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宝蔵院流高田派槍合せの型 表十四本の写真、宝蔵院流槍術人物伝、道場など詳しい情報があります。




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宝蔵院流の歴史 宝蔵院流の十文字槍 奈良宝蔵院流槍術保存会


宝蔵院流高田派槍術の歴史

  流祖宝蔵院覚禅房法印胤栄(1521-1607)は南都興福寺の学侶僧。武芸を
 好み、柳生但馬守宗厳と共に上泉伊勢守から刀術を学び、また一方で諸国修
 行中の槍法の達人、大膳大夫盛忠を坊中に留め槍の修練に努め、ついに猿沢
 池に浮かぶ三日月を突き鎌(十文字)槍を工夫し、宝蔵院流槍術を創めるに
 至つたと伝えられています。そして後日、高弟中村直政にその正銃を伝え、
 さらに直政からその妙術を継承したのが高田又兵衛吉次であります。
  高田又兵衛は後に小倉藩に伝え、以後子孫代々これを相続しました。また、
 その高弟森平政綱ら三名が江戸に出てその槍法を広めたので大きく世に顕わ
 れるに至り、幕末の講武所時代多くの宝蔵院流の師範がいました。その後、
 明治大正期の大家山里忠徳先生か、大正7年暮、第一高等学校撃剣部にその
 槍合わせの型五十本を伝習され、矢野一郎、横田正俊先生や元最高裁長官・
 故石田和人先生がこれを伝習して、昭和51年12月に石田先生より表裏新仕掛
 三十五本を西川源内先生に伝授され発祥の他奈良に里帰りし、さらに平成3
 年6月に鍵田忠兵衛氏が第二十代を継承され今日に至つています。
  この鎌槍は、突くだけでなく、巻き落とす、切り落とす、打ち落す、摺り
 込む、叩き落す等立体的、平面的に使用され、当時としては画期的な武器で
 ありました。
  構えは由胃を付けたときの動作で腰を低くし、突くところは前面、裏面、
 前胴、腿などであり、宝蔵院流の詠歌に「突けば槍なげば長刀ひけば鎌とに
 もかくにも外れあらまし」とあります。
  宝蔵院は興福寺の子院の一つで、わが国法相宗の基礎をつくったといわれる
 義淵(〜728)僧正の私坊が始まりで、江戸時代には興福寺築地(七堂伽藍の地)
 の外、登大路の南側にありました。明治初年の神仏分離の際とりこわされ、その
 跡地は帝国奈良国立博物館(現・奈良国立博物館)構内にくみこまれました。
 現在は、わずかに宝蔵院の井戸枠と伝えられる石組のみが敷地内に残されて
 います。



宝蔵院流高田派槍合わせの型 表十四本

1

到用 (とうよう)

8 

相位(あいくらい)

2

一挽 (いちぢつ)

9 

引落(ひきおとし)

3

粘花 (ねんげ)

10

管(くだ)

4

五個 (ごか)

11

突抜け(つきぬけ)

5

半冠 (はんかむり)

12

鱗 (うろこ)

6

十箇 (じっか)

13

合図呼び(あいずよび)

7

巻槍 (まきやり)

14

遠 目 (とほめ)




宝蔵院流高田派槍合わせの型 裏十四本

1

到用 (とうよう)

8 

相位(あいくらい)

2

一挽 (いちぢつ)

9 

引落(ひきおとし)

3

粘花 (ねんげ)

10

管(くだ)

4

五個 (ごか)

11

突抜け(つきぬけ)

5

半冠 (はんかむり)

12

鱗 (うろこ)

6

十箇 (じっか)

13

合図呼び(あいずよび)

7

巻槍 (まきやり)

14

遠 目 (とほめ)




宝蔵院流高田派槍合わせの型 新仕掛七本

1

逆摺込み (ぎゃくすりこみ)

2

抜け突き (ぬけつき)

3

入れ違い (いれちがい)

4

右手突き (うてつき)

5

柄返し  (えがえし)

6

早馬   (はやうま)

7

飛鳥   (ひちょう)


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