• 大畑線(大間鉄道)未成区間探訪記

  • 沿革

     大畑線(現下北交通)は当初大間鉄道と呼ばれ、本州と北海道を結ぶ最短路線として、第1期工事が下北−大畑間で行われ、1939-12-06に開業した。
     続いて大畑−大間間の第2期工事が開始され、風間浦村の桑畑までの路盤が完成したが、太平洋戦争の激化とタイの鉄道建設に資材がまわされたことにより1943年3月に工事が中止され、その後工事が再開されることはなかった。
     この未成区間は工事中止以降、半世紀の時が経過したが、特にコンクリート橋を中心に多くの設備がほとんど手つかずまま、まさに近代の遺跡として残っている。当時鉄は軍事物資として貴重であったため、鉄材の使用量が少なくてすむコンクリート橋が使われたとのことである。


  • 探訪記

     下北鉄道大畑線の終点大畑駅に着いて、まず駅構内を散策した。
    大畑線下北−大畑間は完成後国鉄線として営業が行われていたが、国鉄再建法により第1次廃止対象線区に指定された。その後、下北交通に移管され、廃止を免れている。 下北交通は元々バス会社であり、バス会社が鉄道営業もおこなうことになったというめずらしいケースとなった(もちろん逆は一般的である)。
     大畑駅の大間側は、車両を車庫に入れる(スイッチバックで入る)ため、線路が数10m延びていた。そして車止めの先には民家が建っており、路盤の跡はわからなくなっていた。



    大畑駅 現在は下北交通により営業が行われている



    駅から大間方向には車両の車庫入れのため、数10mレールが敷かれている



    大畑駅構内の大間側の端 車止めの先は民家が建っている


     大畑駅を後にして、予定線跡に沿って大間側に進むとすぐ未成線の路盤が復活し、そこは生活道路に転用されていた。その先はほどなく大畑川にぶつかり、その大間側の対岸には民家と民家の間に大畑線未成線のものとみられる大きな築堤が見つかった。



    生活道路に転用された路盤跡



    写真中央(大畑川の大間側川岸)から築堤が始まっている(大畑川の堤防に直交している)


     国道279号線にまわって橋を大間側に渡り、大畑川岸から始まっていた築堤を辿ろうとしたが、築堤はほどなく国道にぶつかって途切れ、その先に跡らしきものは確認できなかったなかった。



    国道で築堤が途切れている


     さらに国道279号線を大間方向に進み、二枚橋地区に入ると民家の背後に壮大なコンクリートのアーチ橋がそびえていた。ここから先は建設工事が行われた桑畑までの各所でコンクリートのアーチ橋やスルーガーター橋、橋台が見られた。



    連続するアーチ橋



    川を跨ぐアーチ橋


     二枚橋地区から少し大間側にある釣屋浜地区の外れには国道を跨ごうとした橋の橋台のみが残っていた。ここから大間側には築堤が続いていた。



    道路を跨ぐ橋の橋台と築堤はそのまま


     ここから先は地形の険しい木野部峠になっており、国道は険しい山道をしばらくワインディングロードになっている。未成線はこのあたりを1000mを超す赤川トンネルでぬけており、戦後しばらくそのトンネルは道路として使われていたそうだが、今はトンネル出口から木野部地区までの間で土砂崩壊がおき、近づくこともできないそうである。
     峠を越えると再び各所で未成線の遺構が見られた。
     赤川地区の外れにある国道の小赤川橋のとなりには作りかけのアーチ橋があった。



    小赤川橋 このようなコンクリート橋や橋台が随所に残る


     下風呂温泉付近は500mに渡って築堤とアーチ橋が残っていた。下風呂温泉の中心部には駅用地があり、そこには公民館、駐車場、通路があった。
     そこから大間側の民家の背後に13連続のアーチ橋があった。



    看板の後ろの橋は通路になっており、ガードレールも付いている



    橋の上にあがると、手前が歩道、先には駐車場、その先には公民館がある
    公民館前、白い車の後ろの小屋はホームから降りる階段になるものだったという



    国道から連続アーチ橋を望む


     ここから桑畑地区までも所々にコンクリートの遺構が見られ、桑畑地区には民家の軒先みたいになっているとろもあり、物干しが置いてあり、洗濯物が干されていたりと、庭の一部になっているようなところもあった。



    民家の物干場などに利用されているコンクリートスルー橋


     工事はこの桑畑あたりまでの路盤が完成したところで中止されたとのことである。


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