ゲゲル考1・ビューティフルプレイヤー



クウガとの初遭遇


クウガを最初に見たのは、3話だった。

ちなみに前情報は、ほぼ皆無。「今度復活するライダーはティガみたく古代の力で変身で、タイプ色々あって、ストロンガー似でビデオ合成」と聞いてはらはらと落涙していたぐらいで。

そしたら、冒頭で何やら服の前をはだけた兄ちゃんが、ベッドの上で置き手紙握り締めて苦悩してて、思わず顎が落ちました(笑)チャンネル間違えたかと思ったよ。

それから時々見逃したりしつつ。

「クウガ」にハマったな、と自覚したのは8話。
対バヂス戦・緑のクウガ。
変身の瞬間に、足もとから風を巻いて舞い上がる砂塵!
アニメでは既に定番のこの描写だが、実写で見たのは初めてのような気がする。
 
 誇張でなく、体が震えた。
 
続いて出た紫のタイタンが、重装甲に大剣持ちの、もろ好みのタイプだったのがトドメ(笑)

そして、次々出て来るグロンギ達に見惚れつつも、生来のアタマの悪さが災いして、グロンギ語はさっぱり判らずに、ただ雰囲気だけを楽しんでいたのだが。

転機はその名も「遊戯」。
ガルメの流暢なリント語のおかげで彼らの行動理念が明かされた瞬間、TVの前でひっくり返ったね。

「こ、こいつらって、ゲーマーなのぉ!?」

その瞬間。
私にとってのグロンギ達は、「ちょっと目新しい、好みな雰囲気の敵役」から「思いっ切り、気心の知れた連中」へと変貌を遂げてしまったのだ。


ゲーマーとは


ゲーマーとは。
独断と偏見で断言するならば、それはマゾと求道者の集団だ。
そして同時に、己の快楽とポリシーへの、殉教者だ。

ガルメ以降、より複雑さを増してゆく「自らに課すルールの煩雑さ」を見ながら、「判る、判るぞっ!」と叫んでいたゲーマーは、実はけっこう多いんじゃないか?

 ゲームは、難しいほど、面白い。
 自分が強くなりすぎて、簡単になってしまったら、
 わざと難しくするやり方を、見つける。
 それはある意味「遊び」の本質だ。

RPGでは、やり込むと「いかにレベルを上げないでクリアするか」にハマったり。
シューティングでは、回避に命かけて自分は一切の攻撃をしないでステージをくぐり抜けてみたりと。
ある一定レベルに達してしまったプレイヤー達は、それぞれ独自の「遊び」を模索するのだそうだ。

さて、私が唯一ハマった経験のある格闘ゲーム、バーチャロンの場合の話をしてみよう。ロボット格闘ゲームなので、本来は「機体」を「操縦」して「攻撃」するのだが、わかりやすく「自分」の「能力」と言い換えるね。


最初に始めるのは、いわゆるストーリーモードと言える一人プレイ、対CPU戦だ。はじめのうちはそれはもう、敵の情報も自分についての情報も、最低限しかないから、やることなすこと、闇雲。
 取り合えず走る。攻撃をしてみる。相手が倒れる。やったー!
 相手が反撃をしてくる。わー当たる当たる、逃げきれないっ!
じたばたとそんな事をしつつ、ワンステージをクリアするだけでもぜーはー肩で息をついていたのが。

経験値も上がって来る。考える様になる。攻略方法が確立されて来る。
自分の能力/性能で何が出来るのか、片っ端から試してみたくなる。
最初期の型でも、攻撃の種類は最低21種類。敵は10機体。
 ふふん、こいつにはこの攻撃が効くぞ。逆にこいつのコレをくらったら危ないな、お、これ、遠くまで届くじゃん・・・etc、etc。
単純に、己が強くなってゆくのが嬉しい、そんな時期だ。

そして、ついにラストステージをクリアして。
最初は偶然が味方してくれなくては無理だったのが、自分の実力で楽々と到達できるようになって。やがて。それこそ、目を瞑っていてもクリア出来るようになってしまうと。
・・・・つまんない。マンネリ。

