D.sessilifoliaの花を求めて
Fernando Rivadavia Lopes
(訳:間渕 通昭)
ブラジル在住の食虫植物探検家フェルナンド氏の探検記・南米篇である。食虫植物関係者未到の地ネブリナ山を遂に踏破(この詳細は別の所に書いておられる)した後も探検を続けようという熱意が物凄い。本文もD.sessilifoliaの花を求めての苦労が熱意ある文章で綴られている。なお、D.sessilifoliaは日本でも御馴染みのクルマバモウセンゴケD.burmanniiの近縁種で、産地が異なることを除けば、花の形状が若干異なる程度で、区別は専門家にしかできないといわれる。日本にも種子から導入されているが、誤種やどうみてもD.burmanniiとしか思えないものばかり(我が家もそう、今や雑草)で、本物はどこ?というような現況である。
1998年12月から翌年1月の間の6週間、私はブラジル北部およびベネズエラ南部を旅行した。この旅行の主目的は、ブラジルの中で最も高く、下界から隔絶された幻の山ネブリナNeblina山(標高3014m)、に登ることだった。この山は、熱帯雨林に覆われたブラジル/ベネズエラの国境に位置し、Heliamphora tatei var.neblinaeやDrosera meristocaulisなど固有の植物があるという。各国から集まった7人の食虫友達とともに、2人の経験豊かなガイド、3人のYanomami族インデアンポーターの助けを得て、沢山のお金と忍耐、そして沢山のハイクにより、この憧れの地に何とか到達することができたのだった。ここで我々は、H.tatei var.neblinae、D.roraimae、新しいドロセラ不明種、Utricularia quelchii、U.campbelliana、U.alpina、U.humboldtii他多くの興味深い食虫植物を見つけた。しかし、D.meristocaulisは見つからなかった。
ネブリナから帰った後、メンバーの殆どは帰国したが、2人と私はアマゾン探索へ向かった。私は母国ブラジルをはじめ世界のあちこちに行ったが、アマゾンに一度も行ったことがないのだ。そして今回を逃したら、次はいつこのブラジルの反対側を探索する機会があるか分からない。
まずブラジル北部のテプイSerra do Araca(アラカ)を探検した。これは、ベネズエラとブラジルのAmazonas州、Roraima州との境界に位置する未探索のテプイ群の一部で、高原の標高は約1100m、山頂約1500mである。ここでは残念ながらヘリアンフォラもゲンリセアも見つけられなかった。見つかったのは、ハエトリグサの捕虫葉のようなギザギザのある萼片を持つ希少種U.longeciliataなどミミカキグサ類、ドロセラ不明種2種(新種?)である。
ここでまた1人が帰り、残り2人はRoraima州を通ってベネズエラ南部へ北上し、約30種を見つけた。特筆すべきは、Heliamphora heterodoxa、Genlisea guianensis、Brocchinia reducta、Catopsis berteroniana、およびドロセラ6種だった。これらはテプイではなく、サバンナ似の平原グランサバナGran Sabana(標高1100-1450m)で見つけたものである。
ともかく、本題のD.sessilifoliaの話に移ろう。本種はベネズエラ北部からブラジル南西部にと南米産ドロセラではD.communisの次に広範囲に分布する種である。さらにボリビア、ペルー、コロンビア、スリナムなど、ブラジルと接している他国にも、今の処報告例はないがよく探せばあるかもしれない。D.communisが多年草であるのに対し、D.sessilifoliaは一年草で短命なため自生しているのを見つけづらい。バスでボアビスタBoa Vista(Roraima州都)からグランサバナへ北行する間、我々は顔を車窓にくっつけ血眼になって自生地を探していた。そして、バス運転手が「停車10分!」を叫んだ途端飛び降りて、人生で最も短い10分(!)で辺りの食虫植物を探したのだった。薮に飛び込み、典型的なburitiヤシにより取り囲まれた小川に向かう。ブラジルで知っているがこういうところは要注意ポイントなのだ。多くのU.simulansと、D.bifloraであろう小さい赤味がかったドロセラ1株が見つかった。このドロセラはさじ型の葉をもつ、広がったロゼットを地面に平らに形成する種で、長さ数cmの弱々しい花茎に多くの場合1つ(希にその名の通り2つ:「bi=2つの, flora=花」)の花がつく。友人がバスを止めていてくれたからよかったものの、すんでのところで置いていかれるところだった。
