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合法化を求めるOSティーンとその家族
みしゅっく99年9か10月号(予定稿)
1)確証のない行動のはじまり
イラン人、ミャンマー人、バングラディッシュ人。5家族を含む21人の外国人はせいいっぱいの笑顔を絶やすことなく、一列に並んでみせた。これまでもっとも恐れてきた入国管理局に、3日後には自ら出頭しようというのだ。 8月最後の日曜日。ひっそりと彼らを励ます集会が開かれていた。今回の自主出頭は、時効がないといわれるオーバーステイ(OS)という「犯罪」が、いったいいつまで、そして何世代にまで及ぶのかという、素朴で重大な問いを日本中に発することになるだろう。「何度も何年も皆で考えた結果として、私たちの中に道がひとつしかないことがわかりました。皆さん、私たちオーバーステイの子どもたちは、なぜ普通に暮らしてはいけないのでしょうか」 出頭予定者のひとりである女子中学生は、制服姿でマイクを握りしめながら訴えた。 彼女は両親といっしょに、唯一の合法化の道である在留特別許可(在特)を求め、入国管理局に出頭することになったのだ。同様のケースで許可が降りたことはなく、許可が出なければ入管への収容や強制退去を受けるしかない。先の入管法改正ですべてのオーバーステイから時効がなくなったばかり。いかに確証のない試みであるか、壇上の予定者だけでなく会場内のだれもが理解していた。 出頭するのは2歳から62歳まで、5家族を含む21人だ。政治的迫害や、労災の治療などに苦しみながら、長年日本で家族と生活基盤を作りあげてきた。いずれも帰国するとなれば母国で難民以上の苦労が待っている人たちばかりだ。 2)焦点となるOSティーン 彼らを支えているのは、地元の小さなNGO、「APFS」である。この日の集会は、いわば仲間うちでの激励会であった。 このグループは、87年2月の設立以来、バングラディッシュ、イラン、ビルマといった主に南アジアから働きに来た人たちが集い、支え合ってきたグループだ。商店会の秋祭りには、エスニック屋台を出すのも恒例になっている。「私たちのグループが、今日と同じ場所でささやかな発足をしてから13年の年月がたちました。人間でいえばちょうど中学1年生になります。当時集まった人たちの大半は、今、祖国に戻って新たな生活をしております。しかし、さまざまな理由から、祖国には戻れない、帰国しても生活ができない人たちがいます。そして、日本の学校に通い中学生になり高校生になっている子どもたちがいます。これまでどおり日本の学校で友だちといっしょに暮らしたい。そんな子どもたちの自然な思いを守ることは私たちの責任だと思います」」とAPSF代表の吉成さん。「日本語で考える子どもたちはある意味で日本人といえるかもしれない。彼らがこの社会で生活できるようにするのは国家の任務といえるのです」弁護団の田中裕之弁護士も、子どもたちの将来をめぐる問い掛けを繰り返した。 今が思春期のOSティーン 彼らの夢や将来は? 80年代末から、それぞれの外国人コミュニティーには、たくさんの子どもたちが生まれている。親がオーバーステイなら、その子どもは生まれながらにしてオーバーステイ。このオーバーステイの子どもたちが地元の小学校に通い卒業して、そろそろ中学生になり始める時期を迎えている。 日本で生まれて日本語を話し日本語で考える。日本人の友人に囲まれて育った彼らにとって、父母の祖国は遠い存在でしかない。住むべき国はどちらなのだろう。進学や就職。子どもたちの進路に関する相談に、親子はもちろん、学校の先生も、だれもが具体的な答えを見つけ出せないでいる。 将来や進路を考えても選択肢さえ見つけられない何千と何万というティーンエージャーの希望が、この集団在特申請の行方にかかっている。もちろんこの集団申請は、労災や政治的迫害など様々な要素がからんでいるが、それでも、OSティーンの処遇に注目が集まるのはこのような背景があるからだ。 会場となった施設は、板橋の下町商店街の一角にあった。外では例年以上の残暑が続くなか、過ぎ行く夏の休日を楽しもうという人でにぎわっている。最期になるかもしれない夏休みを、この女子中学生と両親は、いったいどんな気持ちで過ごしたのだろうか? 集会を後にしながら思いを馳せた。 (取材&文:渋谷次郎) |