障害者自立支援法の見直しを(1月号)
「福祉新聞2007年元旦号」団体リーダー所感より
 私たちの協会は、抗てんかん薬や外科技術などの医療が進歩し、てんかんに対する正しい知識が社会に広まり、てんかんのある人がふつうに働き、ふつうに生活できる社会の実現を目指しています。その意味でも、障害者の生活を脅かす現行の障害者自立違法では困ります。このことは、障害者団体に共通した問題です。真に障害者の自立と社会参加に繋がる法律を求め、他団体と連携して活動していきたいと思います。また、総合的な障害者福祉法の制定、新しい抗てんかん薬の早期承認、学校現場でのてんかん教育の実施、公共交通機関の運賃割引、障害者雇用率の完全適用など、具体的な課題の解決へ向けて、今年も頑張ってまいります。
(社)日本てんかん協会会長 鶴井啓司

※「福祉新聞」は、毎月4回発行される全国をカバーする社会福祉界唯一の専門紙です。月刊誌よりも早く情報を提供できるので、多くの福祉関係者に読まれています。元旦号では、障害関係団体のリーダーの所感を毎年紹介しています。掲載する団体が多いため、文字数の制限があり、簡単な所感になりますが、それぞれのリーダーがその団体の特色や今年の目標を述べています。



第4回てんかんの小児をもつ親の会(1月号)
 今年度最後の「てんかんの小児をもつ親の会」は、12月9日、獨協医科大学付属病院小児科の今高城冶先生を助言者にお迎えして開催いたしました。参加者はいつもより少なめの7名でした。
 話題は、てんかんの治療についてはもちろん、子どもの発達や問題行動、学校生活などについて、日ごろお母さんたちの心の中にあったとおもわれる質問や相談がたくさん出ました。少ない人数ではありましたが、ていねいなアドバイスをいただき、参加者はとても中身の濃い時間を共有できたと思います。
 今高先生のアドバイスの中で印象深かったのは、「親御さんからよく『うちの子どうして発達しないんでしょうか』と聞かれるけれど、発達はみんな、その子なりのペースでしてるんです。お子さんの小さな変化(発達)を見つけながら、子育てを楽しんでください」ということばでした。親はどうしても、「もう○歳なんだからこれができてもいいはず」と、教科書どおりの発達を期待しがちですが、「わが子にはわが子のペースがある」と、ゆったりした気持ちで子どもと向き合うことが、実は一番大切なのかもしれません。
 かくいう私も、重度の知的障害とてんかんをあわせ持つわが子の発達にはずいぶん悩んできました。しかし小学校5年生(11歳)になった今振り返ってみると、入学したてのころにはとうていできなかったことが、今では当たり前のようにできていたりもして、「"石の上にも三年"を"石の上にも五年"と思えばいいのかな」と考えられるようになりました。

 最後になりましたが、大変お忙しいスケジュールをぬって、助言者をお引き受けくださった今高先生に、心からお礼申し上げます。ありがとうございました。(N)



県障連の要請行動で感じたこと(1月号)
 栃木県障害関係団体連絡会(県障連)は、11月下旬から県と33市町に障害者自立支援法に対する緊急要望書をもって要請に回りました。25団体が参加といっても、いざ市町回りになると、役所が開いている平日の昼間ですので、参加する団体が少なく、事務局メンバーであるてんかん協会は12ヶ所も回りました。残念ながら、年内には全市町を回れず、5町(岩舟町、大平町、壬生町、野木町、塩谷町)が残ってしまいしました。
 障害者自立支援法には、応益負担(1割定率負担)、所得保障、障害の定義など根本的な問題があり、運用上の改善だけでは不十分ですが、ここでは県障連の緊急要望活動で感じたことを述べます。
 一部の市町では、障害程度区分認定で自分の市(町)では1次判定と2次判定で大きなずれがなかった、と自慢していました。それは、上位変更が大きい市町村がいい加減な審査をしていると言いたいように聞こえました。現在の障害程度区分認定で1次判定と2次判定が大きくずれない方が本当によいのでしょうか。障害特性を評価が不十分な調査項目によるコンピュータ判定結果に引きずられて、その不十分さを2次判定でカバーしていないと見る方が当たっていると思います。
 「とちぎ波」10月号にも紹介しましたが、上位変更の割合が3障害の間で大きく異なることからも、障害特性に対する評価が不十分であることは明らかです。また、この調査結果を受けて厚生労働省が認定調査項目の見直しを始めたことからも、現在の調査項目が不十分であることを示しています。むしろ、「勇気を持って」3区分も4区分も上位に変更した認定審査会の方がきちんと認定を行っていると思います。また、現在までの福祉サービス利用状況から、それが使えなくならないように区分認定を合わせたという話も聞きました。今まで福祉サービスを利用者してきた方にとってはありがたいことかも知れませんが、障害程度区分判定は「客観性・公平性」を重視するために設けられたという自立支援法のねらいとは矛盾するやり方であり、新たに福祉サービスをする人にとって「客観性・公平性」は保障されるのでしょうか。自治体独自の軽減策だけでなく、こんなところでも「地域格差」が出てきているようです。
 担当者と懇談してみて、現場の苦労を直に感じることができましたが、やっぱり障害のことがわかっていないなあと感じました。(S)



冬休みの出来事(2月号)
 昨年中は大変お世話になりました。今年もどうぞよろしくお願いします。
 意外と長い冬休みを皆さんいかがお過ごしでしたか?我が家は珍しく旦那が長く休みがありどっぷりと家族で、のんびりしたり出かけて歩いたりしました。一番頑張ったのが2人の障害児を連れて交通機関を乗り継いでTDR(東京ディズニーリゾート)へ行ったことです。体力も心労もお金もたくさん使いましたが、子供達の笑顔と成長もたくさん見ることができ頑張った甲斐がありました。思えば、家族全員でTDRに行ったのは初めてでした。いつもどちらかの障害児は預けていたので…!
 それから一番心配だったのが、娘があるショッピングセンターで倒れてしまったことでした。生理の貧血で発作も起きたみたいで…床に頭をぶつし 吐くし、顔面蒼白 グッタリで…これは再起不能かと緊張が走りましたが1時間半位経って自宅に戻ったらみるみる回復して大事に至りませんでした。
 店員やお客様も突然のことでどうしたらよいかわからず、人が倒れているのに遠巻きにみて通り過ぎるだけ…これには少し寂しい思いをしましたが、こちらがキチンと話しをすると必要な手助けをして下さいました。翌日店長様宛てお詫びとお礼のFAX(もちろん、我が子たちの障害や病気の話も詳しく書いて)を送ったら、すぐ店長から電話がきました。「ご丁寧な文面を頂き、ただただ恐縮しております。お子様達のことよく理解させて頂きました。突然でどう対応したらよいかわからず申し訳ありませんでした。全職員にキチンと理解を広めさせて頂きます。」こういう所でも理解が必要ですね!いろいろ考えることも多い経験でした。(Y)