始めてしまうのだ。各人さまざまな「お遊び」を。

例えばタイムアタック。とにかくクリアまでの時間を最短にもっていく。
これは筐体に上位から登録出来るので、上位10人分全部自分で埋めてご満悦な奴とか。ライバルに抜かれたら死ぬ気で追い抜くとか、そんな水面下の戦いも色々と。

例えばノーダメージ。自分は無傷のままで相手だけ倒してクリアする。

そして、片手封じや近接オンリーや必殺技オンリー。
(いずれも、出来る攻撃の種類を自分で限定する事になる)

一番凄いと思ったのは(大会だったんだけれど)画面封じ。
画面を段ボールで覆ってしまい、音だけを頼りに戦うというもの。
観客は第三者視点のモニターで楽しんでたんですが、いやもうプレイする方も観る方も燃えたのなんの(笑)
はい、それでもちゃぁんと戦いは成立してましたよ?

かくも、かくもゲーマーとは、己を追い込む事に快感を見出す人種なのだと。
さてここまではご理解いただけようか。
そして。



ペナルティキャラ


「だから、クウガってペナルティーキャラなんですよ。」
某月某日、グロンギONLY主催どのと会話をしていた時の事である。
「え?」

実は、ご挨拶ページで白状した通り、私はゲームをやると言っても全部で片手の指ほどで、格闘ゲームに到ってはたった一つしか経験がない。
「電脳戦機バーチャロン」という、ロボット格ゲーである。
その第二作目『オラトリオ・タングラム』通称オラタンの中に、その「ペナルティーキャラ」っちゅうのが出て来るのだ。

(余談ですが、こーゆーのって普通の格ゲーにも居る、常識的なシステムキャラなんでしょうか?)

奴の名はアジム。
CPU戦(いわゆるストーリーモード)をプレイ中に、プレイヤーがある一定条件をクリア出来ないと、ペナルティとして現れる。このオラタンの場合は、序盤戦でもたもたしてて、XX分以上かかると次のステージに進んだ時に、いきなり本来戦うべき相手の代わりに出て来るのだが。

こいつが個人的にすっげえ厭なキャラで(笑)
腰に手を当てて天から降臨して来るって登場の仕方も仕方だが。様々なタイプがあるプレイヤーキャラの、武装のオイシイ所だけをチョイスして持っていたり。比較的動きが速かったり。補足しにくい外見をしていたりで、万年初心者だった私のレベルでは、まったく歯が立たずに10秒もたずに殺されまくった。

ならば、と、ちょっとダメージを喰らわせて、残り時間をひたすら逃げて終わらせようとしたら(トドメをさせなかった場合、タイムアップ時に残り体力多い方が勝ちになる)いきなりこっちまで巻き込んで自爆しやがって、強制的にゲームオーバーにしてくれると言う・・・・。

で、話をグロンギゲゲルに戻そう。

ずっと疑問だったのは、何故グロンギ達は、明らかにゲゲルの進行を邪魔しているクウガを排除しないのだろう、という事だった。

人間体の時でも彼らがクウガを補足できるのは、バヂスが狙ったり、ザインが人間体同士で戦ったりした事で証明されている。(アマダムの力を感じとれるのだろうか?)

グロンギは超個人主義だから、協力という概念が無いから?
それとも、バルバやダグバからの指令で、手出し禁止とされているから?
(これもバヂスが申請し、標的にした事で可能性は薄れた)

グロンギ達も、強い相手との戦いを楽しむタイプばかりではないだろう。(ガルメやジャーザはそうだと見た)
クウガさえ居なければ、ゲゲルはもっとスムースに進んでいった筈なのだ。
では、何故。


「ゲーム」という単語をキーワードとして考えた場合、二つの可能性がある。

一つは、グロンギ達が自覚しているか否かに関わらず、このゲゲルそのものがひとつの「クウガ育成ゲーム」であるパターン。

もう一つが、クウガも予めゲゲルのシステムの中に組み込まれているキャラクターだという、パターンである。


隠しキャラとしてのクウガ


ではまず、クウガがゲゲルのシステムの一部であるパターンを、考察してみよう。
この場合、「ペナルティキャラ」というよりは、「ランダム出現の隠しキャラ」といった方が正確だろうか。

