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<知多地区WEB管理者よりのお知らせ>このコーナーを楽しんでいただいている皆さんへビッグニュース! 新しい登山専門のホームページを開設しました。 その名も 『のんびり兎の山登り』 http://usagi.la.coocan.jp/ 従来、このページで「ちょっと休憩にお立ち寄りを」と、管理者が個人的な趣味を勝手に掲載していましたが、もっとたくさんの写真と記事を載せたい。さらに、山行記だけでなく、登山に関する随想や情報なども載せていきたいと常々思っていました。その思いを実現するために、新サイトをたちあげたのです。 ぜひとも一度訪問してください。掲示板もありますので、登山に関する意見交換や交流もできます。 なお、以後、このページは更新しませんので、新しい山行記や記事は上記「のんびり兎の山登り」をご覧ください。また、この知多地区WEBからは、この登山に関するページのすべてを来年1月頃に全面的に削除する予定です。 (2008年9月27日) |
| ◆2008年8月 北アルプス:野口五郎岳(2924m)・水晶岳(2986m) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ◎七倉駐車場にテントで前夜泊 12時前には到着してと思ったが、結局午前2時に七倉に着いて車の横にテントを張るが、ほとんど寝れないまま5時になる。すでにタクシー乗り場には並んでおり、午前5時半にスタートとのこと。 登山届けを出しに登山指導所に行くと、京都弁のおっさんが指導員と言い合っている。「だめですかねえ、なんとかならんですかねえ」「だめです。伊藤新道は廃道です。こんな所は下山道にはなりません。絶対帰られなくなります。」「そうですかねえ、一応調べてきたんですけどねえ」「道なんかありません。絶対認められません。」・・・その人は、山慣れした馬力のありそうな60代前半に見える人。 伊藤新道というのは、北鎌尾根や、今回私が下山に使った竹村新道と同じ湯俣温泉を登山口とし、湯俣川をしばらく遡行し、鷲羽岳からおりる尾根にとりついて、三俣山荘に上がる登山道だ。湯俣川が氾濫するたびにかけられた橋や、川をへつる道などが落ち、ついに廃道になって久しい。 その人があきらめて行ったあと、私が登山届けを出すと、「雲ノ平から竹村新道下山ですか。かなり時間かかりますよ。場合によってはルート変更の判断をしてください」と言われた。 ◎ブナ立尾根は登りやすい。「伊藤新道のおっさん」と休憩の時しばしば会う ブナ立尾根の登山口は12番。烏帽子小屋の0番まで、100mごとに番号が付けられて標高差1300mあまりを登る「日本三大急登」の一つと言われるが、下山に使った竹村新道の標高差1400mの方がはるかに大変だと思う。 途中の休憩で、「伊藤新道のおっさん」としばしばいっしょになる。その人は、テント泊装備の大きなザックに、さらに布製の手提げ袋を二つも持っていて、その中からカップラーメンなどが顔を出している。その袋には、なんと「全建総連=京建労」のネームが大きく書かれている。休憩のたびに大声でおもしろい話をする。「夫婦で登るなんてのもありますが、いいですよねえ。私んとこなんか、昔はいっしょに登ってくれたけど、いまはもう付いてきてくれやしまへんなあ。だからね、写真撮ってきて、スライドショーなんていってホームページに載っけてね、一人で喜んでるんですよ。」と言っていた。アドレスを聞いておけばよかった。 伊藤新道はまだ未練があったようで、「伊藤新道を下山すると指導所で言ったら、えらくおこられました。ホームページでもいくつか伊藤新道を下りたという報告があったもんで、ほら、こうして調べてきたんですよ」と、プリントアウトした伊藤新道下山のホームページの記事を私に見せる。 伊藤新道は私も興味があって、いくつかのホームページの記述を見たが、やはりほとんど全員ルートを失うことは間違いなく、しかも湯俣川に下りてからも遡行はきわめて大変なようだ。そういう話をしていたら、ついに「やっぱりそうですかねえ。いやあ、だから、ここで決めました。やっぱりやめます。渓流シューズも車に置いてきたし」とふんぎりをつけたようだ。 もう一人、しばしば休憩の時に出会ったのが、大きくて重そうなカメラザックをかついだ人。目であいさつするが、いつも離れ た所にポツンと黙って座っている。私と京建労のおっさんがお笑いのやりとりをやっていても、黙って聞いている。ひょんなことで野口五郎小屋でこの人の名前を知ったが、ここでは写真家Uさんとしておこう。こうして、6時間を超えて烏帽子小屋に到着。朝は晴れていたが、この頃はすっぽりとガスに包まれて、寒いくらいに冷える。幕営の手続きをして、テン場へ行くと、もうすっかりいっぱいで、一番下の池の畔の平地にようやく張ることができた。 高校の山岳会らしい大きなテントが2つあって、大鍋でご飯を炊いていたが、最近は、若い人も山で見かけるようになった。特に、沢登りや山スキーなどがきっかけで若い人が山に登り出しているのではないだろうか。10数年前までは、ほとんど若者の姿はみることはなく、文字通り「中高年」が圧倒的だったような気がする。 テン場を小屋に水をもらいに行ったりして上がったり下がったりしている間に、急に右膝が痛くなった。これはピンチだ。昨夜はほとんと寝ていないので、シュラフに入ったらすっかり寝入ってしまい、朝起きるまで意識不明だった。 ◎写真家Uさんとつかず離れず野口五郎小屋へ 朝、テン場を出る時は、膝は痛くなかった。相変わらず稜線はガスの中だが、わずかに餓鬼岳方面のみ展望がきき、高瀬ダムが下に見えた。三ツ岳に登っていくと、写真家Uさんが三脚を広げて構えているが、あまりうまい構図ではなさそうで、さえない顔をして冷たい風が吹く中を突っ立っていた。ここは去年も来たが、コマクサの大群落は、今年は花期が終わっていて、元気な形のいいのはほとんどなかった。やがてまた、右膝に違和感を感じ始めた。本当は、今日は一気に雲ノ平まで行って、雲ノ平にテントを張って、翌日、北アルプスで唯ニ登り残している鷲羽岳と水晶岳を登って雲ノ平に戻り連泊してから、竹村新道を下山するつもりだった。 しかし、この膝の様子では、とても雲ノ平まで行けそうにない。3年前までは野口五郎小屋に幕営ができたのだが、「風が強くて危険」ということが理由で、今は幕営禁止になっている。これがこの山域の最大の不便さなのだ。烏帽子小屋のテン場を出たら、あとは雲ノ平か三俣山荘の所まで行かないと幕営できないのだ。これはいささか長い。 何時になってもよいから雲ノ平まで行くか、野口五郎小屋に小屋泊するか、東沢乗越あたりにビバーグしてしまうか。この3択を、歩きながら頭の中で考える。小屋は、一枚の布団に2人、3人となるのが、私にとって一番いやなことだ。 やがて野口五郎小屋に着き、写真家Uさんもその後到着。「混みますか」と小屋の人に聞いたら「だいじょうぶでしょう」と言うので、小屋泊にする。まだ朝の10時だった。 烏帽子小屋から来て、まだ朝の早い内に野口五郎小屋に入ったのは、他には写真家Uさんと、もう一人60代だがまだ引退していないおじさん。このおじさんは「私は、3時間歩いて次の小屋があったらすぐに泊まることにしています」と言っていた。なるほど割り切れば、こんな山行も結構いいかもしれない。 時間がありあまるほどあるが、写真家Uさんと、このおじさんとたっぷり話をする。 写真家Uさんは、南アルプスがもっぱらのゲレンデで、北アルプスはたまに来るとのこと。冬の聖岳(南アルプス)を撮影するため、秋に燃料・食料等を荷揚げしておいてデポしておき、真冬にラッセルして登って、何日も待機して撮影するとか。ただ、プロではなく、まだ仕事は現役らしい。 白籏史郎賞には以前よく応募していたと言い、今年のアルパインカレンダーの中に自分の写真が4枚使われていると言っていた。私と同じ髪が真っ白だが、顔だけを見ると50代半ばという感じで、年もほぼ私と同じだろう。雰囲気がにているものだから、もう一人のおじさんが私と写真家Uさんをまったく勘違いしてしゃべっている場面も最初あった。私の方は、この機会にこそとばかり、写真のことについていろいろ教えてもらった。 この日は最後までガスの中で、4時頃には小屋の外では雷鳴もとどろき、雨も降った。 ◎空荷で水晶岳往復 さて、翌朝。膝はどうかというとまったくなんともない。ラッキー。相変わらずガスの中で、見晴らしはいっさいなし。 野口五郎小屋で一泊してしまった以上、もはや一番奥にある雲ノ平や三俣山荘まで行ってしまったら、七倉の車の所へ下山する算段に困ることになる。また、水晶小屋に泊まるというのは地理的には一番いいのだが、名うての混雑する小屋。重要な地点にたっている小屋なのに、幕営禁止で、しかも増設したとは言ってもこのあたりでは一番小さい小屋で、布団一枚に3人は常識。したがって、おのずと野口五郎小屋に連泊して、翌日に竹村新道を下山するというのが、いまの私の体力にはちょうどいい。 そこで、水晶岳を空荷で往復することに。写真家Uさんは、小屋の衛星テレビの天気予報ではずっと天気が悪いということで、残念そうに竹村新道を下山していった。60代のおじさんも、「ごいっしょさせてください」といっしょに下りていくことに。たしかにこの日は天気は悪く、ずっとガスの中だったが、実は翌日、劇的な快晴が半日だけ訪れた。私は、その恩恵を受けてたくさんの槍ヶ岳の写真を写すことができた。 野口五郎岳の頂上に行くと、ちょうど写真家Uさんたち二人がいた。「おげんきで」とあいさつをかわしてわかれる。視界は10mもない深いガス。
東沢乗越には、20歳前後の若い人と30歳近い人が沢登りの装備を登山装備に変えていた。「東沢の沢登りですか。えらく早く登ってきたのですね」と聞いたら、「ええ。沢の途中でビバーグして、朝早く登ってきました」と言う。 この東沢というのは、黒部ダム湖に黒部川が流れ込む直前で、黒部川本流から派生している支流だ。沢登りで有名な上廊下もこの支流との分岐点から始まる。「上廊下と東沢ではどちらが難しいですか」と聞いたら、「そりゃ、こっちの方が初心者むけですよ」と言っていたが、それでも結構、通常の装備では難しいものだと以前何かで読んだ記憶があるが。 東沢乗越と水晶小屋の間は、距離的には野口五郎小屋との間より短いのだが、ナイフリッジの状態で、しかも岩場が多く、岩場のきびしい上り下りを繰り返す。そして、最後にひと登りすると水晶小屋に出る。そこから先水晶岳の方も、岩苔乗越・雲ノ平・鷲羽岳方面の展望もすべて深いガスの中だった。
野口五郎小屋の夕食の連泊メニューは、メインは天ぷらで変わらなかったが、おでんの皿が一つ増え、果物でメロンがついた。 ◎竹村新道は、本当に長かった 昨日は、空荷で水晶往復のため、ゆっくり小屋を出たが、いよいよ本日は竹村新道。朝ご飯をすませてただちに出発。 やはり天気はガスガス。野口五郎岳へ登り、真砂岳のトラバース道へ。ここで、せっかく来たのだから真砂岳の頂上も踏んでおこうと、「頂上10分」の標識の所から登る。あまり登る人もいないのだろう、踏み跡の薄い道を上って頂上にあがると、なんとガスが晴れだして北鎌尾根がはっきりと見られるではないか。さらに、少し立ちつくしていると、・・・ああっ・・・見える 槍ヶ岳の穂先がガスの切れ間からヌッと突きだしている。 それは、ものすごい迫力だった。こちらの方から見る槍ヶ岳は、硫黄尾根の赤茶けたおどろおどろしい尾根を手前下にひかえ、千丈沢から1000m以上の高度差を持って穂先まで一気に突き上げる姿を見せる。槍沢や飛騨沢方面から見る槍ヶ岳は、すぐ横に大喰岳、中岳、南岳とあまり変わらない高度で並ぶために、突出した高度感は得にくい。いま目の前にある槍ヶ岳は、荒々しい北鎌尾根を従え、千丈沢の上に独立峰のような孤高の美しさを持ってスックと立つ。 やがてガスはどんどんとれていき、野口五郎岳が、水晶岳が、大天井岳が、そして最後に鷲羽岳とワリモ岳が顔を出してきた。槍ヶ岳の後ろには、奥穂高岳・ロバの耳・ジャンダルムまではっきりと見える。下に、これらの写真ををまとめて紹介。 真砂岳の頂上は、すべての山々の中心にある絶好の展望台であった。ここに、私は1時間30分もいた。 ようやく満足して下山に。真砂岳の頂上から竹村新道に下りる踏み跡もあった。 南真砂岳へは単調でゆるやかな登り。南真砂岳からの下りは、崩落した尾根で少し緊張するが、ある程度整備された登山道で問題はなし。長くて急坂なため、下山ルートに使われるのが多いこの竹村新道を、登ってくる人とこのあたりで出くわす。午前9時すぎだ。女性も3人いるパーティーに何時に出発しましたかと聞くと「朝、5時です」と言う。「えらくペースいいですねえ。正念場は過ぎたからもう少しですよ」と言うと喜んでいた。 湯俣岳への登り返しあたりから相当バテてきた。上りも下りも歩く登山者の少ないルートだが、30才前後のカップルに追い抜かれた。テント泊装備の重荷で、女性はきゃしゃな感じの人なのだが、えらく早いペースでズンズンと登っていく。湯俣岳頂上は樹林に囲まれているが、樹の間から北鎌尾根の独標が見えるが、この段階では槍ヶ岳の穂先はガスの中だった。
