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【自然の縁し】 |
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◎ ハンドルの銘

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◎ ふるさと回顧
傘齢有余年の人生稟受の来し方を
戦前と戦後に大別
戦後を更に分けて回顧する
生まれ・住み・勤めた処は幾つかあり
何れも古里としての思い出は懐かしく
個々を揚げれば
福井・平壌・京都・島根・茨城・東京
そして終の棲家横浜に在る
○ 戦前の平壌府
古代楽浪の都とて船橋里郊外に古墳が発掘され
牡丹台古城の景勝史跡は豊臣征韓の役にまで遡り
戦役を語る
牡 丹 台

平 壌 駅 府 庁

京城ー新義州線第二の都市の玄関
更に元山・水豊への支線の分岐点でもある平壌府
朝鮮第二の都市として商工業で栄えた楽浪の古都
平壌は近代化して内地の先進都市に並ぶ発展を遂げ
昭和19年には軍管区都市30万の人口を擁する都市に
発展していた
市街電車停留所

平壌駅前ー西平壌駅前間と支線船橋里・寺洞へ
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☆ 歩兵第77聯隊
聯隊俯瞰

瑞気山西麓を占め旅団司令部・陸軍病院・練兵場・
兵器所等々軍の施設要衝の一角に在る
営 門

聯隊の歴史
大正5/4/18 軍旗親受
昭和6/9/18 満州事変に39旅団隷下で出動
昭和12年 日中戦争に出動
昭和19年4月 30師団隷下でフィリッピン戦線に出動
レイテ島出陣ミンダナオ島残留戦で共に壊滅的打撃を受ける
歩77聯隊補充隊(朝44部隊)は師管区第244部隊に編成
一方 昭和20年6月編成の第160師団隷下の
歩463(扶安)歩464(裡里)聯隊の編成母隊となり
南鮮に派遣されて復員している
本隊は8月の終戦後師管区の第242部隊に移動後の
9月上旬 将校は弥勒洞 下士官兵は三合里廠舎へ終結
11月ソ聯邦へ強制抑留されて各個別々に母国に復員した
エラブカ版画 雑記帳

ソ聯邦占領下の将校が第一(旧キリスト教寺院跡)と
第二収容所に分かれていた
○ 戦後の歩み
昭和22年11月復員帰郷して戦後混乱の巷で
国の公務員職に就いて以降30有余年に及ぶ生活の
第一歩を福井に印し次いで京都ー松江ー水戸ー
東京と転じて横浜を終の棲家とした
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○ 想いでの各地
福井
終戦間際の空襲・23年の福井大地震と市街全滅の被害を
「不死鳥」とのスローガンを掲げて復興した県都は逞しく
永平寺 丸岡城

深遠な曹洞宗本山の佇まいに越前の雅びを偲び
現存城の天守閣最古の丸岡城跡に戦国の代に遡る
京都
一千年の古都は東京遷都に揺れながらも戦災を免れ
優雅な都の伝統を維持した傍ら戦後は革新の波を蒙った

京都タワー 下鴨神社
府管下在勤は貴重な体験を齎し
乍ら
下鴨神社を拝しての朝夕2年は古都の
風情を満し
かつ近代タワーを夜空に遠望し
きた格別な想いに浸った
松江
出雲・石見・隠岐各々に古代の伝承は尽きる無く
松江城
神々流竄の地とか「出雲」の城松江城を仰ぎ
宍道湖の八雲の映えに神在月の神話を偲ぶ
水戸
徳川幕府御三家とて尊王攘夷の天狗党一味は
天狗党浪士の墓を
遺す敦賀との縁しは奇しく
親鸞聖人お旅発像

遡る中世には真宗の祖師親鸞旧跡「原始真宗」
ニ十四輩の弟子を遺す常陸は遠く
東京
江戸幕府三百年を閉じ東京遷都に近代化の
国を拓き数多の被災に耐え抜きし首都に
越前・京・出雲・水戸の各藩を巡りて江戸の旧蹟へ
叙勲参内記念

