海兵隊がやってきて―大分・日出生台の5年(1)
米軍基地に変ぼう
大草原つぶし米軍施設 『俺たちのまちじゃないみたい』
しんぶん赤旗九州・沖縄面2002年2月13日
沖縄での米海兵隊による県道越え実弾砲撃演習が1997年に本土5カ所に移転されてから5年目。移転先の一つである大分県日出生台演習場では、2月1日から8日まで4回目の海兵隊の実弾砲撃演習が実施されました。日出生台はどう変わったのでしょう。(大分県・大星史路記者)
地域の将来見づらくなる
「海兵隊が持ってきたものは、おれたちが生きてきた地域の将来が見づらくなったということだ」同演習場で牛を放牧している衛藤洋次さん(42)はこう話します。
日出生台では長年、畜産農家が演習場内の草原で放牧し子牛を育てる生活が続いています。日出生台を訪れると、広大な草原の中に吸い込まれるような大自然に出合うことができます。その草原の中で黒牛がゆったりと草を食(は)み、冬には一面が雪の銀世界に覆われます。
地元住民のだれもが「誇り」としている日出生台の大自然と一体となった生活。それがここの暮らしでした。
周囲にロープ張り巡らされ
米軍移転から5年目。演習場の周囲には、それまではなかったコンクリート製のくいにロープでさくが張り巡らされました。
住民が『ホテル』と呼んでいる3階建て、3百人収容の兵員用の宿泊施設、食堂・厨房・シャワー施設。さらには数千発の砲弾の集積ができる大規模な弾薬一時集積所へ車両整備場(洗車場)、射撃情報提供施設、着弾監視装置、射撃陣地施設、野外トイレ…。
演習場内は、日本の負担で31億円余をかけて様々な米軍用施設が相次いで建設されました。 すべては米軍訓練のため未来永劫(えいごう)ここを米軍演習場にするかのようです。(写真=「ホテル」とよばれる米軍用宿泊施設。周辺道路も整備されている=日出生台演習場・大分県湯布院町)
「米軍が来て日出生台が変わった。おれたちの日出生台じゃないみたいだ」。住民は口々にいいます。 海兵隊の演習場は米軍の地位協定で治外法権となります。実際、昨年の公開演習で民間人に155ミリりゅう弾砲を撃たせた事件は、住民の怒りを呼びましたが、日本の法律で裁かれませんでした。(つづく)
海兵隊がやってきて―大分・日出生台の5年(2)
移転補償
寂しいでこたえん… 演習開始の日に家取り壊し
しんぶん赤旗九州・沖縄面2002年2月14日
日出生台演習場のすぐそばにある玖珠町日出生地区の一軒の民家。重機がうなりをあげ、バリバリと家の屋根をはぎとり、下からわらぶきが露出しています。(写真=「移転補償」で民家が取り壊された=2月1日・玖珠町)
海兵隊演習が始まった2月1日、その日のうちに民家は取り壊されてしまいました。米軍演習移転にともなう国の「移転補償」措置で、この地を去ることになった住民の家です。
「寂しいでこたえん。生まれてからずうっとここに住んじょるのに。防衛庁からなんぼかでんお金が出るから、この際ちゅうことじゃろうけど…」。近所の70歳代のおばあさんは壊されていく家を見ていました。「寂しいでこたえん…」。何度も何度も口をついて出ていました。
地元の要望の制度ではない
「移転補償」措置は、演習場周辺の地域を対象に、国が民家や土地を買い上げ住民の移転を「補償」するというもの。2000年度から実施されました。福岡防衛施設局の「ご案内」には「住民の申し出により」移転措置がおこなわれると書いていました。しかし「移転補償」措置は、地元住民の要望でできた制度ではありません。
活性になれば「公園」を造成
衛藤洋次さん(畜産農家)は「昨日まで電気の灯(とも)りよった家が今日は更地になっちょる。疑問を感じる。反対だ。もっとここに住みやすくするという考えであるべきじゃないか」といいます。
地元後継者グループ「人見会」は昨年、日出生地区にわき水を利用した「大地の湧水公園」を造りました。ここに親子が憩い、「おいしい」といって水をくみに来る人もいます。近所のお年寄りは「ここは名所じゃ」と自慢します。(写真=「地域の活性化を」と後継者グループが造った「大地の湧水公園」=玖珠町)
とにかく海兵隊の演習移転が一番の日本政府。これに住民の方から『対抗』するかたちで「人見会」が情熱を注いだものです。会長の高倉登志雄さん(43)は「地元の活性化につながれば…。多くの人に日出生台に来てもらいたい」と話します。
「『痛み』を受けるのは結局、海兵隊の演習場があるところだ。出て行くのは海兵隊。本国に帰ってもらいたい」。高倉さんは日出生台での4回目の海兵隊演習を見守りました。 玖珠町では、今年度中に6世帯10人が地域を離れるといいます。
海兵隊がやってきて―大分・日出生台の5年(3)
「沖縄と同質同量」
夜間演習は32日中19日 おれたちはイヤだといい続けたのに
しんぶん赤旗九州・沖縄面2002年2月15日