膝が痛いと下りは苦労するが、なんともない。ただひたすら下り、下り・・・。見晴らしのない樹林帯の中の単調な下りなので、100歩ごとに高度計を見て励みにする。1000m台になると少し元気になる。そして、1640mの展望台。展望台と言っても、この段階ではすでに曇り。いまにも降りそうな真っ黒な雲になる。 すぐ下に河原が見えるのだが、なかなか着かないともどかしく思う間に、青嵐荘に着いた。そしてその瞬間から雨が降り出した。すべりこみセーフ。すぐにテントを張る。青嵐荘前の露天風呂に湯俣岳の上りで追い抜いていった30才前後のカップルが仲良く浸かっていた。雨が降り出したが、私がウロチョロしていては露天を出るわけにいかないだろうと思い、私も青嵐荘の内湯に入りに行った。 青嵐荘の内湯は500円。5人も入ればいっぱいになる。しかし、90度以上の熱い湯がかけながし。山から下りてきてさっぱりした身体でシュラフに入れるのは本当にありがたい。 風呂をあがってロビーに行ったら、支配人が「雨が強くなって、沢が濁りますので水を止めます。みなさん今の内に水筒に水を入れておいてください。」と大声をあげている。私も、すぐにテントに戻って、水筒に水をくんだ。 青嵐荘の前の露天風呂は、浅くてぬるい。あまり深く掘ると、河原なので水が湧いてくるのだ。 ◎噴湯丘を見物し、のんびり高瀬ダムまで歩く 朝はゆっくり起きる。そして、噴湯丘を見に行く。標識には北鎌尾根とともに、廃道となった「伊藤新道」もいまだに残されている。「地獄」と言われる一帯は硫黄臭がたちこめ、河原のあちこちで湯気をたてたチンチンに熱い湯が足下を流れる。3人組の登山者が、露天風呂を一生懸命つくっていた。河原のあちこちに露天風呂らしいものがつくられているが、沸騰していてとても入れないか、水が流れ込みすぎて冷たすぎるかのどちらかだが、彼らのつくっているのは、どうやら調合がうまくいくようになったらしく、足をつっこんで「ちょうどいいですよ」と今にも裸になって入りそうな喜びようだ。 青嵐荘に戻ってテントを撤収し、高瀬ダムへむけてテクテク歩く。最初は左に高瀬川を見ながらの水平の登山道。日射しが樹林でさえぎられて気持ちいい。名無避難小屋で休憩。小屋に入って古いノートを見ていたら、尾張旭市の27歳という単独行の男性が、「1985年2月7日、ラッセルをしてようやくこの小屋に入った。これから北鎌尾根にあがり、槍ヶ岳から北穂、奥穂を経て西穂高まで20日間かけて縦走します」とあった。やれやれ、昔の加藤文太郎と同じことをやろうとしているすごい人もいるものだと驚く。 この小屋をすぎるとやがて水平の登山道は林道になり、左手には高瀬ダムの美しい湖面を見ながら歩く。そして、長いトンネルを二つ抜けると高瀬ダム。およそ4時間かけて歩いた。 タクシーで車の置いてある七倉駐車場へ戻り、七倉山荘のお風呂に入って今回の山行はおしまい。こちら方面の山に来た時は大町温泉郷にはいるのだが、そこは観光客でいっぱいだ。ここは、5人も入ったらいっぱいになるお風呂だが、源泉かけながしで、誰もはいっていないので、しばらく水をうめないことには入れず、一人でゆったりと入った。 【追記】上記文中の写真家Uさんのアルパインカレンダーがネット上で発見できました。 「山と渓谷社」発行の『アルパインカレンダー 2008』のネット販売の見本の写真の中に、宇田川哲夫名で紹介されています。すぐ上の下線の付いたリンクをクリックするとそのページが出ます。 【追追記】 驚いた!! さらに宇田川さんの写真がないか「人名検索」をしたら、某大手電機メーカー系列の内視鏡部門の会社の代表取締役社長で名前がいっぱい出ている。「そんなことないだろう」と思いながらためしにクリックしてみたら、写真がバンッと出て、あの写真家Uさんそのものではないか。 こんなことってあるんだよねえ。山って。 また、ネットっていうのもこういうことがあるんだよねえ。この記事も、まさか今回の山行がお忍びだったら迷惑をかけてしまうかもしれないと思いながら書いてますけど。
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| ◆2008年5月 北アルプス:大ノマ岳(2662m)、抜戸岳(2813m) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 快晴の日の間に、一日真冬が戻る北アルプスのきびしさ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| いやはや、やはり笠ヶ岳は遠かった。 2004年5月の穴毛谷本谷をつめるルートと、2005年5月の穴毛谷第三尾根をあがるルートに続いて、今回三度目の5月の笠ヶ岳だが、やはり到達できなかった。思いきって突っ込む覚悟でやれば到達するのだろうけど、天候だけに責任を負わせるわけにいかない自分の体力不足を率直に認めなければならない。 本当は、穴毛谷を使いたかった。あんなすばらしい所はないと思っている。笠ヶ岳に直登に近いルートであり、本谷をつめれば穴毛大滝があって、そこを登り切ると広大な雪原の杓子平などすばらしい。本谷には、一の沢から二の沢、三の沢、四の沢、五の沢が落ち、そして第一尾根、第二尾根、第三尾根、第四尾根、第五尾根がそれに並ぶ。それぞれバリエーションルートとして登られており、特に第一尾根はクリヤの頭に突き上げ、第四尾根も直接笠ヶ岳頂上に突き上げる第一級の岸壁ルートだ。第三尾根は、05年5月に私自身が登って紹介しているとおり。いずれも大変魅力のあるルートだが、登れる期間は極めて短い。5月も後半になれば穴毛谷を深く覆っている雪も溶け、穴毛谷の入口で渡渉に難航する。4月より前は、雪崩の巣であり自殺しにいくようなもの。 しかし、やはり穴毛谷は魅力があり、今回、一の沢から登れないものかと少し考えてみた。だがやっぱり06年4月中旬に起きた穴毛谷の大雪崩の遭難が気になる。4人の山スキーヤーが飲み込まれた。もっとも雪崩れやすいのが一の沢と二の沢なのだ。さらに2000年3月にも大雪崩で砂防工事関係者が死んでいる。5月ならいいかと言えば、06年5月始めに針ノ木雪渓で雪崩が起き3人の山スキーヤーが飲み込まれた。 そういうことで、今回はおとなしく秩父沢をつめて行くことにするが、ロングルートとなる。しかし、穴毛谷に入らなかったのは正解だった。5日の大雨とその夜の積雪が影響したのか、6日に下山する時左俣林道から穴毛谷を見上げると、一の沢と二の沢に新しい土崩れの跡が大きく流れて、明らかに雪崩れた様相をしていた。 3日は快晴。夜中に車を走らせ新穂高温泉から左俣林道をわさび平、秩父沢と入る。大ノマ乗越へ直接上りつめるか、夏道どおりに鏡平に幕営してから弓折岳にあがり、稜線を笠ヶ岳へ縦走するか迷いながら登っていく。ジリジリと日に焼かれて熱い。そして例のとおり眠く、最初から疲れている。 大半の山スキーヤーや登山者は鏡平へ登って双六方面へ向かうようで、大ノマ乗越へ向かう人はわずかだ。大ノマ乗越へむかう斜面はそんなに雪崩などの心配はなさそうだし、空は快晴。鏡平へのルートを右に見送って、大ノマ乗越へ向かう。一気に大ノマ乗越へ上がってしまうこともできたが、さらに大ノマ岳を越えて秩父平まで行くことを考えるともうしんどくなってしまって、あっさり秩父沢のど真ん中で、支沢の雪崩ルートを避けて早々に幕営。 翌朝も快晴。乗鞍に朝陽があたってきれいにそびえている。槍穂連峰も目の前に広がる。大ノマ乗越には、見た目ほど難儀なく登ってしまう。一度だけ、弓折岳から秩父沢に下りる支沢から小雪崩が起きた。埋まってしまうほどのものではないが、直撃されれば確実に足をすくわれて滑り落ちる程度のものだ。 そこから大ノマ岳にまず登頂。360度の大展望。あまりに景色が良すぎて、しかも太陽は頭の上のために、槍穂連峰もベタッとした感じで迫力がない。これからむかう笠ヶ岳への稜線を見ると、まず秩父平から秩父岩の頭に登る所がえらくきびしく見える。やがて単独の男性が来た。その人も、「えらくきびしい所をあがるんだなあ」と言う。 その男性は、「積雪期の山は初めてなんです」と言っていた。初めてにしてはいきなりきびしい山域を選んだものだと思ったが、さらに驚いたのは、履いているアイゼンは6本爪の軽アイゼンだった。持っているピッケルは真新しかった。 そこから少し下って、秩父平に幕営する。ただ、雪が腐っていて、まさに地雷原を歩いているようなもの。一歩ごとに腰までもぐりこんでどうにも体力を消耗する。男性は、今日中に秩父岩の上まで出たいと言っていたが、結局彼も「こんな所で体力消耗していては話にならん」と言って、秩父平に幕営した。 さらにその後、女性も2人ほど入った若い人から中年までの7人パーティーが来て幕営した。若い女性が目の前で腰までもぐりこみ、仲間にようやく掘り出してもらっていた。 こうして、翌日笠ヶ岳にむかったのは、これだけの登山者だけだった。 天気予報は、5日は全国的に雨の予報だった。朝起きると、どんよりとした雲で暗い。テントのペグを埋め直してアタックザックで出発する。単独の男性も、7人パーティーも先に出発していた。 秩父岩の上にあがる斜面は見たほどのことはなくあっけなく登り、秩父岩の頭にむかう途中に雨が降り出した。そして視界は10mしかない。まったくなにもわからない。ただ踏み跡だけを頼りに登る。 秩父岩を過ぎて、抜戸岳へむかう。ここらへんから上り下りの差が少ないルートとなり、テンポが速まる。天候が良ければ稜線漫歩というやつだろうが、今は目の前の岩も見えない。そしてやがて雨の量が多くなり、強風がカッパのフードを引きはがす。 抜戸岳の手前で、7人パーティーが帰ってくるのにでくわす。この時間では、せいぜい抜戸岳の先に少し行った程度で戻ったみたいだ。リーダー格の先頭の男性が、「笠ヶ岳頂上から下山するルートはありますか」と聞く。 戻ってきているのに変なことを聞く人だなあと思ったが、「笠ヶ岳まで行ったら、下山できるのはヒロサコ尾根ルートしかないが、雷鳥岩を超えるためにはきびしいトラバースがありますよ。雷鳥岩・クリヤの頭を越えてから一の沢に下りる手もありますが、雪崩が心配です。抜戸岳から杓子平に下りて穴毛谷の本谷を下るのもありますが、雪崩の恐れさえなければ、快適で安全なルートです。ただし、このガスでは、ルートを発見するのは難儀です」と答えた。 そしたら、「笠新道は下りれませんか」と聞くので、「それはダメです。笠新道のルートが発見できませんし、杓子平から笠新道に下りる所は巨大な雪庇がありますし、その下の斜面も極めて急な斜面で危険です」と答えた。最後に「秩父沢は下りれますか」と聞くので、「秩父沢なら楽勝ですよ。大ノマ乗越から下りても危険はありません。ただ、小雪崩が支沢から落ちてくる時がありますから気をつけてください。」と言ったら、「よおし!、大ノマ乗越めざしまあす」と大声で他のメンバーに告げて戻っていった。 抜戸岳の頂上を過ぎて、しばらく行った所で休憩。きびしい風雨が吹き付けて休んでいるどころではない。ガスでなにも見えない。あの男性は笠ヶ岳に向かって歩いているのだろう。と思いながら、迷うことなくテント場へ戻ることにする。 やれやれ、今回も笠ヶ岳の頂上には至らずか・・・と。 帰りはのんびり行く。雷鳥のつがいに3組も出くわした。彼らは人間を恐れない。3m先をヒョコヒョコと踏み跡どおりに私の先を歩いていくので、いつまでもそばにいる。しかし、絶対3m以内には入れてくれない。オスは半分ほど黒い夏毛に生え替わっているが、メスはまだ大半が白い羽毛だ。 