息子のストライクに感激!(2月号)
 1月6日に、恒例の新年会を開きました。今年もボーリング大会でスタートです。ボールを投げられない子は(昨年暮に肩を脱臼したおじさんも)シューター(ボールを乗せて引き金をひいてボールを転がすパイプでできた台)を使い、またノーガーターにしたレーンを使いました。それぞれのスタイルで2ゲームずつプレイを楽しみました。ボランティアグループのクローバーからも7人が参加し、いつもの託児という裏方を離れて、思う存分楽しんでいただきました。
 私たちの息子は、写真のようにしゃがんで両手でボールを転がすスタイルです。ところが最終フレームでストライクが出たのです。自分自身がストライクを連続したり難しいスペアをとってもこんなに喜んだことはなかったのですが、思わず飛び上がって喜んでしまいました。こいつは春から縁起がいい!
 ボーリングの後は、新年会場に移動し、ジュースで乾杯!手作りの赤飯やケーキなどでのんびりと楽しみました。(S)



「親なき後」問題と新しい「信託」制度(2月号)
 日本障害者協議会(JD)の情報誌「すべての人の社会」1月号に、新しい「信託」制度の紹介があります。「信託法」は80年程前にできた「カタカナ法」(旧憲法下でつくられ、大きな改正がないまま現在に至っている法律)で、現状にそぐわないことが多くなり、昨年12月に改正され今年夏頃に施行されます。
 てんかんだけでなく知的障害などを伴う「重複障害」の子の親は、自分の生前・死後を含め、子の経済的な生活の安定が気になります。預貯金、土地、建物などの資産がある場合、以前から「信託」制度を利用すれば、親が「委託者」として財産管理を「受託者」に信託し、「受益者」である子に定期的に金銭を支払ってもらったり財産を処分してもらうことはできました。しかし、「受託者」がきちんと財産を管理・保全してくれるか心配でした。この改正で「信託監督人」をおき「受益者」に代わって「受託者」を監督することができるようになります。金銭等の自己管理ができない障害者をもつ親にとっては役立つ制度と思われます。

「すべての人の社会」 2007年1月号 より
 障害者自立支援法では預貯金の金額が問題になります。「預貯金350万円」は緩和されるようですが、親亡き後は、親が貯めて残した預貯金は減る一方で、やはり親は不安です。なお、障害者名義の個人年金や信託財産はこの預貯金の範囲に含まれません。また、自営業の親が順調なうちは問題がありませんが、倒産などで財産が失われるときでも、「信託」した財産は差し押さえられないそうですので、障害のあるこの子のための財産保全に役立ちます。



署名といっしょに来た手紙(2月号)
 お世話になります。なかなか協会の集まりや小児てんかん親の会へも参加できず、スミマセン。今年は参加していろんな方とお話できるとよいと思っています。
 小山でも、3月に県南健康福祉センターの主催でてんかんの子の親の集まりがあります。助言者は自治医大の森先生なので、娘の主治医ですが・・・(笑)いろんな人とあえるとはうれしいです。
 波の会の冊子では、鈴木さんのコメントなど拝見し、ご活躍うれしく感じております。私たちも、本当に少しづつですが、親として成長している日々を過ごしています。今親としてできることをひとつひとつ楽しくクリアしていくことが幸せだし、今までは家庭の中ばかりに目を向けていた主人も、今回の署名では友人に声をかけてくれたり、そうやって輪を拡げて理解をしてもらおうといてくれて、私もうれしかったです。最近やっと一人でがんばらなくてよいのだなあということが分かってきました。自分の気持ちを素直に話すことがすべてのはじめの一歩のような気がしています。
 まだまだ寒い日が続きますので、お体ご自愛くださいませ。
 またお会いできる日を楽しみにしております。(N)



清野昌一先生ご逝去(4月号)
 日本てんかん協会の運動に当初から関わってこられた元静岡東病院(てんかんセンター)院長の清野昌一(せいのまさかず)先生が3月7日に急逝されました。てんかん協会の前身は、「てんかんの子どもをもつ親の会」と「てんかんの患者を守る会」です。「親の会」は1973年6月17日に東京女子医科大学病院の親たちが中心に設立され、「守る会」はそれより約1ヵ月後の7月15日に国立武蔵療養所(現・国立精神・神経センター武蔵病院)を中心に設立されました。国立武蔵療養所(秋元波留夫所長)に1970年にてんかん病棟が新設され、和田豊治先生(静岡東病院初代院長)とともにてんかん治療に活躍されました。「守る会」会報の第1号(1973年9月)には編集人として清野先生のお名前があります。第3号(1974年6月)では、「てんかんセンター断章」として、清野先生のてんかんという病気とてんかんセンターへの熱い思いが述べられています。長文ですので、最終章の部分のみを紹介し、てんかん協会の運動の初心を振り返り、送る言葉に代えさせていただきます。
   →全文ダウンロード(pdfファイル、18KB
「てんかんの患者を守る会」会報第3号(1974年6月発行)

「てんかんセンター断章」より

 てんかんという病気は、発作を主症状とすることはいうまでもない。発作とは、たかだか数分も経てば、元の状態に復することが大きな特徴である。したがって、てんかんの患者の生活時間の大部分は、常人と変らぬ状態にあるにもかかわらず、患者は何時おきるかも知れない数分間の発作のために、陰に陽に様々の制約をうけざるを得ないのが現状である。患者によっては、たった教分間の発作を一度だけ人目にさらしたために、一生を棒にふる人もいる。発作によってこうむる社会的を損失は、はかり知れない。
 しかし他方、発作がよく抑制されているかぎり、てんかん患者の80%は、実は健康人に伍して労働し得ることも判明している。これをはばんでいるものは、てんかんという病いに対していだいている世間の偏見にほかならない。てんかんの治療は、社会的ケアーをぬいては全うできないという見地から、国際てんかん協会が生れた。
 1961年に、医学者の国際組織である国際てんかん連盟がローマで学会を開いた際に、アルゼンチンの一医師が、てんかんの社会的ケアーの必要性をきわめてはげしく訴えたのが契機となって、国際てんかん協会が生れた。国際組織とはいうものゝ、その運営は英国協会が援助しており、事務局長バードン氏のエネルギッシュな奉仕によって支えられている。今日では、ほゞ世界各国にその支部が設立されている。
 さてひるがえってわが国の現状はどうであろうか。われわれの、「守る会」は小さく結成されたものゝ、なお非力であり、てんかんセンターの名に価する診療の拠点も診療ネットもまだない。したがって、てんかん発作をもつ患者は診療の受け方がわからず、かろうじて医療傘下にはいった患者の多くは、決して適切とは言えない指導のために、医療不信におちいっている。それどころか、実はてんかんでないひとが、患者として永年服薬しているケースにもぶつかるのである。
 「守る会」ができてから、私は数多くの未知の患者や家族から医療相談をうけて、実はわが国には、てんかんの医療体制が何もできていないことを痛感するにいたっている。全国には50万名を越える人々が、てんかんに罹患している。その50万人の声が、大きく響きわたらずに逼塞していることが、実は、日本のてんかん医療を、西欧のそれよりも百年ほど遅らせている原因のひとつではあるまいか。
 てんかんの医療体制に関するかぎり、日本はなお未開国である。そこを訪れさえすれば、てんかんの患者が安堵できるてんかんセンターが、いまわが国にもできてよい頃ではあるまいか。
(国立武蔵療養所 医長)

