映画館で映画を上映しているとき、もし場内の明りが点いてしまったら、映画の物語はそこで途切れ、白いスクリーンだけが残ることになる。映画は暗闇の中の、光と影の物語だ。人の一生も、もしそれが光と影で出来ているのだとしたら、ある日まぶしい光が射して、生はその光の中に溶けてしまうものかもしれない。そんな危うさをグル・ダットは生きた。
(1)少年時代
グル・ダット(Guru Dutt 本名はグルダット・パドゥコーネー Gurudutt Padukone)は、1925年7月9日、カルナータカ州のバンガロールに生まれた。父親はビルマ・シェルの事務職員、母親は学校の教師という中産階級の家庭で、早く亡くなった一人を含めると6人兄妹の長男だった。その後、カルカッタに移り住み、少年時代は文芸の地ベンガルに過すことになる。
(2)映画修業時代
そのグルが、なぜプーナの映画会社プラバート・フィルムズに入社したのかはよく判らない。1944年のことだ。叔父のベネガルの口利きだったという。当初はダンスの振付け助手ということであったから、あるいはまだ舞踊家としての道を考えていたのかもしれない。それとも、自己の幅広い芸術表現の欲求を満たすメディアとして、映画の道を選び取ったのか。
(3)初期作品のころ
1950年、『賭け』の歌シーンのための最初のレコーディングで、グルはプレイバック・シンガー、ギーター・ラーイと出会う。
(4)『渇き』のころ
グルが『渇き』を作ろうとした時、製作会社はその作品を、あまりに危険な賭けだとみなした。グル自身にとっても、売れない詩人と娼婦の物語を詩的な歌で飾ろうという試みは、まぎれもない実験だった。おそらく『渇き』という作品は、何度も繰返し企画され、ようやく製作にこぎつけたのではなかっただろうかと想像できる。そうすると、『渇き』という作品自体が、物語の中の詩集の運命と重なって見えてくる。主人公であるヴィジャイがノートに書きつけた詩集は、出版社は認めようとせず、家族の手でゴミ箱に捨てられる。しかし娼婦に拾われて、やがて彼女の自費出版でベストセラーになるのである。『渇き』を成功に導いたもの、それは作品中でその娼婦を演じた女優ワヒーダー・ラフマーンの存在である。
(5)『紙の花』のころ
グルは初期のインタビューで、「人々の基本的な感情に訴える映画は大ヒットとなるものだ。賢明な製作者は大ヒットを目的として映画をつくるべきで、他のために映画を作るべきでない」と述べている。『渇き』は製作会社の予想に反して、たいへんなヒット作となった。彼にずいぶんと自信を与えたのではないかと思う。「大当りするだけなら、成功した映画をつくることは難しくない。困難は、意味のある映画を興行的成功につなげようとするとき起こる」とよく話していたという。
(6)後期作品のころ
『紙の花』の完成後、ワヒーダーはグルに対して結婚できないと伝えている。『紙の花』の映画の中の物語が、グルの生涯に不思議に重なり始める。
朝日の中、ドアを壊して部屋に入った人々は、もはやグル・ダットがこの世界にいないことを知らされた。グルの表情は、永遠の深い思惟にとらわれたような、穏やかなものだったという。
(7)さいごに
1988年の大インド映画祭で、初めてグル・ダットの『渇き』を見た時の衝撃は、今もって忘れられない。小さな映画館の最前列で見上げるように映画を見ながら、哀しくて、腹がたって、嬉しくて、悔しくて、何度も何度も叫びそうになってしまった。それ以来、少しずつ他の作品を見たり、資料を集めたりしてきた。そしていよいよグルの作品と人の魅力に憑かれていったのだった。
【フィルモグラフィー】
【参考文献】
(1)少年時代
(2)映画修業時代
(3)初期作品のころ
(4)『渇き』のころ
(5)『紙の花』のころ
(6)後期作品のころ
(7)さいごに
【フィルモグラフィー】
【参考文献】