テント場にはお昼前に戻ってしまった。しかし、これが正解だった。この後、ズーッと切れ目なく激しい大雨と強風になった。これは夜までずっと続いた。よくこれだけふるものだと感心するほど降った。あの男性はどうしただろう。いまごろ笠ヶ岳山荘の避難小屋に入っているのだろうか。この後、その男性も戻ってこなかったし、誰一人秩父平には入ってこなかった。 雨は、夜半に雪になった。テントが押されてくるので、押しかえしたら、降った雨と雪が凍り付いて、バリバリという音がする。真冬と同じ状況だ。北アルプスの厳しさを垣間見る。下山した時に日帰り登山の人に聞いたら、この日新穂高温泉は気温1度だったと言うから、幕営していた所は氷点下10度程度になっていたと思われる。寒さに震えてくしゃみを連発。寝付かれない夜となった。 翌朝は、これまた快晴。テントから頭だけ出して槍ヶ岳の方を見ると、神々しい太陽の光が雪面を照らして、そこを強風で吹き飛ばされる雪がベールのようになっている。その先に槍ヶ岳が太陽をバックライトにシルエットをつくっている。また、まわりの山すべてが新雪で化粧をして、昨日まで雪崩れた後などの汚れた土色した雪が真っ白に変わっている。すべてが美しい眺めだった。その一端を、下の写真で味わってください。 あとは下山するだけなので、テントが太陽の無限のエネルギーで乾くのをまってから撤収することにする。太陽の光がこんなにありがたいと思う時はない。びっしりとテントにこびりついた氷はすぐに溶ける。 8時半にテントを撤収し、下山にかかる。昨夜の低温と吹雪で、あれほど地雷原のように潜り込んだ腐れ雪がカチンカチンのアイスバーンになっている。幸いきびしい斜面はないので、アイゼンがキュッキュと音をたてて気持ちよく効く。アイゼンの爪もピッケルの先も数ミリしか雪面に食い込まない。これは急斜面だとかなり緊張するところだ。 あの男性はどうしただろう。秩父岩から秩父平に下りる急斜面を何度も見るが、いっこうに戻ってくる気配はない。ひょっとしてあの6本爪軽アイゼンで雷鳥岩からヒロサコ尾根の方へ下山したのだろうかと心配になる。あんなものは1000mクラスの山しか通用しない。潜り込む雪のときならいいが、このようにアイスバーンの斜面ではダメだ。 ジリジリと焼く太陽の下を秩父沢を下山。途中、抜戸岳東尾根を観察する。これも登るルートの一つとして考えていた所だ。岩場はなく、抜戸岳の頂上にまっすぐ突き上げる長い尾根だ。斜度はかなりあるが、問題ななさそう。ただ、体力のない私が、もし途中で幕営するとなると、どう見てもテントを張れそうな所は見あたらない。それに、頂上にある雪庇は結構大きい。眼をこらして見ると、踏み跡が頂上に登っていて、その踏み跡が雪庇にぶつかる所だけ、雪庇がかすかに人工的に切ってある感じがする。それでも雪庇を乗り越える時は怖いだろうなあと思う。 左俣林道のわさび平小屋から先は、来る時にくらべてはるかに林道を覆う雪が少なくなっていて、ふきのとう、すみれ、イチリンソウなどの花が眼を楽しませてくれる。
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| ◆2008年1月 北アルプス:霞沢岳西尾根 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 「二日で1mの積雪」という事態の中、直前に目標を槍ヶ岳から変更 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
槍ヶ岳へ、中崎尾根を使って登るつもりでいた。しかし、30日の天気予報は大型の寒波の襲来を告げていた。私は雪崩が心配になり、もう一つの目的地にしていた蝶ヶ岳へ変更した。しかし、まさか槍平小屋のテン場で雪崩が起きるなど予想もしていなかった。だから、2001年の正月には、私もここに幕営した。私が雪崩を予想して転進することを決めたのは、中崎尾根から西鎌尾根に上がる所のことであっ た。ここは、雪が不安定な時は雪崩れる危険性がある。本来、私が幕営予定していた31日の夜の槍平小屋で、その雪崩遭難は起きた。4人死亡。目的地を変えていなかったら、この遭難に私も巻き込まれていた。 蝶ヶ岳をめざして、仕事を30日の夜10時に終わってからザックをつくり、いつものとおりそのまま一睡もせずに31日未明に中央高速を松本へ向かう。飯田あたりはすでにチェーン規制となっていた。松本から沢渡に向かうとしっかり圧雪状態。 沢渡でタクシーに乗り換え、釜トンネル入口へ。激しく降り続ける雪の中を上高地にむけて歩く。この31日の内に徳沢まで入るつもりでいたが、上高地までは日帰りで遊びに来ているスノーシューの人の踏み跡もあったが、そこから先は踏み跡も少なく軽いラッセルになり、睡眠不足の身体にはけっこうきつい。まだ時間はあったが、明神でテントを張る。この夜、目の前の穂高連峰をはさんだ反対 側で雪崩が発生し、4人の登山者が亡くなった。夜通しテントを揺さぶった吹雪で、朝起きるとまわりになにも踏み跡がない。雪は腰の深さまで積もっていた。明神にもう一つあったテントの人は、上高地にむけて新雪をラッセルしながら下りていった。とりあえず徳沢にむけてラッセルするが、どこまで行っても、徳沢から下山してくる人も、上高地から上ってくる人もいっさいいない。徳沢から下山 する人も、ここまで来るのにまだかなり時間がかかることだろう。これでは半日かかっても徳沢に着かない。それでは蝶ヶ岳に登ることはできない。かなりラッセルしてから、あきらめた。再度、霞沢岳西尾根に転進することにする。明神に戻り、上高地へ戻り始めると、やがて徳沢から10人ほどのパーティーが私のラッセルのあとを下山してきた。しかし、もう戻る気はしないので、そのまま上高地、そして大正池と戻る。霞沢岳西尾根は2006年正月以来2回目。時間がたっぷりあるので、正月だけ営業している大正池ホテルのレストランでコーヒーを飲んでいたら、支配人が「二日間で1mの新雪が積もった」と言っていた。この時はまだ槍平の雪崩遭難のことを知らなかった。 国交省砂防事務所の所にテントを張り、尾根上に上がる所までラッセルして明日の登頂に備えようと思った。いっさい踏み跡がなく、最近誰かが登った形跡もない。夏道のない積雪期だけのバリエーションルートだが、比較的顕著な尾根で迷うことも少なく、雪崩も起きにくく、しばしば現れる岩峰を巻いたり直登したりのルートファインディングさえきちんとすれば危険性は少ない。 ところが、まさに1mの新雪が積もっていて、このラッセルが大変。時に膝程度のラッセルの所もあるが、大抵は腰までのラッセル。急坂では頭の上にある雪を手とピッケルでかき下ろして、膝でグッと押しつけ、その上に足を載せてグッと踏み固めて一歩前へ行けるという状態。1日の午 後に尾根上までラッセルしておいたが、2日、いよいよテントを残して必要なものだけザックに入れて日帰りのつもりで登り始めたが、結局2000mの地点までしか行き着けなかった。苦労してラッセルして登った標高差500mも、下山はあっと言う間。テントに着いた時間はまだ早かったが、あのまま登り続けていても頂上まではとても行けていないのは間違いない。この日も雪は降り続いていた。 2日の夜同じ場所でもう一度寝て、3日の朝。本日は帰るだけ。空は快晴の青空。朝寝していると、4人パーティーがやってきた。皮肉なものだ。「2000mまでラッセルしておきましたよ」と言ったら、深く感謝していた。 結局、上下の行動より、平行移動の方が圧倒的に多かった山行であった。体力がますます低下したのを実感。 【写真】一番上は、大正池横を歩いていく登山者、二つ目は、霞沢西尾根の上から見た梓川、三つ目は地吹雪が吹きすぎ人気のない河童橋、4つめは、3日になってようやく晴れて見えるようになった明神岳と岳沢下部、そして大正池。 |
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| ◆2007年8月 北アルプス:烏帽子岳など | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 強力な高気圧のもと、下界は40・9度の史上最高の気温を記録 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
山の上は、この高気圧のおかげでお盆をはさんだ10日前後は、連日安定した天気。ほぼ毎日夜中は「天の川」、朝は快晴、お昼近くなる11時前後にはガスが湧いて展望は利かなくなるという状況。今回の夏山山行は、プライベートな都合で2泊3日プラスアルファーと短めでした。しかし、裏銀座方面からの北アルプスは初めてなので新鮮であった。これで、わたくし的には北アルプスのすべての山域に足を踏み入れたことになる。常念山脈と後立山連峰、槍穂連峰、立山・剣はほとんどの山を登っているが、今回の日程が短かったため、黒部源流域と裏銀座の山はまだ登っていないのがいくつか残されてしまった。 烏帽子小屋で、勇ましい女性がいて、北アルプス全図に自分が登ってきた山とルートを線で引っ張りながら、「私は、全部つながないと気が済まないんですよ。」と言っていた。北アルプス全山の縦走にこだわっているということだが、私には、それほど徹底する時間も体力もない。 今回登ったブナ立尾根は「三大急登の一つ」と言われ、裏銀座コースの起点だ。前日夕方に高瀬ダムに入り、ダム横のテン場で幕営する。水場を探すがない。ようやくみつけた水はわずかにチョロチョロ流れるもの。オタマジャクシがウヨウヨしているのを追っ払って、コップで何度もすくって水を汲む。実は、帰りに発見するのだが、もっと奥にすばらしい水場があった。 ブナ立尾根は、その名の通りブナが立ち並ぶ尾根で、陽が当たらない分は快適だが、「三大急登」の名の通り、ほとんど休みなくただひたすら極端に急な上りが続く。今回も、思いザックをかついで青息吐息、コースタイムの6時間をはるかに超える時間をかけて私は登った。早い人は4時間程度で登ってしまうというのに・・・。100mほど登るごとに番号が打ってあって、それが一番下の12番から始まって、小屋の所の0番まで、標高差1200mを12分の一に切っている。これはペースをつかむ上では大変いいものだ。一直線に急登している尾根ルートだから意味のある表示だ。沢ルートや山腹を登っていく緩やかな上りではあまり意味がないだろう。 今回は、いろいろ迷ったが、結局、プライベートな都合が気になって、2泊とも烏帽子小屋のテン場にし、きわめてのんびりした山行となった。小屋のヘリポートに立つとドコモ携帯がつながるので、その私の都合にとっては大変よかった。おおむねこの烏帽子小屋近辺の稜線上ならドコモはつながるようだ。 ところで烏帽子はエボシと読むのだが、高瀬ダムから登ろうとした時に、やはり単独の登山者から「トリボウシはこちらですか」と聞かれた時には、「???」声が出なかった。やはりどうせ山に登るなら、その山域についての特徴やルートなどを少しは調べて、楽しんで登ってほしいものだと思った。 実は、当初5日〜6日の日程で裏銀座縦走を考えた時、野口五郎岳のテン場に一泊する予定を最初思い描いた。ところが、このテン場が2年前から閉鎖されていることをインターネットを探っている間に知った。これなども事前調査の大切さの一つだ。閉鎖の理由は「強風に対して危険」だからとのことらしいが、3000mの稜線上のテン場はどこでも同じ。自己責任の範疇だから閉鎖することないのに、と私は思ってしまうが間違いだろうか。 なにしろこの山域は、一気に力まかせに槍ヶ岳にむかえば別にいいのだけど、体力のない私などは、三俣小屋まで一気に行くのは大変なのである。ところが、烏帽子小屋から三俣の間にある小屋は、野口五郎小屋と水晶小屋だけ。しかも、水晶小屋は小さくて有名。今回も、縦走してきた人に聞くと、水晶小屋は布団一枚に3人、野口五郎小屋は布団一枚に2人ということ。しかもこの2つの小屋にはテン場がない。烏帽子小屋は私がいた2日間とも布団1枚に一人で余裕があったそうだ。 烏帽子小屋に、一日で槍ヶ岳山荘から来たという人がいたが、これなどは怪物としか思えない。 登ったその日は、午後から雲に覆われてなにも見えず、のんびりビールを飲んですごす。陽も当たらないので大変涼しくてよい。烏帽子小屋からは、三ツ岳がじゃまして槍穂高は見えない。