清野昌一先生のご略歴:1930年生まれ。1954年北海道大学医学部卒業、1961-63年ブリティッシュコロンビア大学キンズメン研究所留学、1963-75年国立療養所武蔵病院、1975年より 国立療養所静岡東病院(現在の静岡てんかん・神経医療センター)、1979-85年 同病院副院長、1985-1996年同病院長、1996年4月同病院名誉院長。日本てんかん学会元理事長。


第43回てんかん市民講座(5月号)
広い託児ルームで遊ぶ子どもたちとボランティア 4月22日、東京女子医科大学小児科の舟塚真先生を講師にお迎えして、「てんかんの基礎知識−薬物療法を中心に−」の講演会を開催しました。参加者が45名、託児は予想オーバーの9名、館内を走り回る子を追いかけるので託児ボランティアが不足し、受付担当の世話人も託児にまわりました。市民講座やいろいろな行事を陰で支えるボランティアのみなさん、今回もお世話になりました。
 【参加者の感想】
◆お薬を毎日飲ませていて、今まで知らなかったことをたくさん知りました。血中濃度は病院でもよく検査をしていますが、半減期とかたんぱく結合などは知りませんでした。また、単剤が基本ということもよくわかりました。改めて薬を決まった時間にいつものリズムを守って服用さなければと思いました。薬疹についてもくわしく知ることができて、参考になりました。こういう丁寧な説明って、とても大事なのに、くわしく聞いたことがないって・・・・・・問題ですわ。お薬を飲む人、飲ませる家族にとって大切なことを知らないことが多いことに気づき、これでいいのかしらと、疑問を感じました。(親)
◆抗てんかん薬の調整のためには通院よりも入院の方がよいと思っていましたが、発作の頻度や子どもの成長を考えた包括医療の面からはメリットとデメリットの両方があることをうかがい、なるほどと思いました。(親)
◆とてもよい参考になった勉強会でした。我が家のことでなく他の家族の問題等も知ることができました。(親)
◆通院が大変な子を抱えています。相談会の話を聞き、遠くのてんかん専門病院と地元の主治医の両方をうまく利用できるといいなと思いました。(親)
◆薬のことや副作用がいろいろわかってよかった。先生の話がわかりやすかった。(本人)
◆新学期が始まり、受け持つ児童の病状に直接関する講座だったので、とても興味深くきけました。基礎的な内容で参考になりました。(養護学校教諭)
◆最後の相談コーナーがよかったと思います。参考になり、特に小児をもつ親御さんの気持ちが伝わってきました。このコーナーが一番おもしろかったです。薬の話が一番参考になりました。(福祉関係職員)
◆はじめて講座を聴き、役立ちました。次回も参加して学習させていただきます。(福祉関係職員)



障害の受容過程(5月号)
 下野新聞の「しもつけ随想」に、「てんかんの小児をもつ親の会」に助言者として参加くださった獨協医科大学小児科の今高城治先生の随想が載っていました。精神科医のエリザベス・キューブラー・ロスの「死の受容過程」を紹介して、両親に悲しい知らせを告げるときの小児科医としてのつらい気持ちを述べていらっしゃいます。
 この「死の受容過程」を私が知ったのは10年以上前で、発達障害の医療で活躍されている原仁先生と杉山登志郎先生が書かれた「入門教師のためのやさしい精神・神経医学」(1991年)の本からです。障害をもった子の親の心理を「死の受容過程」になぞらえて書かれたものです。

 ロスによれば、最初の段階は「否認」である。自分の子どもが障害児であるはずがないと、大丈夫と言ってくれる人間を捜して医者を転々としたりする。次の段階が「怒り」である。どうしても障害を認めざるをえなくなった後に、なぜ自分の子どもだけ障害があるのかと怒る。この段階では保母や教師が世話をしてくれないと怒ったり、また子どもにあたったり、さらに結婚のいきさつまでさかのぼって怒ったりすることもある。次が「取り引き」の段階である。頑張るから何とか普通児になって欲しいと、必死になって療育に通わせたりする段階がこれにあたる。それでも障害の存在が歴然としていることが分かると、今度は「抑うつ」の段階に入る。何も気力がなくなって、ふさぎ込んでしまう。これらの諸段階を経て、両親は障害があっても自分の愛しい子どもであるという、最後の「受容」の段階に入ることができる。障害児をかかえた両親、特に母親は、当初は普通の心理状態とは言えない。この五段階のどこにその人がいるのか考えてみると、こちらもあまり腹が立たないのではないだろうか?
 最後の文章から、先生方も親に怒りをぶつけられることがあるのだと知りました。そして、自分は今どの過程にいるのだろうか、行きつ戻りつしているのではないかと考えました。また、ある県内の病院のケースワーカーから、「てんかんでない」と言ってくれる医師を求めて、6人の医師を転々として結局最初の先生の所に戻った母親の話を聞いたことがあります。しかも、同じ病院内で別の診療科や同じ診療科の別の先生を転々としたのです。同じ過程を経験した親には切ない親の姿と映り、そうでない人から見れば笑い話になりそうな親の姿ですね。
 これと似たようなものに、「(without), for, to, with」という3つ(4つ)の福祉のパターンがあります。すなわち、障害者を排除(without、なしで)、かわいそうな人のための慈悲(for、のために)、社会の責任として(制度として)(to、に対して)、みんな仲間だ共に暮らそう(with、とともに)というパターンです。一人の親などの変化過程とみることもできます。社会にはいつもこれらのパターンがあるとみることもできますし、社会における障害者処遇の時代の流れとも考えることもできます。(S)



秋元波留夫先生ご逝去(5月号)
 今月号も残念なお知らせがあります。秋元波留夫先生が4月25日にご逝去されました。101歳でした。
 日本てんかん協会の運動に当初から関わってこられ、現在も協会監事として協会の活動を厳しい目で見守ってくださっていました。先生は、東大教授や国立武蔵療養所(現国立精神・神経センター)所長などを歴任され、1983年に都立松沢病院長を退任されると、精神障害者やその家族の支援に力を注がれました。全国の小規模作業所でつくる「きょうされん」の顧問や社会福祉法人の理事長なども務められました。2005年9月に宇都宮市内で開催された「きょうされん全国大会」にもお見えになりました。一般には精神医学権威として知られています。昨年2月にはオウム真理教元代表の松本死刑囚に弁護側の依頼で接見し、訴訟能力を否定する意見書をお書きになったことで知られています。帝銀事件では死刑判決の決め手の一つとなった恩師の鑑定に異議を唱え、故平沢貞通・元死刑囚(獄中死)の再審請求にも携わられたそうです。
 80歳を過ぎてパソコンをマスターされ、2005年に「99歳 精神科医の挑戦」(岩波書店)を出版されるなど、100歳を迎えても講演や執筆を続けられました。お亡くなりになる約1カ月前に体調を崩して入院され、病室で原稿を口述録音し、亡くなる前日も「早く治して仕事をしたい」とおっしゃっていらしたそうです。
 私たちにとっては、「精神医学権威」というよりもてんかん運動を支えた偉大な仲間です。協会の前身である「てんかん患者を守る会」が設立された当時の国立武蔵療養所所長であり、日本てんかん協会と日本てんかん研究会(現在の日本てんかん学会)の連携の築きあげた先生でもあります。私たちは、てんかん運動の原点を振り返り、これからも邁進することを誓い、「守る会」が設立されて間もない33年前の会報から先生の記事を紹介させていただきます。なお、昨年1月号「波」の新春インタビューでも元気あふれる先生が登場しています。