グル・ダットの製作・監督・主演になる『紙の花(Kaagaz Ke Phool)』の物語は、映画スタジオにひとりの落ちぶれた老人がやってくるところから始まる。そこはかつて、彼が成功した映画監督であった時には主人として過した場所だ。セットの中にいると、若い頃の出来事が幻のように目の前に現われてくる…。やがて時が経ち、朝になる。光の中で幻は消えている。映画スタジオに働く人々が見つけるのは、監督用の椅子に腰掛けてこと切れている老人の姿。映画プロデューサーがやってきて、スケジュールが詰っているんだと、忙しく指示する。「明りだ、明りをつけろ!」スタジオに光が溢れる。グル・ダットの、予見をも含む自伝的映画のラストである。
そのようにして、グルのあるべき生涯は光の中に取り残されることになる…。
家の近くには、毎年メーラー(祭りの縁日)が催される広場があった。例えばそこでジャートラーがあるとなると、子供のグルも一晩中演じられるそのベンガルの伝統演劇を、夜を徹して楽しむことになる。あるいは家の玄関口で、一弦琴を抱えた乞食僧が声を張り上げている。タントラ修業者にして放浪の宗教詩人バウルである。『渇き(Pyaasa)』のインターバルのすぐ後、グラーブがヴィジャイに思いを告白しようとして果せないシーン。そこで流れる「今日こそどうか私をその腕に抱いて下さい(Aaj sajan mohe ang laga lo)」などは、グルが少年時代に聞いたはずの神への賛歌であるという。
さて、そのような伝統的な文化とともに、近代的な文化という点でグルに多大な影響を与えた人物がいる。叔父のB.B.ベネガルである。彼は映画・演劇のポスターや広告板のデザインをした芸術家だった。蓄音機を持っていた彼は、それでベンガルの歌を聞いたり、あるいは写真を撮ったり、さらには8ミリ映画さえ撮影した。そしてグル兄妹のために映画のチケットを入手してくれたり、特にグルには幼い頃からカメラを黙って使わせたという。
1939年、グルが14才のとき第2次世界大戦が勃発している。グルの一家はカルカッタを引払い、ボンベイのアパートに移り住む。そしてこの14才のとき、グルは舞踊家になる決意をした。カレッジ卒業後、一時期月給30ルピーで電話交換手として働いたこともあったらしいが、1942年にはウッタル・プラデーシュ州アルモーラーにあった、ウダイ・シャンカルの舞踊学校に参加している。古典舞踊の訓練の他、絵画や音楽、メイキャップや衣装のデザインまで学んだという。この頃は、特別に映画に興味を抱いたわけではなかったようだ。
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グルが最初に大きく関わった映画は『ラーカラーニー(Lakharani)』(1945)で、助監督を勤めた他、金持ちの役を演じた。『俺たちはひとつ(Hum Ek Hain)』(1946)では舞踊監督及び助監督を務めている。つまり、グルが映画を作りたくて映画会社に入ったかどうかは定かではないが、ごく初期の段階から映画製作の様々な局面で頭角を現わしたことは確かなようだ。そして驚くべきことに、1957年に完成するグルの最高傑作『渇き』の脚本の第1稿は、『躊躇(Kashmakash)』というタイトルで、このプラバート時代に書かれたという。
プラバートの同僚にはデーヴ・アーナンドがいた。彼はその頃のグルを、出口を求めて噴出しようとする溶岩に例える。「演技・ダンス・監督と、手につくもの何だってやってみようとする、そんな溶岩であった」ーーそして、その根底にあるものは、「定型化し、固定化した因習尊重主義に対する反抗であり、オリジナルで違ったものであろうとする途方もない野心」だったと書いている。
グルに反抗心を起こさせる状況は確かにあった。第2次大戦から分離独立にいたる、インドの1940年代は、映画産業にとっては再編の時代であった。再編のひとつはイスラム教徒の映画人がパキスタンに移住したということだが、もうひとつは税金逃れの闇資金流入による映画産業の巨大化である。それまで良質の映画を生み出してきた古い同族経営型の撮影所が閉鎖・倒産に追込まれ、映画の製作は、スタジオ・システムからスター・システムへと変わった。映画の質よりも、スターによって観客を動員しようという安直な作品が蔓延していた。