見えるのは、常念山脈、前烏帽子、薬師岳、水晶岳まで。針ノ木岳など後立山連峰や烏帽子岳そのものも前烏帽子がじゃまをしている。 翌日、空荷で野口五郎岳をめざす。片道3時間程度だ。三ツ岳を越えれば槍穂高が見えると期待して登ったが、この日は雲が出るのが早くて、三ツ岳の頂上に立った時には、槍穂はおろか目の前の野口五郎もガスの中。薬師岳や烏帽子岳、立山方面だけがガスがなく見渡せた。 昼過ぎに小屋に帰ったら、もうその時は前烏帽子もガスの中で、これでは烏帽子に登ってもなにも見えないので、この日はこれでおしまい。えらくのんびりした山行となった。夜は、テントの中のシュラフに入っても少し寒さを感じるほどであった。 翌日、小屋の客もテント泊の人もどんどん6時ぐらいには下りていってしまった。この日だけはどういうわけか朝一番からガスの中。しかし、私の感ではこのガスは晴れてくると思ったので、誰も残っていない小屋の前でのんびりと待つ。そうすると8時が過ぎてだんだんガスが晴れてくる。そして、雲一つない完全な快晴となった。 そこでおもむろに烏帽子岳をめざす。立山・剣も見えるし、針木岳の後には遠く白馬岳も見えている。 こうして満足して、ブナ立尾根を下山。急坂に足がガクガクになって、なんとかコースタイム通りの4時間で下山。体力がなくなってきていることを痛感した今回の山行であった。しばらく前には、下山だけは早くてコースタイムよりはるかに短い時間で下りたものだが・・・。 登山口に下りて、ブナ林を抜け出すと、強烈な陽ざしを受けて顔も腕もヒリヒリする。すると目の前に「水場」の表示。これがすばらしい水場だった。なんとも冷たい水がとうとうと流れている。頭から水をかぶった時のきもちのいいこと。何度も何度も水をかぶって身体がいっぺんにリフレッシュ。かつて経験したことのない快適さだった。 下界は連日40度前後の熱波だったことは、下りて初めて知った。(今回、ラジオをザックに入れるのを忘れていた)
【プラスアルファーの記録】さて、今回の山行は前夜泊2泊3日以外に、この山域でもう一ヶ所立ち寄っている所があります。 それは、湯俣温泉。槍ヶ岳北釜尾根の入山口として昔から有名。高瀬ダムのダム湖沿いに3時間半歩くとそこに着く。そこには、青嵐荘という山小屋が一軒ある。この青嵐荘、決して温泉旅館ではないので勘違いしないように。基本的に山小屋である。 青嵐荘の前の河原には、現在の所4ヶ所ほどのお湯が湧く所があって、簡易露天風呂ということになっているが、どうもこれらはまともには入れるものではない。 右写真の中央にあるのは、なんとか入れそうだが、浅くてぬるい。左端に見える青いシャツの人は、小屋の関係者で、いっしょうけんめい穴を掘って深くしているのだが、小屋の主人が「あまり掘りすぎると水が湧いてきてぬるくなるぞ」と言われてい た。だから、これらはすべて座って浸かっても腰が隠れる程度の深さしかなく、いずれも少々ぬるい。ただ、ここから10分ほど上流に、左写真の天然記念物の憤湯丘のあるあたりに、誰かがしっかりと熱い大きな露天風呂を作ったという噂を聞いたが、私は確認していない。 もちろん、そのあたりになるとあちこちで硫黄臭の水蒸気や湯がボコボコと噴出していることは間違いない。また、青嵐荘には立派な内湯がある。 左の写真の白い突起物が憤湯丘。高さ2m近くある立派なものである。この写真は、湯俣温泉から竹村新道を200mほど上がったところにある「展望台」に行く途中で上から撮影した。 |
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| ◆2007年5月 北アルプス:内蔵助平から剣沢周遊 | |
| 前から黒部ダムをおりて内蔵助谷から内蔵助平にあがり、ハシゴ谷乗越をこえて剣沢におりて雪渓を登るルートが残雪期はマイナーなルートで興味があった。もちろん厳冬期は、雪崩の巣窟で、剣に厳冬期に登るルートでもあるためしばしば遭難が起きる。2001年の1月にも愛知県のある山岳会が内蔵助谷出合で雪崩に遭い3人死亡している。黒部ダムから内蔵助谷出合、さらに出合から内蔵助平までは、夏道はあるが、残雪期は年によって積雪量が変わり、大変難渋することもあるところだ。今年のように暖冬の年は、標高1500m程度のこの出合のあたりは、融雪しているとスノーブリッジがなく渡渉に困る場合もある。 扇沢からアルペンルートのトロリーバスで黒部ダムまで行き、トロリーバスを降りたら、ダムに出ずに、そのままトロリーバスの進行方向にトンネルの中を歩いていくとすぐに「登山道入口」の標識。鉄扉を開けるとそこは雪の世界。まっすぐダムの下に下りる。夏道はあるが、雪の斜面をまっすぐ下りる。 目の前に黒部別山と大タテガビンが見える。初めは木道を渡って左岸を下る。雪渓は残っているが、しっかり黒部峡谷の流れが出ている。やがて右岸に自然に移って歩いていくと内蔵助谷出合の前へ。左岸へ渡る方法に少し迷ったが、しっかりスノーブリッジがあってよかった。出合から上を見ると激しい流れが出ていてすさまじい形相。どのルートをとれば良いのかすぐにわからない。それでも一応最初は夏道通しで行けばよいことがわかり取り付くが、きびしいところをへつったりして登っていく。やがてすぐに谷はしっかり積雪に覆われて、どんどん登り、やがて平坦になるとそこが内蔵助平。実は今回の山行は、逆ルートをとれば下る方が多くて楽ちんなのだが、そうすると最後のこの内蔵助谷で難渋すると戻るに戻れなくなると思い、最初に未知数である内蔵助谷を上がったという次第である。 内蔵助平は広大で眺めがいいところだ。遠くに一つだけテントが見えた。とりあえず初日はここまで。二日目にハシゴ谷乗越へ登る。広い雪原を好きなようにルートをとって乗越へ登る。峠からは剣が望めた。黒部別山を見るが、頂上には木が生えている。しかも踏み跡はまったくない。したがって、そのまま剣沢に下りる。夏道は真砂小屋に下りるのだが、谷をそのまま下ると剣沢のさらに下流に出た。 剣沢を登り、真砂小屋(雪に覆われてなにもない)を通り過ぎ、平蔵谷の出合まで登ってそこに幕営。剣沢小屋まで登ろうかと思ったが、特にピークをめざしているわけでもないのでのんびり構える。 翌日、剣沢小屋へ登り、そこにテントを張ってから空身で立山へ。この時点ですでに計画した奥大日岳はあきらめた。本当は雷鳥沢に幕営して最終日に奥大日岳に行きたかったが、最終日は悪天になることがわかっていた。 2日目までは快晴のすばらしい天気だったが、この日は午後からガスが出てきた。そして、夜(6日の朝未明)、激しい風雪に。剣沢小屋幕営場のあたりはかなり積雪量が多いし、5月になっても雪が降る。今年の北アルプスは、暖冬だが、3000mの稜線近くは例年より積雪量は多いらしい。6日は最初横なぐりの雪。その後雨。雨の中を雷鳥沢に下り、室堂へ。そして扇沢の車のところへ帰着。これでぐるっと一周した。 【写真は、「写真集:立山・剣」の方に沢山ありますので、そちらでご覧を】 |
| ◆2007年1月 北アルプス:西穂高岳・独標 |
| 厳冬期、毛勝山へ登るぞ!・・と思ったが、あえなく敗退し西穂高へ転進 |
毛勝三山(毛勝山、釜谷山、猫又山)は、剣岳のすぐ北にそびえる連山で、標高は2400m前後。しかし、富山湾からいきなりそびえ立つ山のため、厳冬期は深い積雪に覆われる。(右の写真は、北陸道の魚津市のPAから撮影=右に剣岳があり、左に毛勝三山が並ぶ。一番左から毛勝山の北峰と南峰、そして釜谷山、猫又山である)200名山にもあげられている山だが、夏道の登山道ができたのは最近になって毛勝山の北西尾根につけられただけ。しかし、猫又山は剣の最高の展望台らしい。ホームページで検索しても、5月連休に谷を詰めて登るルートと山スキーが紹介されているばかりで、厳冬期の登山記は一件しかなかった。この登山記をあてにして今回挑戦したが、まったく甘くなかった。 登山記では片貝第4発電所まで車で入れたとのことだったが、第2発電所でいきなり「冬期通行止め」の看板。30日の深夜まで仕事をやって、一睡もせずザックをつくって車をとばしてきて朝7時すぎに到着。そのまま歩き出すが、林道は深い雪。そこはまだ標高300m足らずの所。もともと毛勝北西尾根にしても、猫又西尾根にしても、標高差2000m登らないと頂上に着かない。なのに、林道からワカンを履いてラッセルとは・・・・。 最初の内だけ踏み跡があった。ところがこの踏み跡は1kmも行かないうちにテントを張った跡があり、そこまででおしまい。どうやらこの踏み跡の人たちも敗退したようだ。林道は28日29日に降った大雪にしっかり覆われていて、膝上までのラッセル。「私の前に道はない。私の後に道ができる」状態でラッセルをずっと続ける。一睡もしていない私の肩に重いザックが食い込む。これでは登り口に着くまでに本日の行程は終わってしまう。本当は、猫又西尾根にとりついて1600mあたりの稜線まで登り切ってから本日は幕営と思っていたが、それはあくまで第4発電所まで車で入ることが大前提。第4発電所近くの分岐まで到着して、猫又谷に入りしばらく行ったところですでにお昼過ぎ。だんだんラッセルは深くなり、足はとことん重くて一歩一 歩ふみだすのも億劫になる。4日から東京で会議の私に、「あと一日」などとても無理。わずか2泊3日の計画では所詮無理というもの。計画と調査が甘すぎた。登るべき稜線をうらめしい思いで眺める。(上左の写真は、分岐の少し手前の橋から撮影。猫又谷の奥=写真中央に、めざすべき猫又山に続く西尾根の稜線上のピークが見える)というわけで、私も敗退を決めてしばらく戻り、そそくさとテントを張る。その夜は12時間睡眠の爆睡。あと残る日程は1泊2日のみ。これで冬期に登れる山と言えば、もはやロープウエーを使うしかない。翌日は、夜が白けると同時に車のところへ戻り、車のナビを新穂高ロープウエーにセッティング。 車を走らせていると、高速道路上から剣が、毛勝三 山が、美しく見える。(右の写真、上が毛勝三山、下が剣岳)リベンジは5月連休にとうらめしい思いで車を走らせる。誰一人会わなかった昨日とうってかわって、観光地新穂高。ロープウエーの観光客から「どこへ登るんだ」「その荷物は何キロあるんだ」と聞かれてうるさい。小さな子連れの人が「○○くん、あれを履いて雪の中を登るんだよ」とザックに付けてあるワカンを指さして子どもに教えている人も。まるで見せ物。登山者の中にも、「アイゼンは履いたほうがいいですか」とか、「アウターズボンは必要ですか」と聞いてくる人がいる。適当に答えておいたが、そんなこと自分で判断できなきゃ3000mの稜線に厳冬期に来るなよ。人に会いたくないから山に登りにくるのに、これではたまらん。(私の山に登る最大の本音はこれです) ロープウエーの上の駅から笠ヶ岳がきれに見えた。05年5月に登った第三尾根がきれいに見える。(写真中央の右から左に斜めに上がる尾根) 西穂山荘まで行き幕営。すでに曇ってきていたので、その日はもう登らずに小屋の休憩所でのんびりする。 翌日、独標まで登る。曇っていたが、時折ガスが切れて、なんとか撮影したのが下の写真。前日の朝から独標に行っていれば、穂高連峰がきれいに撮影できたろうが、この日はすでに穂高連峰は深いガスの中で一度も見ることができなかった。かろうじてガスから抜け出してた西穂高だけ撮影できた。 【西穂での写真は、「写真集:穂高連峰」にありますので、そちらでご覧を】 |
| ◆2006年8月 北アルプス:薬師岳(2926m)・北ノ俣岳(2662m)・黒部五郎岳(2840m) | |