グロンギ達がゲゲルを始める。
持ち時間と、クリア・カウントを提示し、認証される。
リントを狩るゲゲルは、同等の相手と戦う格闘ゲームというよりは、現れる目標を次々打ち落としてゆくシューティングゲームに近いかもしれない。

この場合、ある一定条件を「満たしてしまうと」クウガが現れる訳だ。
この条件とは各人のゲゲルごとにランダムに設定される。例えば「XX回リントに目撃される」とか「次の行動先を予測される」という具合に。気付かずにその地雷踏んだり、トラップ開けちゃったりすると。

ちゃらららーん♪(ファンファーレ!)
『クウガが あらわれた』

(あああ、ヤガランデのワーニングが鳴り響くようだ・・・)

一回撃退しても、しばらくするともう一回、しかも自分が一番苦手な能力をパワーアップして現れる。・・・・・イヤな敵だよ、全く(笑)

ガルメの最初のゲゲル成功は、彼自身の特殊能力・ステルスによって、この「クウガ出現」のトラップが発動しなかったのだと言えよう。

余談だが、ランクアップに伴いベルトの色も変わったように、能力の強化もあるのならば、「ズ」時代のガルメは透明化時間の長さやインターバル時間など、「メ」時代よりも劣っていたのだろうか?
とすると、くだんの「予告殺人」のようなパフォーマンスに走ることなく、地道に数を重ねていったのだろう。意外に堅実派である(笑)
逆に予告殺人は、この時溜まったストレスの反動かな?

少なくともバチスのゲゲル時点でのクウガの評価は「バギング4」
リント36人に相当する。我々の数の感覚でいくと35人とか40人分だ。金の力を得た後で、どれくらい評価が上がったのかは知らないが、成る程、たかが隠しキャラなら、腕に覚えのある面子は恐れるに足りずどころか、眼中に無いだろう。

なにしろ彼らの目的は、ザギバスゲゲルをクリアして、その後に許されているだろう、対人対戦を思いっきり楽しむ事なのだから。


むしろクウガの存在にこだわるバダーなんかの方が、異様だったりして。


育成ゲームとしてのクウガ


もう一つの、ゲゲル自体が「クウガ育成ゲーム」であるパターンについて。

育成ゲームとして考えた場合、これはかなり至れり尽せりのシステムだ。
ゲームとして、あるいは実際の格闘経験者なら判るかと思うが、手っ取り早く強くなる方法というのは、「自分よりちょっとだけ強い相手と戦う事」ではないかと思う。

死に物狂いで、くらいついて。
相手に引きずりまわされながら、それでも何とか勝機を見出そうと、頭も、体も100パーセント以上のフル回転。
アドレナリンがどんどん分泌されているのが、実感として判る。
一秒ごと、いやコンマ一秒ごとに、かくん、かくんと段を昇るように意識が研ぎ澄まされてゆき、視界が鮮明になってゆく。
時間の流れが、遅くなってゆくように感じる。
そして、ターニングポイント。道が見える。自分の放った攻撃が、間違いなく相手に届き命中する、その軌跡が。
見えると同時に、動いている。動くと同時に、確信している。勝利を。

一瞬の意識の空白があって。

気付いた時には、全身にびっしょりと汗をかいて、肩で息をしながら、ウィナーになっている自分が、いるのだ。

あ、あ、ちなみにコレ実話っていうか実感です。
あの、一秒単位で自分の動きが良くなってゆく、強くなってゆくのが「判る」という経験は、他にはあまり無いものではと思う。

もっとも、こんな境地に達せたのはそれなり長かったプレイ暦の中でも、ほんの片手の指ほどでしたが。
自分より遥かに弱い相手では、いくら数を重ねようとも自分の経験値にはならないし、自分よりケタ外れに強い相手では、手も足も出ないまま終わってしまう。
自分と同等。それも、ちょっとだけ強い、絶対に気の抜けない相手との戦いこそが、一番緊張感も持続するし、「身になる」のだ。

ストーリィの都合上とは言え(笑)
常に自分よりちょっとだけ強い、常に全力をもってして戦わなければいけない相手と、しかもタイプごとにまんべんなく、コンスタントに戦う。
これって最高のトレーニングじゃない?

