じんさんの遠航日記
前書き

クラスの同輩にW氏と言う人物がいる、大変几帳面というか、まじめな男で候補生の頃から日記をこまめにつけていた。
この人物、晩年いくつかの私小説を書いた.その内容たるや実に克明かつ詳細に当時の様子を書きあらわしている。
この人物に刺激されたわけではないがおよそ日記などに関しては三日坊主の小生だが、なにを思ったか一度だけ感心にもほぼ一年に亘り日記を書いた。
歳のせいか、暇なせいか本来整理に関してはズボラな小生が偶々整理中の本棚の奥から見つけたこの日記を読んで、これをホームページに載せようと思い立ったのがそもそもの発端である。いつまで続くか見当が就かないが、とりあえず始める事とした。
フイクションではないので実名は避けているが、起こった出来事や各所の様子は事実である。退屈なところ(何しろ幾日も何も見えない海のうえ)も有るかもしれないが我慢していただこう。 じんさん


遠洋航海出港前日
海尾 進は練習艦(山城)の乗組幹部である。
練習艦(山城)は明日、第○○期海上自衛隊幹部候補生課程を卒業した初任3尉168名を載せ隨伴艦(夕月)とともに練習艦隊旗艦として、総航程3万1千哩の遠洋航海に向け横須賀市営桟橋を出港する。行く先は中南米7カ国総日程139日である。
進1等海尉は(山城)の通信長として2回目の遠航参加である。 進は10年前の遠洋航海出港の日を思い出した、「あの日は東京晴海桟橋からの出港だったな、家内とまだ小さかった守(長男)とそうそう、東京の伯父を見送りにきてくれてたっけ」「あの頃は初めての外国に行ける事の楽しみと、長期間になる航海への不安が有って、複雑な心境だったけど、今回は気楽気楽」 何しろ乗組幹部では一番気楽な通信長、初任幹部のように追い回されるわけではない、楽な配置である。それにしても気楽な進君ではある、遠航出発前の最後の夜は、子供達と遊び相手になってくたびれたらしく、妻(育世)の「ねえねえあなた」の声をうつつに寝てしまったのである。 つづく

昭和4x年6月22日遠航出発日
遠航出発を祝うような好天気である、と言いたいところだが、どんよりとしたくもり空だ、雨が降らないだけマシかと思いつつ朝から出発前の準備で忙しい、出港行事は滞りなく終わり、いよいよ出港である。出港時はデッキ幹部は艦橋配置である。進も旗甲板で整列出港見送りの江川防衛庁長官や、江田海上幕僚長の見送りを受ける。民間の客船と違うので紙テープや銅鑼の音等の華やかさはまったくない、清々粛々とした音無しの出港である。幹部がきょろきょろもできない、乗組員や実習幹部も手も振らず黙々と整列である。進君はそれでも出港作業を見る振りをして岸壁をちらと眺めた。治(次男坊)を抱いた育世が双眼鏡に入った、側に東京の伯母がいる、育世は顔をくしゃくしゃにしている、泣きべその育世だ。慌てて双眼鏡をそらし出港作業や、艦の前方を監視する。しばしの別れだが、別に戦争に行くわけでない、いやでも帰ってくる、まあその時のボーズの成長ぶりを楽しみにしているぞ!!など心の中で叫びながら、それでもちょっとしんみりした心境の進1海尉である。

遠洋航海2日目
海上は平穏でうねりもない、天候は雨模様で天測もできないようだ実習幹部は喜んでいる。 出港後昨日は総員離艦訓練が有った、総員離艦訓練とは艦が何らかの原因で沈むような時、乗組み員全員が済々と救命助艇や筏、浮き輪などつかって脱出できるように訓練するものである、全員が自分の脱出する場所や、浮き袋などの装着方法などを確認し、整備を報告する。進1海尉は右舷中部の筏である、定員25名の指揮官となるので、本当に沈んだら大変である。 客船でも総員離船などの訓練立て付けが有るのかなと思うが、どうだろう。 本日の訓練ハイライトはハイラインだ、山城と夕月が50メートルの距離を開けて平行して走り互いにロープ(ハイラインと言う)をわたしてラインを使って人員や荷物を送受する訓練である。 遠航参加の便乗者には始めての経験であり熱心に見学している、ハイラインは当直幹部ならば誰でも実施できるように訓練を受けているが、今回は、報道写真の関係か、艦橋の操艦はS航海長だ、見事な操艦ぶりである。今日のような穏やかな海上模様の時は良いが、波、うねりが大きいと平行して走る操艦が難しい。うっかり近寄ってラインがたるみ、人員輸送用の吊籠を海中に浸けて仕舞うこともある。今日の出来は100点であった。 今日の訓練はハイラインのみで、のんびりした一日であった。行会船もなく針路120度速力15ktですすむ。 つづく

遠航3日目
今朝は朝直の当直士官である。 昨日に変わって今日は晴天快晴となった。こうなると実習幹部は忙しくなる、早朝天測が可能となり実習幹部がもっとも苦手とする遠航最初の天測だ、要領悪く、うろたえるばかりで、空はあっという間に明るくなって目標とする星が見えなくなってしまう。結局黒板星を計ることになったようだ。最初の準備が全然なっていない、進1海尉も実習幹部の時そんな経験があり、様子を見て苦笑する。 南に進むにつれて、気温が急激に上昇、湿度も高くべとつく感じがする。 舷外を見ると飛魚の飛ぶのが面白い、艦の進行方向にあわせて飛びあがり、かなり前方で着水する、短距離も有れば、長距離選手もいるようだ、長いのは50メートルを超えて跳ぶ、間違って艦の中に飛び込んでこないかと期待するが、艦舷が高いので無理だろうなどと他愛無いことを考えている。 平穏な航海当直である。針路120度速力15kt つづく

遠航4日目 最初の休養日課
本日は休養日課、月月火水木金金ではない、ちゃんと休む日もあるのが今の自衛隊だ。とはいえなにもしないわけではない、艦の運航は通常どおりであるから、海の上でとまって休むわけではない、目的地目指して艦は走る、訓練がないだけである。 0845〜1000漁労戦用意がかかる。戦ではない走りながら魚を釣るのだ。とまるわけではないから通常速力15ノットを若干落とし、12ノットで走って、釣れるのかどうか試してみるが、どうやら戦果無し。魚がえさに追いつけないのか、このあたりには居なかったのか判らないが、多分速力早すぎるのではないかと思う。この付近には海鳥がまだ多い。引っ張っていたえさにアホウドリが食いついて、しばらくばたついて居たが諦めて逃げていった。重りが軽くて針と餌が、海面上を滑っていくので、魚ではなく鳥のえさとなった。 午後は休養、ほとんどベットで寝ていた。暇を見て日光浴をする。内地と違って海の上の太陽光線は強い。日焼けがのせいか背中が痛い。 つづく

遠航5日目 バレーボール海中投棄
本日の訓練は盛りたくさんだ。霧中航行訓練、防水訓練、応急操舵訓練と、休む間もない。 実習幹部にとって中でも一番しんどいのは、応急操舵訓練であろう。狭い応急操舵室に入り、手動で舵を動かすのだが、これが結構重くて力が要る。おまけに中は暑くて、5分も居ると汗だくになる。応急操舵訓練は、艦の操舵装置が故障したと言う想定で、急遽応急操舵に切り替えの号令とともに始まる。概ね艦橋では霧中航行訓練が行われていて、合わせて実施されるから、艦橋での実習幹部ものんびりしてはいられない、霧中航行訓練は、航行している海域を狭水道に仮想して、居るから,応急操舵の緩慢な舵の効力を計算に入れながら操艦しないといけない。うっかりすると想定航路をはみ出して指導官に叱られる。 そのうち浮遊物に衝突の想定で、艦内に浸水防水部署が発令され防水訓練が始まると言う、総合訓練だ。訓練の効果としては良いが、忙しい。 慣れない実習幹部はうろたえていたが、そのうち平気になるものだ。 訓練が終わったところで、各科訓練となった。各科訓練は各分隊毎に決めた訓練を自主的に実施する。今日は各分隊打ち合わせ、ヘリ甲板でのバレーボールの試合となった。バレーのネットを張るのが難しい。何しろ15ノットで航行しながらである。 風が強くて、ネットが上手く張れない。 バレーが始まると今度はボールが海中に飛び込む、勿論拾えないから、さよならだ。消耗品とは言え、限りあるから補給長は渋い顔をする。 W水雷長が風邪を引いて当直士官を副長と交替、艦内は空調が聞いて涼しいが冷え過ぎである。適温にはならない構造だ、涼しいか、暑いかのどちらかである。 公衆電報取り扱い山城12通夕月3通だんだん数も少なくなって来ている。 進1海尉も日光浴疲れか、いささか疲れ気味、夕食後はベットに入ったまま夜中の立直までぐっすり。 針路090度速力15ノット つづく

