• 日中線跡探訪記

  • 沿革

     日中線は栃木県今市から田島、会津若松を経て米沢に至る野岩羽線計画の一部として建設され、1938-08-18に熱塩まで11.6kmが開通したが、それ以降は建設すら始まることもないまま、日中線の名前の由来となる終点の熱塩の先にある日中温泉まで至ることなく1984-03-31を最後に廃止された。
     一方、今市から会津若松については、今市から新藤原まで東武鉄道、新藤原から会津高原までが野岩鉄道、会津高原から会津若松が会津鉄道(旧国鉄会津線から移管)として開通し、東武浅草から会津若松がレールで結ばれている。
    また、東北の中で国鉄再建法により廃止することになった路線はほとんどが第3セクター、第2セクターに移管されたが、日中線だけはバス転換となり、鉄道として廃止された唯一の路線ということになる。
     日中線は開通後最高でも5往復しか走っておらず、廃止直前は3往復だけで、しかも 日昼は1本の列車も走っていなかった。


  • 探訪記

     前の週の赤谷線に引き続き、この週は日中線をまわることにした。
    米沢から米沢街道国道121号線の大峠新道を越えると以降の国道121号線は計画道路としてとぎれ、道なりに県道に入る。道が平坦になり日中温泉や熱塩温泉への道を左に見ていると、右方向に旧型客車とラッセル車が見えてきて、熱塩温泉郵便局の向かいを入っていけば旧熱塩駅である。

     屋根に特徴のある欧風のモダンな駅舎は廃止間際には荒れ放題だったそうだが、廃止後に日中線記念館として保存されることになり、きれいに整備されて写真などが展示されている。一部は鍵がかけられているが、管理者にお願いすれば見せてもらえるそうである。


    旧熱塩駅舎

     改札を通りホームに出ると右方向の構内の片隅に先程道路から見えたラッセル車(キ287)と旧型客車(オハフ61-2752)が屋根付きで静態保存されている。


    旧熱塩駅構内
    中央右にホームと駅舎、左向こうにラッセル車が見える

     喜多方方向は一部線路跡が舗装され小さな遊歩道のようになっており、踏切跡もあるが、すぐ林が立ちふさがりそこから先の線路跡は見えない。


    遊歩道上に残る踏切跡

     県道を喜多方方面に少し進んで熱塩加納村方面に入ると線路跡は拡張舗装されて道路となっていた。加納の集落付近では元々の県道とほぼ並行に舗装された線路跡が続くが途中からダートになり、ほどなく未整備の築堤になっていた。


    舗装され整備された線路跡
    右の白い建物付近に会津加納駅の駅舎があった

    そこを迂回して若干喜多方方面に進むと、上三宮付近でまた舗装道路になっており、押切川には新しい橋が掛かっていた。


    会津加納−上三宮の舗装された線路跡

    そこを迂回して若干喜多方方面に進むと、上三宮付近でまた舗装道路になっており、押切川には新しい橋が掛かっていた。


    上三宮駅跡
    中央右の古い木造の建物は元国鉄の官舎

     橋を渡ったところからまた、未整備の築堤となる。


    押切川から会津村松までのみ整備の築堤

    さらに進むとダート道になり、会津村松付近から先は日中線記念緑道公園として遊歩道自転車道として整備されている。


    会津村松駅跡
    ここから喜多方駅付近まで日中線記念緑道公園として整備されてる

     この遊歩道の途中には蒸気機関車C11-63や入換用スイッチャーが静態保存され、踏切跡などもあった。


    日中線記念緑道公園内に保存されてるC11
    後ろにはスイッチャーも

     この緑道公園は喜多方駅付近まで続いており、最後の県道をわたるとほどなく喜多方駅構内で緑道公園もとぎれている。


    喜多方駅構内の日中線が分岐する地点(日中線は右方向へ)
    SL時代からの給水塔が見える


    駅名駅の種別キロ程
    喜多方旅客貨物駅0.0km
    会津村松無人駅2.9km
    上三宮無人駅5.0km
    会津加納無人駅8.2km
    熱塩無人駅11.6km


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