プロローグ
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 はじめに

   が高校の「生物」を教えて、30年が経過しました。大学で生物学を学んでいた1960年代は、分子レベルの生物学こそが生物学であるという時代でした。確かにその後、分子レベルの研究は大きく発展し遺伝子(ゲノム)の解読が完成するという成果が得られました。そんな生物学を理解し自分でも分子レベルの研究に加わり、視物質(Rhodopsin)のタンパク質化学的な性質を追求したこともありました。
 しかし、いつも満たされない気持ちを持っていました。自分がのめり込みたい生物学は、当時、京大の研究者を中心に行なわれていた「ニホンザルの生態学的な研究」や、ドイツのフリッシュが行なっていた「ミツバチの研究」でした。
 高校の教員になっても、教科書に書かれている知識だけを教えるのではなく、そばに生きものを置いて「生物」の授業をしようと心がけ、メダカやカイコやショウジョウバエを飼い続けました。「生物教育は生きもの教育でもある」と主張してきたつもりです。
 2000年を迎え、生物学の方向も少し変わってきたのではという印象を持っています。この地球上に多くの生きものがどのようにして生活しているのか、多くの生きものが暮らしていく仕組みはどのようになっているのかということが研究の大きなテ−マになっているからです。
 生きものがどう生きているか、私はニホンミツバチを通して生きものの生き方に迫ってみたいと考えています。

 ニホンミツバチとの出会い

 1994年春、わが家のお墓にミツバチが巣を作っているのが見つかりました。以前からミツバチを飼ってみたいと、いくつかの養蜂書を買って読んでいましたので、このお墓のハチを巣箱に取り込み、飼育しようとすぐ考えました。

巣のできたわが家の墓墓の入口の巣

 ところが、このお墓のミツバチはいわゆる養蜂に利用されているセイヨウミツバチでなく、もともと、日本列島に住んでいるニホンミツバチだったのです。恥ずかしいことにこのお墓のハチに出会うまで、ニホンミツバチというハチがいることさえ知らなかったのです。生物学の講義を大学で熱心に聞いてきたと自負していましたが、それらの講義はもちろんのこと、その後に読んだ本にもニホンミツバチのことが書かれていませんでした(桑原万寿太郎著「動物と太陽コンパス」には書かれていたが当時、気が付かなかった)。
 ニホンミツバチに付いて調べました。岡田一次著「ニホンミツバチ誌」を興味を持って熟読しました。その中で「ニホンミツバチが絶滅の危機にある」という記述を見つけ、ニホンミツバチを飼育しようという意欲が増しました。

 ミツバチを通して何をみるか

 生きものの生き方を知るためには、一つの種がどのように生きているのかとことん追求してみるのがいちばんいい方法だと考えています。ニホンミツバチはそんな対象として最適です。ヒトの生活と共生して種が維持されてきたからです。
 伝統的な養蜂では、自然界から分蜂群を取り込みハチミツを採取し、その群れから分蜂した群れは自然に返るということが日常的に行なわれていました。近年、山間僻地の過疎化と、森林の植林によってそんな生活が失われてしまい、ニホンミツバチの種の絶滅が危惧されたのです。ところが、市街地では増加していたのです。本当のところ理由は明らかではありません。しかし、きっと人の生活と関係しているのではないかと考えています。人の生活と関係して、一つの種が栄えたり滅びたりする。ニホンミツバチの生活を知ることは、今地球上で進行している多くの種の絶滅を考える上での身近な例になると思えるのです。

 探求(研究)を通してこそ知識が確立する

 高校の教員を30年も続けてきました。教員になった最初から考えていたことは、教科書に書かれているいろんな知識を生徒に生き生きと教えられるためには、どんな些細なことでも良いが、自分も、研究を続けることが必要であるということでした。科学の学習をする中で自分がいちばん感動したのは、実際に自分で研究した人の話を聞いたときであり、自分で研究している人の書いた本を読んだときであったからです。研究の中での苦労、ひらめき、失敗は実際に研究をやったものしかわからないと思ったからです。
 最初に取り組んだ視物質の研究でも、今取り組んでいるニホンミツバチの研究でも一つの新しい知見が得られるまでには、多くの取り組み、苦悩があります。そのような研究における足跡をたどること、自分が研究している主体者になることが科学の学習にとってたいへん重要なことであると思うのです。このホ−ムペ−ジにそんな部分を作れたら、どんなに素晴らしいだろうと思っています。


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