遠航6日目 技量が判るハイライン
朝からハイラインあり、夕月から患者が移送されてきた。本艦には医官2名(内一名は歯科医官)が乗っているから心強い。 ハイラインは2隻の艦が近接して、距離30から50メートルくらいの間隔を空けて並行して航走する。一方から索を伸ばし両艦の間にハイライン索を張る。この索にボースンチエアと言う鉄製の吊り篭を滑車で下げて、物資の移送や人員の移送に使う。 艦が狭い間隔で並んで航走すると、お互いの艦の大きさや船型の違いや、速力の違いなどで、間隔が広がったり斜めになったりして、そのまま何もしないで走るわけには行かない。距離と方位を保つように小刻みな舵の使用と、速力の加減をお互いに相手を見ながら操艦するのだ。海上自衛官にとっては格好の訓練であり、艦艇幹部ならば誰でも一度は経験する技術であるから、実習幹部の訓練には最適である。 両艦の間隔が急激に変わると、ハイライン索を引っ張っている甲板員は其の都度、索をゆるめたり引っ張ったりしなければならない、これは人力でやるから、あまり変化が大きいと、へたくそ幹部と笑われるのは必定だ。操艦技量が直ちに判るので、真剣になる。 米海軍では若手の幹部がハイライン時には常に操艦して技量を磨いている様で、一度米艦とハイラインを経験したが、その時の彼等の近接運動や舵、速力の増減方法は大変大胆で素早く、見ていて気持ちが良かった。海上自衛隊では、安全第一優先で、すべての動作がのんびりしている。 午後はライフル射撃が行われた。仮想標的を浮かべて甲板から射撃するが、標的は揺れるし、艦を揺れる、命中させるにはなかなか難しい様だ、普段は陸の射撃場で実弾射撃訓練をしているので勝手が違う。海上でライフル射撃などは始めてである。 射撃中に付近に鮫が居たとか誰かが叫んでいた。見えなかったが、鮫も射撃に吃驚してとびだしたのかも。 ミッドウエイが近くなってきた、洋上慰霊祭の立て付けが行われた。明後日慰霊祭の予定。 時刻帯変更ー12h(M)針路090度速力15ノット 東京との通信連絡が不良でホノルルのNPMと交信電報1通を送る。 そろそろ退屈してきた、艦内では手芸品造りが始まった。ボトルシップや人形造り、模型造り等乗員は皆器用である。進1海尉も手芸の人形造りを開始。いつ出来るか判らないが。 つづく

遠航7日目 訓練ハイライン
昨夜から風が強くなって来ている、10m〜12mくらい連吹していて、うねりもがあり艦も少し動揺が感じられるが、酔うほどではない。実のところ進1海尉は余り船には強くないので、良い気持ちではないが、小さい艦に乗っていた頃は大変な思いをしたものだ、本艦はでっかいから、その点安心である。 少し動揺がある中、本日はハイライン訓練が有った、今日は艦橋で針路保持を受け持つ、速力の増減は当直士官が担当する。特に難しいことはないが、昨日の患者輸送のハイラインでは、実習幹部が経験できなかったので、本日は実習幹部の訓練を兼ねており、活気が有った。 ハイラインは艦どうしが平行して、近距離の間隔を保って進みながらおこなうが、艦の大きさ、艦形の違い等が有り、同じ速力、同じ針路を互いに取りながら走っても、僚艦より前に出たり、後ろに下がったりする、また間隔も艦と艦とが近距離接近すると、水圧の変化が、影響し、互いに離れる力が作用したり、吸引し合う力が働いたりして、互いに近づいたり遠くなったりするので、互いに速力、針路を微妙に調節しながら操艦する。この辺の、舵と速力の調節にあうんの呼吸が必要だ。 感が悪いと艦の動きにいつも遅れ乍ら調節するので、とんでもなく離れたりちかすぎたりして、ハイライン索を引っ張る甲板員が慌てるのだ、側で見ている艦長も内心はひやひやしているにちがいない。 今日のところは、自己採点70点くらいかと思う。 風とうねりの影響を見て、速力16ktにあげた、針路は変わらず090度東に向かって航海を続ける。 時刻帯変更ー14h(w) 続く

遠航8日目洋上慰霊祭
洋上慰霊祭をおこなう。 6月28日午後6時30分から、ミッドウエイ西北250海里沖で洋上慰霊祭が行われた、海面は昨日に変わって波もうねりも収まり穏やかで、30年前に日米海軍が死力を尽くして戦った戦場とは思えない程、静かな海である。 「山城」「夕月」が単縦陣形で航行し、甲板には乗員、実習幹部全員が白正服礼装で整列し海面に花束を投下、慰霊の言葉の流れる中、全員が黙祷を捧げる。夕日が顔を染め白正服が赤く染まる頃英霊に捧げる銃礼の音が海面にこだまし、荘厳な気持ちである。 花束投下海面を中心に山城、夕月の順に輪を描いて回り、最後に各艦一斉に、長1声の汽笛を鳴らして、慰霊祭は終わった。 乗員実習員の中にはこの大戦でミッドウエイ同様各地の海上や、島嶼で戦い戦死されたご両親親族を持った人も有ろうかと思う、その方々の鎮魂の祈りが届いてほしいと思う。 日付が変わり一日後戻りした、28日から28日になる。日本では今日は29日である。 夜中のワッチで珍しい天象を見た。真夜中なのに虹が出ている艦橋から後部を見ると月の光でうっすらと虹がかかっている、7色ではないが赤と青がはっきりと見える。幻想的な夜のワッチであった。 続く
遠航9日目 ミッドウエイ入港

0840ミッドウエイ入港、遠航最初の寄港地は、低い珊瑚礁の島である。太平洋の真ん中にぽつんと点のように浮かんでいる。この小さな島をかって日本は攻略に失敗し、日本海軍廃滅へのきっかけとなった島である。 生糧品、真水、燃料等の補給の為僅か8時間の寄港であるが交替で島内見学がおこなわれる。進1海尉も米軍との通信事務連絡をかねてちょと見学する。 島の印象は「阿呆鳥(あほうどり)」と青い海岸、白い砂だ。 海の透明度は本当にきれいである、飛び込んで泳ぎたいなと思ったが、この地では泳ぐのはプールだそうで、海で泳ぐのは現地人の子供だけだそうで、海上自衛隊の品位を汚すので、やめ。 寄港時間が短く慌ただしい中で乗員は、米軍のPX(酒保)で無税のたばこを買いに殺到し、ためにミッドウエイの米軍用倉庫の在庫が空になり米軍から文句が有ったとか。日本軍おそるべしと思ったかどうか?。 いずれにしろ迷惑なことだが、さすが米軍別に出港差し止めもせず、お互いに「帽振れ」笑顔で送ってくれた。 (著者注:当時は米軍がいたが現在は、軍関係はいない、現在のように観光地になるとは夢にも思わず。) 続く

遠航10日目机上対潜訓練
ミッドウエイを出港後針路は少し北よりに変更次の寄港地サンデイエゴに向かう。 始めて戦術的な訓練の机上対潜訓練がおこなわれた。 潜水艦を捜索し探知、撃滅するまでの一連の戦術訓練を、実際の目標(潜水艦)なしで、仮の目標を想定して目標の動きに合わせて、艦の運動や攻撃時期などを訓練する、目標は所謂図上で設定するので机上対潜訓練という。 これに対して、実際の目標を得て(潜水艦や水中標的等)行うのを実艦的対潜訓練といって、より高度な訓練が有る。 この遠航では実目標は得られないので、すべて机上訓練であるが、基本的なセオリーや手続きはこれで十分な訓練ができ、若年幹部には欠かせない訓練である。 机上訓練とは言え、艦内はすべて戦闘部署配置に就いてから行われるので、艦の全員がいっせいに部署について、整備を届けてから、実習幹部の訓練に直接関係しない部署(補給や、機関科、運用科、航海科など)は「対潜訓練関係者以外別れ」の号令で通常の勤務体制に戻り、直接関係する、船務科や、水雷科などは訓練に参加する。 進1海尉は直接関係が無いので、こんな時は気楽である。時には訓練の様子を覗きに行くことも有るが、おおむね、自室でのんびり読書などして休息だ。次の寄港地はサンデイエゴ、始めての米大陸、楽しみである。 続く

遠航11日目海老と鯛で昇任お祝い
昨日の机上対潜訓練は単艦で行った訓練であるが、今日は夕月との連合机上対潜訓練が有った。 目標などは同じ仮想目標であるが、2隻の艦が運動するので、僚艦の動きや、互いの位置の把握、攻撃、連係動作、など高度な訓練である。 艦の動きには注意が必要で、艦橋当直士官になると、訓練の想定に合わせて、操艦しながら、かつ安全に気を配らないといけない。実習幹部は、外が見えないところで、机上の艦の操艦をリコメンドするので、時には僚艦との距離が実際近づきすぎたりする事がある。そのような時には当直士官の責任でが針路、速力をただすが、訓練効果を上げることも必要でありこの辺の案配が結構難しい。 偶々この訓練時に当直士官に当たってしまって、きょうは疲れた。 きょうは自衛官の前期昇任日である、艦内の幾人かは昇任者がいるので、昼食にはそれを祝って大きなえびが食卓に上った。 それに、夕食には鯛が出た。 進1海尉は昇任無しで、該当しない。そのせいか海老も鯛も大味で、あまり美味しくはなかった、これはミッドウエイの補給で入った生糧品らしい。 風邪気味で喉がいらいらする、冷房がききすぎて、乾燥し過ぎだ。応急士に何とか温度調節できないのかと八つ当たりする。 ご機嫌斜めの一日であった。 続く

遠航12日目最初のエンスンデイ
きょうは第1回目のENSIGN DAY (エンスンデイ)、この日は朝から晩まで1日のすべての訓練を実習幹部で計画し実施する日である。この日の為に実習幹部は、前から計画を練っていて、いよいよそれを実行する機会であるから、皆相当に張り切っている。 訓練も防水訓練に始まって、霧中航行、隊歌訓練、と盛りたくさんだ。これは計画も大変だが、実施面でも実際に装置を動かし乗員も一部は使うから遊び半分ではできない。実習幹部も、真剣に取り組んでいるし乗員も大変だ。普段なら簡単に済んでしまう訓練でも時間はかかるし、号令命令もちぐはぐでスムーズに行かない、迷惑な話だが、乗員はこれも仕事、乗員の使命には訓練の場を実習幹部に提供することもその一つだから、文句も言わず参加している。実習幹部には良い経験になったと思う。自分が実習幹部の時はこんなに張り切ってはしなかった、その時の訓練は何をやったか、定かでない。 訓練の合間にまた、漁労戦が有った、「夕月」では3尾の収穫有り、「山城」は、またまた阿呆鳥だけで戦果無し。 日本を離れるにしたがって、東京との通信感度も落ちて来ている、公衆電報の取扱い数も、極端に減ってきた。乗組員の気持ちも「さらば日本よ」と言うところか。 針路090度速力15kt 一路アメリカ大陸へ。 続く