「てんかんの患者を守る会」会報第2号(1974年2月発行)より

 「てんかんの患者を守る会」に望む
日本てんかん研究会会長
国立武蔵療養所所長
秋元 波留夫
 昭和45年にわが国でおそらく最初のてんかん専門の病室が出来てあしかけ5年になります。担当の医師諸君や看護者の努力で、難治の患者さんたちの治療にあたってきましたが、病床の数が少ないことや、開放制でないこと、リハビリテーション専門職のスタッフが定員不足のために配置できないこと、などの制約が大きく、この病棟に寄せられている期待に充分に応えることができないのを残念に思います。
 そんな矢先に、昨年秋、「てんかんの患者を守る会」ができたのですが、私はこの会が、てんかん専門治療に先鞭をつけた国立武蔵療養所で産ぶ声をあげたことを偶然ではないと思いますし、その発展を心から願わずにはおられません。
 この会にまず望みたいことは、まだ発育不全の状態にある国立武蔵療養所のてんかん治療の欠陥をびしびし指摘していただきたいのです。私たちはともすると自分たちのやっていることの意義を見失いがちであるし、独断やひとりよがりに陥りがちです。形式やしきたりに捉われて臨機応変の処置をとることを忘れます。患者を守るのではなく、自分を守るのに汲々とすることだってないとは云えません。国立武蔵療養所の治療活動のすべてが言葉だけでなく、実際に患者を守ることに徹するためには外からの批判が必要です。私たちは皆さんの声に耳を傾けねばなりません。
 望みたいことの第二は、「てんかんの患者を守る会」の活動をひとり国立武蔵療養所のわくの中にとどめることなく、わが国全体に拡げていただきたいということです。心身障害のうちでもてんかんはその数だけから見ても、社会の関心と配慮が向けられなければならない病いであるにもかゝわらず、わが国では全く忘れられているといっても過言ではありません。この会の結成が新聞に報道されると、問い合わせが全国各地から殺到しましたが、これこそわが国の医療がてんかんになやむ多くの人たちに背をむけている証拠だと思います。皆さんがその運動の輪をひろげて、全国の患者さんと家族の結集体にまで発展することを期待します。
 ご承知のように、てんかんの患者を守る国際組織としては、国際抗てんかん連盟 Intenational Coleague Against Epilepsy, ILAE があり、日本てんかん研究会はその支部になっています。日本てんかん研究会はてんかんの治療と研究にたずさわっている医師の団体ですが、昨年10月新潟で開かれた集会に「てんかんの患者を守る会」の木村会長のメッセージがおくられ、会員に多大の感銘を与えました。日本てんかん研究会は皆さんの活動を支持し、協力することをきめております。「てんかんの患者を守る会」と日本てんかん研究会は相携えてわが国のてんかん治療を推進し、また、国際的には全世界の同志と連帯して、てんかんの患者を守る活動を展開してゆかなければならないと思います。
 この会が益々発展することを願ってやみません。 (昭和49年2月7日)
    【お断り】 編集の都合で、原文の表記を一部変更しました。



支部活動者会議「地域支援活動の新戦略を求めて」(6月号)
 5月26日・27日に、東京の日本青年館において、第24回支部活動者会議が開催されました。
秋元先生(右)と清野先生(左)の遺影の前で挨拶をする鶴井会長
 3月7日に清野昌一(せいのまさかず)先生、4月25日に秋元波留夫(あきもとはるお)先生と、てんかん協会の前身のひとつである「てんかん患者を守る会」の設立から参加してくださったお二人の先生が相次いでお亡くなりになり、会場には両先生の遺影が並び、悲しい気持ちとてんかん運動への新たな決意で支部活動者会議の幕が開きました。
 この会議は、支部活動の活性化について各支部の世話人が意見交換をする場です。今回は、アステラス製薬(※)の「患者会支援基金助成事業」の支援を受け、「てんかん運動リーダー・セミナー」として特に本人や若い親たちによるニュー・リーダーの登場を願って開催されました。製薬会社の担当の方も2日間参加され、熱心に私たちの発言を聞いていらっしゃいました。第1分科会「若い親たちのために」、第2分科会「当事者グループのために」、第3分科会「事務局を担う人のために」の3つの分科会が開かれ、私は第3分科会に参加しました。この分科会には約30支部からの参加者がありました。自己紹介では、事務局(事務所)が置かれている場所(自宅、作業所、福祉会館など)、会員数の動き、事務局体制、支部の特色ある活動などが紹介されました。事務局が世話人の自宅にあることまたは別に事務所があることのメリット・デメリットは参考になりました。この分科会で話題になったことは、後継者問題の難しさ、機関誌「波」の発送と支部機関紙の編集などで、これらに大半の時間が費やされました。
 全体の報告会では、同じ仲間と集まり意見交換をしたいという思いはみんなもっているが、やはりそのきっかけをつくるためのリーダーの出現や情報の共有をいかに進めるかが大きな問題であり、これが活性化の鍵であると思いました。新しい発想による楽しい行事の企画や行政や社会への積極的な働きかけは、一人のリーダーだけでは難しく、何人かのニュー・リーダーの育成が課題であると思います。
 27日の午後は、第30回総会が開かれ、前年度事業報告・決算報告および今年度事業計画・予算が理事会提案どおり承認されました。決算と予算をみると、理事会の努力により協会の累積赤字の解消に向かっていることがわかります。しかし、必要な事業活動を行いながら書籍の過剰な在庫等が原因の累積赤字を解消していくのは簡単ではありません。障害者自立支援法や障害者権利条約など全障害者の問題への取り組みとてんかん運動を活発化することが会員数の増加につながり、積年の問題の解決の最も大きな力であると改めて思いました。 (S)
(※ アステラス製薬は、2005年4月1日に山之内製薬と藤沢薬品工業が合併して設立されました。)



厚労省が標榜診療科名の再検討を開始(6月号)
 広告が可能な診療科名(標榜診療科名)は、現在38種に限定され、標榜診療科名と誤認を与える事項や他の診療科名は、広告が認められません。診療科名の再検討のために、医道審議会医道分科会診療科名標榜部会の第1回の会議が5月21日に開かれました。新聞報道によると、現在の38の診療科を4割減とし、総合科(仮称)など新設も検討するそうです。どこを受診してよいかわからない場合は、新設の「総合科」を先ず受診して、診療科を決めることができるようにすることを考えています。

 現在の38種の標榜診療科名は次のとおりです。

 @ 医業(34種)
内科、心療内科、精神科、神経科、呼吸器科、消化器科、循環器科、アレルギー科、リウマチ科、小児科、外科、整形外科、形成外科、美容外科、脳神経外科、呼吸器外科、心臓血管外科、小児外科、皮膚泌尿器科、性病科、こう門科、産婦人科、眼科、耳鼻いんこう科、気管食道科、リハビリテーション科、放射線科、神経内科、胃腸科、皮膚科、泌尿器科、産科、婦人科、麻酔科
 A 歯科医業(4種)
歯科、矯正歯科、小児歯科、歯科口腔外科