| 黒部源流域の山々は、かつて富山県の折立から入って、薬師沢から鷲羽岳直下の黒部川最初の一滴まで遡上(登山ルートではない)してから雲ノ平に上がり、そのまま折立に帰ったことがあるだけ。今回は、雲ノ平を囲むように並ぶ名山をお盆休みを利用してめざした。当初の計画は、飛越新道から登って北ノ俣、黒部五郎、三俣蓮華、鷲羽、雲ノ平とまわって薬師平から飛越新道を下山のつもりであった。 飛越新道は、旧神岡町(現在は飛騨市)から、富山県側の有峰湖につながる林道の県境尾根に掘られた飛越トンネルが登山口(1430m)になっている。昔はこの同じルートが「神岡新道」と言われて、薬師岳に冬期に登る際の登山口であった。神岡町の打保から登るのが神岡新道だったが、今は整備されず背丈を越す藪でとても利用できない。神岡新道と飛越新道は1842mピークで合流する。 飛越新道を選んだのは、人が少ないから。同じ山域に入るのでも、折立からでは大行列をつくって登ることになるので避けたかったのと、積雪期に登ることも検討して偵察という意味もあった。 きわめて長い尾根のルートで、標高差1200mほどで北ノ俣岳のすぐ北側に突き上げるのだが、途中600m登った中間点の2050m地点に避難小屋がある。 初日は、まず避難小屋めざして、尾根上をアップダウンを繰 り返して登っていく。避難小屋の所に来ると、北ノ俣岳の頂上にむかって広大な草地の斜面が広がり、木道がつくられている。ここまでの途中で、激しい雷雨に襲われた。山で雷に遭うのはやっぱり一番いやだ。それでも、今回の山行でまともに降られたのはこの時だけで、あとは快晴であった。ここの避難小屋(右の写真)は、きわめて快適。沢からホースでひかれた水が常にドラム缶の中に流れ落ち、しかもそのドラム缶から流れ出る水はトイレに続いていて、水洗トイレとなっている。オイルサーデン状態に並べば12人ほどが入れる。さらに床下に「新館」なるものがあって、ここは3人入れる。床は、銀マットがびっしりと敷き詰められているので寝っ転がることもできてなかなかいい。 この日、確かに北アルプスの他の登山ルートに比べればはるかに登山者は少なかったが、それでも10人程度の大きなパーティーが一つ登ってきていて小屋は満杯状態。あふれた人が、私含めて4張りほどのテントを設営していた。 今回の山行に使ったルートは、ロングルートではあるが、標高差の少ないなだらかな上り下りのくり返しが多い。この避難小屋から上は、草付と地塘、お花畑、が続く。薬師岳直下の薬師平から、太郎兵衛平、そして北ノ俣岳から黒部五郎岳までのなだらかな稜線は、北アルプスダイヤモンドコースと呼ばれ、草付がじゅうたんのように美しく広がる雲ノ平、赤木平を眼下に見、切れ込んだ黒部源流、広大に広がるお花畑、残雪の雪渓、そしてそれを囲む名だたる100名山(薬師、黒部五郎、鷲羽、水晶)が居並ぶという美しい所である。この飛越新道を使った登山はぜひおすすめのルートである。 翌日、早朝に避難小屋を出発して気持ちのいい草付と地塘の間を登っていき、稜線に出ると、大パノラマが広がる。雲ノ平が目の前に広がり、薬師岳・水晶岳・鷲羽岳・三俣蓮華岳・黒部五郎岳がぐるっと続いている。 計画通りなら、ここから黒部五郎に向かって、本日は黒部五郎小屋まで。ところが、黒部五郎の方を見たときに、実際はさほどでもなかったのだが、私には絶望的な遠さに見えてしまった。さらに、薬師岳がどっしりと目の前にそびえて、私に「おいで、おいで」をしているように思えてしまった。薬師岳は、愛大出身の私にとっては、一度は登ってみないとといつも思いながら、縦走ルートからはずれているために、行く機会がなかなか作れそうもない山であった。 なにか因縁めいたものも感じつつ、一瞬の内に足は計画と逆の方向にむかった。「雲ノ平は、すでに行ったことあるから、まあいいや」となんのためらいもなく太郎平小屋に向かう。 その日は、太郎平のテント場にテントを設営。いきなりのんびりムードになってしまった。太郎平小屋もテント場も人でいっぱい。テント場には100張ほども張ってあっただろうか。すさまじいラッシュだ。 翌日、テントを設営したまま空荷で薬師岳に登る。昭和38年の冬、愛知大学山岳部13人のパーティーが遭難死したのは、私にとって印象深い。私が入学する7年前のできごとだ。「三八豪雪」とも言われた年に薬師に登った13人は、猛吹雪の中、偽ピーク(次薬師)で道を間違えて薬師岳東南稜に入ってしまい、全員死亡した。私は、次薬師に立つ慰霊のケルンの前で、愛大学生歌を歌って彼らを偲んだ。 この日も太郎平にテント泊したわけで、暇をつぶすのに苦労するほどだった。隣にソロテントを張った少々お酒が入りすぎた60過ぎのおじさん(自分もおじさんだが)がおもしろい人で、テント場にこぼれている食べ物を突っつきにきた「キジバト」を、私に「これ雷鳥ですか」と聞くものだから、「鳩ですよ」と言ったら、「いや、人を怖がらない。ほら、すぐそばに寄ってくる。鳩ですか?ほんとに。伝書鳩かなあ。雷鳥だといいがなあ。」としつこく言っていた。 のんびり登山はここまで。薬師岳に登ったときに見た黒部五郎までの稜線は、さほど高低差はないようにみえたものだから、翌日は、一念発起して黒部五郎の頂上に立って、さらに戻って北ノ俣避難小屋まで下りることにした。歩行時間だけでも10時間以上はかかるルートとなる。 朝は4時から行動。薬師岳・水晶岳方面から太陽が昇ってくる。北ノ俣岳手前の飛越新道分岐にザックをデポし、サブザックで黒部五郎へ向かう。左手は雲ノ平と黒部源流の山々、右手には白山も見える。笠ヶ岳、乗 鞍、御岳が並んで長い尾根を引いている姿も美しい。黒部五郎までは赤木岳(2622m)をはじめ4つほどのピークを越えていく。途中で、カモシカがのんびり草を食べていた。(右の写真)黒部五郎の上りは、ただがまんの子で、息を切らせながら登り切ると肩に出る。広大なカール特有の地形がそぎ落とされるように下に広がり、その先に黒部五郎小屋が緑の樹林と草付に囲まれて立つ。 黒部五郎からは、来た道を戻る。息を切らせて登った黒部五郎をたった15分で駆け下りる。そろそろ疲労もたまってきて足が重い。しばしばヘルメットを持った沢登りの人に出会うようになる。多くは日本一美しいと言われる赤木沢を遡上してきたのだろう。沢屋さんたちは、あまり頂上にはこだわらない。 飛越新道分岐についてからしばらく休憩し、北ノ俣避難小屋におりる。疲れているために、下りは大得意の私も、さすがに時間がかかる。その夜は避難小屋のそばにテント泊。そして、翌日避難小屋ですこし寝転がって休憩してから飛越トンネルへ下山した。 【写真は沢山ありますが、すべて「写真集:雲ノ平」へ移動しました】 |
| ◆2006年5月 北アルプス後立山連峰 爺ヶ岳(南尾根コース) | ||
今年は雪が大変多い年。4月の末にも北アルプスには数十センチの積雪。そして、針ノ木雪渓では、5月1日に雪崩 で3人が死んでいる。当初杓子岳双子尾根をやろうかと思ったが、正月の厳冬期にしか登らない爺ヶ岳南尾根にも例年になく積雪があるだろうからと思い、より楽な方にとこちらに転進した。鹿島槍も計画に入れていたが、今回はのんびり登山に徹して、爺ヶ岳を越えて種池山荘へ遊びに行くだけにした。さらに、7日は雨という予報だったので、予定を一日切り上げて6日に下山。2泊3日であった。 豊科インターを下りてから、扇台に向かう途中に爺ヶ岳と鹿島槍がきれいに見えたので車を降りて写真を撮る。 (左写真:左から爺ヶ岳の南峰・中央峰・北峰、その右に鹿島槍の双耳峰、そして一番右奥に五龍岳。田植え直前の田に山姿がきれいに映る) 扇台駐車場に車を置いて、標高差1000mを登ってジャンクションピークへ。稜線上の種池山荘と冷池山荘は大型連休だけ営業し 急坂をあえぎながら登る内、針ノ木雪渓が見え始めた。5月1日の雪崩遭難の現場が見える。右の写真(サムネイル)の中央下に雪崩たあとがはっきりと見える。あそこで3人の山スキーヤーが亡くなった。針木岳を見ると、人の顔のように見える。そして、向かって右側の目から涙が流れているように見えるが、どうでしょうか。 天気は大変よかったが、翌日の山は薄くガスがかかって山がきれいに見えない。それで、登ってもおもしろくないし、今回はのんびり登山としたので、一日停滞し、なにもかも忘れてのんびりする。あくせく登るだけが能じゃない・・・? 翌朝早く爺ヶ岳頂上をめざす。ガチガチに凍った雪にアイゼンが心地よく効いて、所々急な雪壁があり高度はかせげる。わざわざアイゼンはいて雪の溶けた岩土の上を登っていく人も見たが、朝早い場合は雪の上の方が快適だ。ジャンクションから標高差300mほどを一気に登って、360度の眺望を楽しむ。(左の写真は、ジャンクションピークのテント場から見る爺ヶ岳南峰と右に中央峰) 昨日よりは山がハッキリ見える。剣、鹿島槍、さらに遠く槍穂連峰。下の写真をクリックして大きくして見てください。 種池山荘に下りて遊びに行ったが、連休中の営業を終える準備をしていた。明日は雨の予報なのでほとんど登ってこないようだ。また爺ヶ岳を登り返してジャンクションに戻る。そしてテントを撤収し、すぐに下山。行きは最初からアイゼンをはいて心地よく登れたが、下りは雪がゆるんで足が潜り込み、下の方にくるとほとんど夏道になっているのでアイゼンをはずす。ここ数日のいい天気で下界は連日「夏日」を記録しており、雪融けは急速に進んだようだ。 |
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爺ヶ岳より遠望する槍ヶ岳と北穂高岳・奥穂高岳が重なり、左に前穂高 その他の写真は、「写真集:後立山連峰」にあります |
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| ◆2006年1月 北アルプス 霞沢岳(2646m) | |
霞沢岳再挑戦。昨年の正月と違い、今回は頂上まで行けたが、一日違いで天と地の差の天候に苦労した。霞沢岳は、あまり名の知れた山ではないが、実は上高地のすぐ上にそびえる200名山の一つである。河童橋から見上げる穂高連峰は絵はがきの定番だが、霞沢岳はまったく同じ角度の高度2646mからこの穂高連峰を眺める展望台だ。 前回は明神・徳本峠から向かう夏道ルートをとったが、今回は西尾根を直登する。31日に釜トンネルから歩いて上高地に入り、大正池手前の砂防事務所前に昼過ぎに幕営する。今年は異常な雪の多さ。例年はまったく積雪がない沢渡の駐車場が、除雪された雪の山で車が隠れていた。上高地は完全に雪に埋まっていた。 天候は、この31日と翌正月1日は一日中雲一つない快晴であった。釜トンネルを抜けて上高地に入った所で撮影したのが、下の焼岳と穂高連峰。登るのが一日早かったら、あるいは天候の変化が一日遅れてくれたらと恨んでみたくなる。 31日の夕方暗くなる頃、5人パーティーが西尾根を下りてきた。今回の登山で出会ったのはこの人たちだけであった。彼らは昨日早朝に出発して2200mの幕営地点まで登り、本日頂上をピストンしてそのまま下山してきて、ここで幕営とのこと。まさに快晴の中を登山してきたわけだ。 翌1日も朝から快晴であった。しかし、樹林帯の尾根をあえぎながら登り、樹林の間から穂高連峰のすばらしい眺めが垣間見えるだけ。この西尾根の登りは、まさにモンキークラ イミング。あまりの急角度の登り、そして深い積雪で、灌木や
尾根が交わるジャンクションをすぎてから幕営適地を探しながら登るが、結局2200mまで行ってようやくみつかった。昨日下山したパーティーもここに幕営したのだろう。ここから上にはもう幕営適地はない。 この日の夜から天候は悪化した。風が強くなり、雪が降り出した。翌朝は風雪の中を頂上にむけて登る。夜の積雪で踏み跡はまったくなくなっていたが、狭い尾根でルートは明確。2500m近くまで登ってようやく森林限界を越えるが、まったく眺めはない。そして両側に切れ落ちたナイフリッジを渡ると30m近い岩峰。雪が着いているため、手がかり足がかりがよくわからず、その上暴風雪でかなり緊張した。 岩峰を越えてからは、本来「快適な雪稜が頂上に続く」ということなのだろうが、まったくのホワイトアウトと暴風雪。空も、自分が立っている雪の上も同じ真っ白の色。右も左も上も下もわからない。上りだろうと思って足を一歩前へやると、下りになっていてガクンと足を踏み外したりといった状態で、ハイマツの上に積もった雪の上をのろのろと登り頂上を踏んだ。体感温度はいったいどれくらいなのだろう。目出帽がなかったら、鼻の頭は凍傷になりそう。マツゲが凍って 目の前に白い氷がぶら下がっている。早々に下山に入るが、自分の踏み跡がもうなくなっている。忠実に稜線をたどると岩峰の所に出た。慎重にこの岩場を下りて、あとは踏み跡がなくてもルートは明瞭。思ったより早くテントに戻った。登山口で出会った5人パーティーのようにこのまま下山しても良かったが、さらに一泊することにする。夜になるとさらに風雪はひどく、テントの中はマイナス20度まで下がっていた。 結局、翌3日も風雪の中を下山。踏み跡などはいっさいない。ジャンクションの2000m前後の所がもっとも迷いやすかった。西尾根自体もしばしば90度に近く急下降している所があるため、いくつかの支尾根と区別がつかず、しばしば立ち止まってルートを確認し、間違えたことに気づいて登り返すこともあった。赤テープを持ってこなかったことをつくづく後悔する。 それでもお昼には砂防事務所(上の写真)に下りることができた。そして2時には釜トンネルを抜けてタクシーに乗ったが、猛烈な吹雪の中、タクシーの運転手も「スノータイヤだけでは怖くて、チェーンもはめないと登ってこれない」と言っていた。 <追記> 【06年1月5日】 本日の朝刊で明神岳での雪崩遭難の記事があった。明神岳東陵を3日に下山中の2人パーティーが、上宮川谷の2000m地点で表層雪崩にあい一人が心肺停止と。もう一人が一日かかって4日に上高地に下山し携帯電話で連絡してきたとのこと。場所は上の地図のとおりすぐ前の山で、地図上の青い線が上宮川谷だ。 同じ3日に下山した霞沢岳の沢はどうなっていたかというと、表層雪崩の危険性を十分感じる状態だった。西尾根を下山中に、尾根が低くなった所で沢におりて雪の状態をみてみたが、最近降ったふかふかの雪が相当深くまで積もっていて、もがけばもがくほど埋もれていき、私の背丈を超えるほど雪の中に潜り込んだ。ワカンを履いても腰上までもぐりこみ、大変なラッセルを強要される。このふかふかの雪とその下の堅雪との間がすべったら、大規模な表層雪崩になる。 上宮川谷は、こちらの西尾根の支沢よりはるかに大きな沢だし、沢の上部がこちらは樹林帯だが、明神は岩場になっており、雪崩れる可能性とその威力は絶大だろう。 |