遠航13日目 山城映画劇場営業中
きょうはハイライン訓練の時、練習艦隊司令官が「山城」から「夕月」にハイライン移乗した。練習艦隊は全体を司令官が統率指揮し、2隻の艦は所謂訓練の場を提供する道具である。したがって、山城艦長も夕月夫艦長も練習艦隊司令官の指揮を受け、艦を運航するのが使命であり、遠洋航海訓練のすべては司令官(司令部)が定めた計画に従って実施される訳であるから、司令官や司令官を補佐する司令部の幕僚は、訓練等の実施状況や艦隊の行動について常に監督し状況を把握しなければならない。このため艦の艦橋には常に司令部の幕僚か、司令官が居て、にらみを利かしている訳だ。艦橋の当直時にはほとんど毎回司令官と顔を合わすので、正直言って気づかれである。今回の司令官K海将補はタフネスである。よほどの事がないと、司令官室に入っていることはないのだ。お陰で艦橋当直員全員(艦長や幕僚もだが)が常に緊張しっぱなしで、静かな環境である。勿論これが正しいのでは有るが、人間、時にはリラックスも必要、たまにはジョークの一つも有って、当直員を楽しませることもやりたい。 きょうは司令官が「夕月」に移乗されたので、久しぶりに幕僚もほっとした顔である。「夕月」はご苦労さん、たまには司令部乗艦の艦の気苦労を味わって頂こう。 夕方から後甲板で映画が上映された。遠航中は無聊を慰める為に各艦、映画(16m)フィルムを搭載してきており、後甲板でしばしば映画を上映する。海上模様や天候に左右されるが、おおむね1週間に2ないし3回はやっている。決して訓練ばかりの毎日ではない、こんな楽しみも有って、遠洋航海も捨てがたい。 進1海尉も今夜は映画を見た、題名は「キスカ」例のキスカ島撤収作戦の劇映画である、内容は戦史等で知っているが、如何にも模型を使ったと知れる場面や、軍事用語のでたらめな使い方などが多く、興味半減である。 司令官は日没前に本艦におかえりになった、明日からまた厳粛な艦橋ワッチが始まる。 続く

遠航14日目戦術運動は操艦の基本
自民党総裁選出党大会で田中角栄氏が選出された事をNHK短波ラジオ放送(10mhz)で聞く。 これからどのような政治が行われるのか、福田氏の処遇と、中曽根氏のポストや如何に、などと少し気負って考えたが、正直言って政治のことは良く解らない、まあ関心は、防衛庁長官に誰が、のことぐらいで、あまり真剣に考えても仕方が無い。途中で考えるのを止めた。 本日の訓練はハイライン訓練、溺者救助、戦術運動訓練、あまり変わり映えしない。戦術訓練は、戦術と言うほどのことではなく、運動訓練のほうにウエイトが有るみたいだ。要は2艦で互いに連携を保ちながら航行する訓練である。単縦陣形は先頭艦の後ろに後続艦がぴったりと定められた距離を保って走る訳だが、これが結構初めての操艦では難しい。戦術運動ではフォーメーションワン(FORM−1)と言って先頭艦の真後ろ通常は500ヤード(大型艦では700ヤードまたは1000ヤード等)の距離に2番艦がくっついて走る。 先頭艦は適宜変針していくと後続艦はその航跡に外れないように続航する。後続艦の変針転舵のタイミングが外れると大きく先頭艦の航跡を外れてしまう。このあたりの技量が問われる訓練だ。 ほとんどの実習幹部は乗艦前に学校や内地巡航時の乗艦訓練で経験しているので、結構上手にこなす。時にはやや感の悪い実習幹部も居て航跡が外れそうになると操舵員が上手に舵を案配して、航跡に載せてやる粋な計らいを見せることもある。 戦術訓練にはこのフォ−メーションの他に基準艦の正横や斜めの角度等の定められた距離に占位する陣形も有り適宜訓練種目を変えて訓練が行われる。艦隊訓練のこれまた定番訓練であり、艦艇乗組み幹部には必須の技量でもある。自分の転舵号令で上手く変針航跡にぴたりと乗ると気持ちのいいもんだ。 戦術訓練はほとんど毎日の訓練項目である。遠航終了時には、操艦にも自信がつくほどになる。 夕方映画上映有り。フランキー堺主演の逆転旅行 あまり笑いすぎて頭が痛くなった。 続く

遠航15日〜18日 訓練訓練又訓練
遠航15日目 艦内飲酒はまだかいな
毎日同じような訓練ばかりで、艦内ややだらけ気味。 こんな時にはちょっと飲酒許可を与え士気の高揚を図る必要がある。と思うがむりか? 第2士官室の話は専ら土産の話し、宝石を買う豪華な話などが出るが、実際のところはどうだか? 本日の訓練、防水訓練、机上対潜訓練、応急操舵、各科訓練4本建て。 時刻帯変更V 針路090度速力15ノット変わらず。 つづく

遠航16日目 鯨発見
天候曇り、天測が出来ず、実習幹部は喜んでいる。進1海尉も当時はそんな気分だった。 当直時、鯨を見る。2乃至3頭がゆっくり並んで泳いで、1000ヤード程のところで姿を没す。ソーナ室に鯨の方位と距離を伝え、聴音をさせる。状況が良いと鯨の泣き声などが入るそうである、測的訓練にもなる。 今日は何も聞こえなかったようだ。鯨が居ると広い洋上でも気を付けないと鯨を艦が乗り切る事がある、乗り切られる鯨も痛いだろうが、艦も艦底のソーナードームなどに疵が付くから大変だ。出来るだけ離れるように針路を変えたりして事故を避ける。 夕刻映画を見るが余り面白くなく、途中で止めて室に戻る、2時〜4時のワッチのため早目に寝た。 本日の訓練戦術運動、机上対潜連合訓練、防水訓練あり。机上対潜連合訓練は、夕月とチームを組んで、作図上の仮想潜水艦に対して捜索探知、追尾、攻撃等の一連の行動を演錬する。シナリオに従って実際に艦を運動させる場合と、単にログの航跡自画器作図上での訓練で艦の運動を伴わない時もある。航程に余裕があれば艦の運動もそれに合わせて運動するが、今はそんな余裕はないので、作図上の訓練である。 この訓練には指導官が航空機部隊となったりして、航空機との協同作戦などを現出させて、交話法などの訓練も出来るので、バラエテイに富む訓練である。 訓練のうちでも実習幹部は喜ぶようだ。ただしCIC室の狭い所に大勢が入るので、息苦しいし、海がかぶっていたりすると結構しんどい。 つづく

遠航17日目 射撃準備は大忙し。
防衛庁の新しい長官に増原元長官が任命された。この人事は田中内閣に対する野党の最初の攻撃の目標に成るのではないかと懸念する。 礼砲の立て付けが行われた、訪問国では礼式に則り礼砲を交換する。例えば国家元首には21発の礼砲を撃つが、正確に5秒間隔で2基の砲で交互に撃つ、勿論空砲。 こちらが打ち終わると相手からこちらの資格に応じた数の答礼の礼砲が撃たれる、所謂国際慣行になっているから礼砲発射途中で発火停止などあってはならないので、整備もしっかりやって、試験を済ませておかなければならない。 砲術科は忙しい。おまけに明日は水上射撃とBF(ボホーズロケット)射撃があるので、砲の整備に総員がかかっている。 大砲は撃てば弾が出るとは限らない、中には塘中弾と言って発火せずに砲の筒の中に居残るひねくれ弾が出る事もある、発火機構の不具合でそうなる事もある。この不発弾が出ると厄介だ、暴発の危険もあるので、しばらく筒中でそのまま冷却を待って、そろりと引き出し、海中に投棄する。こうなると射撃どころでないので、射撃指揮官はとにかく全弾が無事発射できるように整備に念を入れさせるし、お祈りもする。 勿論標的目標に当たればこれに超した事はないが、それよりも無事全弾発射完了が第一だとおもうのだ。(砲雷長ごめんなさい) 砲の整備もあり艦の訓練は静かな運動の少ない訓練に終始。 明日の射撃が無事終わる事を祈りつつ休む。気温19度ここ1週間涼しくて快適な航海である。 つづく

遠航18日目 最初の実弾射撃始まる
絶好の好天気に恵まれた射撃が行われた。内地巡航時は射撃と言えば雨なのに。付きが変わったか。砲雷長のお祈りが利いたのか。 遥かかなたの仮想水上標的に向けて3インチ砲の発射である。轟音とともに標的付近で、水柱があがる。遠すぎた、次発はちょと近い。次は当たるかと思うが、これが当たらない。夕月が標的を引いて走るので、目標は当然動く、こちらも動く、当たる方が不思議と思う。が矢張りコンピュータ制御の射撃指揮装置だ、そのうちに標的の旗に当たって旗が千切れるのが見える。標的が小さいのにお見事。 幾度か水上射撃を見てきたが、なかなか当たらないものである。かって護衛艦に乗っていた時、臨時に射撃監視員として砲台の中に入って砲口監視と言う役をやった事がある。射撃は砲口監視員の「砲口良し」の報告がないと撃てない事になっている。砲口良しは砲の向いている先にに目標があってそれ以外の方向に向いていないかどうか、監視員の報告が重要である。でもその時は視界が狭くて良く見えない、目標も良く見えなかったが、急がないと射界制限になって撃てなくなるので、えいままよと、砲口良しと報告し射撃を開始させた事もある。後で考えれば砲台内の射撃員たちは、専門でない幹部の言う事なんぞ信用していなかったのだろうと思った。 初めてをみたBF(ボホーズ)発射も無事終了した、ボホーズのロケット発射はすごい轟音がする。艦橋のウイングに居ると噴射の爆風が熱く感じられる。。 水上射撃は不発弾もなく無事終わった。砲雷長、水雷長もご苦労さんでした。 つづく

