
古代日韓関係史を日本と韓国の考古資料によって分析した本です。著者は、以下のような視点で分析を行っています。
日本列島に移入された韓半島の文物と移住民、そして韓半島に搬入された日本列島の文物と移住民の系統を個別的に分析にし、時期別に交渉主体を明確化する。特に韓半島内で伽耶、百済、新羅、さらには加耶地域内での金官加耶、小加耶、大伽耶など、その様式に時期と地域差をよく反映する土器が、人間の移動にともなってそれぞれにどの地域から移入されたものなのかに注目する。これらの土器を中心に各時期の装身具、馬具、武器、鉄器など文物の組み合わせの系統の把握を通して、時期別の交渉主体を明らかにし、その変化と背景に接近してみたい。
(20P)
日本古代史関係で、私が所有している本を数冊(例えば『倭王権の時代』『古代日本の国会形成』(吉田晶、新日本出版社)、『列島の古代史8 古代史の流れ』(白石太一郎など・岩波書店)、等々)をあらためて読みかえしてみました。弁辰(伽耶)の鉄の入手と再配分が古代日本史を分析するうえで重要なことは、どの本でも触れています。しかし古代朝鮮についての文献史料からの分析、日本から出土した考古資料については分析していても、韓国側の考古資料について分析した叙述はほとんどありません。せいぜい栄山江流域の前方後円墳に少し触れているぐらいです。
著者の視点、とりわけ「韓半島に搬入された日本列島の文物と移住民の系統を個別的に分析」「時期別の交渉主体を明らかにし、その変化と背景に接近してみたい」という点は非常に新鮮でした。著者は上記の分析の結果について、以下のように述べています。
これまで文献史料に依拠し、四世紀後半以降、韓日関係は終始一貫百済が倭との交渉を主導し、加耶はそれに従属的な役割を果たし、そして新羅と倭は常に敵対関係にあったと認識されてきた。しかし百済と倭の交渉記事が見られ、七支刀が日本列島に伝来された四世紀後半においても、金官加耶産文物が日本列島に流入し、金官加耶の王墓である大成洞古墳群に日本列島産の威信材が多数副葬された。同じく、五世紀後半にも大伽耶産文物が日本列島に流入し、日本列島産文物が大伽耶圏に移入されたことから、依然その交流の中心が四世紀後半の金官加耶と同様、大伽耶であることが示唆される。
日本列島の韓半島産文物と韓半島の日本列島産文物から見て、四世紀後半以来、百済と倭の政治的交渉は認められるが、百済産文物が日本列島に流入し、栄山江流域に前方後円墳が出現するまでの交流の主な地域はあくまで加耶であったと見られる。さらに、文献史料に依拠し敵対関係のみ把握されてきた新羅と倭の関係は、考古資料からみて、三国時代にわたって交流が継続していたのみならず、特に五世紀前半と六世紀後半には交渉の中心にまで浮上することから、文献史料だけに依拠した韓日関係史研究の限界を指摘することができるであろう。
(167、168P)
著者は、5年間大阪大学に留学、日韓文化交流基金の招聘で1年間熊本大学で研究したという経歴があります。両国の考古資料を研究した著者だからこそできた問題提起だと思います。
近現代史だけでなく、古代史についても日韓両国の研究交流が必要だと感じました。
【2008年1月2日記】