がバスの車庫になっており、上山田駅から先の線路跡は道路に転換する工事が進んでいた。
しかし、上山田駅跡から800mほど豊前川崎側に来たところにある百ヶ谷踏切跡脇の山田川に掛かる第1山田川橋梁から先は廃線跡がほとんど手付かずのまま残っている。
熊ヶ畑駅付近もほとんど手がつけられてないまま残っており、その先にある上山田線跡の最大の目玉である熊ヶ畑トンネルはレールもバラストもまったくそのままで雑草すら生えておらず、今にも列車が出てきそうな雰囲気であった。

熊ヶ畑トンネル熊ヶ畑側 今にも列車が出てきそうである
トンネルの出口(豊前川崎側)にまわると出口のところで線路が寸断されている。ここから先は線路はないものの築堤はそのまま残っている。

熊ヶ畑トンネル真崎側出口 出口まで線路が敷かれてる

熊ヶ畑トンネル真崎側 線路はトンネル出口で途切れてる
そして、真崎駅跡につくとそこは鉄道公園になっていて、ホームは当時のまま残っていが、線路跡には枕木が無造作に転がっていた。公園の片隅には当時の駅名票をそのまま流用したとおもわれるモニュメントもある。

真崎鉄道公園のモニュメント 駅名票は鉄道営業当時のままのものだろう

真崎鉄道公園 ホーム回りはほとんど未整備
ここから先の線路跡は道路に転換する工事が進んでおり、一部では舗装も終わり開通を待つだけのようなところもあった。
東川崎駅跡周辺の線路跡もほとんど舗装されている。上山田線は日田彦山線を左に見つつ豊前川崎駅に入っていっていたが、舗装された線路跡はその付近まで続いている。
豊前川崎まで来たところでこの日の探訪は終了で、県道と国道201号線で新飯塚へ向かい、宿泊。
翌日は飯塚から上山田線探訪をはじめた。
上山田線は飯塚から筑豊本線原田方向に発車し、しばらく筑豊本線上を走った後、左へカーブしながら筑豊本線と分かれていた。
廃線跡は筑豊本線と分かれた直後から新しい道路になっている。
平恒駅跡はホームが歩道に沿って残っている。平恒駅を過ぎた直後に道路左に炭鉱のレンガづくりの遺構がある。
臼井駅跡はバスの転回場になっており、その脇には消防署があった。
大隈駅跡は西鉄バス西牛隈バス停脇に鉄道公園として整備されており、腕木信号機と3燈式の自動信号機が並んで立っている。

大隈駅跡鉄道公園
腕木式信号機と3燈式信号機以外に昔ここに鉄道があったことを髣髴させるものはなかった
新しい道路はその先で元からあった道路に合流し、その先の線路跡は築堤が残り、ほどなく嘉穂信号場についた。
ここから先は前日に探訪してるので、次の添田線探訪のために添田駅に急いだ。
| 駅名 | 駅の種別 | キロ程 |
| 飯塚 | 旅客駅 | 0.0km |
| 平恒 | 無人駅 | 1.5km |
| 臼井 | 旅客駅 | 7.0km |
| 大隈 | 旅客駅 | 9.6km |
| 嘉穂 | 信号場 | 10.7km |
| 下山田 | 業務委託駅 | 12.4km |
| 上山田 | 旅客駅 | 14.4km |
| 熊ヶ畑 | 無人駅 | 17.4km |
| 真崎 | 無人駅 | 22.1km |
| 東川崎 | 無人駅 | 23.7km |
| 豊前川崎 | 無人駅 | 25.9km |
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