そういった中で、グルはプラバート・フィルムズの閉鎖に会い、ボンベイで1年以上を無職で過すことになる。その頃よく、「イラストレイテッド・ウィークリー(・オブ・インディア?)」に短編小説を投稿したが、掲載されることはなかった。両親ともうまくいかず、食事時になるとけんかをしたという。このあたりのエピソードは、『渇き』の主人公、詩人のヴィジャイそのままである。
しかしその後、ボンベイでも映画の職にありつき、『モーハン(Mohan)』(1947)、『ガール・スクール(Girls School)』(1949)といった作品の助監督を勤めている。グルが最後に助監督だったのが、アショーク・クマール主演、ギャーン・ムケルジー監督の名作『闘い(Sangram)』(1950)である。ただ、作品が完成する前に『賭け(Baazi)』の製作に入り、途中で降りてしまったのだろうか、クレジットにはグルの名前はない。
デーヴ・アーナンドとグルは、プラバート時代から、才能を認めあい、秘密をわけあう親友だった。そして、もし片方が早く有名になったら、きっとその早かった方がもう片方のためにチャンスを作ろうと約束しあっていたという。それがグルの、デーヴ主演『賭け』への監督抜擢となるわけである。
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ギーターはベンガル出身。カルカッタでプレイバック・シンガーとして活躍した後、ボンベイに進出して、1946年『サーカス王(Circus King)』という映画でヒンディー映画界にデビューした。
グルとギーターはたちまち恋に落ちたものらしい。グルは妹にラブレターを持たせたりしたという。カルカッタ時代にはパンジャービーの少女と、プーナ時代にもまた別の女性と恋愛関係にあったグルだが、今度の恋こそ本物だった。また、それと別に母親が別の女性と結婚させようとしたこともあったというが、こちらはグルがまだ映画界にあって苦闘している時期で、先方から断られた。
ギーターの両親も、最初は娘とグルとのつきあいに反対していた。しかし、今度は『賭け』で成功をおさめた新進の映画監督である。ふたりはやがて結婚し、ギーター・ダットは夫の作品で次々と名曲を歌うことになる。
『賭け』という作品は、しかしながら何もグルの人生にのみ革新を起こしたわけではない。ひとつにはデーヴの演じたヒーローの新しさがあった。デーヴ自身の言葉を借りれば「無邪気で天使的キャラクターの気のいい渡世人」ということになる。インド独立後、都会では中産階層が拡大していたが、この天使的キャラクターは、それらの人々の共感を集めることになる。また、『賭け』という映画自体が、乾いたサスペンス・タッチの作品で、都市的なスピード感がある。さらに悪の世界をほとんど初めて扱った作品ということで、グルの野心そのままの、古い時代への挑戦のような作品となっている。加えてギーター・ラーイの歌は大ヒットし、妖艶な踊りを見せるギーター・バーリーはこの作品で名を高めたのだが、それにはダンス・シーンにおけるグルのセンス溢れる映像感覚が力となった。
1951年といえば、ラージ・カプールが監督第3作『放浪者(Awara)』を撮った年である。社会主義的主張をも盛り込んだ総合的な娯楽作品で、それはインド独立後の社会主義的国家建設の理想とも同調するものだ。ビマル・ラーイ、メヘブーブ・カーンといった監督たちに代表される、50年代のインド映画の共通項としての理想主義である。それに比べるとグルの初期作品というのは、不思議なほど徹底してエンタテイメントである。だが、1957年の『渇き』における社会への諦観の噴出を見る時、この頃のグルが、何も社会に対して言うべきことがなかったとは思えない。むしろ、グルにエンタテイメントを徹底させたものは、彼の奥底にある社会への諦観ゆえではなかったかとも思える。1952年に、グルはインタビューに答えて述べている。「議論されている問題や、矛盾する話題には、映画では触れるべきではない。もしそれが、起こっている問題に対して解決をもたらすのでなければ」