わが30有余年の国の公務職の総括を賜りぬ
横浜(別所)
横浜市歌に歌う「むかし思へば苫屋の烟」とて
「今は百舟 百千舟」と栄えた港横浜
弘明寺への古図

郷社白山神社(旧社殿)

「白山社由緒」記に
「往古は詳らかならずも古来より久良岐郡
一帯の産土神社」とあり
「新編武蔵風土記稿」に「白山社除地二段
小名寺谷見通の辺にありと古木繁茂の
山上にあり」と
て道標には
「左戸塚え」・「奉建立百万遍念仏講中弘明寺」
「寛延年間(1748)」と
横浜最古の古刹弘明寺
「吾妻鏡」には「源家累代の祈願所」と記し
「頼朝の保護・戦国時代には北条家より寺領安堵
・江戸時代には朱印拝領」とあり
本殿 山門
観音堂(1044年建立)
わが住居
西に白根富士を遥かに望み

夕日に みなと未来は東に映える

西に東海道・
東に鎌倉街道狭間の
別所中里台から弘明寺への丘陵は
「横浜横須賀道路」を南北に通し
「別所インター」を麓に拓く里ここに在り
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「僕は大きく成ったなら勲章着けて剣下げて
・・・」
と歌う兵隊ごっこ
やがて小学校では手作り木銃に煙硝発火具を装着し
紅白対抗突撃演習の遊戯を運動会で演じたり
中学低学年ては信号手旗を上衣の剣着けに下げ
高学年では三八式歩兵銃の教練が正課とされ
配属将校派遣の「教練検定」も課せられ
「兵籍簿」にまで履修が記載され
兵役で入営すれば
二等兵から下士官・士官と
階級絶対の軍隊勤務への精励が義務として
課せられたのである
歩兵77聯隊歌
大野東頭点々の 山又山の尽く所
長城一面洋々の 水は千古に変わりなき
古き都に屯する 歩兵七十七聯隊
レイテ戦績につ
いて
S.19年5月 動員下令 渡比
S.19/4/12動員下令 5/7完結 8日平壌出発
6/6 ミンダナオ島上陸(スリガオ)しリアンガ付近に布陣
したがダバオ付近へ転進となり600kmに及ぶ大移動中
10/20 米軍のレイテ上陸に伴いレイテ転進となりカガヤンに
引返すが渡航舟艇は大発6隻だけで2000中1400名はミンダナオ
に残り転進は4回に分けて行われた
1回目
11/3頃 野中少佐指揮のV大隊と10中隊と3MGがカガヤン出航
6〜7日 イピル海岸に上陸26Dに配属されブラウエンに向かう
2回目
11月中旬 5中隊と2MGが上陸 船舶工兵指令三井大佐の指揮下に
入りオルモック防衛に就く
3回目
12月上旬 富永少佐指揮の聯隊主力の前回残留や9中隊と11GBの
200名前後がイピル海岸に上陸し
12/7 来襲米軍と戦闘し「血染めの竹薮の激戦」と米軍戦史に
名を残し続いてオルモック防衛戦でも中核の5中隊2GBは全滅
に瀕しがらも
米軍と5日間に亘って戦闘し三井大佐より感状を
送られた
他方ブラウエンに向かった10中隊 3GBは12/10の切込みを
最後に
兵力を減じ野中少佐以下60名が西方へ撤退した
12/9
セブ島からパロンボンに着いた新郷聯隊長以下の
2個中隊は砲を運べずセブ島に残した戦力なき聯隊主力ながら
オルモック街道を南下しタンブコ三叉路に着いた頃
富永少佐隊を指揮下に入れた
12/17前後
聯隊最後の戦闘があり戦車中心の米軍に対し
砲力なき我が軍は爆雷や手榴弾を抱いて切り込む挺身攻撃で
「地獄を見た 地雷を抱いて戦車に飛び乗る兵はたちまち撃ち
落とされそれでも次から次へと飛びついてく
そしてまた撃ち落とされるあれは将にこの世の地獄であった」
と語っている
戦闘は2時間位でおわりU大隊長林少佐は戦死富永少佐は自決
12/25 最後の終結地カンギポットに入ったのは聯隊長以下
18名一方ブラウエンで26師団配属を解かれ西方へむかった
野中少佐以下60名はオルモック北方山地をぬけ街道を横切った
辺りで砲撃を受け四散し少佐は戦死
カンギポットには各地の生存者が徐々に集まり 100名前後の
集団は
聯隊長を中心に自活するが終戦の日生きてこの谷を
出られたのは2名だけである
聯隊旗の行方も新郷大佐の死も不明のままである
生存者
一方ミンダナオに残留した部隊も上陸米軍と戦いながら奥地に
入り食糧不足のため自然と消滅していったが
この方は将校8名が残ったので戦史は詳細に判明しており
結局レイテにおいての兵10名とミンダナオの93名が生き残った
動員将校団