在沖縄米海兵隊が初めて日出生台演習場で155ミリりゅう弾砲射撃をしたのは、4年前(1999年)の2月4日。日出生台は雪に覆われていました。それは、いきなり夜間演習から始まりました。
"一生この日は忘れない"と…
「こいつら何を考えているのか。おれたちが夜間演習はしてくれるな、嫌だといいつづけてきたのに」―。地元住民は、"一生この日は忘れない"と涙を流しました。
日出生台演習場で実施された4回の海兵隊演習のうち夜間演習は、32日中19日、6割に及びます。
沖縄ではやられていなかった夜間演習。しかし海兵隊実弾砲撃演習の本土分散移転の政府の公約は「沖縄と同質同量」でした。
日出生台演習場では、米軍演習について福岡防衛施設局と大分県、地元3町との間で「使用協定」が結ばれ、一日の演習は朝7時から夜9時までとなっています。
今年の海兵隊演習の2日目、演習終了を告知するサイレンは午後8時59分に鳴り響きました。このサイレンが鳴り終わるまで住民の緊張は続くのです。
その後も―。暗やみと静寂に包まれた演習場の中で、時々光の点が動いているのが見え、海兵隊が確かに"何か"の訓練をしていることをうかがわせました。
演習場を見渡す高台で監視活動をしている遠入健夫さんは「暗やみの中で海兵隊はいったい何をやっているのか。演習期間中、こうして住民は緊張させられ、しばられる。海兵隊が主人公になっている現実を見てほしい」と訴えました。(写真=監視センターから夜間演習を見守る住民ら=大分県日出生台演習場・玖珠町)
海兵隊が砲撃訓練の他に、NBC(核・生物・化学)訓練を実施したことは、日出生台に滞在したデイビット・A・ケリー第三海兵師団第12連隊大隊長(中佐)が地元住民に言明しています。今年の演習中に、海兵隊員の一人が別府市内の病院に搬送されるということがありました。
医療施設まで組み込まれて米海兵隊は、これまでに演習の事前調査で県内の医療施設を視察。国立別府病院には、米軍医、防衛施設庁職員らが訪問し、救急室や手術室など院内施設を調査していました。
兵員と装備品の移動は、民間会社の貸し切りバス、トラック、トレーラーなどによっておこなわれました。民間会社や国民の健康を守る医療施設が、海兵隊の演習に組み込まれていこうとしています。
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| 国立別府病院を視察する米軍医ら=1998年12月15日 |
暗闇の中、電光警告塔が光る=日出生台演習場 |
4海兵隊がやってきて―大分・日出生台の5年(4)
人と土地愛して
癒しの里≠ノ演習場はいらぬ 沖縄・全国の人と結び追い出そう
しんぶん赤旗九州・沖縄面2002年2月16日
いやしの里%瀦z院町。思わず散策したくなるような落ち着いたたたずまい。日出生台演習場の麓(ふもと)にある同町は、米軍演習移転が持ち上がった6年前、町、議会、商工会、観光協会など50団体以上が参加して町民連絡会議をつくり町ぐるみで反対運動がわき起こったところです。
戦後の体験今に米軍は嫌だよ
モダンなつくりのJR由布院駅から通りを歩いていくと、一つのおしゃれな店の入り口に「在沖縄米軍海兵隊第三海兵師団の方々は立ち入らないで下さい」と書いた張り紙を見つけました。(写真)
由布院温泉観光協会が昨年に続き作成したもので「由布院をどうかそっとしておいてください。実弾砲撃訓練が廃止され、市民として訪問されるときには心から歓迎します」と記されていました。
昨年3月、演習場を抱える玖珠町、九重町、湯布院町の地元三町は町議会で、日本政府に米軍演習の中止と日米地位協定の見直しを求める意見書を採択しました。
「米軍は嫌だよ。なれることはないよ。戦後直後、日出生台が米軍に接収された時ここらへんの人はひどい目にあったからね」。玖珠町に住む喫茶店の主人は語ります。
演習場地元の高倉登志雄さん(43)は「米軍演習が始まる2月が近づいてくると、知らず知らず緊張してくる。ほんとに嫌だ。痛みがあるのは結局、演習場を抱えているところだ」といいます。
父ちゃん≠フ沖縄に教わった
今年の海兵隊演習時には、沖縄から反戦地主ら20人が日出生台に駆けつけ住民と交流しました。反戦地主の有銘政夫さん(70)は「沖縄の痛みは分け合えるものではない。みなさんと連帯して海兵隊を追い出そう」と訴えました。
海兵隊が来て本当に大切なものを見つけたという地元の畜産農家・衛藤洋次さん(42)=玖珠町=はこう話しました。
「沖縄はおれの父ちゃん。沖縄にいつも教えられてきた。本当に大切なのは人と土地を愛すること。それがおれの平和運動だ。日出生台に星条旗は似つかわしくない。海兵隊はここに大切な友人を持ってきた=Bここでがんばることが沖縄や全国に広がればいい」(おわり)
(写真=沖縄の反戦地主と一緒に抗議。訴える衛藤洋次さん(左)=2月7日・日出生台演習場ゲート前)
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