| 印象に残るルート 古い記憶ばかりで恐縮だが、しかしここ数年はまともなクライミングしてないのだからいたしかたない。 |
| この頃、城ヶ崎の5.10は全然登れなかった。 小川山行くと5.9や5.10aはびしびしオンサイトできるのに・・・ |
ファンファンファン(小川山) 85年頃。 ダイクをトラバースするフェイスルート。ダイクをホールドにして5.10b、立ち込んでトラバースすると10dという異色のルート。その名前からして楽しいに決まってる!じんリードで取り付く。核心部。びろ〜んと伸びたリングボルト1本。そこからぶりぶり右へ出てゆき核心ムーブ。 |
予期せぬプレゼント(小川山) ファンファンファンを登った同じ時期、やはり白子とともにのぼりに行く。アプローチわかりにくし。 |
ジャックと豆の木(小川山) 1988年頃マスター。 出だしが力要る。重いフレンズ群と格闘しながら、大きいサイズをうまく決めて悪い部分をこなしてゆく。だんだんパンプしてくる。まだ悪い部分を抜けきれない。もう1歩上がるのにフレンズがそろそろ欲しいが決まらない。パンプする。 まずい、やばい。 なんとかフレンズぶち込む。ビレイヤーに 「テンション!」とコール。ぶら下がろうとする。 するとフレンズが動く。いや〜なカンジでやっぱ効いてない。 「だ、だめだ!!」どーする?行っちまえ! 1歩上がったらハンドジャムがばっちり効いた。ほっ。 |
| 古いリバーサル写真を物色してたら当時のものと思われる写真を発見。 おそらく上記の場面でのジャックと豆の木。それとピンチでぶらさがってる写真。 ここに添付しておく。 ピンチとジャックと豆の木の写真 ピンチはどスラブである。 この時オンサイトに成功したKINYAに関する文章も抜粋しておく。 |
| -------抜粋----- [yamanoko632]解説?? /jin その昔私の身近にいたとあるクライマーで、やたらスラブのうまいヤツがいた。
というよりスラブしか登れなかったんだねー。
小川山のピンチをすんなりオンサイト。その隣のジャーマンスープレックスでは
片手をシェイクしながらクリップ。(こんなに安定してあのスラブに立ち込んでるヤツ
見たことねえ。) 靴? とうぜん、強力なフリクションを得るために
どんなに満腹でももう一杯たべることによって
そんなひとしれぬ努力のかいあって、去年の夏も小川山絶好調。
クラックにはじまりフェイス、ハング、前傾とながれてきたフリークライミングの歴史、
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キビタキ(小川山) 88年頃マスター 最後の核心のムーブ手前には、フレンズハーフサイズがばっちり決まることを知っている。お守りとして当然腰にぶらさがっている。 万全の体制でいざリード。順調にフレンズを(ロープをだろ?)伸ばす。 真中あたりにポイントがある。クラックが開き、ジャムが決まらない。 フレンズもとれない。突然動きがとまる。はあはあ、ぜえぜえ。パンプしてくる。 く、くそ。まただめか・・(前回も確かここで敗退したな) て、テンションしようかな・・・ その時、下で見上げていたN氏がぼそりとつぶやく。 「そこがこらえどこなんだよなあ」 そ、そーか。ここがこらえどこか! 奮起してガンバル。少しあがるとジャムが効いてきた。プロテクションもとれる。 最後はお守りのフレンズハーフをばっちり決めて、フェイスっぽいムーブで終了! |
その他印象に残るルート、クライミング、年表
| 82年 | CJ(クライミングジャーナル)創刊 | ||
| 84年 | 初小川山 城ヶ崎 頻繁に通い始める。 |
84年 | ロリータJunnko パトリックエドランジェ来日 |
| 86年 | エクセレントパワー | ||
| 87年4G | シュテファングロヴァッツ ニンジャ マルクルメネストレル パチンコゲーム |
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| 89年 | 六甲、烏帽子 、柏木 小川山 水曜日のシンデレラ(オンサイト) BunBun(1撃) |
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| 91年 | 伊豆の踊り子、最高カンテ (RP) | 91年5月 | CJ廃刊 |
| 92年 | ジョシュアツリー | 93年4月 | パンプ開設 |
| 95年頃 | クレイジージャム(マスター) サンセットロックよく通う。 |
95年4月 | 岩雪廃刊 |
| 96年 | 聖人岩 ムササビ小僧(オンサイト) | 98年 | 平山ユージワールドチャンプ |
| 96〜99 | 年間クライミング日数4〜5日 | 99年 | エナジー開設 |
| 2000年4月 6月 |
御岳デッドエンド エナジー通い |