戦友会と慰霊碑の建立趣意書
故陸軍少将新郷栄次聯隊長以下三千余名が勇躍征途に赴き
たるも時既に戦勢我に利あらず遂に比島のレイテミンダナオ両島
にて玉砕せり勇士達が故国を離れし最后の思い出の地関門を
選んで有縁の遺族や戦友たちが英霊の冥福を祈りて建立する
昭和五十七年五月歩兵第七十七聯隊有志一同
戦友会の回顧
終戦61周年を迎えた2006年8月15日は戦没者追悼平和祈念の
日であった総理の靖国神社参拝で幕を開けこの日は追悼式場に
天皇陛下をお迎えし戦陣に散り戦火に倒れた人々を追悼就中
靖国神社に祭られた英霊は弐百万を超え わが聯隊のフィリッ
ピン戦線で玉砕した戦友も合祀され運命の不可思議に思いを
新たにした

私 考
出陣母隊の戦績については「比島ミンダナオに上陸し
間無くレイテ戦線へ出撃して玉砕した」との情報だけで
戦績の詳報とて無く在営時は勿論復員後も確認できず
「レイテ戦史」・フイリッピン戦績記の「さぁふらんす戦史」
等の書やパソコンの検索記録を蒐集して自分なりの
補遺を加えて何時しか60年の歳月を経過していた
2006年7月に至り「平壌中学同窓会誌」で
歩兵第七十七聯隊の慰霊碑立を知り戦友・遺族会との
連絡がとれたのは8月に入り まさに満60年を終えようと
したこのとき母隊の実証が得られた
レイテ戦線に緒戦から米軍圧倒の戦場に臨んだ兵士の
驚愕は察して余りあり いまに聴く出陣の経緯には「全滅
・切込・敗兵・肉薄・挺身・自活・四散・自活・消滅」と
敗戦に冠される言葉を冠しての米軍の「落武者狩り」に
反撃の手立てすら選び得ぬ兵士の心情は如何ばかりかと
悼む一方自らの往時にもソ聯軍迎撃出陣の編成下に在って
聯隊本部電報班長の最終責務たる「聯隊総攻撃す」との
発信を最後として「全員突撃」との決意をした記憶は
いまも脳裏を離れない さらには「無辜の悲しみ」
と表されたソ聯邦の強制抑留中 故国の土を踏めずに
異国の土に埋もれた兵士を追悼する
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◎有縁の語らい
が生まれればと
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◎ ホームページ改訂経緯
● 2000/04/21 「ふる里を巡る
● 2000/08/15 「歩77戦績」記録
● 2000/09/08 「常陸の親鸞聖人旧跡」
● 2001/03/20 「くるまの遍歴」
● 2001/06/20 「自分史年表」リンク
● 2001/08/31 「旧ソ連抑留画集」リンク
● 2003/04/21 「弘明寺の台地」
● 2005/05/27 「第30師団記」補遺
● 2006/08/15 「歩77聯隊戦績実証」記録
● 2008/04/21 カウンター復活・随想付加
● 2008/05/01 ホームページ改編
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