遠航19日目 当てが外れた休養日課
きょうは休養日課である、のんびりできると思っていたが、そうは問屋がおろさない。午後から霧が出て来て本当の霧中航行になってしまった、米大陸に近くなったせいか、行き会い船が多くレーダーに写る、こうなると訓練と違って、緊張感も高まる上に、忙しい。結構疲れるワッチとなった。レーダーにsent cruz島が入り出した、サンデエゴがちかくなった。やれやれやっと来たと言う感じがする。今回の航海は10日間の航程だから帰りのパールハーバ〜横須賀間の13日に次いで長い航程でもあり、随分長い航海だったと感じる。明日は沖合いに仮泊の予定だ、なんとなく艦内も騒がしい。 気温が低いせいか、風邪を引いたようである、頭が痛く具合が悪い。ここまできて風邪でダウンはないだろうと医務室から風邪薬を貰って呑む。そう言えば艦内も風邪患者が多い、気候の変化が大きいので風邪を引きやすい、一人がかぜを引くと艦内蔓延する。なにしろ密閉された艦内で、エヤコンで風邪をぐるぐる回しているようなものだから。 早めに部屋に引きこもり寝ることにしよう。 続く

遠航20日目 初めての飲酒許可
0740 point Loma岬沖に仮泊。 幸いにも視界は5哩程有りサンデイエゴの街もかすかに見える。如何にも軍港らしく、軍艦の出入港が多い。 初めて見る米大陸、矢張りでっかいやと感心する。ポイントローマ岬の突端には灯台がある、何でもスペインの旧式灯台だそうで、そこから眺めるサンデイエゴ湾の景色は素晴らしいそうである、多分寄港中におこなわれる史跡見学計画の中に入っているであろうからぜひとも参加してやろうと思う。進1海尉の実習員の頃の遠航はヨーロッパであったので、世界3大美港のナポリに入港した時、上陸して、湾を見下ろす高台まで一人で行ったのを思い出す、あの景色は今でも忘れられない、美しい湾であったがここはどうだろう。 艦は入港近くなると、大掃除を始める、明日の桟橋横付けに備え、艦の外舷や艦内のお化粧をやるのだ、10日程の航海でも艦はあちこち錆汚れが出たりするのでペンキできれいに直して仕舞う。何しろ日本国の代表であるから、米国人にみっともない格好は見せる訳には行かない、また在留邦人が期待して歓迎にきている、我が日本の威容を見せなければと、甲板員は一生懸命である。 遠航出発以来初めての艦内飲酒許可が出た。実習員は実習講堂で、乗組員は食堂で、乗組み幹部はそれぞれの私室でと、アルコール好きでなくても嬉しい一時である。皆出港前にそれぞれ自分の飲料酒を積み込んでいるのを、呑む訳だが勿論艦内の酒保にも販売はするが、今日のところはまだ自分ので十分足りる。先が長いから、皆さんその辺は計算して呑んでいるようである。進1海尉は酒は弱いほうであるがそれでもビールを持ち込んでいる。とりあえずカンビールで同室の船務長と乾杯した。 士官室では艦長、副長と同乗者(自衛官である事務官や、新聞記者などが遠航体験とか、記事報道で若干便乗している)が一緒にやっているようである。乗組幹部は敬遠してそこには加わらない。 明日からは入港行事で忙しくなる。 続く

遠航21日目San Diego入港
0900サンデイエゴ海軍基地ノブロードウエイピア桟橋に横付け岸壁には歓迎の米海軍関係者、在留邦人団体、軍楽隊などの人出でいっぱいである。ここは毎年のように自衛艦が入港しているので、日本海軍入港慣れしているはずだが、毎回大変な歓迎ぶりで、有難いことである。矢張りアメリカならでのおおらかさが有るのだろう、日本ではこうは行かない、内地巡航では神戸などでは入港拒否などや、入港反対の旗などで出迎えられた。 寄港地に入港すると、第一に行われるのが、司令官の表敬訪問に続いて、実習幹部の見学や、交歓行事である、何しろ遠航の目的が実習幹部の練成にあるのだから、入港すると実習員は神様である。きょうはここ明日はあそこと、いろいろ見学や交歓行事に出されて、忙しい。行きたくなくても行かなければならないところは可哀相ではあるが。しかしこの機会を十分生かして多くの人と接したくさんの史跡を見学してもらいたい、めったに無い機会でも有るし、海上自衛官実習幹部であるから見ることができる事が多いことでもある。 サンデイエゴは海軍の街、実に多くの米海軍の部隊、機関がある、第1艦隊の所在地でも有り、第11海軍区司令部や水陸両用戦部隊等18機関もある。また近くの岸壁には、モスボールされた戦艦やフリゲート艦がつながれており、いつでも再役できる状態だそうである。米国の底力を見せられた気がする、こんな国と良く戦争したものだ。 入港一日目は実習員につきあって市内見学、ポイントローマ岬のスペイン灯台を見学、サンデイエゴの町並みや湾の風景を眺め、帰路 Sea Worldに入った。広くて、奇麗、の印象、管理が行き届いてごみ一つ落ちていない、あちこち掃除夫が居て巡回している。清潔なので気持ちがいい。売店でコカコーラアを買ったがその量にげんなり、到底全部は呑みきれない。楽しいところでは有ったが、見学個所としては子供じみていてどうかと思う。入場料2$50¢、コカコラー75¢だ、ちょっと高い。何しろ1$360円だから。ポイントローマから見た景色はナポリほどではなく期待外れであった。 午後からはサンデイエゴ住人のトンプソンさんご一家にお世話になり市内見学や誕生会に招待されて楽しい一日であった。 サンデイエゴの街は緑が多い、名所のバルボアパークは博物館や美術館などが有りその一帯は感嘆するほど美しい、オールドタウンは古いスパニッシュ色の残っている街である、もう一度機会が有ったらおとずれて見たい町である。 トンプソンさんとお別れ明日の艦内一般公開でお会いすることを約束し帰艦する。 続く

遠航22日目一般公開
今日は一般公開である。広報部署が発動されて、艦内あちこちの案内板の設置やら昇降口の危険防止に網を張ったりして忙しい。進1海尉は当地での広報担当幹部に指定されているので責任は重い、一般公開中に見学者に怪我でもさせると大変である。広報員にその点に十分配慮するように指示する。 朝8時から早くも見学者が詰め掛けている、中には遠く離れた東海岸から飛行機で駆け付け日本海軍軍艦を見に来たと言う在留邦人も居ると言う。乗艦者1202名、お年寄り夫婦、や子供連れの方が多い。人種も邦人、アメリカ人、メキシカン有り、ヒッピー有り、中には「ノー○○」の娘さんが居て、艦橋にあがるラッタルの下で警戒補助に当たる広報員はにんまり。その場所をなかなか交替しなかったと言う。 進1海尉は広報指揮官だから、VIPを艦長や司令官に案内しなければならず、七面六臂の大活躍、お陰でブロークン英語ずれしたようだ。 昨日約束したトンプソンさん一家も来訪、早速特別に案内を買って出てあちこち怪しげな英語で説明して回る、解って頂けたかなと思うが、多分良く解らないまま見学されたのだろう。 一般公開は夕方5時で終了、時間を過ぎてもまだ岸壁に残っている人が居て、何とか見せてもらいたいと頼まれる。止むを得ないので、艦内乗組員の知人として訪問に来たことにして、人を付けて案内させる便法を使った。 何はともあれ事故無く終わりほっとする。艦長司令部に報告し今日のお役は終了した。 続く

遠航23日目初めての○○ノ見学
今日も午前中は昨日と同じように一般公開が有った、今日は進1海尉の当番では無いので直接広報には携わらなくても良いが積極的にPRに精を出す、実は午前中は実習幹部付き添いで一緒にデスニーランド見学計画になっていたが、先日のシーワールドで懲りているのでその役を、希望していたW幹部に押し付けた代わりに、罪滅ぼしに広報の手助けをしたのである。(実習幹部と付き添うとほぼ一日つぶされるのである) 実はもっと悪い企てが有って、午後の時間を使いたかったのも一因である。 横須賀出港以前から、話題になっていたのが、米国内のアダルト映画の話。遠航には数回行ったことのある乗組員の話では日本では見られないのが向こうでは見られると言う。サンデイエゴでもロスアンゼルスでもと言うことで、それならば後学の為に(本当は平助)行ってみるべしと、機会をねらっていたところ、幸い今日は午後から時間があるではないか。それではと、良友(悪友?)を誘っての出動である。 かような映画館はきっと場末の暗い所に有るに違いないと、思いきや、これがなんと堂々と明るい町中である。 ちょっと恥ずかしい気もするが、ままよとばかり2$を払い入場。 20人ばかりしか入場者は居ないようだ、席を決めて座ると目前に、写るスクリーン画面を見てびっくり仰天、8ミリフイルムそのママの画面がまさに上映されている。確かにアダルト映画であるが、その画像が実に奇麗で、まったくあっけらかんとしていて、卑猥とか、恥ずかしいなどと言う感覚を超えていて、何か芸術映画を見ているような感じである。こうまで人間の生態をあからさまにしていると、興奮とか、性欲とかの感覚が出てこなくて、妙に納得してしまい、すがすがしい気分さえする。廉恥とか恥じとかを人間の規範として考えている日本と表現の自由度の尺度の違うアメリカ文化との較差になにか違和感を感じるのは矢張り自分も日本人だからとなんとなく考え込んだ進1海尉である。 この種のものは8ミリで、隠れてこっそりというのが効果が有るのではないか、あまりあからさまで、堂々と映画館で上映されると、かえって興味が無くなるのかな、道理で観客も少なかったね、などと悪友と話しながら帰艦。これでまあ、話の種にはなる(あまり話せない?) 6時からは先輩の応急長とO補給士とともにシンプソンさん夫人(日本人で米海軍軍人と結婚米国に移住所謂戦争花嫁である)と会合、夫人のお友達(いずれも戦争花嫁)2人と一緒に夕食会に出かけた。途中サンデイエゴ市内ルート5を車で南下夕闇の街をドライブして頂き、メキシコ国境近くまで走ってUターンドライブ気分を満喫する。 夕食後はダウンタウンのSKYROOMで歓談適当にアルコールも入って、日本の話、こちらの話など弾み楽しい夜を過ごした。帰艦は夜12時である。本日は盛りたくさんの経験で充実した一日であった。お招き頂いたシンプソンさん他の皆さんに感謝しつつ休む。 続く

