
第13冊
私は、日本共産党山梨県委員会の青年学生委員会の担当ということもあって、少しでも青年学生の気持ちをわかりたいとできるだけ多くの教育書(幼児教育から大学教育、カウンセリングなど)を読むように心がけています。
どの本も多くの示唆に富み「なるほど」と思うことが多いのですが、心から共感できる本と「分析は正しいとおもうけれど、いま一つ共感できない」と思う本があります。
共感できる本か否かの違いは、著者が子どもや青年のつらさやせつなさに心を寄せながら、冷静に、沈着に、おだやかにそれを理解し、どうすればいいかを共に考えているかどうかだと思います。この本は、本当に共感できる本のなかの一冊です。
ある本のあとがきに
私は……大学で「現在子ども論」という講義を開講しています。……本書は、その講義がもとになって生まれたものです。私語も多いし、時には「うるさい」と怒鳴ることもありますが、私の講義を興味をもって聞いている学生たちに素直に「ありがとう」と言いたいと思います
と書いてありました。
私は、たいへん不快に感じました。前後の文章を読んでも学生に対して怒鳴ってしまったことに対して、心の痛みを感じている様子が伺えなかったからです。
数行前では
不幸にして事件の主人公になってしまった子どもたちも、とことん彼らや彼女たちの叫びに耳を叫びに耳を傾けていけば、必ず、もっと自分を受けとめてほしかった……という声を聞くことができると思うのです
と書いています。そういうのだったら「私語が多いのは『お前の講義は面白くない』という学生の叫び。真剣に向かわなければ」となぜ考えないのだろうと思いました。
この本は違います。
若い頃は……「強さ」をみつめては「すごいじゃないか、やればできるじゃないか」と評価し、子どもを前へ前へと押し出し……その子の「弱さ」がなくなっていくような働きかけこそが「指導」だと思っていました
と著者はいいます。
ところが、あるカウンセラーの「ご自分で、ご自分の『弱さ』をいとおしいという感じは、どんな感じか考えたことがありますか」「カウンセラーにとって一番たいせつな資質の一つは、自分の弱さをいとおしむ力かもしれない」の一言は「その後も私の心から離れませんでした」
親や援助者が、……「強さ」へ脅迫するまなざしから自由になり、自分の「弱さ」がいとおしめるとき、子どもの「弱さ」がいとおしめるようになる。子どもの「弱さ」がいとおしめるようになるとき、子どもの内部にもごもごと動いている発達に芽がみえるようになる
と認識を発展させていった著者に深い共感をおぼえます。
それは著者がいうように
表情が乏しく自分の世界に閉じこもりがちの子どもや、ふとしたことでパニックになり暴力的になる子どもは、自分の『弱さ』にしんみりと向かい合う機会に恵まれず、自分の『弱さ』と向かいあうことを、ひといちばい恐れながら、一人で重荷を背負い込み、しんどい思いを重ねているのではないか
と多くの青年と接していて思うからです。
あとがきに
この本が、困難の多い現代社会に生きる発達援助者たちへの小さな希望の物語になることを願ってやみません
とありますが、教師や学童指導員だけでなく、多くの人の「希望の物語」となると思います。
2005年1月27日記