結局、D.sessilifoliaを見つけたのはグランサバナからブラジルに戻る途中の道端、柵の脇だった。標本の情報から、ボアビスタ周辺の平原でこの種がよく見られ、標高0mの暑い所と知っていた。その辺りの川周辺をチェックしたが、同じD.bifloraとU.simulansだけだった。そして、buritiヤシ周りの水の流れと川との間の草深い所を注意深く、何度も探して見つかった。草の蔭にやや隠れて黄色っぽいD.sessilifoliaのロゼット、これではなかなか気付かない。D.sessilifoliaは分布は広いが、非常に特有で限定された所のみに自生するので、おそろしく発見しにくいのだ。しかも1年草で開花期間が極めて短いため、花を見るのは更に難しい。他のドロセラ同様、開花しているのは朝の数時間だが、D.sessilifoliaの場合は、近縁のD.burmanniiのように花弁を完全に広げないのだ。雲が太陽を少し隠しただけでも花は開かずに終わってしまうらしい。私が幸運にも開花に立ち会えたのは1992年7月、Pantanalというブラジル西部の広大な草原でのことだった。以降はすっかりご無沙汰である。
ここ数年のブラジル探索では、私の故郷サンパウロから1000-1500km離れた辺りで5ヶ所のD.sessilifolia自生地を発見しただけだ。そこで花を見ようと綿密に計画を立てたが、時期を外してしまったり、自生地に到着したら時刻が遅かったり、曇りだったりで、全て「はずれ」だった。何年も失敗を続けるうちに、私の中ではD.sessilifoliaの花は妄想にまでなっていた。
そこで今回D.sessilifoliaを見つけた時、まずしたことは「花茎があるか確認」だった。今は乾季の初めから中頃で、花を見るのに最も良い時期だ。「花茎のある株がありますように」と祈るように見ていくと、ラッキーなことに、いくつか花茎を立てている株があった。午後なので勿論花自体は開いていないが、。こで気付いたのは、ほとんどの株が下葉を枯らしながら1-2cmほど茎立ちしていたこと。ほとんど腺毛のない小さな葉をわずかに残した株と、生育期を終えた(dry out)株がある。生きている株も、下の枯葉のロゼット部分の方が大きく、縮んで枯れる寸前になっている。
翌朝自生地で花を見ることにし、ホテルに戻ってバスチケットを変更した。午後はホテルで完全休養に充て、このところの疲労と睡眠不足を解消した。我々はネブリナ−アラカ−グランサバナの超強行日程に疲れきっていた上に、ボアビスタは死ぬほど暑く(何故あんな所でD.sessilifoliaたちは生きていられるのか分からん)、ホテルの冷たいシャワーが何と有り難かったことか。
翌日は、Manausへの帰りのバスは4時、自生地への往復を考えると時間はあまりない。昨日の場所に急ぐ。朝なのに日が照って暑い。人生2度目のD.sessilifoliaの花に出会えるだろうか? 昨日の黄色のロゼットを漸く見つけた瞬間、桃−ライラック色の小さな花が1つ、はっきり開いているのが目に留まった!何たる喜び!自然のこのまれなる贈り物にやっと再会できたのだ!早速、小さい手袋のように先が分かれた、面白い形の柱頭をカメラに収めることにした。アメジスト色がかっていて、前撮ったものと異なるように思われた!
その場を離れるにはしばしの時間を要した。近くに別の多く生えている場所を発見したものの、その頃には雲が太陽を遮り、そこの2,3の花はもう閉じ始めていた(まだ朝の9時半なのに)。明らかにたった今閉まったところで、もう開いている花はない。それでも、さっき1つを見られただけで十分ラッキーだった。
その後、川の両側およそ1kmを探検したが、大きな亀を発見した他は、既に花の閉じたD.bifloraだけだった。この花も、明るい桃−ライラック色のようだ。面白いことに、この種類はD.sessilifoliaのまわりの少し湿気が多い土にだけ生えるようだ。
サンパウロに帰った後も、どうしてD.sessilifoliaとD.bifloraが、あのように限られた箇所にのみ生息するのか?という疑問が頭から離れなかった。なぜ川に沿っては見られなかったのか?これと、D.sessilifoliaは栽培下であまりうまく育たず大きくならないことと関係あるかもしれない。今のところ考えつく答えは、これらの2種が肥料分を必要とするのでは、ということだ。ボアビスタの2ヶ所の自生地はいずれも道路と道の柵の近くで、牛や馬が糞をするような場所である。これで、少なくともD.sessilifoliaについては、それが希産種である理由を説明できるように思う。まあ、たとえこれが間違いでも、D.sessilifolia栽培の鍵になるかもしれない。一度試してみて欲しい。