花田仁の“この一冊”

第50冊

「痛み」はもうたくさんだ! 脱「構造改革」宣言

山家悠紀夫

かもがわ出版

著者は、一貫して「構造改革」論を批判してきた人です。「構造改革」論を振り返り書かれた以下の文章には「そのとおり」と思いました。長くなりますが引用します。

「構造改革」の一連の政策を止めさせること。そのために必要なことは何でしょうか。迂遠なようですが、一人ひとりの心構えの問題から入っていきましょう。

日本における「構造改革」政策推進の足取りを振り返りますと、そこに一定の型があることが分かります。すなわち、まず「危機宣伝」を行い、人々の「危機意識」を煽ること。このまま放置すればたいへんなことになると、繰り返し宣伝すること。次に、そうならないためには「改革」が必要であると、これも繰り返し宣伝すること。そして、第三に、いいことがあればそれは「改革」の成果であると誇ること、また、悪いことがあれば、「改革」が妨害されているからだ、思い通りに進められていないからだ、とこれまた、繰り返し宣伝すること。……

一人ひとりにとって大切なことは、まずその危機宣伝の前で立ち止まって考えること、本当にそうかと疑ってかかること、事実をきちんと確かめること、です。考えてみると、疑ってみると、そして、事実を確かめてみると、危機宣伝の大半は、実態のないものであり、「改革」の必要性を持ち出すための道具立てであり、或いは、かなりの思い込み、かなりの誇大宣伝であることが明らかになります。……

繰り返しの宣伝に乗ってはいけません。危機が危機であると立証する責任は唱える側にあります。あきらめず、あきれず、その論拠を追及していきましょう。……

(245〜247P)

一人ひとりの心構えの最後として、競争がいいことだ、競争することによって世界は進歩し、よくなるのだという価値観から、しっかりと抜けだす、そうではなくて、人々が手をとりあい、助けあっていくことによって、この世界は暮らしやすい世界となるのだという価値観に立つことが大切だと思います。……

「努力した者が報われる社会をつくる」ということを「構造改革」論者は絶えず説きます。……この言葉は、「格差のある社会をつくる」、そのことを正当化する言葉のように思えてきます。「格差のある社会」をそのままでは正当化できないから、「努力したかどうか」をその正当化の根拠としてもってくる。そして「努力したかどうか」は、かなりの部分、主観的なものであって判定しずらい。結果として「報われた者」=「努力した者」と理解するようになる、ということは、現実に存在する格差を認めるということに他ならない、ということです。

そうでない社会、誰でもが(努力したかどうかを厳しく問われることなく)、人らしく生活できる社会を目指すべきだと思うのです。そして、そうした社会の実現は、競争によってではなく、人々が助け合うことによって可能になる、と思います。

社会全体を、そうした視点でとらえなおす、そしてつくり変える、格差社会でない社会をつくり出すためには、それが一番必要なことでしょう。

(250〜252P)

この本では、財政危機説、国際競争力危機説、「日本21世紀ビジョン」危機説などが偽りであること、景気がある程度よくなってきているのは中国をはじめとする海外の景気がよくなったためであり「構造改革」の「成果」ではないこと、格差社会の到来は明らかに「構造改革」が目指したところであり結果であることなどについて詳細に述べられています。

統計資料に裏づけられた説明は、説得力があります。国際競争力危機説、「日本21世紀ビジョン」危機説については大変参考になりました。

(2007年5月8日記)

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