しかも、ともかくカラダを慣らさなければいけない初めのうちは、体が覚えたことを忘れないように、日をおかずに戦いがあって見事な反復学習になってるし。
ある程度、慣れてきた後は、じっくり自分なりの戦略を組み立てるだけのインターパルを開けてくれるし。
最終的には、バランスよく能力や各フォーム間切り替えが出来るように、相手も1体なのにフォームチェンジして総合学習になってるし。
とどめに、最後の仕上げ2戦は、いっちばんやりにくい「自分と同じタイプ」との戦いになってるし。

さてさて。
そうして育成した最強戦士を何に使うつもりだったのかは、プログラム組んだ存在に聞いてみなければ、判りませんけれどね。


ランキングバトル


さてこのゲームに夢中になっていた当時。面白いイベントがあった。上野某所のゲーセンで行われていた「ランキングバトル」通称「ランバト」である。

ルールは簡単。参加登録をしたプレイヤー達が、一番下のランクから順番に対戦していって、勝ち抜きで頂上の座を目指すだけ。順位はそのまま次回に持ち越される。

登録は最初こそ先着順だが、数週間たつ内にやはりそれぞれの強さに見合ったランクに落ち着いてゆき、最終的には100人を軽く越えたと記憶している。

その店では毎週土曜がランバトの日だった。
決められた時間になると、三々五々、最初の方でプレイするプレイヤー達(つまりランクの低いあたりだ)が店に集まってくる。挨拶をしたり、情報交換したり、ちょっと腕ならしをしてみたり。
うんと強くて自分の出番は後なのにもうやって来て、熱心に他者の戦いぶりを見ている奴や、半公式に全ての記録をとっている人も居る。

そして時間。進行役のスタッフが開始を宣言し、エントリーされたプレイヤーの名を読み上げてゲームは始まる。

ゲームが進む内に、段々と上のランクの連中も顔を見せ始める。
面白いのは、丁度真ん中辺りに位置しているプレイヤー達だ。

あまりに低いランクのプレイヤーのバトルは、いまいち見ていて面白くない。
自分の(使っているキャラの)能力を充分に引き出せず、闇雲に動き周り、バカの一つ覚えの様な攻撃を繰り返すばかり。(私の事だ^^;)

ミドルクラスになると、それぞれ自分流の戦術やポリシーが確立してきて、実にバラエティに富んだ戦いを繰り広げてくれる。
例えば「最初から最後まで飛び道具使わずに拳と拳で勝負」とか。
「フィニッシュを必殺技で決める事に固執する相手を、紙一重で見切ってカウンターパンチくらわせて残り一秒の大逆転劇」とかね。

そして上位陣になると、逆に戦い方が安定してしまって、見ている分には派手さが消える。無駄をせず、最適にして最低限の動きで最大の効果が上がるような型に、収束してゆく。緊張感はケタ違いだが、むしろゲームの進行は淡々としたままだ。

・・・・・ね? 何かを連想しない?

クウガ後半の「ゴ」のあたりは、ゲゲルとしては今イチ面白くない演出が多い。これは構成ミスやネタ切れ、脚本の確信犯での人間達への重心の移行など、様々な要素があるとは思うのだが。

いっそゲーマーとして見ると、これ以上ない程の「リアル」だったのだ。
見てる分には、ミドルクラスが一番面白い。他のゲームのプレイヤーさんにも聞いてみたが、これはどんなゲームでも同じだそうだ。

ランバトでは、こんなエピソードもある。

プレイヤーの中には、トップクラスまで昇りつめたくせに、その上位陣の安定した戦闘スタイルに飽き足らず、わざとドロップアウト(エントリー取消)をして、再エントリーし直す人もいた。そして最下位から再スタートして、一回でどこまでランクアップ出来るかに挑戦するのだ。
(そして何の弾みかいきなり初心者に負けたりする・笑)