若く才能ある監督として、グルは順調にヒット作を撮っていく。『網(Jaal)』(1952)、『鷹(Baaz)』(1953)、『両岸(Aar Paar)』(1954)、『55年夫妻(Mr.& Mrs.55)』(1955)、『洪水(Sailaab)』(1956)。1952年のインタビューでグルは、「監督は映画の魂であり、彼には物語に命を与える責任がある」から、「1年に1作だけを監督するべきだと私は感じる」と述べているが、その通りに実行しているのが興味深い。
これらの作品のうち、主演もしている『両岸』と『55年夫妻』は特に成功した。
『両岸』でシャーマーの演じるヒロインは、グルがカルカッタ時代に好きだった少女がモデルになっているらしい。サスペンスとしては、それほど成功していると思えないが、むしろコミカルな部分がよい。タクシー運転手役のグルが出色で、O.P.ナッヤルの音楽に合わせて歌うシーンは洒落ているしとても楽しい。『55年夫妻』(未見)もかなりコミカルな作品という。職のない風刺漫画家のグルが、莫大な遺産を受継ぐことになった少女と結婚するにいたる騒動を描く。同じ1955年製作の、職のない主人公でも、ラージ・カプールの『詐欺師(Shree 420)』とはかなり違う展開である。
1953年に、グルはギーターと結婚している。恐らくグルの生涯の中でも、最も安定した時期ではなかったかと想像される。夫妻は、息子2人と娘1人をもうける。しかし、これらの明るい作品を撮りながらも、グルは映画作りということについて、一貫して新しいもの、意味のあるものを強迫的に求め続ける。
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ワヒーダーは南インドの市長の家に生まれた。良家の令嬢のたしなみということだろうか、説得されてインド古典舞踊バラタ・ナーティヤムを習い始めたという。しかしやがて趣味で舞台に立つようにもなり、テルグー語映画『時代は変わる(Rojula Maraie)』の中でダンスを踊る。その映画は100日間を越えるロングランとなり、たまたまハイデラバードにやってきたグルも、人気急上昇のダンサー、ワヒーダーを知ることになる。その大ヒット映画の、出資者によるパーティーの会場で、彼女は初めてグルに紹介される。グルの作品を見たこともなかったワヒーダーは、そんなことは忘れてしまう。極端に物静かなグルは、彼女と少しのやりとりもしなかったという。しかしそれは、映画のマジックが始まった瞬間だったのだ。
1955年6月、ワヒーダーはボンベイのオフィスで、グル・ダット・フィルムスとの3年間の契約を結ぶ。それまで黙ってワヒーダーを見ていたグルが、契約書がタイプされるときに訊ねたという。「君、幸せではないの?」
ワヒーダーは答える。自分の気に入った衣装を着れたなら、そのとき幸福になるでしょう。衣装は俳優の気に入ったものとする、という一節が契約に含まれることになったのは、そんなやりとりがあったためだ。
グルはたびたび癇癪を起こした。撮影が思うように行かないと、俳優を怒鳴ったりもした。しかし、ワヒーダーに対しては、絶対に癇癪を起こさないと約束していて、そのことは契約書に明記されたわけではなかったけれど、決して破られることはなかった。
『渇き』と、グルの製作によるデーヴ・アーナンド主演『C.I.D.』(1956)とは、同じスタジオで同時に撮影が進められた。ワヒーダーは『渇き』のためにボンベイに呼ばれたのだが、『C.I.D.』にも出演することになった。予定していた女優シャーマが、契約金の折り合いがつかず断ったこともあったようだ。ワヒーダーのヒンディー映画デビューは、先に完成・公開されたこの『C.I.D.』になる。
