はんだ山車まつり

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2002年10月5日(土)、6日(日)

秋空に勇む この町の風雅     <第5回はんだ山車まつり>

以下の文章は、第5回はんだ山車まつり実行委員会発行の公式パンフレットを参考にしました。

 第一回はんだ山車まつりは1979年5月5日、半田青年会議所を中心に、31組の山車組の理解と協力を得て31輛の山車が勢揃いし開催された。
 以来、半田山車祭り保存会が結成され、文化財保存修理補助制度も充実された。
 第二回はんだ山車まつりが1987年に半田市政50周年を記念して開催され、今後5年に一度開催することが決められた。 

 
 日本で最初に、山車が祭りに現れたのは、京都祇園御霊会であるとされる。御霊会とは、疫神または死者の怨霊を鎮めなだめるための行事である。「山車」(だし)とは、折口信夫によれば、「神の依代である松などの木を高所に付きだし、先の部分を<山車>・下の部分を<鉾(ほこ)>・木の元の所を<山>とし、江戸の山車は旗竿の頭の飾り物が非常に発達したため、全体を山車としたろう。」と述べている。半田では、「山車」のことを、「やま」「おくるま」「やまぐるま」などと呼称し、一般に「だし」と呼称するようになったのは、「はんだ山車まつり」がはじまってからである。
半田の山車祭礼は、毎年3月下旬から5月上旬にかけて10地区総数31輛の山車曳きと各地区の氏神への奉納行事を中心に行われる。
 半田の山車祭礼において、神の依代である山車を曳く意味は、二形態に大別することができる。
 一形態は、遷御のため渡御する御神興(御霊)を山車が警固(警護)することである。つまり、地区内にある二カ所の神社(亀崎「神前神社」「尾張三社」・乙川「八幡社」「若宮社」・下半田「業葉神社」「山之神社」)を御神興(御霊)が遷御のため渡御する。その後を遷御先の神社の地区の山車を先頭に総ての山車が御神興(御霊)を警固していく。亀崎では、御神興(御霊)が渡御する道筋に注連縄(しめなわ)を張り、尾張三社へ向かうときは、西組花王車、神前神社に向かうときは東組宮本車を先頭に御神興(御霊)を警固する。
 もう一形態は、はじめ各山車組の町内を単独で山車曳きした後、地区内総ての山車が神社に集合し、からくり・神楽などの奉納とともに神事を行う。そして宮本車を先頭に地区内の末社や社を廻り、神楽やからくりを奉納する。半田の場合この形態で祭礼をおこなっている地区が多い。
 半田の山車祭礼は、江戸時代から各地区の氏神への神事を中心におこなわれてきた。これからもこの伝統を後世に伝えていかなければならない。
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山車1
山車2
山車3
 31輛すべての山車を紹介することは残念ながらできませんが、いくつか紹介します。
山車4
山車5
山車6
山車7
山車8
唐子車(上半田:北組)
大正12年建造
宮本車(乙川:浅井組)
安政6年(1859年)建造
南車(成岩:南組)
江戸時代末期建造
ちんとろ船(上半田)
住吉丸と入宮丸
凝った刺繍でいなせなお兄さん
山車9
山車10
山車11
山車12
山車13
先頭で塩をまいている
山車14
山車15
山車16
山車17
山車18
からくり 彫刻がすごく凝っている