| ◆2005年10月 北アルプス南岳、横尾本谷右俣 | ||||||||||
| 黄金平の紅葉ひとりじめ。 | ||||||||||
| 総選挙が終わり、ようやく遅い短めの夏休みをもらってでかけました。 涸沢の紅葉が素晴らしいというのは知っているが、なによりあの喧噪から逃れたくて今回のルートをとった。ルートと言っても、登山道があるわけではない、踏み跡もほとんどなく、ペンキ印もリボン印もまったくない完全なバリエーションルートであり、登山者はほとんどいないので、捻挫して動けなくなっても誰にも発見されない危険性があります。また、天候が悪ければ、沢は増水して登れなくなるし、カールの中のルートのとりかたもわからなくなる。それから熊もいます。安易な入山は危険ですので、この山行記では具体的な紹介は避けます。普通は横尾から上っても小屋のある南岳までは一日がかりとなります。具体的なことは、当方に問い合わせがあれば、その方の力量に合わせてお話しします。 涸沢ヒュッテへ向かう途中の休憩場所によく使われている本谷橋から沢を登るのですが、ここで「おーい、そっちは違うぞ」と止められないかと気にしながら、人が少なくなった瞬間に遡上を開始。 快晴にめぐまれた黄金平(右俣の沢を登り切ったカールのモレーン帯の下)は、本当に素晴らしかった。下の写真をごらんください。確かに涸沢の「北穂高・奥穂高・涸沢岳」のピークや、槍沢の「槍ヶ岳」という顕著なピークはないが、ここの紅葉とカールの中の眺めは決してそれらに劣らない。南岳直下の二つの大カール(大キレット下の横尾本谷左俣と、今回登った横尾本谷右俣)は大迫力です。 そして、モレーンの植生の緑と赤と黄、そしてもうすぐ冬なのにまだ残っている雪渓の白。横尾尾根と南岳山腹を見事に真っ黄色に染めるダケカンバ、カールの斜面の茶色の草紅葉。このバランスは素晴らしく、左俣には落差100mの滝まであります。これらは、南岳小屋に登ると全部上から俯瞰できますし、南岳小屋の目の前に広がる大キレットから穂高連峰の眺めとあわせて、本谷に入らなくても充分楽しめます。 南岳小屋では天候が悪化し、2泊連泊した。しかし、そのかいあって、最終日6日は、早朝は雲がかかっていて残念ながら穂高連峰の日の出の雄姿を撮ることができなかったが、日が出きってからは快晴になり、横尾尾根から天狗原へ下りてしばらく写真をとって楽しんだ。この日のあたりが天狗原の紅葉最盛期だったようだ。 しかし、天狗原でのんびりしすぎた。釜トンネルは夜7時に閉まるから、6時までには上高地に着かないといけないのだが、3033mの南岳頂上から、1500mの上高地まで、あの横尾=徳沢=明神=上高地の長いアプローチ道の3時間の歩きを含めて一気に下りなければ普通は間に合わない。南岳小屋でいっしょだった人たちは、槍沢ロッジや横尾山荘、徳沢園に宿泊する人ばかり。まともなトレーニングもせずに体力のない私にとって、短い休みに明日の仕事を気にしながら「とにかく今夜中に帰らなくては」と下山するのはやはりつらい。 ◆紅葉の美しい穂高・槍ヶ岳の写真は「写真集のページ」にあります。そちらも見てください。 ■なお、下に、南岳小屋ホームページの掲示板に書き込んだ私の記事と、小屋の支配人の坂本さんの返信を掲載しておきます。
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| ◆2005年5月 北アルプス:笠ヶ岳、穴毛谷第三尾根から一の沢 | |
| この季節にしかとれない雪陵ルートで、終始急な雪壁に思い切り緊張 | |
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写真の上でクリックしてください。写真が大きくなります。 戻るには、ブラウザの「戻る」ボタンで。 |
笠ヶ岳は、北アルプスの中でも主稜線をはずれた独立峰であり、標高差が大きく、体力や判断力を含む総合力が必要とされる。特に笠ヶ岳から東面の穴毛谷に落ちる7つの尾根は、いくつかの岩壁群もあり、かなり手強い。 穴毛谷は、昨年の5月も穴毛大滝から杓子平に登るルートをとって、悪天に敗退した(このページ下記に掲載)。今年は、第三尾根を登ることにした。このルートの課題は、途中にある岩場の巻き方と、稜線に出るときの大雪庇である。 初日に最初に遭遇したのは、堰提をこえたあとの沢の徒渉だった。雪解けの激流は、水量と沢を被う雪の量によっては、徒渉不可能の場合もある。流れが少しでも狭いところを選んで徒渉を開始してすぐに気づいた。狭いところは深いのだ。腰まで水につかってしまった。 穴毛谷を登って4の沢出会いに到着。写真一番上は、出会いから4の沢をのぞく。左手が第3尾根であり、右が第4尾根。第4尾根は笠ヶ岳頂上に直接突き上げるすさまじい岩峰になっている。第3尾根でも、とりつきから2480mの稜線に抜けるまで標高差ほぼ1000mに近い。3の沢側のルンゼからも尾根にとりつくことができるらしいが、よくわからないので、4の沢側からとりつく。出会いからすぐ前に見える尾根末端の狭いルンゼがあるが、これはみるからに急角度になっていて、いささかとりつく気になれない。そこで、4の沢を1時間ほど登った所にある幅の広い支沢を登ることにした(一番上の写真、左側の絶壁が切れた後にある雪のついた斜面)。4の沢には、第4尾根の岩壁の方から頻繁に落石があり緊張する。 支沢は、下の方からながめた感じ以上に急角度だった。尾根末端ではなく、一定4の沢を奥に入ってからの支沢は、狭い4の沢に急角度で落ち込んでいる。上りながら足下を見ると、登る時に見るよりも急坂に見えて、ほとんど垂直に近いのではないかと錯覚するほどだ。しかも登っても登っても尾根上に出る見通しが見えてこない。 やがて、尾根上が見えてくるが、どんな沢でもそうだが、尾根上に突き上げる所はもっとも急角度になっていて、これは下から見あげても垂直に近い角度。そこで支尾根に移って尾根上に出ようとするのだが、それでもすさまじい急角度に息も絶え絶えだ。 ようやく尾根上に登ると、なんとそこにはテントを張るのに都合のいい平らな雪面がある。この第三尾根上で唯一の幕営可能の場所だろう。普通朝から穴毛谷に入れば、一気に頂上まで登ってしまうのだろうが、とても私には体力が続かない。まだ午後2時だったが、槍穂連峰を眼前にながめての幕営もいいのではとさっさと幕営。(写真上から2つ目は眼前の奥穂高岳と、写真3つ目は第4尾根のむこうに見える槍ヶ岳=いずれも朝撮影) 翌朝、テントを撤収して稜線に向けて登り始める。目の上にはこの尾根の課題である岩場がある。この岩場は左側から巻くのが常識なのだが、3の沢に60度以上の急角度で落ち込んでいる雪壁を長くへつってからさらに尾根上に登り返さないといけない。さいわいここ数日暑い日が続くのでアイスバーンにはなっていないが、それでも怖い。 岩場には亀裂があって、そこは雪が張り付いている。そこなら数百メートル落ち込む雪壁をへつらなくてすむし、岩場の上に出れば、おそらくそのまま尾根が続くだろうと思われた。それで、岩場の間の、とっかかりが垂直の雪に、アイゼンの前爪を蹴りこんで必死に登ろうとするが、何度もずり落ちてヒヤリとする。それでもとにかく10mほどを登った。そうすると予想したとおり、そこは尾根の上であった。そして、そこからは3の沢側と4の沢側の両側に切れ落ちたやせ尾根がなだらかに稜線まで続いていた。岩場の雪の上にホッとして座り込んで下を見ると、なんと単独行者が下の方から登ってくる。きわめてマイナーなルートなのに、同じことを考える人がいるものだと感心した。 私は、明らかにこの人に追い抜かれるだろうと思って、そこでゆっくりと休憩をとった。ところがいっこうにその人が登ってこない。このあと実は、私が稜線の雪庇下をトラバースしているときに、岐阜県警のヘリコプターが、この岩場下に飛んできた(写真上から4つ目)。そう。その人は遭難したのだ。翌日下山してから平湯温泉で夕食をとった時に、中日新聞の岐阜版を見ていたら、「31才の男性が、穴毛谷第三尾根で岩場を5m落ちて足を打撲し携帯で救助要請」と載っていた。おそらく私と同じルートをとって落ちたのだろう。 さて、岩場をすぎてからのやせ尾根の先に稜線が見えるのだが、壮大な雪庇が待ち受けていた。写真5つ目は雪庇の全体像、6つ目は同じ所を拡大して写した。写真5つ目の左端は第2尾根で、その上は雪庇がない。第3尾根の雪庇を乗越すことができない場合は、雪庇の真下を第2尾根まで約200mトラバースして、第2尾根の上から稜線に抜け出る。 何度眺めても、とても第三尾根の雪庇は乗越すことは不可能だ。厚さ5mほどもある。さらに、その左の大きくせり出した雪庇は厚さ10m以上はあるだろうか。いまさら第3尾根を戻るなどとてもしたくない。あんな急坂を下りることを考えたら、とにかく雪庇の下をトラバースした方がいい。 この雪庇下のトラバースは、まったくいやな思いだった。3の沢に一直線に落ち込む急傾斜の広い雪壁は、400mほど下で崖のような様相を呈していて滑落するとおしまい。上に被さる雪庇は、暑い陽に照らされて水がポトポト落ち、時々雪片がはがれおちてパシャーと降り落ちてくる。ロシアンルーレットのようなもので、いつドカッと落ちてくるかわからない。 トラバースの真ん中に、雪渓が少し下にズレて横に広がる穴があった。その穴の中に入って休憩した。ここでヘリが跳んできた。その後トラバースを続けて、第2尾根にようやく到着、そして稜線にむかってまた登るが、例のごとく、稜線に突き上げるところは猛烈な急傾斜になる。 登り切ってようやく緊張から解かれる。バランスを崩して滑落をしないように、ピッケルを深く突き刺す作業を一歩一歩やってきたものだから、腕も相当疲れていた。 ここからは、頂上に至るルートがよく見える。あとは単純な斜面を登るだけ。(写真7つ目) このあとは、体力のある人は頂上を踏んでから笠ヶ岳山荘に幕営し、翌日抜戸岳までの稜線漫歩をおこなってから、杓子平に下り、さらに穴毛大滝まで下りてから穴毛谷を一の沢出会いまで下山するとよい。(写真8つ目:左上に抜戸岳、その下に広大な雪面の杓子平、そして右にタテに落ちている尾根が抜戸岳南尾根で、その尾根に沿ってすぐ左をまっすぐ下がっている一筋の細い岩陵との間の雪の斜面の下に穴毛大滝がある。) 私は、去年の5月に杓子平までは登ったので、今回はまだ行ったことのない広サコ尾根を下山したかった。頂上をピストンしても良かったが、ここまでであまりに疲れたのであきらめた。やはり普段からトレーニングで体力をつけておかないと、こういう時つまらない。 夏道は、広サコ尾根沿いに谷筋をおりるクリヤ谷コースがつけられていて、中尾温泉に近いところに下りる。ここを行ったのでは、バス道路を新穂高まで上り返さなくてはならないので、一の沢を下りて穴毛谷の入り口に下りようと思う。 