遠航24日目 サンデエゴ出港
慌ただしかったサンデイエゴ訪問も終わり、今日は次の寄港地パナマに向けて出港である、米海軍の軍楽隊のマーチ錨を上げてに送られて0900予定通り出港、出港時の支援の米海軍のタグボートの力の強さに驚く。3500トンある山城をいとも軽々と引っ張って岸壁から離してくれた、我が海上自衛隊ではこうは行かない、タグボートは、そんなに大きくはないし力も少ないのでいつも出入港の時は各艦苦労するのが当たり前のようであるが、さすが米海軍、シーワールドのコカコーラの量と同じすべておおきめである。 今度は針路を南に向け165度で南下、気温は高くあつぐるしい航海となった。 寄港地疲れか、訓練もきょうは少なく、平穏。次の寄港地バルボアまでまた明日から訓練の繰り返しである。 士官室での話題も、サンデイエゴでの失敗やら買い物の話でにぎやかである、そんな中でつまらぬ事が起きた。 在留邦人の方が仕入れてくれた、果物メロンの配分について、艦長から苦情が出たようで、その事で士官室一同皆不機嫌、お陰で実習幹部にそのとばっちりが行って彼等も気の毒な結果となった。何でも差し入れ頂いた果物は、勿論艦長宛であるが、その果物を士官室係が適当に配分してしまい、艦長には全部配られなかったので、ご立腹されたとか。 なんともつまらないお話。 サンデイゴ出港第1日目はそんな事で暮れた。 続く

遠航25日目艦上ダイエットは駆け足
海上模様は平穏で漣一つ無い鏡のような海面である、海豚の群れが現れ艦と並行して泳いでいた、100頭ほどいたようだ、艦のすぐ横を群れをなして泳いでくる、海面に飛びあがりながら、艦と競走するかのように泳ぎ艦を怖がらない。艦は12ノットで航走しているが海豚は艦を追い越す速力で泳ぐ。 艦は戦術運動訓練中なので、あちこちと変針するが、艦の動きに合わせて、海豚の群れも変針してくる、まるで艦を鯨の仲間と間違えているかのようだ。海豚は知能も高いそうだから、なにか大きいものと共に行動することに利点が有るのかもしれない。 本日の訓練は戦闘応急訓練が有って、この訓練時は食事は戦闘応急食と言って特別に作ったおにぎりとか、缶詰食になる、これが結構美味しい、艦の食事はカロリーの高い食事が多く、肉類がどうしても多くなる。メニューもだんだん変わり映えしなくなってくるので、いささか通常食に飽きていたから、おにぎりの応急食は久方ぶりに美味しかった。 海上勤務は運動不足と高カロリー食でどうしても肥満化する。時間を見て甲板上を走りダイエットするが、あまり効果はない様だ。 夕日がしづかな海面に写って絵の様な美しい光景を演出してくれる。ワッチの合間に夕日の沈む光景をカメラに収めた。 退屈な航海でもこんなひとときは遠航に参加して良かったなと思う。少し感傷的な気分の進1海尉である。 続く

遠航26日目飛魚はジャンプの達人
昨日8ミリカメラのフイルム装填が不具合で、動かなかった様だ、改めて今日は飛魚の様子を撮影した。カメラを構えると飛魚は飛んでくれない、カメラを止めると飛ぶのだから、意地の悪い魚だ。 海豚と同じに飛魚も結構の速力で泳ぐ、其の上空中を鳥のように飛ぶから見ていても飽きない。飛距離もなかなかたいした物だ。 きょうは漁労戦で戦果が有った様だ、30センチくらいのシイラがかかったようである、士官室の夕食には出なかったから、多分CPO室の連中の腹中に収まったのだろう。CPOは下士官の最先任海曹で、何でも良く知っているし、器用な人が多い、釣りの名人、手芸の名人等多才だ。CPO室には各分隊の先任海曹が入っていて、艦長の次に偉い(階級ではなく艦内の自由度は)から、ここと仲良くしないと士官は苦労する。部下の指導もCPOを上手く活用している士官は部下の評判も良い。 きょうは休業日課、特に変わったことも無く平凡な一日であった。 続く

遠航27日目第二回目のエンスンデイ
第2回目のENSIGN Dayである、まだ未熟なところが有るが、総じて円滑に実施できるようになってきた。実習幹部の練度も確実にあがって来ているようである。 通信長の進1海尉は艦の乗組み幹部の仕事の外に実習幹部の指導官にも指定されている、艦の乗組み幹部全員がそうだが、それぞれ職種に応じて、訓練の指導をやるから、実習幹部の一人一人とも接触する機会が多い。できの良い実習員も居ればちょっとのんびりやの実習員も居るが、皆それぞれ個性が有って面白い。実習幹部には専属の指導官付がいて、江田島の候補生学校の教官指導官から引き続いて実習幹部とともに遠航終了まで付き合うことになっている。彼等は主として艦内生活について直接実習幹部を指導するが、訓練指導は艦の乗組み幹部が実施するようになっているので、実習幹部としては、艦の幹部より専属の指導官のほうが親しみ易いようだ。 艦橋のワッチの時には、実習幹部当直士官として、艦の当直士官と一緒に当直に入る、暇な時は艦の幹部と雑談もすることも有るが普通は、仕事以外黙っているほうが多い。進1海尉も実習幹部の時の艦の幹部は恐かったし、艦橋ワッチの訓練が終わるとホットしたものだ。そんな事から進1海尉はできるだけワッチの時は彼等と話をするようにしている。もっとも艦長や、司令官が艦橋に居る時はできないが、夜間などは艦長も、司令官もお休みの時がある。そのような時には、出来るだけリラックスさせてやることにしている。 今夜のワッチは静かで気分も良かった。 続く

遠航28日目サウナの艦橋
早朝彩雲を見る。太陽の昇る方向の雲が緑色に輝いている。原因は虹と同じで雲に反射した光のうち緑色が特に強く見える、また遠くで雷光が見えるがこんな気象条件の時出るようだ。初めて観測したがあまりに緑が濃くて不思議な感覚がした。 時間が経つにつれて、気温水温ともに急上昇、気温31度水温も31度である、夜間でも気温28度、湿度83%艦橋にいても汗がじっとり出てくる。 風は艦尾からで無風状態、艦橋内は蒸し風呂である。午前中に雷雲の中に突っ込み若干の雨を受けたが艦内の温度下がらず、冷房は海水温度が高くてさっぱり利かない。 水道の蛇口をひねっても出てくるのがお湯である。 続く

遠航29日目連日のサウナはもう結構
相変わらず艦橋は蒸し風呂である。水温31度を超えた、気温28度〜29度湿度87%。しんどい一日。 この暑さの中で応急操舵訓練が有った。舵取機室内の訓練はさぞかし暑かっただろう。 司令官夕月にハイライン移乗。 現在の練習艦隊の針路は114度で東進、北米大陸から南米大陸沿岸に差し掛かっている、このところ西北西の風が卓越しているのでしばらくは艦尾からの風で相対風速ゼロの日が続く。 続く

遠航30日目ボトルシップに挑戦
出港以来艦内では長い航海の無聊を慰めるために、手芸品作りが盛ん、ボトルシップや、人形作り、ミニチュアの城や五重の塔、種類もいろいろで細工は素人とは思えないほど精巧で見事な作品が多い。 進1海尉も下手ながら、ボトルシップに挑戦中、狭いビンの口から船の帆や帆綱を掛けるには道具をいろいろ工夫して自作、針と竹ひごなどで糸かけ道具を作る。一日の製作工程はわずかづつなので完成は何時になるかか解らないが、まあ帰国までに作れば良いとのんびり構えている。 まだ遠航が始まったばかりなのに、早くも帰りの斡旋物資の注文取りが始まり艦内は一時その話題がにぎやかである。主に無税となる酒類の注文だが、酒類は無税4本までとなっている、一応ナポレオンとか、ジョニ黒など計4本を注文、その他コーヒーを少し追加した。あまり資本に余裕が無い、外貨交換は200$までであるから、その範囲内でしかドルはない、日本円で7万2千円、夏期のボーナスのおよそ半分である。これ以上の小遣いは我が家庭では無理である。やっとこ大尉の経済はこんなところである。 夕方次の寄港地で出すべく家族あての手紙を書く。 針路114度速力15ノット東進続くが気温少し下がってきた。 続く