自分から名乗った訳でもないのに、いつの間にか得意技の名を冠して、二つ名で呼ばれる奴が居たり。

オレの(機体の)ボディには、相手を倒した数だけ撃墜マークが刻まれてるんだと豪語する猛者がいたり。

ライバルと目した相手が勝ち上がって来るまで、ランクアップをせずに待っている奴あり。

どれが誰とは敢えて言わないが(笑)そういう視点でグロンギ達を見直すと。なまじ、「みんなの笑顔」なんて掴み所の無い物に命賭けちゃえる主人公よりも、グロンギの方が近しくて理解も共感も出来たりするんである。

愛おしいその笑顔に


48話、クウガ/ダグバともに人間体での殴り合いシーン。
賛否両論はいまだにかまびすしいが、インパクトの点では合格だっただろう。

あのシーンを見ながら、私の意識は真っ二つに割れていたものだ。

「わ、笑わないよね、五代くんよもやまさかここで笑わないよね!?」
「なんで五代くん泣いてるんだろう。笑えば良いのに」

二つとも根は同じ。
『殴り合いをするのは、めっちゃくちゃに楽しい!』という認識だ。

実際、ゲームをプレイしていて、楽しくて楽しくて双方狂ったように笑いながらの近接戦殴り合い、というのは、よく見られた光景だったし。
私自身は間合いの近いの、ちょっと苦手だったんであまりそういう状態には陥らなかったが(私の好みは中距離での火力のぶつけ合い)
一部にはこれをとにかく好むプレイヤーたちも居て、そんな時は殴る殴る殴る殴るの繰り返し。
広い筈のバトルフィールドのほんの片隅で、びたっとひっつきあったままの拳の応酬に、こっそり「ちゃぶ台対戦」などと呼びつつも歓声を上げていたものだ。

殴り合いは楽しい。戦術や戦略などを越えた部分で、脳髄の最深部が痺れるような快感がある。

念の為言っておくと、私は実際の暴力は嫌いです。殴るのも殴られるのも他人が殴りあってるの見るのもね。

なら、ゲームという仮想現実の中での快感と、あの雪原での戦いを一緒にしてはいけないって?
確かにゲームには痛みは無い。殴られる痛みも、殴る痛みも。
けれど。

グロンギ達にとっては、所詮肉体の痛みも、己の命も、私たちが仮想現実のゲームで感じるスリル程度のものなんじゃないのかなぁ?
愛着はあるさ。自分の体だもの。この強さも能力にも自負がある。
喪失感もあるだろうよ。100円程度のね。勝てなかったのは悔しいが、また次がある。
痛みはすでに痛みではなく、命は何度もリセットされる。食べることも眠ることも必要はない。ゲーム以外にわずらわされる事は一切、無い。ただ、ゲームだけしていれば良い。

なんてピュアな、純粋な、ゲーマー達だろう。

かつて知りあいから聞いた話である。
そこは24時間営業のゲーセンで、中に軽食を摂れるコーナーなどもあり、コアなプレイヤー達が集っていたそうなのだが。うちの一人がある日、呟いたそうだ。
「これであと風呂があれば、俺ここに住めるのにな」と。

彼に「飲むことも食べることも眠ることも必要ない、24時間ゲーム出来る体をやろうか」と言ったら。
どうだろう。
思い切り、頷いてくれそうな気がするのだけれど。
どうだろうか。


「ベ」の連中って?


もしかしたら、「ベ」というのは、グロンギベルト融合に耐える事は出来たけれど、力を引き出す事の出来なかった連中じゃないかと思う。

ゲゲル参加の最低条件が「怪人体に変身できる事」であるとしたならば。(プレイヤー達はゲゲルでリントを殺す際、基本的に怪人体になっている)

もしかしたら「ベ」の連中は、最後の頼みの綱として、予選落ちの敗者復活戦の可能性を提示されていたのかもしれない。
そう、こんな感じに。

「もしザギバスゲゲルが始まるまでに、変身できるようになってたら、ゲゲル参加権利をあげても良いよ。」と。

無論、ザギバスゲゲル開始時のダグバに勝てるものなど居ないだろうが。

それでも、あの、山をなして惨殺されていた「ベ」の中に。
最後の最後の瞬間に、ついに変身かなって、そして殺されていった奴が居たのかもしれないと思うと。
私は、目頭が熱くなるような気がするのだ(笑)