時間はあるが、とりあえず幕営適地を見つけて幕営。雪庇の上は平らな雪面があるが、寝ている内に雪庇崩落とともに落ちたのでは大変。雪庇すれすれの岩土の上にテントを張る。 翌朝は天気はいいが、よく冷えていて雪面はアイスバーンに近い。まず夏道どおりに雷鳥岩からクリヤの頭に行くが、夏道はほんのわずかしかでておらず、稜線沿い直下のべったりと着いた雪面を何度も危なっかしくトラバースする。 雷鳥岩をまわりこんで、クリヤの頭に向かうが、ここからは夏道どおりで、クリヤの頭も右側を巻く。ここから、クリヤの谷を下りる夏ルートをはずれて、広サコ尾根を忠実にたどる。ここはルートファインディングが難しい。尾根そのものはしばしば雪が崩れて尾根通しには下りれない。しかも尾根は急であり、右側は雪庇が発達していて、下は崖。 どこが一の沢か、地図と高度計をにらめっこして尾根の直下の雪面をトラバースしながら下りていく。一の沢を発見するのは少し難しい。2度ほど沢が落ち込んでいるのを発見するが、どうも様子が違う。あまりに狭い沢で崖に囲まれている。これは、あとでわかったが、一の沢の支沢であった。あんな所をおりたら、崖に行き詰まる所だった。右下にゆるやかな斜面で続くクリヤ谷が、「こっちの方が楽だよ」とおいでおいでをする。もうあきらめてクリヤ谷を素直に下りようかと思いつつ急な坂を尾根づたいに下りていくと、標高1960mあたり、目の前に地図で1814m峰と書かれたコブをすぐ前に見下ろすところに、一の沢はあった。広サコ尾根が東へ「く」の字に向きを変え、傾斜もぐんと落ちるところだった。 一の沢は、雪庇もなくて問題なく下れる。むしろ第一尾根の方がとても下りれる様相をしていない。雪が崩落して藪と樹林になっているし、傾斜があまりに急だ。 一の沢の下り口は、やはり傾斜は急だが、第三尾根に登ったときの支沢に比べれば楽勝だ。半分ほどおりたら、あとは前向きになってズンドコズンドコ下りて、あっという間に一の沢出会い。そして堰提を越えて、左俣に出て、新穂高の村営無料駐車場へまっしぐら。(追記:村営じゃなかった。最近の高山市大合併で、高山市営か?) この3日間、出会った登山者は、あの遭難した人一人のみ。あとは一の沢で、穴毛谷を下りてきた山スキーヤーが一人先に下りていっただけ。その人は、私がどこから下りてきたのか、不思議そうに何度も振り返って見ていた。 |
| ◆2005年1月 北アルプス:霞沢岳(2646m)・かすみざわだけ | |
| 穂高の展望台、マイナーで入山者も少ない結構きつい山 | |
| 上高地の上に、穂高連峰に対面してそびえているが、上高地からは見られない山で、あまり知られていない。入山
31日の朝、沢渡からタクシーで釜トンネルへ。例年より雪が少ない。しかし、この日強い低気圧が本州南岸上を東進し、太平洋側にも大雪を降らせつつ、強い西高東低の気圧配置へと変わった。歩き始めると降り始めた雪は、このあと夜まで終日降り続けた。 上高地に着くと、バスターミナルの所になんと猿の集団。写真は申年最後の日に「さる年が去る」のを惜しみつつ雪の中でふるえる猿です。 初日は、明神から徳本峠(とくごうとうげ)にむかって1時間ほど入った所へ幕営。霞沢岳を少し甘くみていたので、余裕で幕営してしまったが、本当はもっと朝早く入山して初日で徳本峠まで登ってしまうべきだったか。翌日1日、夜通し降った雪でしっかり新雪が積もった登山道を峠にむけて登る。誰も登っていないので、ラッセルになる。初めは靴が埋まる程度だったが、やがてしばしば膝までのラッセルとなる。峠までの4分の3ぐらいに来たあたりで、日帰りで徳本峠にむかう軽いザックの3人と6人の2パーティーに次々と追いつかれる。いずれにも「トレースをつけてくれてありがとう」「助かりました」と感謝される。このあとは9人が踏み固めてくれた踏み後を登るので、いきなりピッチがあがった。 天気は晴れていたが、穂高はガスの中だった。写真は徳本峠小屋。霞沢岳に登るには、ここからまずジャンクションピークまで400m近く急登しなくてはならない。そして、ここから先に日帰り登山者は登らない。またラッセルになるのは間違いなく、結局ここに幕営。2日は空荷で、ここから一日で霞沢岳をピストンしようと思った。 2日は。軽装になってジャンクションピークにむけて快適に登る。穂高は相変わらずガスの中だが天気はいい。ジャンクションピークを越えて、最低鞍部に向かってダラダラとした下り坂を下りる。途中で樹間から霞沢岳の頂上が見えた。K1ピーク、K2ピークと霞沢頂上がはっきりとわかるが、何か絶望的な遠さにそびえているように見える。やはり初日に徳本峠まで登っておくか、どうあれ二日目に無理してでも最低鞍部まで来ておくべきだったかと弱気になる。 どうも先行者がいるようで、踏み後はあるのだが、それ以上に樹林帯の中は積雪が深く、しばしば股までのラッセルもあり、3つほどコブを上り下りして、とうとう途中でギブアップ。このあと、K1ピークへ標高差500m近くを大きく急登しなければならない。このまま登ったら、峠のテントに戻るのは真っ暗になる。せめてK1に立って穂高を目の前にしたかったがあきらめる。 峠の日暮れは劇的な穂高を眺めることができた。峠のすぐ上の展望台でカメラを持って寒さにふるえながら赤く染まったガスの中から穂高の頭が現れるのを待ってシャッターを押す。 すると、二人パーティーが下りてきた。彼らは小屋の戸を開けて中に入った。なんと、彼らが先行パーティーだったのだ。頂上まで行ったのだろうか。彼らは昨夜は小屋の中に幕営し、朝暗いうちから登ったのだろう。そもそも小屋の一部が使えるということは、私も知っていたのだが、1日に峠に着いたとき、どうやっても戸が開かなかった。どうやってあけたのだろう。かんぬきみたいなものがあって、それを私はみつけれなかったのだろうか。さらに、この夕方、二人パーティーが峠に登ってきて幕営した。明日霞沢に登るのだろう。 3日の朝は、やはり快晴。モルゲンロードに映える穂高を写真に納める。下山はあっけないくらい早かった。 写真は「写真集・穂高連峰」に掲載してあります。そちらもごらんください。 |
| ◆2004年8月 北アルプス:剣岳、北方稜線 |
| 極めて危険で体力のいるバリエーションルート |
| 剣の頂上に立つと、「キケン通行止め ×」の標識がある。その先が北方稜線である。このルートは、八つ峰・源治郎尾根やチンネなど岩登りの名だたるゲレンデで、クライマーが通過する稜線であり、一般登山ルートではない。したがって、ペンキ印も鎖も梯子もいっさいなく、自分でルートをみつけなくてはならず、難所は次から次へとあって相当てこずる。そして初めての場合、ガスが出たら通行は絶対不可能である。2回目以降でもかなり難しい。 池ノ平小屋から阿曽原温泉までの長い登山道も、一応一般登山道だが、絶壁をへつるように大きな雪渓を高巻く所がしばしばあったり、登山道そのものの状態も悪く、健脚でないとガイドブックのコース時間はあてにならない。そして阿曽原から欅平の水平道は、大げさかもしれないが、高所恐怖症の人は足がすくんで通過できないだろう。池ノ平、あるいは仙人池小屋からトロッコ電車の駅のある欅平までの下山は多くの場合一日では無理である。上る場合は絶対無理。 ここを、今回剣頂上から、池ノ平小屋まで縦走し、阿曽原温泉から欅平へおりた。 車は下山予定の宇奈月の駐車場に置き、電車で立山へ、そして黒部アルペンルートで室堂へ入る。これだけで3時間近くかかった。 剣に上る途中、富山県警のヘリコプターが一日中飛んでいた。そして、北方稜線の三の窓で遭難救助隊の人に出会ったが、北方稜線に入った中年夫婦が行方不明とのこと。あとで仙人温泉小屋の主人から聞いたが、長次郎の頭で墜落したらしく、長次郎雪渓のシュルンドの中に落ちていたそうだ。 剣の頂上から眺めても、写真を見ても、さして難なく渡れそうに見える北方稜線だが、実際に足を踏み入れると、一つ一つの岩峰の間に稜線上からは見えない深いギャップがあって、絶壁をへつり、100mの垂直に近い岩壁を登り降りすることになる。左の写真の岩峰も、ごろ石の積み重なり程度にしか見えないが、人間は点にしか見えないほど岩峰自体は大きなものなので安易に考えないこと。 今回の山行では、一睡もしない夜行の車の運転で最初からバテており、剣頂上直下の雪田(帽子と言われている)脇にテント一張り分の格好のテラスがあったので、ここに泊まった。ところが、翌日は雨で視界10mのガス。それをついて出発してみたが、いったい自分がどこにいるのかまったくわからない。 長次郎の頭の基部にいるだろうと検討つけていると、上の方から懸垂下降で降りてくるパーティーがいるので、ここはどこですかと聞いたら、その人も「わからない」と。彼らは長次郎雪渓左俣を上ってきて、剣の頂上をめざしていると言う。長次郎の頭の基部でしょうと言ったら、「いや違う。それは300m先だ」と言う。これではどうにもならないので、引き返して昨夜泊まったテラスで一日停滞。 翌日ガスが晴れて、もう一度同じ所にむかって、昨日の判断は私が正しかったことが判明したが、昨日のパーティーは、雪渓を登り切って、コルから剣頂上をめざせばよかったものを、さらにそのまま頭まで上ってしまって、行き詰まって懸垂下降をおこなっていたことになる。ただ、彼らはそのことを自覚していない。こんな調子がこの北方稜線なのだ。そして同じような状況の中であの夫婦は遭難したのだろうと思われる。 長次郎の頭、池ノ谷のコル、池ノ谷の頭、100m近い垂直岩壁の下降、そして池ノ谷ガリーの岩雪崩れを起こしそうな下降、三の窓から小窓の王の基部の絶壁をへつる急坂の斜上、そして小窓への下降と、その途中の急な雪渓のトラバース。こうして着いた小窓でホッとした。この間、しばしば行き詰まって必死の形相で上り返したり、絶壁をへつって回り込む先がどうなっているのかわからず緊張を強いられたりの連続。 小窓雪渓から、鉱山採掘に利用された池ノ平小屋への水平道への上り口は、右岸の滝が目印となっているが、それ以上に現在は、小さいが白いペンキの丸印が3つも4つもうたれており間違えることはない。小窓雪渓そのものはアイゼンはなくてもなんとか歩ける。 池ノ平からの下山は、のんびり山行とした。ぜいたくにも、仙人温泉にも、阿曽原温泉にも入った。仙人温泉は赤茶けた鉄分を含む湯。阿曽原温泉は無色透明。どちらももうもうと湯煙をあげる源泉を目の前にしての露天風呂であり、どこかの「入浴剤」や「水道水を沸かして」などとはまったく無縁。沸点に近いお湯がぜいたくなほど24時間流れ込んでいる。しかし、ここに来るには相当の覚悟と日程が必要なわけだ。 <写真は、「写真集:剣・立山連峰」のコーナーにあります。そちらもご覧を> |
| ◆2004年5月 北アルプス:笠ヶ岳、穴毛谷ルート | |
| メイストーム(5月の嵐)の前に杓子平までで撤退 | |
笠ヶ岳へ、この季節しか登られ ない穴毛谷から登る。山スキーヤーが登ることがあるが、それもマイナーなルートで、出会った山スキーヤーは全部で10人ちょっと。登山者は誰もいなかった。右の写真は、「穴毛谷」の名前の由来となった洞窟。4の沢出合の少し上にある。本当は、2泊4日で、穴毛谷をつめて杓子平に出て、抜戸岳から稜線をたどって笠ヶ岳に登頂し、さらにクリヤの頭から広さこ尾根を下山するつもりだった。 【左の写真一番上は、2ノ沢出合から穴毛谷の奥を見る。スカイラインは笠ヶ岳の稜線。】 しばしば落石やブロック雪崩れが起きる。いつも上に注意しながら谷の中央部を登る。 ![]() 【左2番目は、穴毛谷の途中からふりかえって見る焼岳と右奥に乗鞍岳】 【左3番目は、4ノ沢出合から4ノ沢を仰ぎ見る】 【左4番目は、穴毛大滝(写真は「写真集」へ移動しました)。この斜面を登り詰めると2400m前後の抜戸岳南尾根に出て、山スキーには格好の広大な杓子平が広がる】 【左5番目は、杓子平の下の位置から見る笠ヶ岳】 穴毛大滝をすぎて急坂を上り詰め、岩尾根を乗越すと広大な杓子平が目の前に広がる。ここに幕営する。夕方から雲が出始め、夜は猛烈な風と雨。翌日の朝は右の写真のとおり、視界20mほどで何もみえない。場所がとにかく雪原で、何一つ目印になる樹もなければ岩も雪におおわれている所なので、文字通り「ホワイトアウト」。このまま停滞したが、天気はますますひどくなり、結局穴毛谷を下山した。東京は30mの強風というニュースをやっていた。 |