遠航31日目日本商船と出会う
カリブ海にある高気圧の吹き出しが有り、15メートル位の風が吹く。お陰で艦橋は涼しい。1600頃から左手大陸側にコスタリカの陸岸が見え始めた。付近には日本漁船がいて操業中である、こんな所まできているのかと感心する。川崎汽船の商船と行き会う、商船が艦尾の旗を下げて敬礼している、本艦も夕月も艦尾の旗を下げて挨拶答礼する。このような所で日本船籍の船を見ると矢張り嬉しい。きっと川崎汽船の乗組員も同じ思いであろう。昔スエズ運河を通った時、運河の浚渫をしている日本の船から日章旗を振って我々練習艦隊を見送ってくれた光景を思い出した、その時はなんとも言えない気持ちになって自然と目頭が熱くなったことを思い出す。 午後の訓練の合間を使って、実習幹部と一緒に艦上体育を行う、少し無理をしたようであちこち痛い、明日あたりはもっとひどくなりそうだ。 本日の訓練は防火訓練、霧中航行訓練。一路東進、バルボアへ。続く

遠航32日目バルボア近し、亀発見
左舷に島影を見ながら一路東へ。バルボアまであと僅か。大きな亀が2匹艦の前を悠々と泳ぐ、取り舵で躱す。体長2メートルほどもある亀だ、南に来たという感じがする。亀といえども走っている艦と衝突すると亀も痛いだろうが艦にも傷がつく、へたをすると船底のソーナードームを壊すこともある。浮流物と一緒で出来るだけ避けて航行するのが安全というものだ。 海豚も多く見られる、海の色も少し緑がかって来て、暑さを感じるようになった。海上は平穏だが暑い。夕方山城劇場の映画「夫婦善哉」を少し観劇、部屋に帰り手紙の続きを書く。 夕食後第2士官室の話題は前回のメロン事件と同じくこんどはビール配分事件が有ったようで、補給士が被害者らしい。まったく変な将官連である。皆ストレスが溜まりつつあるようだ。明日はいよいよ寄港地の仮泊、パナマ運河も近し。 続く

遠航33日目フラメンコ沖仮泊
いよいよ中南米である、午後1時30分フラメンコ沖に投錨ここはパナマ運河の入り口である。通峡待ちの商船が5〜6隻ほど仮泊している。はるかに大きな橋が見える、アメリカンブリッヂ(Thatcher Forry BRIGE)といい、運河の入り口に当たる。あの橋の下をくぐって運河に入るのだそうだ。 仮泊地から見えるパナマの街は近代的なビルや建物の間に寺院やスペイン風の家が建ち並んでいる。運河の入り口は見えないが、その昔レセップス卿が運河を作ろうと思った時どのあたりの海上から眺めたのであろう。残念ながらレセップス卿は、完成に到らなかったが。 明日はバルボア港に入港する、バルボアには米海軍第15軍管区がある、そこのロッドマンピア(桟橋)に横付け予定である。今日は休養日課となった、夕食後飲酒許可が出て皆疲れも取れたようだ。 明日は入港と同時に一般公開が有るが、ここは日本人はほとんど居住していないそうであるから余り見学者はこないと予想している。バルボアには遠航の帰路にももう一度入港ことになっているが当地の停泊は3日ほどで短いから余り多くは見学出来ないかもしれない。 時間のある限りあちこち見聞して置こう。 スエズ運河、キール運河に続いて、パナマ運河を通ることになった、世界三大運河を通過することは誰でも出来ることではない、この職業を選んだ甲斐が有ったものだ。何やら嬉しくなった気持ちの進1海尉である。 つづく

遠航34日目バルボア入港
早朝6時30分仮泊地出港、入港時名物のスコールに見舞われたが7時45分にはロッドマンピア横付け完了。さすが米軍管理だけ有って奇麗に整備された桟橋である。基地内も緑が多く公園のような感じの環境である。 練習艦隊司令官主催の昼食会が艦内で行われ、バルボア海軍区司令官、在パナマ今井大使等と一緒に食事をする事となった。メインデッシュは魚、上品な味付けだったが、決して美味とは言えなかった、それに司令官やVIPの中で緊張して取る食事は味がしないものである。 夜は大使公邸で公式レセプションが行われ、幹部及び実習幹部が招待されたが進1海尉は出席せず、夜の街を探訪する。 タクシーを利用しての短時間であったが、CANAL ZONEとパナマ市内の貧富の差を到るところで目にした。運河の使用料の外確たる産業も無いパナマとしては経済的にも政治的にも強大国の圧力下で国を維持するのは困難な事と想像する。 近年は民族意識が高まりつつあるようで、幹部、実習員とも外出時にトラブルに巻込まれないようにとのお達しが有ったが町中を車で走っただけであるが、特に不穏な事も無く静かな町であったように感じる。パナマ人も日本に対する関心も特にもたないようである。本日の一般公開も見学者は少なかった。 つづく

遠航35日目貧富の差激しいバルボアの町
本日は午前中市内見学に参加、アメリカンブリッジを渡りパナマ市内の目抜き通りを経て、フランス広場へ。フランス広場にはフランス大使館が有る、その前にある像は何とレッセップスの像。こんな所にも、ヨーロッパの力の残滓が消えずに残っている、日本とは大違いだ。 バスの中から見る風景で特に目に付いたのは、貧民窟のようなパナマ人の住宅である、それと対照的に美しい寺院や、スペイン調の建物、これらが混在しているのがオールドパナマである。パナマ大学を経て帰途に就く途中に見える風景は、スペイン風であるが米国管理下のCANAL ZONEの管理された景色との違いに今更ながら感嘆する。ここにも貧富の差の際立った違いを見せ付けられた。 見学先にミラフロレス閘門が有った、ここは運河の太平洋側の観光場所であるようだ、パナマ運河は約50マイル(93km)の長さで北西から南東に掛けて作られている。太平洋側から大西洋側にぬけるには先ずこのミラフロレス閘門によって船は54フイートあげられる。そこからミラクオレス湖に入り、次のペトロミゲル・ロックで更に31フイートあげられる。 次いで運河工事最難のガツン・ロックで85フイートあげられて漸く大西洋側のクリストバルに出るのである。(以上は寄港地参考資料による。) 明日はいよいよこのミラフロレス閘門を行くのである、随分と狭く感じるが、大丈夫かなと思ったりもした。 それにしてもこの運河管理地帯の広大さは、なんとも形容のつかない感じがする。日本人がもしもこの運河を作ったとしても、運河の管理にこのような広域性、空間感覚を持った管理体制や設備を持つ事は到底考えられない。残念ながらせいぜい運河の両岸に松並木を作るぐらいだろう。矢張り大陸人種のもつ資質が根本的に島国人種と異なっているからだと思う。経済的に少しばかり豊かになったとしても、日本が世界のリーダーになるにはなにか欠けているものが有るように思う。それをこの航海で見極める事が出来るだろうか。 自然を相手に力を尽くした、人間の力とこの人工設備のもつ重みについて、改めて感動した一日であった。 続く

遠航36日目パナマ運河通峡
1015バルボア港ロッドマンピア出港、1115昨日見学したミラフローレスロックに入りいよいよ運河通峡開始である。 記念すべき通峡に幸せにも当直士官に当たった。貴重な当直だ。艦橋は勿論司令官、艦長の外、首席幕僚やその他の司令部幹部、本艦の航海長などでいっぱいである。艦全体も運河通峡部署などはないが、それに準じた狭水道通過時に発令される、航海保安部署が令されているので、上甲板にはその要員が配置されている、航海当直中の実習幹部は旗甲板でカメラや、ノートで記録に余念が無い。機関室内の幹部は時々上まであがって来て外の様子を見ている。 艦の操艦はパイロット(水先案内人)が操艦号令を出し、そのとおり乗員が舵や速力の管制を行うが、ここのパイロットは優秀である。無駄口を利く事も無くはっきりした口調で号令を掛け、安心できる。ヨーロッパ遠航時、スエズ運河を通峡した時は、パイロットが操艦中にアラーに祈りを捧げるのにはびっくり、艦長がかりかりしていたのを思い出した。 運河両岸の景色は森や陸地が連なった丘陵で、キール運河のような牧歌的風景はない。人家がまったく無いから、運河なのか湖なのかはっきりしない。 1200ゲイラートロックに入る、ここは最難工事の岩場であったところで、左側(北側)の岩場にはこの工事を担当したゲイラート大佐の偉業を称えるレリーフが有る。 ミラフローレスロック、ゲイラートロックとも艦の入閘出閘のオペレーションは見事である。ゲートの開閉などは自動的であるから、多分コンピュータ制御かもしれない。 大西洋側に近いガツン湖は淡水であるので、甲板員は湖の水を使って甲板掃除を始めた、普段は真水の制限で、十分な掃除が出来なかったので、喜んでいる。 運河の通峡時間は5時間36分であった、これは過去の遠航時の通峡時間の最短記録であるそうだ。 無事に運河を出てカリブ海に出たとたん、高気圧の吹き出が連吹しているせいか、艦はうねりで大揺れである、久方ぶりの動揺で若干気分が悪くなる、遠航出発以来海上平穏に恵まれゆれが無く、自然と身体が怠けて来ているようだ。 明日はコロンビア共和国のカルタヘナに入港する。カリブ海の御出迎えは厳しかった。 つづく