 ある新聞の見出しに「花粉症は耳鼻科?アレルギー科?」とありました。では「てんかんは何科?」といいたくなります。てんかんは診療科名だけでは専門医がわかりません。「総合科」を受診すれば、てんかんにくわしい診療科のある病院を教えてもらえるのでしょうか。 (S)



就労の厳しい現実(7月号)
 栃木県支部設立20周年を記念して、「てんかんの理解啓発冊子(仮称)」を発行するために、世話人等を中心に内容を検討しています。その中のテーマに「就職」があります。てんかんをもつ方々が、就職活動や職場の人間関係で苦労しいることを知ってもらうつもりです。  そんなところに、会員のKさんから厳しい現実を伝えるメールが届きました。ご了解をいただきましたので、メールを紹介します。紙面の都合等で、いただいたメールを少しアレンジさせていただきました。
≪最初のメール≫
 5月30日面接した会社で採用が決まりました。病気のことも伝えたので、大丈夫かと思いますが、正直心配なこともありました。そこの会社は土曜出勤と休出があります。何とか1週間研修して3ヶ月更新までいきました。仕事は6月はじめからで壬生の方にあるおもちゃの製造員をしてます。休みは会社の指定日と日曜、盆休み、年末年始です。今日は体調くずして休みをとりました。
 仕事を続けられたら行けそうにないし、体調悪くなればと考えたらやはりキャンプは行けそうにないので、今年もキャンセルします。行けそうでしたらもう一度メールします。忙しい所すみませんでした。

≪そして数日後、せっかくの話が・・・≫
 病院はまた薬の飲み方が変わりましたね、どうやら、テクレトールを先生は必要ないと感じてるらしいです。エクセグランの量が増えましたが…。波の会に入って私的にはよかったとは思ってますよ。いつも聞く側で意見は述べませんが、頭には入ってますね。親とかはこう思ってんだとか、本人は最近あまり来てないがYさんやMさんの意見とか…。自分よりしっかりしていますしm(__)m ボラのO君とメールしたりしてますが、波の会に入ってなかったらこんなおもしろいキャラクターに出会えなませんでした。話はいつもなんかブランドの香水の話やバックの話で、O君にもなんか色気でてきたみたいで自分も嬉しいですね。
 話は自分の仕事なんですが、3ヶ月のはずが来月20日付けで今回は見送らせてくださいという話をされました、悲しいですが能力が足りないのですかね。まぁーとりあえず開き直って頑張ってみます。次は長期の仕事します。それではお疲れさまです。

≪さらに追い打ち・・・≫
 会社の辞させられる日が違ってました!6月30日です。ちょうど月末でと言われました。理由はやはり病気に対して理解のない社員が多いからだそうです。3ヵ月は口約束で嘘でした!怒る気にもなれず頭きたので、今日の帰りヤケグイして帰りました。親には言ってませんがね。本当何が悪いのか聞きたいですよね。すみません。夜中にメールしてしまって。でも前のメールの日にちは確かに間違いましたので訂正しますね。それではおやすみなさい。

≪「とちぎ波」掲載はOK!≫
 ホント多いですよ、今だにてんかんのことを理解しない会社は、数多く存在しますよね。ほとんどは面接拒否とかうちは病気の人を雇ったとことがないからと、やはり拒否する会社多いですね。病気や障害に無知で無理解な会社は、自分も何回かあるから分かるし…。まぁー過去はいろいろあったかな。なんかどうでもいいと思ってはまた立ち直る人生なんだよね。つらいけど生きてくってそんなことだと感じました。いつかはちゃんと働ます。でも難しそうですね。それでは、そんな訳で宜しくお願いします。



イギリスの光過敏てんかん発作事件がきっかっけで(7月号)
 栃木県支部は支部設立20周年記念事業として、「講演と映画の集い」の開催と「理解啓発冊子」の発行を準備しています。その他に「発作観察帳(経過連絡帳)」の再発行も予定しています。
 2012年のロンドン・オリンピックのロゴの動画が、光過敏てんかん発作を引き起こすとして批判されています。そのニュースの中にイギリスてんかん協会が出てきます。それをきっかけに、イギリスてんかん協会のホームページにアクセスしました。同協会はEpilepsy Action(てんかんアクション)という運動名(Working name)でホームページを開いています。ついでに、「理解啓発冊子」の参考にと探してみてみると、役立つ情報が満載されています。学校教育、日常生活、就労など、様々な課題とその取り組みがきちんと整理されています。スポーツやレジャーの注意としては、スポーツの種類によって細かく分かれていることには感心しました。英語のホームページも読む勇気のある方はイギリスやアメリカのてんかん協会のホームページもぜひご覧ください。
 就労におけるてんかんの差別に関しては、てんかんや障害を理由に差別をしてはならないと「障害者差別禁止法(DDA)」に示され、合理的調整措置が定められています。日本には障害者雇用促進法はありますが、障害者雇用率達成の義務(障害者の人数)であり差別禁止を定めてはいません。また、障害者基本法第3条にも、障害者の個人の尊厳と権利はうたわれています。しかし、障害者権利条約に現在100ヵ国近くが署名しているにもかかわらず、日本は署名していません。障害者権利条約のキーワードである「合理的配慮」からみると、障害者自立支援法の応益負担はこの「合理的配慮の不履行」に当たるという声もあります。
 てんかんという病気との闘いとともに、障害者権利条約や障害者差別禁止法についても、てんかん運動の一環として取り組む必要があると思います。 (S)

「合理的配慮」とは、「特定の場合において必要とされる、障害者に対して他の者との平等を基礎としてすべての人権および基本的自由を享有しまたは行使することを確保するための必要かつ適当な変更および調整であって、不釣合いなまたは過度な負担を課さないものをいう」(条約第2条)と定義されています。すなわち、車椅子用のスロープは、「特別な配慮」ではなく、「合理的配慮」(リーズナブルな配慮)なのです。また、障害者のために特別に予算等を措置をすることは「逆差別」という考え方については、第5条で否定されています。



モーツァルトがてんかん発作を抑制する!?(8月号)
 モーツァルトの作品は、音楽療法の曲としてよく使われ、何枚ものCDが発売されています。私も入院中に3枚セットのCDをお見舞いにもらい、不安と退屈の日々を癒やされたことがありました。決してムード音楽のように静かな曲ばかりではなく、そのときの気分では聴く気が起きないことも稀にありましたが、楽しめました。
 光過敏てんかんについて調べるためにイギリスてんかん協会のホームページを見ていて、「モーツァルト効果」という言葉を見つけました。「2台のピアノのためのソナタ ニ長調 K448」がてんかん発作の頻度を減らす効果があると書いてあります。インターネットで英語名の「Mozart effect」を検索すると膨大な数のサイトで「モーツァルト効果」とてんかん発作の関係を扱っていることがわかります。てんかん発作以外のものも含めると数十倍に増えます。
 日本でも注目されているか調べてみると、かなり多くのホームページで「モーツァルト効果」が取り上げられていることがわかりました。外国語学習、音楽教育、スポーツ、出産準備、言語障害、心身症等の分野で効果を挙げているそうです。また職場でもBGMとして流すと、組み立て作業などのミスが減るそうです。作品名がはっきりしている作品には「ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K488」もありますが、ほとんどK448です。私にはどうやって作品を絞り込み証明したのかわかりませんが、モーツァルトの曲に含まれているある周波成分が効果を発揮することなどが科学的に分析されているそうです。「モーツァルトを科学する」という本も出版されているようです。
 そこでK448のCDを買ってみました。また、手元にあったK488も聴いてみました。静かな曲を想像していましたが、激しい気迫のこもった曲で、はつらつとした勢いのある曲でした。効果があるかどうかは別として楽しめる曲なので、最近はマイカーの中でいつも聴いています。しかし、肝心の息子にはまだ聴かせていません。知的障害がある息子はこだわりが強く、クラシックでは「トルコ行進曲」以外は聴きません。最近は吉田拓郎ばかり聴いています。
 皆さんもK448を楽しんでみてはどうでしょうか。もちろん抗てんかん薬の服用は絶対にやめないでくださいね。 (S)



