1944-07-01に全通した清水港線は1981年、国鉄再建法により第1次廃止対象線区に指定され、1984-03-31を最後に廃止された。廃止直前の旅客列車は朝下り1本、夕方上り1本のの1往復だけであった。
1994-09-05、廃止から10年余りが過ぎたこの日は、前日の静岡大学での物理学会のちばにとって初めての発表を終えて、仙台への帰路につく日であったが、「いい旅チャレンジ20,000km」で踏破の前に廃止された清水港線の現在の姿を確かめるべく、まず清水駅に向かった。
当時の清水港線のホームは東海道本線のホームと離れており、ヤードの片隅にあったという。同様のホームは北海道の砂川駅での上砂川支線のホームや留萌駅での羽幌線ホームを思い浮かべるがいずれも既に廃止されている。
この情報を元に清水駅の裏に向かったがそこバスの転回場となっており、当時の面影を忍ぶことはできなかった。
そして、そこから三保に向かうと県道がオーバークロスしておりそこの脇を線路跡らしきものがあり、車が多数駐車されていた。この辺が清水港駅があったらしい。
清水みなと郵便局付近から再び港側に入るとそこは臨海公園になっており、清水埠頭駅跡にはホームが残り、港湾荷役設備のテルファーが残っている。
ここから巴川口までは工場の間をぬってほとんど未整備の小道が続いており、無造作に車が止まっているところも多かった。
そして、巴川口直前の巴川には当時清水港線最大の見物、巴川可動橋が掛かっていたが既に撤去されている。同じ可動橋のあった佐賀線の筑後川橋梁は現在も遊歩道として残っている。
巴川駅跡付近から先はしばらく国道150号線と並行している。また、線路跡は三保駅跡まで線路跡を整備した歩行者自転車専用道路となっていた。
宮加三地区付近の道路がわずかに左へカーブしているところにはレールが残り、入換用のスイッチャー、旧型客車、静岡鉄道で使われていた電車が静態保存されており、腕木信号もあった。
折戸の手前で並行する道路は国道150号と分かれて、左方向に折れて県道になり、アパート群が見えるとそこは折戸駅跡である。ここも公園になっており、駅の説明を記した看板があった。ちなみに清水港線の乗客のほとんどはこの折戸付近にある東海大学付属工業高校の学生だったという。
ここから先は住宅の庭先のようなところが続き、ほどなく終点の三保駅跡に着く。ここも公園として整備されており、ホームが残り、貨車のタキ8453(タンク車)と入換用スイッチャーが保存されている。
| 駅名 | 駅の種別 | キロ程 |
| 清水 | 旅客貨物駅 | 0.0km |
| 清水港 | 貨物駅 | 1.4km |
| 清水埠頭 | 無人駅 | 2.3km |
| 巴川口 | 無人駅 | 3.3km |
| 折戸 | 無人駅 | 6.1km |
| 三保 | 旅客貨物駅 | 8.3km |