遠航37日目カルタヘナ入港
パナマ運河を抜けてからカリブ海に入った途端うねりが大きく昨夜から揺れつづけで疲れる。海の男も矢張り海は静かなほうが良い。 いよいよ南米だ、今日は南米最初の訪問国コロンビア、首都はポゴタだが練習艦隊の入港地はカルタヘナの港。港は外海から遮蔽されたコロンビア北岸における一番安全な港だそうである。入港針路方向に二つの島が見えるがその間が湾への入り口だでなんとも狭い水道で、近づいてみると幅200メートルあるかないかの狭水道、両岸が舷側に触れないかと思うほどである。中に入ると、鏡のような海面、外海のうねりや波も島で遮られて、うわさ通りの良港であった。 1430入港、係留岸壁も大きくて立派である、ただ人影が無くシーンとしていて、港らいしところが無い印象を受ける。 湾内から見える町は、16世紀のスペイン風で、お城があちこちに見え、まるで観光地に来たみたいである。コロンビアは、15世紀末にスペイン人が上陸以前はインデオの国だったが、16世紀初めにコロンブスがきて、その名をとってコロンビアと呼ばれるようになったそうである。その後スペイン植民地となってきた名残も有って、ここカルタヘナは到る所に砦や城が有り、町の城壁と言うか囲いも石垣で作られている。狭水道の両岸にも砦が有って、海賊からの襲撃を防いだなごりのようだ。C.S. フォレスター のホーンブロア提督の海洋小説を思い出させてくれる風景である。 見たところ街は近代的建築物とスペイン風寺院や、住居、お城と混在した格好だが、道路などは広く近代的なところもある街であるようだ。明日は街を見学に行く事にする。 続く

遠航38日目スペイン語にはお手上げ
艦は特別公開で街のVIPやコロンビア海軍関係者の艦内見学が行われた。終了後市内見学に行く。 パナマ市でも見たがここでも貧富の差が激しいようだ、艦が横付けしている岸壁にも物売りの小船が寄って来て、貝殻やワニの剥製を売りにきている。売ると言うより商品価値が無いので物物交換である、最初は艦の石鹸や、たばこと交換していたが、やがて交換品もシャツや靴と言った日用品が喜ばれるようになった。貝殻はコンキタなんとかと言う法螺貝に似た大きな貝殻で、磨くと奇麗な装飾品になるそうである。この貝も最初は1個1$(21ペソ)と言っていたのが交渉上手な乗員にかかると5個1$10個1$になるから面白い。 練習艦隊が入港した事で、この街の通貨基準が変動したようである。コロンビアでは42%が文盲であると言う、艦の近くにたむろしていた大人達は、何を仕事としているのか解らないが、乗員が子供にあげたものをすぐ取り上げるものがいる。また顔を見るとすぐものをくれくれと言う。その中で軍人はエリートなのだろう、しっかりした応対をしてくれる。 カルタヘナの街はnewTown と oldtownに別れていて、downtownはoldtownに有る。 300年前の城壁にかこまれ小さなストリートが交差した暑くて雑然としたoldtownである。San Felipe Barjas Castleは城跡のみ残っていて、史跡公園のようであり、入場料を取っていた。城から見渡す景観は素晴らしい。San Pedro寺院は18世紀の初めに建てられた古い建物で、現地の水兵さんの案内で中を見せて頂いた。 Downtownは狭いストリートの両側が商店街となっていて、毛皮、民芸品を売る店、食料品店、化粧品店、極小百貨店や、アメリカ系シアーズなどが有ったりして、なかなのか賑わいである。毛皮店では牛の皮1頭分が約18$ぐらいである。 ドル交換の子供が居たり、たばこ売りの子供が居るところなどは東南アジアのペナンのようである。 買い物をしようと思っても公用語はスペイン語であるのでさっぱり、結局絵葉書を少し買っただけで今日の見学を終わる。それにしても暑い国である。 続く

遠航39日目暑い国コロンビア
今日は一般公開である、例によって広報部署が発動され、一般見学者の来訪を待つ。 昨日も特別一般公開が有った、ところが昨日の公開で盗難事件が有った。乗員のカメラが無くなってしまった、ちょっとした隙にやられた様だ。事前に注意をしたのだが、警戒過ぎるほど警戒してもこのありさまである。警戒員を特別に出しているのだが、まだまだ甘いようだ。 見学者は結構多く、人種多様で言葉もスペイン語(勿論解らない)有り、英語(これは少し解る)、ポルトガル語など様々。 言葉は分からないが身振り手振りで意志は通じる、特にセニョリータには実習幹部も親切に案内を買って出る。彼女達の中には裸足の子もいるが、艦の甲板は暑いが大丈夫なのか? 南米最初の訪問国コロンビア共和国カルタヘナの印象は暑いの一言に尽きるようだ。ただこの国は気温的に地理が3区分されていて、熱帯、温帯、寒冷地と有り、面積も日本の3倍もあるそうだから、ここだけの印象だが。 夕方艦上パーテイが開かれた、練習艦隊が入港した時現地新聞社などが記者会見を行ったり、市中目抜き通りを日の丸の旗や自衛艦旗を先頭に実習幹部や乗員のパレード行進した結果、在留邦人や、現地商社員、官庁等から参加が有りパーテイはにぎやかであった。 明日は次の目的地ブラジルの地方都市レシフエへ向け出港だ、進1海尉はおり悪く腰痛で、おまけに腹痛でダウン寸前である。 続く

遠航40日目から49日目赤道こえてブラジルへ

遠航40日目
0900コロンビア海軍軍楽隊の歓送演奏を後にカルタヘナを出港。この街の印象はなにかよそよそしく冷たい感じがして余り好印象ではなかったが、矢張り出港時ともなると、岸壁の見送りや、日本人らしき人の打ち振る日章旗を見るとちょっぴり別れの悲しさが浮かぶ。 カルタヘナの港外に出るとうねりが大きい、大西洋は波高し、きっとカルタヘナで精進の悪いものがいたに違いない。 艦は3300tonもあるのにうねりが大きいので結構揺れる、嵐と違って船底を打つような波の衝撃などはないが、縦揺れがある。艦の針路は67度ほぼ東北東でちょうどうねりと、波の方向と一致していて、艦はうねりを分けるように進む。真向かいのうねりの影響で航程が遅れ気味となるので、やや速力を上げ15ノットで進む。遠航中の平均速力は12〜13ノットであるから3ノットの差はたいした事はないように思えるが、さに有らず、波浪に当たる衝撃が結構強く時折波しぶきが艦橋の窓まで飛ぶ。勿論上甲板は危険であり、上甲板に出るなの艦内拡声器が令されるほどである。 艦の動揺が有るからではないだろうが、例によって司令官殿が癇癪をおこされ、司令部付の当直幹部は辛いようだ。艦橋回りではなるべき近寄らないようにしている。 進1海尉は寝冷えの為腹痛有り元気無し。
遠航遠航41日目
海上模様は昨日と変わらず、ENE〜Eの風30ノットが連吹し、15ノットでは波しぶきを大幅にかぶるので12ノットに速力を落とす。 12ノットに落とすと動揺の程度は少なくなったが、海上模様の悪化の為、予定していた訓練はすべて取りやめ、航程の後れを取り戻す為、練習艦隊はただひたすら直進する。 自然に逆らう事は海上では愚の骨頂、自然の力には耐え忍ぶことがシーマンの知恵である。 遠航遠航42日目
漸く海上模様も平穏となった、訓練の再開である、防火訓練や占位運動訓練、机上対潜訓練など、昨日以来出来なかった訓練は、しっかりと実施される。 一方士官室では幹部会同(要するに会議である)が行われた。幹部会同は各部署での報告事項がそれぞれの担当幹部から報告され、艦内の風紀や各所掌業務上の問題点などが検討されたりする。今回は主として入港中の幹部の当直体制について検討が行われ、いろいろ討議されたが、なかなかまとまらない。誰でも入港中は当直よりも上陸したいものだ、普通の艦では副長の鶴の一声で決定するのが当たり前だが、練習艦は、遠航の為乗員は1年ごとに半分入れ替わるし、幹部は90%が新しく乗組んでくるので、所謂艦特有の気風や伝統が形成しにくいし継続されない嫌いがある。 そんな事で士官室内でもいろいろ確執が有るようだ。入港時の当直はさて置いて、これからいよいよ南米諸国に入港する、おそらく自分にとって最後の外国見聞になるのだろう、心に残るものを見、それを子供達に伝えてやりたいと進1海尉は思う。 夜の自室でコロンビアで買ったコーヒーを入れてみる、大変結構な味である。(いつもはインスタントしか呑んでいないからだが)
遠航43日目
第3回のエンスンデイである。実習幹部の実施項目もだんだんと高度になって来て、手際も良い。後もう少し準備に力を入れれば上出来だ。 艦内では来るべき赤道祭や、艦内娯楽大会の準備が始まっている。娯楽大会ではキャロムの選手に出されるらしい。士官室ではカルタヘナでの例の貝の話が出ている、O補給士の貝は土産品になるほど奇麗に仕上がっているらしい。後で拝見する事にする。 午後には、ヘリ甲板で隊歌訓練が有った。音楽隊の演奏付である。吹奏楽団をバックに大声を上げて歌うのであるから気分は良い、ストレス解消になる。何しろ回りは海、どんなに大声でも迷惑はかからない。1時間ほどやると腹が減る。アルコールは無いし健康的である。ただし音楽的な楽しい情緒はまったく無い、あくまでもこれは訓練なのだ。 先日までの後れを取り戻す為に、速力16ノットにUPした。 1800〜2000の間にトリニダート・トバコ島の正横を通過する。レーダーでしか見えないが小さな島が点々と写る中でそれと判るほどの大きさでレーダー画面に出ている。ここらは南米大陸のちょうど右肩あたりに当たる。往路第一の長航海の約3分の一ぐらいの位置である。針路はまだしばらく東南東116度に向けてすすむ。
遠航44日目
艦内バレーボール大会予選が始まって、ヘリ甲板では熱戦が繰り広げられている。海中に落ちたボールも2個を数えた。 訓練の合間を縫っての試合で各部忙しい様だ。中でも赤道祭の準備でCPO室は忙しいようだ、室を覗くと、ロープの切れ端を解いていた。何に使うのかと聞いたら、赤道赤鬼等の髪の毛だそうである。 太陽黒点が異常に大きく見える、太陽の真ん中に大きな黒点が一つサングラスを通して肉眼でも見えるほどである。こんな時は電波伝播に影響がある。空間波が電離層を突き抜けて届かない事が多い。昨日から通信状況が思わしくないのも、太陽黒点のせいでろう。おまけに艦の主送信機が故障した。悪い時には悪い事が重なるものである。
遠航45日目
送信機の故障は復旧した。科員が徹夜で修理してくれた結果である。優秀な部下を持つと幸せである。 艦内バレーボール大会予選で第一士官室チームは乗員補給科チームと対戦、接戦の上敗れる。 今日は海上平穏、気温は27度で快適である。太陽黒点の影響で、10MHZ以上での通信周波数は東京からの感度がまったくない、通信杜絶の状況だ。しばらくはこの状況は続くかもしれないと電信室にワッチ強化を指示する。 本日の訓練献立、ハイライン、防水、溺者救助、応急操舵、と盛りたくさんだが順調に終始。
遠航46日目
通信杜絶の状況も0800頃から回復、次第に空間状況も良くなってきた、ノーフォークの通信所と連絡が取れて電報の処理を行う。 本日は訓練射撃、訓練投射が実施され海上模様の平穏お陰か無事終わる。訓練射撃も大変だが、訓練投射はB/F(ボフォ−ス)ロケット弾の発射であるので、これまた準備が大変だ。海上自衛隊の訓練用弾薬の割り当てはお話にならないほど少ないから、そう度々は実弾発射は出来ない。必然的に訓練は手続きのみになり実弾発射の機会がえられないまま、初めて実弾発射の乗組員も多い。そんな中での実弾訓練は、慎重にも慎重を期してその成功を願わずにはいられないものである。投射訓練には水中標的が必要となるので、標的を投入する運用作業も大変である、重量のある巨大な鉄製の標的を浮標とともに海中に設置するので、結構大掛かりな運用作業である。今日は進1海尉と同期の本艦W水雷長が主役、投入から投射、標的揚収まで責任が重い。無事全作業が終了し幸いである。僚艦の夕月でも無事終了したようである。
遠航47日目
艦内娯楽大会の始まり。囲碁、将棋、輪投げ、キャロム、それぞれ各班ごとに選手を出して、トーナメント方式で優勝を争う。本日は午前午後とも娯楽大会の日課である。 進1海尉はキャロムの士官室チームの一員として出場、緒戦で惜敗ざんねん。幹部では副長が囲碁で優勝したらしい。長い航海こんな日も有って良い。
遠航48日目
16時10分19秒赤道通過。西経37度15分針路120度速力12ノット。 海上はやや南西の風浪強く、うねりも有るが総員無事赤道まで到着だ。艦上では赤道祭が行われた。巫女に扮装した実習幹部に艦長以下士官室一同正装でお払いを受け、乗員が仮装した赤鬼青鬼から艦長が赤道通過の鍵を頂いて、仮に作った赤道の門を開けると赤道を通過したことになる。以後は喉自慢大会が有りなかなかの盛況だ、喉自慢、芸自慢、の役者が多くて皆大喝采、大爆笑である。中でも音楽隊員のマリリンモンローや、ビキニ美人にはやんやの拍手、ちょっぴり日本の彼女や奥さんを思い出したのでは。 彼女たちの髪はロープの切れ端を丹念にほどいて、黄色や赤色に染めて作った鬘で、CPO連中の労作である。それにしても化粧や、女性用の服などの細工の巧みさにはびっくり、本物とそっくりに作ってある。 赤道についてのジョークが有るが良く聞く話では、艦長が見張りに、「まもなく赤道を通るから赤い線が見えたら報告せよ」、というのが一般的だが、これに対して後部見張りが「艦橋こちら後部見張り、ただいま艦尾赤道通過」と言ったとか。 本日は訓練も机上対潜訓練と、占位運動であまり激しい訓練は無し。 夕刻から南十字星を見る、前回の遠航時にも見たがこの星を見ると南に来たのだなの実感が湧く。思ったより小さくて初めて見るものにとってはちょっと失望する。実習幹部も同じ感想をもらしている様だ。