第23回サマーキャンプ
ボランティアさん、今年もありがとう(8月号)
 8月4日(土)・5日(日)に第23回サマーキャンプで群馬県を訪れました。ボランティア10名と運転手を含め41名が参加しました。残念ながら、代表は息子さんが直前に発熱し、急遽キャンセルになりました。今回は、久しぶりの参加の方はいましたが、初参加の方がなかったのが残念です。
 群馬県庁の観光名所32階展望室では曇で景色は見えず残念でしたが、群馬県支部事務局長の岡田さんに出迎えていただきました。その後、榛名湖ではロープウェイに乗り、赤城山西麓の利根川に面する「ヘルシーパル赤城」に泊まり、温泉や隣のプールで楽しい時を過ごしました。夜の懇談会では、群馬県支部代表でお医者さんの清水先生が1泊され、医療相談にのってくださいました。二日目は晴天で猛暑の中、赤城高原牧場ドイツ村でローソクづくりとバーベキューを楽しみました。
 今年もレクリェーションの新しいメニューを準備してくださった菊地ファミリー、昨年も参加してくださったボランティアさん、初参加のボランティアさんのおかげで、親たちは去年以上にのんびり過ごすことができました。

参加者の感想  ※帰りのバスの中で聞きました。

支部設立20周年記念「講演と映画の集い」
大ハプニングもありましたが、無事終了!(9月号)
 栃木県支部は1987年6月28日に設立され、今年で20周年を迎えました。8月26日にこれを記念して「講演と映画の集い」をとちぎ福祉プラザで開きました。今回の映画「ありがとう」は、10周年記念に上映した「奈緒ちゃん」シリーズの第3作目で、そのときにも講演をお願いした奈緒さんのお母さん西村信子さんの講演もありました。運営スタッフである会員も講演が聴けるように、午前の部と午後の部の2回開きました。参加者は、前売券88名、電話予約23名、当日券20名、会員・家族など30名、合計161名でした。
 西村信子さんは、現在34才になるてんかんと知的障害のある奈緒さんのお母さんで、20年ほど前から「つぼみの会」を仲間のお母さん達と立ち上げ、「ぴぐれっと」という地域作業所をつくり、さらに「ぴぐれっと2」と「ぴぐれっと3」に発展させ、グループホームも6軒ある社会福祉法人を設立した、行動力のあるお母さんです。
 午前の部では、とちぎ福祉プラザの担当職員が不慣れなため、映写機のスピーカー接続ができず、映写をお願いした根本映画社の方がスピーカーを取りに会社に戻る羽目になり、大幅に開始が遅れてしまいました。そこで急遽、数人の会員がわが子とてんかんについてスピーチを行うことにしましたが、さすが経験に裏打ちされた発表だとなかなか好評でした。さらに映画の後の西村さんの講演も上映前に変更していただき、なんとか午後の部が始まる前に午前の部を終了することができました。大ハプニングにひやりとさせられました。

《参加者の感想》
 映画は「ありがとう」では「奈緒ちゃん」以降の西村家のありのままの姿を知ることができ、感動的な映画でした。姉弟という関係ならでは切り口にドキュメンタリー映画の名監督の腕前を発揮した映画で、見終わった後は感動でしばらく言葉が出ませんでした。
 西村さんの午後の講演は、奈緒さんの4才年下の記一(のりかず)さんの話が中心でした。ほとんど毎日の発作で奈緒さん優先の一家の生活、幼い頃に弟さんが母親が手をつないで歩いてくれることを我慢していたなど話は、てんかんと知的障害のある息子に兄がいる父親として身につまされる話でした。そして思春期の反抗期の家出、福祉に向かないと思っていたのに姉のそばで仕事をしたいという気持ちになり、親子の対話も復活し、ぴぐれっとの有力な職員になった話は、うらやましいなという気持ちとそこまでやってもらっても困ると複雑な気持ちで聴きました。「どうしても障害のある子が優先され、置いていかれる兄弟にもきちんと愛情を注いで欲しい」との西村さんのことばに、自分の息子達が幼い頃はどうであったか思いを巡らしました。
 奈緒さんは2年前からグループホーム生活がスタートし、記一さんは福祉の職員として働き、それぞれが飛び立っていくこの映画と、「グループホームにいるのは自宅にいるより親はエネルギーがいる」という西村さんのことばに、親が若いうちにこうしなければという父親としての焦りを感じました。(S)

 自分は朝早く行くつもりが薬を飲み忘れそうになったりしてるうちに…午前中に会場に着いたとはいえ遅くなってしまいました。音声トラブルとはいえ講演を先にして映画を後にして何とか午後の部を遅らせずすみましたが、福祉プラザもちゃんと準備や点検してんの?と思いました。
 自分は少し昼ご飯食べながらボーとして訳わからなくなった発作あったんでまずいなーと考え薬を先に飲んでからご飯をたべました。
 映画は感動しましたが、自分と同じ年の人ですから大変だなーというより頑張ってほしいですね。細かい感想は自分覚えてないけど、大変な事はちがいないと思いました。、素晴らしい映画を見てまた自分もいろんなな意味でがんばろうと思います。(K)

 映画会お世話になりました。役員??なのに、しっかりお客さんで…スミマセンでした!託児もいつものごとく三人まとめてありがとうございました。子供達は福祉プラザでボランティアさんに遊んで頂くのがとても楽しみになり ありがたいことに継続ボラさんが多かったので 子供達も私も安心でした。時間延長になり申し訳ないと思いつつ しっかりお世話になってしまいました。子供達はそれぞれの遊びを楽しんで 私達大人は講演を聞いたり 映画をみたり とても充実した時間を過ごさせて頂きました。
 突然のトラブルでスタッフの皆様は大変だったと思いますが、私たちは波の会でご活躍の方々のお話をたくさん聴く事ができて、かえってとてもいい時間だったように思います。一緒に参加した祖母も「皆さん突然に壇上に上がっても上手にわかりやすくお話をされるねぇ〜。皆さんの今までの経験やご苦労がよくわかる。本当にいいお話を聴いた!」と感心しきりでした。
 私は映画を見るのは初めてだったし予備知識が全くなかったので 鈴木先生や並木さんの話を聴いてから 西村さんの講演と映画だったので、双方の内容がより理解しやすかったです!特に時間に限りのない私たちはいい機会だったと思いました。
 なおちゃん一家の様子は色々な面から 私たちの現実とかぶることが多く 共感したり 考えさせられたり笑ったり、涙が流れたり…とにかく感動でした。西村さんの母としての姿に大いに刺激され 我が家の将来について新たな目標ができました。これからの実生活に生かせるかどうかは…???ですが…色々なことに気づかせて頂いた1日でした。いい機会を本当にありがとうございました。
 今後のなおちゃん一家の様子が知りたいです!なおちゃんの弟君が素晴らしいですね!!これからも ぜひこのような企画があると嬉しいです。(Y)