例え一度もゲゲルに参加出来た事のない最弱レベルのプレイヤーであっても(ぐさっ)
いや、だからこそ、なお。己の存在を支えるのはただゲーマーとしての誇りだけである筈だ。
 負けるものか負けるものか負けるものか。
 勝つのは無理でも、せめて一撃でも、反撃せずにはおくものか。
最後の一秒まで、諦めはしない。死を恐れて少しでも逃れる為にではなく、あくまでもその先に果てしなく続く勝利への道を、一歩でも前に踏み出して倒れる為に。

本編で語られる事は無かったとはいえ、最下層「ベ」といえどもかの美しいゲーマー種族の一員であるならば。こんなドラマがあっても良いのではと思う。

そして、そんな連中は「次のゲゲル」の開始時には新規の「ズ」としてスタートする事を許されていたりして。1話見るだに、全てのメモリーはダグバのベルトにあるようだから。

そして「変身して思うさまリントを殺しまくれる」事に狂喜乱舞して酔っちゃって、ついつい勇み足でゲゲル開始前に殺戮に走っちゃう奴も居たりするんだ、きっと・・・・。

・・・・・・グムン?

究極の闇・その真実(笑)


とても気になっている事がある。
『究極の闇』の『正しい終わり方』ってどんなんだろう?

劇中のグロンギ達の会話を聞いていると、ゲゲルはかつて幾度か繰り返されたようなニュアンスがある。
たった一度きりのプレイじゃ、あそこまで各人のポリシーや階級や、得意技や二つ名は確立しないと思うしね。

前回のゲゲルは、先代クウガのせいでどうやら「強制終了」だったらしいが、その前は「正常終了」をした時もあったと思うのだ。
(とすると「よみがえれ〜」はスキャンディスクとファイルの再生かい!)

ま、その前々回以前が、この地球でもリント相手でないかもしれない可能性もあるけれど、それは置いといてだ。
別に、人類どころか全ての生命を絶滅させようが、途中で止めようがかまわないが。

ゲーマー的に。ゲゲルが「大会」に等しいものならば。
優勝者が決まった後に待っているものは?

決まってるじゃん、実力・ランク一切無視の、フリープレイだ!

これも、前述のランキングバトルがそうだったのだが。
その回の1位が決まって、大会が終了したその後に、小一時間ばかり無料でゲームを出来るフリープレイ・タイムが設けられていたのだ。何せタダだし、それよりも、普通に戦っていては絶対にお手合わせ願えないような相手と戦えるので、私は密かにこれを「乱取り稽古」と呼んでとても楽しみにしていた。
ゲームでなくとも、打ち上げ無礼講と思っていただければ近いんじゃないかな。

雲で閉ざされて光無き地上に。再び、異形の影たちが甦る。
ゲゲルは終わった。もたらされたのは究極の闇だ。最早ルールに縛られることは無い。そして始まるのだ、200余のグロンギ全てによる、一大バトルロイヤルが。
 ベもズもメもゴも、もしかしたらラやヌも、一切階級関係なし!
 ルール無用、タイマンもトラップも1対多数も何でもあり!
・・・・・たっのしいだろうなぁぁぁ(うっとり)
それこそ、たかがリントをぷちぷち潰していくのの、何倍も何十倍も。

ルールを遵守する事を強要する文化には、必ず、ルール一切を無視していい、いわば『祭り』『ハレ』が用意されているのではないだろうか。


実際居たら


さて最後にバカ話をひとつ。

「んじゃさあ、もし連中が実在のゲーマーだったら、どんなだと思う?」

真っ先に出たのが
「ジャー様ぜったい初心者狩りやってポイント稼ぐタイプ!」

「ガドル閣下、元々強いのも確かだけど、金と時間も惜しまず注ぎ込んでるよね」

「ドルドさんは、凄腕なんだけど実はゲーム誌のライターで、みんなのプレイを後ろから見ながらネタ集めてんのな」
「ブウロがその熱心な読者で、ミス書くとすぐさま突っ込まれたりして」

