• 漆生線跡探訪記

  • 沿革

     漆生線は1913-08-20に下鴨生−漆生間が開業し、やはり石炭を中心とした輸送が行われた。その後、石炭産業も斜陽化した1966-03-10に漆生−下山田間が開業したが、昭和57年11月に国鉄再建法による第2次廃止対象線区の申請が出され、昭和59年3月31日に承認された。そして、全線開業から約20年の1986-04-01に廃止された。


  • 探訪記

     後藤寺線の下鴨生駅の若干上三緒駅側の真上を横切る三菱専用線跡を見学した後、下鴨生駅に向かった。
     漆生線は田川後藤寺方向に発車した後、すぐ後藤寺線と分かれ、右方向に外れていっていた。線路跡は道路の拡張のための敷地に使われたようでほとんどわからなくなっている。

     鴨生駅跡の広い構内は整備されて公園になっており、駅名票、踏切、車輪もある。もっとも駅名票は当時の物ではなく後に作られたもので漆生線の説明が付いており、平成6年12月に稲築町によって整備されたとある。また、山側には運炭施設の跡もあり、山の方には炭鉱跡もある。



    鴨生駅跡公園にある駅名票
    山側には運炭施設の跡もある



    公園内の砂利敷の通路が線路跡にあたる


     鴨生−漆生間は多くのところで築堤が残っており、山田川を渡る鉄橋の上には線路もそのまま残っている。



    山田川橋梁



    橋梁上のみ線路が残る



    山田川橋梁から漆生方面を望む
    道路に並行して築堤が残る


     漆生駅跡は旧道に並行して新しい道路を作っている最中であった。

     漆生−才田間はすでに線路跡の敷地が道路になっている。

     急な左カーブがあり、その先の道が急に狭くなって上り坂になったと思ったら、そのカーブの正面に才田駅跡があった。線路こそないもののホームがそのまま残り、ホーム上には屋根付きのベンチが当時のまま残っている。ここから先は未整備の築堤が続いている。



    才田駅跡から漆生方面を望む
    線路跡は新道になっている。



    才田駅跡 ホームと屋根付きのベンチも残る



    才田駅跡から下山田(嘉穂)方面を望む
    ここから嘉穂信号場は廃線後の変化は少ない


     嘉穂信号場は飯塚から来る上山田線と合流していたが、今でもここで築堤が合流する様子がはっきりわかり、信号場跡の詰所や電柱がそのまま放置されて草が伸び放題になっている。レールは撤去されていたものの信号場の下山田よりにある踏切跡の部分だけレールが残っている。



    正面やや左方向が上山田線大隈方面
    右の林に添ってカーブしてるのが漆生線才田方面
    信号場は後方



    嘉穂信号場詰所 枯れ草、ツタに覆われてる



    嘉穂信号場付近築堤上
    両脇の電柱は信号場の照明用と鉄道通信用のものと思われる



    嘉穂信号場からやや下山田側の踏切跡 線路が残る


     この嘉穂信号場と下山田の間は漆生線と上山田線の二重戸籍区間であった。

     ここから下山田方向に若干行ったところで山田市と嘉穂町の境の小さな峠付近で道路が線路跡をオーバークロスするところがあるがそこには信号機が残っている。その付近から下山田までの線路跡は道路にする工事が進んでいた。



    山田市と嘉穂町の境付近の切り通し 信号機が残る
    ここより下山田(後方)の線路跡は新道にする工事が進んでいた


     下山田駅跡の敷地はアパートの前の駐車場になっていた。


    駅名駅の種別キロ程
    下鴨生無人駅0.0km
    鴨生旅客駅1.2km
    漆生業務委託駅3.6km
    才田無人駅5.1km
    嘉穂信号場6.2km
    下山田業務委託駅7.9km


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