遠航49日目
往路の最後の長い航海もいよいよ明日の仮泊で終わる。後は折り返し点のアルゼンチンのブエノスアイレスまで一息と言う感じである。艦内新聞はリオデジャネイロやレシフエの様子を載せて寄港地気分を盛り上げている。流れ星が奇麗である、港が近くなったせいか同航の船舶が多くなった。明日はブラジル第3の都レシフエに入港仮泊である。どんな国か楽しみである。 続く
遠航50日目レシフェ港外仮泊
1400レシフェLt110度2500ヤードのレシフェ港外に仮泊。 海から見る限りレシフェ(Recife)の街は立派に見える。前回の寄港地カルタヘナと同じくらいかな、とおもっていたが、認識を新たにする。さすがブラジル第3の都市だ。ここはブラジルのベルナンブコ州の首府、東北ブラジルにおける政治経済文化の中心地であると言う。レシフェとは「港をかこむ白い珊瑚礁」という意味だそうだ。またブラジルのヴエネツイアとも言われているそうである。市内を二本の川が流れ、川と川との間を運河が走り、到る所に運河を跨ぐ橋が掛けられているところからそう呼ばれているようである。明日の上陸で確かめてみよう。 港外は外洋に開かれていて、うねりが入っていて艦はかすかに上下の揺れを感じている。夕日が落ちる頃甲板に出てみると茜色に染まった空と街の夕景が実に奇麗である。 港内からの連絡船がつき、郵便を届けてくれた。進1海尉の家からも第4報の便りが届いた、家族皆元気の様子、気分は良いが帰心がちょっぴり沸く。 続く

遠航51日目レシフェ入港
0700仮泊地発1時間後0800レシフェ岸壁に入港横付。 どうやら市営桟橋のようである、岸壁は長くてすぐ側に倉庫が建ち並んでいる、ガントリークレーンが建っていて、クレーンの線路が岸壁に沿って走っている。ここはコーヒーの産地であるから、コーヒーなどの積み出しに使われているのだろう。 岸壁には邦人と現地の人々が迎えにきていて、盛んに日の丸の旗とブラジルの旗を振っている。ブラジル海軍の姿も見える。 人数は多くないが、歓迎の気持ちが伝わってくる歓迎ぶりである。ここは僅か2日しか停泊しないから、忙しい日程になりそうである。 午前には現地邦人のフルヤ氏宅に招待された。フルヤさんの家は養鶏農場である。成育鶏1万3000羽、幼鶏も5000羽いる立派な農場である。規模が大きくて、しかも使用人は僅か15名と聞く、どのような経営をしているのか想像もつかない。フルヤ氏の話によるとレシフェの人口は110万、ブラジルでは第4位の都市だそうである、現地邦人は主としてコーヒー園や、砂糖、などの工場を経営している人もいるとのこと。邦人が何人かは聴きそびれた。 午後は市内見学に参加、町中はポルトガル風と言うかヨーロッパ風の建物が多く、また緑が多い、それに運河がありまさにヴェニスのようである。市内中央にカロバリーベ川、とベベリーベ川が流れ運河がこの川を貫通している。中心街には寺院や高層建築もあって立派である、道路も広く車も多い。 中心街を外れると矢張りスラム街もあり、貧富の差がここでも見られる、若い国と言った印象だ。レシフェに隣接してオリンダと言う市がありそこは旧都であって、日本の総領事館がある。(本日の朝入港時上野総領事が来訪された。) オリンダ市にはポルトガル植民地時代の古い寺院があってオリンダの丘にあるサンペドロ寺院から見たレシフェの街の眺めは美しい。 夕食にシュラスコと言う料理が美味しいとフルヤ氏に聞いていたので試しに味わったが、大味でそれほど美味しいとは感じなかった。ただボリュームがあるので、家庭的料理としては良いようだ、それに料金も安い。 つづく

遠航52日目身振り手振りのポルトガル語
午後はE応急長とO補給士と3人で現地邦人のゲンバさんの家にお邪魔する、ゲンバさんの家は150年ほど前に立てられた建物で、近く取り壊して建直すとのことであるが、他にもこのような古い由緒ある建物が多いそうだ。 ゲンバさんの家を辞してから町中を見物する。土産物は案外高い、昔奴隷を捕らえて売買した市場が今では土産物の街になっていて、鰐革製品、や民芸品などを売っている。ブラジルの貨幣単位はクルゼイロ、1クルゼイロは100センタボ。50円である。売り子や街の人は親切である、ポルトガル語はさっぱりなので、手振り身振りと怪しげな速成ポルトゲールで話をすると辛抱強く対応してくれるのが嬉しい。結局何も買わずに帰艦することになった。まだ行く先は多く、ここで浪費は出来ないぞと安上がりのケチケチ見学である。 帰艦後夕刻から市内インターナショナルクラブでの総領事主催のレセプションに出席する。レセプションの席上では、ゲンバさんともお会いでき、京都大学のY教授夫妻と知り合い、Y氏は来年7月には帰国するそうである。奥さんナイスで、機会があればぜひ日本でもお友達になりたい人である。 レセプションは夜遅くまで続き、日系のセニョリータもいて実習幹部は楽しい一時を過ごせたようである。言葉は通じなくても、会話になるから不思議だ。 明日は出港、当地の寄港は短い。名残惜しい夜であった。 続く