メキシカンピンギは本当に乾燥が好きか?

稲穂徳人

メキシカンピンギキュラはご存じのように10月頃から4月頃までに小さな鱗状の葉が固まって特異な芽を形成するが、これはいわゆる乾燥に耐える為といわれている。しかし中にはまったく形成しないものもあり、これらは冬芽を作る品種と同じ管理をすると枯れてしまう。そうかと思うと、非常に固い冬芽を作って地中に潜り、からからに乾かしてやらないといけないものもある。その辺の品種はうっかり水に浸かつたりすると腐ってしまう。一口にメキンコ産といつでも、実に多様な性質を持っているグループだ。
良く言われるのだが「メキンカンピンギは、どの程度乾かしたらいいのか判らない」と言う質問が多い。乾かすと言つても、カリカリにして一冬ほったらかしにしておいて生きているのは件の超乾燥体質の連中だけである。しかし、エキスパートの栽培品を見ると、水苔がちょっと触つたくらいでは崩れない程かちかちに乾いて固まっている。中には、鉢からすっぽり抜けてしまっているのに、無数に花が上がっているという極限状態のものもある。これを鵜呑みにして思い切り乾かしてかちかちにしたらまず枯れてしまう。この謎は、空中湿度にある。コンポストは植物を固定するだけの状態であっても、豊富な空中湿度の為に植物が生きていられるだけの水分は供給されているのである!霧を吹くのは水を直接植物に与えるのではなく、実は空気中に水分を含ませる為に行なうのだ。現に、洋蘭を作っておられる方のところでは非常にピンギキュラは大きくなり、艶々していかにも健康そうにできる。乾き気味が好きだという意外に難物のP.gypsicolaですら、こういう環境を持つ方のところで作るといとも簡単に出来る。なにしろその道のエキスパートの手に掛かるとP.gypsicolaを暮れの頃に葉挿しして翌年の夏には開花、冬には10円玉位の冬芽の株に仕立ててしまう。毎年研究会の新年会でP.gypsicolaは即売に出ると奪い合いの人気ぶりだが、これを同じクオリティで維持する事も難しいのではないだろうか?正直言って、私も苦手である。バラして葉挿しして小さな苗で幾つか持っているのが関の山で、恥ずかしい話だが自分の栽培場でP.gypsicolaの花を見た事がない。全滅させないで一年持たせるのがやつとの有様だ。確かにコンポストを湿り気味にすると腐ってしまうが、乾かしてしまうとどんどん小さくなって、たちまち芯だけになってしまう。また、P.rotundifloraも然りである。セルトレーいっぱいに100輪余り開花したものを見て、鉢に満作状態に作りたいと思っても意外とままならないものだ。
メキンカンピンギキュラは中南米の高山帯に分布し、多くは石灰岩の絶壁や木の表面にへばりつくようにして生育している。最低気温は10度を割らず、夜間はたっぷり水分を含んだ霧が発生する。乾期といっても、私達が思い浮べるサボテンや竜舌蘭が茂る、乾き切った岩砂漠のメキシコの風景とは違い、ピンギキュラが存命するだけの水分は十分に供給されているのだ。むしろ、根からは水分を殆ど吸い上げる事無く、苔等の中に植物体を固定するだけのものなのだ。下手をしたら、冬芽の時期は殆ど根はなくなってしまう。恐らく、根を失って転がり落ちた冬芽がバラけ、新たなところで無性繁殖を行なって生命を繋いできたのだろう。素晴らしい生きる知恵だ。その生活サイクルのメカニズムをうまく理解してやる事が、ピンギキュラ栽培の成功の鍵になるといえよう。乱暴な話だが、越川氏は以前ピンギキュラを高井戸にお住まいの頃にネぺンテス温室の中でロックウールに植えて育てていた。十分な温度と湿度があり、かつ水が掛からないようにアクリル版で仕切った区画の中で素晴らしい出来栄えだった。まったく、コンポストを色々苦心惨僧するのが阿呆らしくなってくる。旧越川邸の温室内で、P.gypsicola Santa Gertrudisが500円玉よりも大きな冬芽になっており、田辺氏や服部氏と垂進の眼差しを向けていたのもまだ鮮明な記憶だ。ただし、一度乾いてしまうと散々な目になってしまうが、一度ある程度水が浸透すれば、夏でも一ヵ月は空中湿度だけでまったく問題なく育っていたそうだ。是非、南総食虫植物園でもこういったデモンストレーション栽培を実演してもらいたいものだ。 これは極端な例ではあるが、あくまでも自分の栽培場と住んでいる土地の環境を熟知した上での経験から打ち出した栽培法である。ここまで辿り着くのには、どんなベテランでも夥しい失敗を重ねた経験の蓄積の結果なのだ。だからこその最高の出来栄えを発揮出来るのであるといえる。失敗してみないといったい何が悪いのか判らないし、仮にうまく行っててもその要囚が判らない。究極の教科書は植物と栽培家の対話だ。毎日良く植物を眺め、良く観察して今の機嫌を見抜く。気分はお百姓さんである。基本を押さえつつ、自分の環境に合わせて試行錯誤をしていくしかないようだ。湿度は常に高くてもダメで、植物がふやけて軟弱になってしまうし、乾湿のサイクルがないといけないようだ。割にとっつきやすいが、真剣にやり始めると実に面白く、なかなか一筋縄ではいかない。でも、ある程度の難問をクリアし、好みのものがはっきりしてくると面白さは倍増する。
また何年も咲かない大株は、植え替えや葉挿しのために葉を取ったりする(取りすぎるとだめ)と、刺激になって開花した例もある。3年以上開花していないものは試してみるとよい。この、空中湿度とコンポストの湿り気のコントロールの匙加減がクリア出来れば、ピンギキュラの栽培はぐつとやりやすくなる。是非自分の栽培場に適した状態を見極めて、素晴らしいピンギキュラを作ってみてほしい。うまく行くと、本当にびっくりする程良い出来栄えになり、思わず惚ればれとしてしまう。この、得も言われぬ忘我の批惚を味わってしまったら、最早彼等の魅力から逃れる術は、ない。