 久しぶりにすばらしく成長した奈緒ちゃんをみて、他人の私さえ嬉しく思いました。同時に羨ましくなりました。コミュニケーションがとれるということは本当にすごいことだと、つくづく我が子と比較して感じてしまうからです。奈緒ちゃんの存在があってこそ、あたたかくてユーモラスで毎日が活気あるステキな家庭を作り上げていったのだと思います。
 同じ母親の立場として、家を出てグループホームに入った奈緒ちゃんを思う「親心」が映像を通じてよく感じられました。講演の中でお母さんの「やさしさ」「厳しさ」「思いやり」に感動しました。これからいろいろ苦難にぶつかることもあるでしょう。私たちも同じです。それらを乗り越える「パワー」を少しでも残しておいて今後の人生を前向きに歩んでいきたいと思います。
  支部準備会以来20数年が過ぎました。いつまでできるかわかりませんが、私の「心」と「身」が許す限り、皆さんと共に活動していければと願っています。(T)

≪宇都宮市障害者福祉会連合会事務局 荒井雅明さんからお手紙をいただきました≫
 遅ればせながら、支部設立20周年おめでとうございます。私は宇都宮市障害者福祉会連合・会事務局の荒井と申します。前職が知的障害者施設であったため、てんかん協会の活動は存じ上げておりました。また、山崎さんとは雄司君を通して10年程のお付き合いとなります。映画会は山崎さんからお声をかけていただいておりましたが、所用のため観ることができず残念でした。
 施設に在籍しているときも利用者の中にてんかんの方もおり、発作の対応の時には正しい対応ができているだろうかと悩んだものでした。外出時や入浴のときなどは特に慎重になったものでした。発作が軽減していく利用者をみるとホッとする思いでした。
 長々となってしまい申し訳ありません。貴協会の引き続きのご活躍を期待しております。

◆西村信子さんから◆
 先日は私のような者にお声をかけてくださり、よい経験をさせていただきましたこと、こころよりお礼申し上げます。10年ぶりにお会いした方々も皆さんお元気そうでとても嬉しかったです。
 沢山のおみやげとお礼を過分にいただき大変恐縮いたしました。改めてお礼申し上げます。帰りにギョーザを沢山食べて帰りました!どうぞ皆さま今後もご活躍を!ぴぐれっとのお菓子、皆さんでドーゾ。



てんかんのある人から水泳の楽しみを奪わないで!
−大分市で水泳死亡事故が発生−(9月号)
 8月27日、大分県において授産施設が行うプール指導中に、てんかんのある23才の男性が溺死する事故が発生しました。地元紙によると、亡くなった方は大分県支部の会員で、母親は「事故が起こった際の状況や、発見後の対応など事実は知りたいし、施設やヘルパーなど、関係者には二度と同じ事故が起こらないように気を引き締めてほしい」、その一方で、「息子はプールが大好きだった。危ないから制限するのではなく、安全に楽しめる環境をつくっていくために、彼の死を生かしてほしい」と話しています。
 プールの水深は1メートル前後であることから、発作が関係した可能性があります。これを受けて日本てんかん協会では下記のような声明を出しました。声明にあるように、てんかんのある人の行動を抑制する方向に進展しないことを願っています。くわしい経緯は不明ですが、プール等でのてんかんのある人への基本的対応を行っていれば、防げたかもしれない事故であり残念です。
 水泳中は発作は起きにくいと言われていますが、私の息子は発作を起こしたことがあります。だいぶ昔になりますが、養護学校在籍中にプールで発作を起こました。一瞬水に沈みましたが、近くにいた先生の落ち着いた対応ですぐ水面に顔が出るような体勢をとり、発作が落ち着いた後プールから息子を引き上げてくださいました。水を大量に飲むことはなかったようでした。「プールの中の方が体が軽いので、かえって楽だった。」と言われたことを思い出します。水泳中に発作を起こったら死ぬのではなく、水中に放置したから死ぬのです。この先生は、息子の発作の場に何度も居合わせたことがあり、行事には積極的に参加させてくださいました。協会本部の「てんかん学基礎講座」に何度も参加した先生で、私もいっしょに参加したことがあります。
 現在、栃木県支部では支部設立20周年記念事業として、てんかんの理解のための小冊子を10月頃発行する予定で準備をしています。日常生活で発作が起きたときの対応として、水中での発作や航空機・バス・電車の中での発作への対応方法も掲載する予定です。(S)

2007年8月29日
「大分市で発生した水泳死亡事故」に関する声明
痛ましい事故をさけるため、てんかんのある人への
水泳指導がさらに適切な監視態勢のもとで行われること、
発作を恐れるあまり水泳を制限されないこと、を望みます。

社団法人 日本てんかん協会
会長 鶴井 啓司

 8月27日(月)、大分市において授産施設が行うプール指導中に、通所利用者が死亡する事故が発生したことは、大変痛ましく、亡くなられた植木隆博さんのご冥福を衷心からお祈り申し上げ、御遺族の皆さまへも深甚なるお悔やみを申し上げる次第です。
今回の事故でお亡くなりになられたのは、てんかん発作に加えて重複障害のある方であり、当協会の会員でもありました。施設職員とヘルパーに引率されて遊泳されていました。ヘルパーが目を離した間に発作が起こったと報道は伝えています。
 障害がある方の水泳で怖いのは障害があることではなく、障害を有するがゆえの安全サポートが万全でないということです。今回の悲劇のように、マンツーマンで付き添っていても、目を離した僅かな時間に発作が起きる可能性もあります。予知できない危険性を関係者全員が、改めて肝に銘じていただきたいと切に願います。サポート態勢が万全であったならば、たとえ発作に見舞われても適切な介助で彼を救うことが出来たのではないかと、無念の思いを禁じ得ません。
 今回の事故の経緯についてはまだ分からない点もありますので、以下に一般的な問題について述べさせてもらいます。

■てんかんのある人だけに特別リスクが高いわけではない
 てんかんのある人へのプール指導のあり方については、これまで学校教育の中などで毎夏話題となってきました。「てんかんはこわい病気」などと思われがちで、活動の制限が実施される例が少なくありませんでした。
 しかし、たとえ水泳中に発作が起こったからといって、水面から顔を出して呼吸を確保し、発作が治まってから引き上げるという基本的介助を行えば大事にいたりません。重大な事故を招来するのは、「指導者がつい目を離した」「勝手に泳いでいた」などの管理上の問題がある場合です。
 脳波の所見からは水泳中に発作が出現する可能性は少ないという結果も報告されています(「てんかん児と水泳」、松岡他、1983)。また、外国の研究などを見ても、子どもの水泳中の事故の統計を見ても、てんかんのある人に事故が多いという報告はありません。
(シリーズ・援助の実際Vol.9「てんかんと教育」、日本てんかん協会、1996)

