明石の宗賢神社−その3−


・宗賢神社(北王子町)

場所は、明石川と明石西公園に挟まれた住宅街の一角。

あれ?宗賢神社の鳥居はあるが、中にはおいなりさんの鳥居と祠だけ?

お!?何やら石碑があるぞ?
何々・・・「宗賢神社旧跡」?

石碑の裏には、
昭和20年10月の大水害により、社屋が流失、荒廃し、その後、王子神社へ移されたとある。
この石碑は、かつての神社を偲び昭和30年に建てられたものという。

この狛犬は、昔からここにいたってことか?
吽形の狛犬の足下には「宗賢神社」の額束が置いてある。
以前はこれが鳥居にかかっていたのか?

これは、さっそく王子神社へ行ってみなければ。
おっと、石柱が・・・
何々・・・腰掛石・・・この石のことかな?

いったい誰が腰掛けた石なんだ?
それも王子神社へ行けばわかるかも。


・王子神社(西新町2丁目)

お、ここが王子神社か。 これは、また、かわいらしい。
注連柱の右側に、由緒が記された看板がある。
ふむふむ、これを読めばなぜ、このあたりに宗賢神社が多いのかという理由がよくわかるぞ。

顕宗・仁賢両天皇の父君がご災厄にあわれ、幼少の二王子は類災を慮り、ここ東播磨の地に潜伏し、名をかくし転々とされた。この間、いろいろと苦労されたらしい。
そんな中、第22代清寧天皇は皇子がなく、この二王子を探し王子村の細目家にいるところを見つけ、世継ぎとして迎えられた。
二王子はその後、第23代顕宗天皇、第24代仁賢天皇となられ、潜伏時代に民の様子をよく知り得たために、民のための治世をされたという。

なーるほど。そうだったのか。
ということは、北王子町の宗賢神社跡にある腰掛け石は二王子が腰掛けた石ということか。
拝殿の背後には、本殿もある。
王子神社の前に広がる南王子公園の一角には白平大明神がまつられている。

ついでに見ておきましょう。