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| ◆2004年1月 北アルプス 蝶が岳(2677m) | |||
| 稜線は身体がとばされるほどの強風雪、尾根の深雪にしばしば難渋 | |||
| 12月31日、新穂高ロープウエーで入山。西穂山荘に立つと猛烈な風とガス。本当はこの日はここに幕営し、独標まで往復して、翌日初日の出を迎えようと思ったが、天気は悪いだろうと思い、先を急いで上高地におりる。 冬の上高地には、釜トンネルを歩いて入るか、今回の私のように新穂高ロープウエーを使って西穂から入るかがほとんどだ。上高地におりたった所で幕営。 ところが翌元日の朝、東の空が明るい橙色に輝く。西穂山荘にいればよかったと少し後悔。朝日に輝く六百山の写真(右の写真)をとる。美しかった。そして、上高地から見る穂高連峰も美しかった。この時はまだ空が青かった。しかし、それも朝の内だけ。この山行の間いっかんして雪がしばしば降り、風は強く、空はつねに灰色だった。 1日は徳沢まで歩き、さらに長大な長塀尾根の2000m地点に適当な所をみつけて幕営。一気に蝶が岳の頂上まで登るのもいいが、まったくの体力不足ゆえあまり無理せず、樹林の中の具合の良さそうなところに早々と幕営してのんびりかまえる。 この日、明神から徳沢に向かった時、いきなり長野県警ヘリ(左の写真・・・山岳警備隊員 この5件の遭難のうち4件までが、私が入山した常念山脈でおきていた。 連日、夜になると風が強く吹雪いていた。極端に雪の降る量が多いわけではないが、それでも踏み後はしばしば消されていた。2日は長塀尾根を登る。登り切った所で、期待したロケーションはもはやのぞめなかった。猛烈な強風に身体が吹き飛ばされそうになり、写真を写すどころではない。(この時、なんとか写した写真は写真集のページでごらんください)小屋の中でのんびりする。 2日の夜は、蝶が岳ヒュッテの冬期小屋に7人が泊まった。ちょうどゆったり過ごせる人数だった。燕岳から縦走してきた二人パーティーの内「山岳会の指導員」という人が、「冬山は体力ですよ。ワハハハッ」と豪快に話し、常念岳と蝶が岳の鞍部あたりの樹林帯は、胸までの深雪で、踏み後ももちろんなく、普通1時間で通過できる所を迷って4時間ラッセルしてルートを再発見したどりつけれたと言っていた。「もしルートがみつけれなかったら、ビバーグする用意があればビバーグすればいい。とにかく冬山は体力ですよ」と。そして、「こういう状況の中で動けなくなった人が凍傷を負ってヘリで救助された」という新聞に載った遭難のことを言っていた。 3日の朝はやはり強風と雪。目の前のすべての山がガスの中でなにも見えない。 下山は早かった。踏み後がしばしばなくなっていたが、ピストンの有利さで、ほとんど迷うことなく脱兎のごとく2時間で徳沢に下りた。そして、ここからがいつも冬山のいやなところ。明神、上高地、そして釜トンネルと延々と歩き続ける。釜トンネルを出たところに偶然タイミング良くタクシーが待っていてくれた。西穂ロープウエーの駐車場までと言ったら、びっくりしていた。「あんた山越えてこっちへきたのかね・・・・!?」 |
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| ◆2003年8月 後立山連峰 鹿島槍ヶ岳=五竜岳=唐松岳=天狗の頭縦走 | |||||
| 八峰キレット・不帰の嶮などの難所が続く縦走路 晴れたのは半日だけの霧と風雨 |
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| 後立山連峰は、すべての山を登っているが、その間の縦走では、難所といわれる鹿島槍と五竜の間、そして不帰の嶮(かえらずのけん)はまだ渡っていなかった。これらは一般縦走路だが、奥穂=西穂間、北鎌尾根、涸沢=北穂=大キレット間などと並ぶ北アルプスの難所の一つ。 と言っても、お盆をはさんだ4泊5日の内、晴れたのはわずか半日。あとは、霧・強い風雨・雨と今年の冷夏にたたられた。そのために、とうとう一度も鹿島槍の美しい双耳峰は見ることができなかった。 <初日>大谷原から赤岩尾根を登る。えらく急坂が続く尾根だ。深い霧のために、いったいどこまで登ったかわからず消耗する。冷池山荘に幕営。 <2日目>朝から強い風雨。しかも、この日に難所の鹿島槍から八峰キレットを越えて五竜まで行くつもりだった。 <3日目>五竜を越える岩陵帯の連続。やはり霧の中。時々雨も降る。五竜山荘で昼ご飯 唐松岳頂上山荘のテント場に幕営。 <4日目>未明に月明かりで目が覚める。満月に近い月でライトがなくても歩けるくらい。そして、快晴の日の出。剣岳、五竜岳が朝日で赤く染まる。(右の写真は剣岳と立山三山) 不帰の嶮は鎖場が連続するが、一番きつかったのはU峰だろう。不帰U峰に登ると、切り立った岩峰の両側が鎖場になっているのだが、反対側に乗越す所に、4人もの登山者が窮屈そうに座って休憩をとっている。見晴らしはいいだろうが、その人の間をすり抜けて危なっかしく鎖にとりつく者にとってはなんともはた迷惑なことだ。東アジアの隣国の人達だった。 このU峰北側は、鎖の連続。水平な鉄梯子はつかまる鎖がブランブランして、橋になっている梯子自体が狭くて下は奈落の底。その後の垂直の壁の鎖場は、下におりてから見ると、ずっと下まで垂直に切れ落ちた絶壁になっていて後でびっくり。 キレットからの天狗の大下り(唐松から行けば大上り)は相当消耗した。どこまで行っても上があるという感じ。下りてきた人が「もうこれ以上下りたくない」と独り言を言っていた。 天狗山荘までなだらかな稜線漫歩を楽しむが、この段階ではもう曇っていて見晴らしはなし。晴れていたのは朝だけだった。ただ白馬岳が近づいて、さすが花の数と種類が多くなった。 白馬村村営天狗山荘に幕営。ここは豊富な雪渓があって、それが水源。広いお花畑がある快適なところだ。 <5日目>鑓温泉小屋を経由して猿倉へ下山。ずっと雨で、時に激しく降る。鑓温泉で1時間以上休憩し、露天風呂につかる。標高2010mの温泉。「自然湧出量、標高日本一」と説明。要するに標高では2300mの立山みくりが池温泉に負けるが、自然湧出量では日本一標高の高いところにあるということだろうか。ざあざあと湯煙をたてて沢に流れ落ちていくお湯をみているともったいなく感じる。 今年は冷夏で、雪渓が豊富に残っており、しばしば雪渓渡りをやって下山。雨が降ると増水して渡れなくなる沢も心配だったが、今年は深い雪渓におおわれていて難なく通過。小日向のコルからは、快適にとばして一気に猿倉へ到着。 タクシーで大谷原の車の所まで戻る。鹿島部落を通る時、大正時代から登山者に「鹿島のおばば」と慕われたことで有名な鹿島山荘の屋根に猿が一匹乗っかっていた。 【写真は、休憩のページの「後立山連峰」コーナー、「山の花」コーナーでもお楽しみください。】 |
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| ◆2003年5月 北アルプス 弓折岳・双六岳・三俣蓮華岳近辺 | ||||
| 360度ぐるり大展望、連日快晴にめぐまれました | ||||
| 5月連休を使って行ってきました。新穂高温泉から左俣谷へ入山。すぐに林道は雪道に。わさび平から先の秩父沢にかけては雪崩のデブリが谷筋から大きく押し出しているところがいっぱいあって、それを乗り越えて先に行くが、その規模の大きさに驚く。見上げればまだ落ちてきそうな雪庇が稜線上でせり出している。これからまだ雪庇の崩落や全層雪崩がおきる危険性があるので、天候などに注意しないと。 弓折岳への登りはえらくきつかった。鏡平へはまわらず、急坂を頂上へ直登。次第に見えてくる槍穂連峰。雪庇を踏み外しては大変と、慎重に踏み跡を選びながら双六小屋への稜線を上り下り。 双六小屋一帯は、山スキーを楽しむ人でいっぱい。ゲレンデスキーでは味わえないダイナミックな滑り、標高差1000m近くを自分でコースを考えて一気に滑り降りる自由さ。みんな雪崩ビーコンを首からぶら下げている。予想はしていたが、やはり登山靴でのこのこ歩いて登っている自分が違和感を感じるほどのスキーヤーの多さだ。 双六小屋にテントをかまえて遊山漫歩。快晴のもと、360度なにもさえぎるものなし。雲一つない。遠くに見える山を除いても、目の前に眺めることができた百名山は(私は百名山主義者ではないが)薬師岳、黒部五郎岳、水晶岳、鷲羽岳、槍ヶ岳、奥穂高岳、常念岳、笠ヶ岳、焼岳、乗鞍岳。さらに2百名山は餓鬼岳、燕岳、大天井岳、三俣蓮華岳。とにかく北アルプスのど真ん中。まわりぐるりは北アルプスの山々。人の手のかかったものは山小屋以外一切見られない。当然「遠くにふもとの街の灯が・・・」などというものも見えない。 三俣蓮華から、目の前の鷲羽岳は百名山でもあり行こうと思ったが、とにかく体力不足。選挙が終わったばかりでクタクタの不肖にとってあくせく行くより、ここは大展望をのんびり楽しんだ方がいいと決め込んで、今回は「ボチボチ山行」とした。 下の写真はごく一部ですが、お楽しみください。写真集のページにもあります。 |
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| 写真集の方へ移動しました。そちらでお楽しみを。 |
写真集の方へ移動しました。そちらでお楽しみを。
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| 槍穂連峰全体(弓折岳付近より) | 大キレットから西穂まで(弓折岳付近より) | 手前が西鎌尾根、向こう側が北鎌尾根 | 三俣蓮華の尾根の向こうに雲ノ平、その上にそびえる薬師岳、左に黒部源流 | |
| 岩の上で日向ぼっこの雷鳥。バックは水晶岳(左)とワリモ岳(右) | 黒部五郎岳(三俣蓮華より)カールは深い雪に埋まっている | 三俣蓮華岳(奥) | 双六小屋と鷲羽岳 その後に水晶岳 |
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| ◆2003年1月 北アルプス後立山連峰 爺ヶ岳(南尾根コース) | |
| 五竜岳遠見尾根をめざしたが、スキー客の多さと駐車場の混雑、テレキャビンの行列に戦意喪失し、爺ヶ岳に転進。静かなところがやっぱりいい。積雪も例年より多いので、遠見尾根のラッセルも敬遠した。 黒部アルペンルートの扇台駅すぐ下が南尾根の登山口。種池小屋へ行く夏道ルートは雪崩の巣なので、忠実に尾根づたいに登る。1日は曇だったが、時おり晴れて種池小屋から針ノ木岳にかけての後立山連峰南部の稜線がずっと見渡せた。真っ青な空に純白のスカイラインが美しい。 ジャンクションピークにテントを張ったが、1日の夕方から天候は荒れ出した。一晩中強烈な風と雪。気温も零下18度。2日の朝もずっと地吹雪を巻き上げる風雪が続くので、昼過ぎまでテントの中で停滞。昼過ぎてもしおさまったら爺ヶ岳頂上を踏もうと思ったが、午後2時になっても風雪はおさまらない。 積雪量はかなりになっており、風雪がおさまっても、相当のラッセルを覚悟しなければならないので頂上はあきらめた。その日は日没近くまで荒れていた。 下山して遭難があったことを知った。同じ後立山連峰の唐松岳八方尾根で、某大学山岳部OBの熟年登山者4人パーティーの一人が死亡(心筋梗塞)。そして労山所属の50代女性二人パーティーが死亡(凍死らしい)。私のいた山の3つ北のすぐそばの山だ。おそらく大量の積雪で予定が狂い、ラッセルなどの激しい疲労の上に、あの1日夕方から2日にかけての暴風雪にやられたのだろう。 写真は、「写真集=後立山連峰」を見てください |
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| ◆2002年8月 涸沢岳〜槍ヶ岳縦走 | |||||
| 最初から、最後まで霧と雨の中。360度展望はまったくなし。したがって、残念ながら今回は写真はわずかな花だけ。槍の穂先にのぼっても、視界20mの霧に中。そのかわり飛騨泣きでお尻が寒くなる思いをしなくてすんだ。 | |||||
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