天台宗 金城山養寿寺(国定忠治の墓)
所在地 群馬県佐波郡東村国定
駐車場 5台くらい




本堂
墓碑は、角を割り持ち去る人が絶えないようです。
隣の大きい墓碑
国定忠治八木節の碑
2004年3月5日 撮影
案内板より
ここは国定忠治の菩提寺で境内には忠治の墓および遺品陳列所があり遺品、遺物、忠治の実物大の木像と七百年前の薬師如来の木像がある。
西暦1810年与五右衛門と伊予との間に出産した忠治は13歳の頃から賭博をおぼえ天保5年の春に島村の伊三郎を斬殺して一躍名をうった。のち大戸の関所を破り本格的博徒となったが一方磯沼しゅんせつ工事をして農家を救済したというのが善行とされているが、前後三回関所破りをした罪で嘉永2年11月に滝川の安五郎に跡目を譲り翌年7月21日中風となって、8月24日御用弁となった。この時関東一円に助命運動があったという。
弘化3年に忠治が赤城山にこもったのは余りにも有名である。
嘉永3年の年の暮れ21日に大戸の関所ではりつけの刑に処せられたが、忠治はそのとき41歳の若さであった。
法名 「長岡院法誉花楽居士」

正門