■てんかんのある人のプール水泳は充分な安全サポート態勢で!
 てんかんのある人へのプール指導では、十二分なサポート態勢で臨み、水泳中は指導員が目を離さないことが基本です。水泳中に絶対に発作が起こらないとは言えませんが、抱えるリスクは水泳を楽しむ人たち全てに共通しており、てんかんはそのうちの因子の一つに過ぎません。
 今回の痛ましい事故を一面的に解釈して、てんかんのある人へのプール指導がやみくもに制限されることを、協会では危惧しています。この事故を教訓として、各学校や施設などでの指導体制を十分に見直してもらい、今年の残り少ないプール指導を引き続き安全に実施することこそが求められていると思います。
 また、今回の事故は行政からの委託事業という積極的な取り組みの中で起きたことですが、てんかんのある人の社会参加を進めるためにも、この教訓を活かしてこの事業が継続されることを希望します。さらに、重度の障害者を受け入れる施設に対する人員配置の改善なども切望します。



自治医大NICU卒業生同窓会に参加して(9月号)
「しもつけジュニアオーケストラ」の演奏風景 NICU(新生児特定集中治療室)は、病院において超低出生体重児、低出生体重児や疾患のある新生児を集中的に管理、治療する部門です。9月1日に自治医大子ども医療センターで第2回の同窓会が開かれました。今回は、地域サークルや団体の活動の紹介を設けてくださったので、バクバクの会(人工呼吸器をつけた子の親の会)、ゆずりは(LD等軽度発達障害児者親の会)、てんかん協会栃木県支部、自閉症協会栃木県支部、日本ダウン症協会栃木県支部が参加し、短い時間でしたが、各団体の活動を紹介しました。
 まず1階の吹き抜け広場で、地元の小中学生の「しもつけジュニアオーケストラ」があり、楽しい雰囲気で盛り上がりました。その後、4階のクリエイティブルームに移動し、築地病院NICUの卒業生のお母さんの講話がありました。500グラムくらいで生まれた子はもう大学生になっているそうです。その後の団体紹介のときに、人工呼吸器をつけた9才の男の子とお母さんが登場し、母さんが自作の歌を独唱したとき、ストレッチャーに乗ったほとんど表情に変化のない子の表情が緩んだように見えたのには感動しました。その子が9年間のうち7年間を病院で過ごしたという話にはびっくりしました。人工呼吸器を付けストレッチャーに乗りじっとしている子や走り回る子もていて、兄弟も参加しているので親よりも子どもの方が多く、託児室のような雰囲気で、とてもなごやかな同窓会でした。(S)



マクドナルド・ハウスとちぎが1周年
ファミリーハウスへの思い(10月号)
表彰されたボランティアと桃井先生、ドナルドくん 自治医科大学とちぎ子ども医療センターと同時にオープンした家族宿泊施設「ドナルド・マクドナルド・ハウス とちぎ」(とちぎハウス)の1周年記念行事が、同センター外来ホールで9月22日に開かれました。とちぎハウスは約180人のボランティアによって運営されています。また子ども医療センターでも病院ボランティアが患者や家族のさまざまな応援をしています。
 センター長の桃井真里子先生は、若い頃に2年間留学したフィラデルフィアこども病院は、日本の白一色の病院と異なり、子ども向けに配慮された壁の配色や装飾、子どもが楽しめる売店、そして病院ボランティアなど、子どもと家族に安らぎを与える病院であったことを講演されました。病気と闘う子ども、そしてなぜわが子だけがこんなに苦労するのかと「怒り」をもって孤立する親のために、こんなにも思いやりのある病院があることを知り、自治医科大学でも実現しようと常に考えていらっしゃったことを記念講演で初めて知りました。それが実現したのが、とちぎ子ども医療センターやとちぎハウスなのです。
 私はとちぎハウスを訪れるたびに、20年くらい前に次男が自治医大病院に入院したことを思い出します。通院では発作が改善されず入院した思い出です。知的障害もあり一人で入院させておくのが心配でしたが、親は泊まれないので、妻は毎日夜まで付添い、遠出をしたことがないのに夜道を約1時間かけて車を運転して帰宅していました。長男と私は自宅で留守番、その時の長男といっしょに食べた夕食の味気なさと、なんで妻だけがこんな苦労をするのかというやりきれなさというかやり場のない「怒り」にも似た気持ちを思い出します。
 支部活動も軌道に乗りだした1999年に栃木県支部では西新潟てんかんセンターの見学バスツアーを行いました。そのときてんかんセンターの亀山先生が「ファミリーハウス(家族宿泊施設)をつくるのが夢」といわれ、協会として何とかできないかと思いましたが、何もできず終わってしましました。
 こんなことから、ファミリーハウスはいつも私の頭に引っかかっていました。数年前から子ども医療センターの準備に関連したプロジェクトチームに参加させていただいたのが縁で、昨年からとちぎハウスの運営委員をやらせていただいています。とちぎハウスは約180人のボランティアによって運営されています。また子ども医療センターでも病院ボランティアが患者や家族のさまざまな応援をしています。わが息子はもうじき30才、もう個人的には縁のない施設ですが、今までの悔しい思いをバネにこれからもとちぎハウスを応援していこうと思っています。(S)



「やさしいてんかんハンドブック」の配布にご協力を!
てんかんへの理解を広げよう(12月号)
 栃木県支部は今年で設立20周年を迎えることができました。これを記念して、多くの皆様にてんかんについての理解を深めていただけたらと思い小冊子「やさしいてんかんハンドブック」をつくりました。
 支部会員の皆さんには、「やさしいてんかんハンドブック」をお送りしました。お読みになった感想はいかがでしょうか。てんかんについて社会に広く知っていただくために、厚くして読んでもらえなくならないように厚さや目次を工夫しました。事務局のたたき台をもとに、例会などで何回も話し合いメールで意見交換をし、専門のドクター数人にもていねいなアドバイスをいただきました。また、イラストは会員のYさんにお願いしました。文字どおり会員の手作りの冊子です。支部ホームページにも掲載してありますので、そちらもご覧ください。
 福祉関係者や会員の皆さんの協力で、市町社会福祉協議会、健康福祉センター・保健所、養護学校、消防署、病院、福祉施設 などに配っていただいたところ、予想以上に好評で、ある養護学校は事務局までわざわざ追加分を取りに来てくださいました。こんな状況ですので、2000部で十分だろうと思っていましたが、1ヵ月でほとんど在庫がなくなってしまい、さらに2000部を増刷しました。
 印刷経費は今年度の支部総会で承認していただいた予算で、無料で配布しています。20周年記念事業としては、映画会(8月26日)、このハンドブックと経過連絡帳(発作観察帳、近日完成)の発刊の3つです。ほぼ承認された予算内約60万円でできる見込みです。毎年の国会請願署名のカンパを繰越金としてこつこつ貯めたものです。その意味でも署名にご協力いただいた方々には感謝する次第です。
 県北の会員などにも協力していただいてはいますが、世話人が宇都宮市に集中しているため、配布先も宇都宮市内がどうしても多くなっています。周囲の方々に配ってみようという方はぜひ支部事務局までお知らせください。
 また、全国の会員のみなさんからのご連絡もお待ちしております。

「やさしいてんかんハンドブック」