「じゃあバラ様は店員?」「んにゃいっそ開発サイドで、バグ出ないか見てんだ」

「ザジおじさんが、筐体メンテしてくれる店員さんだな」

「ガルメちゃんは上昇志向で挑発大好き。高得点ゲッターに名前載せまくるの」

「メビオさんとか、ザイン隊長はリアルバウトに走っちゃった訳やね」
(リアルバウトとは、ゲームの勝敗や取る戦法なんかかが原因で、実際の喧嘩に発展してしまう事。口論ぐらいならまだ良いが、本気で殴り合う輩も居たらしい。・・・そりゃ制裁も受けるわなぁ。)

「『ズ』と『メ』の違いって、実力ってゆーより店っていうかグループの違いに見えない?」
「あっ、逃げ待ち論争とかやってそう」

「バヅーは、実力はあるのにわざとランクは上げないでるの」

「ギャリドは、攻略法出るたびにそっくり真似するとか?」

「ジャラ君は口も使うんだな。隣の対戦相手にプレッシャーかけたり」

「ガリマ姐は必殺技フィニッシュにこだわるタイプで」

「ガドラとか、コンボ決めるのに燃えるんだ、きっと」

「専用武器持ちの『ゴ』って、自分の名前冠した技とか独自の(本人にしか出来ない)攻略法とか持ってるクラスっぽいよねー」


じゃあこの場合、クウガって?


「話しても話しても言葉が通じないで、大会やってる最中に乱入してきちゃう異国人なプレイヤー・・・?」


すっげぇ迷惑なヤツだぞ、それ(笑)


でも腕はそこそこで、ちょっと面白い戦いぶりなので黙認されてるのな。
で、バダーあたりが、自分がこてんぱんにする機会を窺ってるとか。


・・・・・愛されてるなぁ、クウガ。グロンギの皆さんに(爆笑)


んで、一つ思い出した事がある。

そう言えばその某ゲームの、全国大会で一位とった事もある、ニュータイプと囁かれていた超凄腕のプレイヤー君は。
シートに座って戦う時以外は、ちょっと見た目ぽややんな10代の少年で。

甘いものが好きらしく、マックのアイスコーヒーに付いてくるシロップを、そのままちぅっと飲んでしまう姿を見ながら、ひそかに、「きっと脳神経の発達具合とか、普通と違うんだぜ」「だからか、ブドウ糖の消費激しいんだ」(脳はブドウ糖しかエネルギーとして使えません)
「ああっ、戦ってる最中の脳波スキャンとか、MRIとかに掛けて中身見てみたいっ!!」などと呟いていた自分を思い出して。

・・・・ごめん椿センセ、この後に及んで貴方の気持ちが判るとは思わなかったよ・・・。




あるいは一つの相互理解


某月某日、このコンテンツをまとめてオフラインで形にしたコピー本を読んで下さった、K松嬢がぽそりと口にした。
「でもこれって、冒険家も同じだよね。」
「へ?」

ゲーマーの。一つの頂点を極めてもそれに飽き足らず、更に高い頂点を目指し。どんどん己に酷な行為を強いてゆくその姿勢が、だ。

事実、探検家/冒険家の歴史は常に限界への挑戦である。例えば極点到達も、最初は到達だけで偉業だったのがそれが比較的容易く達成されてしまうようになると、今度は到達だけでなく往復を狙ったり、犬ゾリだけでチャレンジしてみたり。登山でもそうだ。エベレスト(っちゅーかクウガファンにとってはチョモランマだわな)登頂だって、無酸素という枷を己に嵌めてみたり、最適とされるルートをあえて外してみたり。そう言えば高齢記録は日本の愛知の男性が先日更新しとりましたな。

グロンギを他者として、理解出来ない、相入れない異質なものとして排除するのは簡単だ。
けれど忘れるな。我々人間、リントの中にも確かに業のごとくに抜きがたく存在するのだ。ゲゲルへのこの渇望の思いは。

常に、自分以外の世界を相手に、命をかけてゲームをしていた冒険屋と。かの美しいゲーマー種族の間に掛ける相互理解の橋に足りなかったものは何だろう。
言葉だろうか。痛みだろうか。怖れだろうか。
いずれにせよ越えられない深淵の彼岸と此岸は、実はとても良く似た双子の貌を持っていたのだと。改めて気付かされて陶然とした一瞬でありました。




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