『C.I.D.』や、『渇き』の撮影の最初の頃、ワヒーダーの演技は非常に評判が悪かったらしい。例えば『渇き』の中で、追い返した男が実は自分の愛する詩の作者だと判り、慌てて呼止めようと階段を駆け降りるシーンがある。そこなどは34回のテイクの末にようやくOKになったのだという。なおかつ衣装が気に入らないとなると頑として着ない頑固ぶりである。失望の声が広がる中、ただ一人グルだけが、彼女の才能を信じていた。
そのワヒーダーの評価が変わったのは、『渇き』での「あなたは何を言ったのかしら(Jaane Kya Tune Kahi)」、カルカッタ・ロケで撮影されたこの歌のシーンであった。家を追出され、大切な詩集も捨てられてしまったヴィジャイ。絶望しているところに、彼が書いた詩を歌う娼婦が現われる。ヴィジャイを誘うようにして歩いて行くワヒーダーの演技は、同時に映画を見るものを映画の中に誘い込む。クローズ・アップであったため、表情の演技に集中できたことが上手くいった理由だと自己分析するワヒーダーは、そのシーンのラッシュを見たとき、グルがとても幸福そうであったと回想している。
『渇き』の主人公であるヴィジャイには、元々ディリープ・クマールが配されていたが、何か事情があって(撮影に遅刻した?)グル自らが演じることになったという。もしディリープが演じていたら、全く違った映画になっていただろうという意見があるが、それは確かにそう思える。自分自身にも絶望して娼婦街をさまよい、社会の偽善を思い知らされ「この世を燃やしてしまえ」と歌い、聴衆の前で自分はヴィジャイではないと苦汁に満ちた自己否定をする。それらの陰影ある演技が、極めてリアルに迫ってくるのは、やはり次のようなグルのパーソナリティーのゆえだろう。
ワヒーダーの文章である。「グル氏は極めて内向的だった。彼の内には混乱があったはずだが、彼はそれを口にはしなかった。実際のところ、働けば働くほど、考えれば考えるほど、彼は話さなくなった…。…彼は創造する作業の全過程を楽しんだ。そして同時に、彼は死を賞賛し、愛し、理想化していた。そして自分を破壊したいと思っていた。それがグル氏だった」
グルはしかし、決して逃げるために死を考えたのではなかったと思う。今あるものを「捨てる」行為を躊躇なく行なえる人であったのだ。例えば『渇き』は、その4分の3が出来たところで一度スクラップにされ、再び初めから撮り直された。オリジナルでは、ヴィジャイの学生時代の恋人(マーラー・シンハー)がもっと重要な役で、さらに重い映画であったという。達成されるべきものは表現の完成であり、インスピレーションが湧かなければ、それを捨て去ることも厭はない。その芸術に対する真摯な姿勢が、次なる傑作『紙の花』を生むことになり、一方後にグルをジレンマに陥れることにもなる。
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グルの考えでは、この当時のインド映画の状況は全くの停滞であり、打破すべきものであった。インド映画の栄光は独立前のニュー・シアターズ(P.C.バルアー、デーバキー・ボースら)、プラバート・フィルムズ(V.シャーンターラーム)、ボンベイ・トーキーズ(ヒマーンス・ラーイ)といったスタジオ(監督)の作品に負っており、スターや巨大セット、ミュージカル・シーンに依存を深めつつある傾向は映画の本質から外れると批判している。そして、新しい着想・物語の扱いの工夫・歌に頼らないことをもって新たな映画つくりを提唱している。
グルはよく夜中に、あるべき映画の新しいアイデアがひらめき、友人に電話をしたり、訪ねて行って計画を練ったという。多くの場合、そのアイデアはやがて思い浮かぶ次のアイデアにとって変られるのだが、『紙の花』の着想は極めて風変りで、グルの創造意欲に火を付けるものだったに違いない。グル作品の常連で、親友でもある喜劇俳優のジョニー・ウォーカーが述べている。「彼は『紙の花』でやったほどに、他のどの映画でも熱狂的ではなかった。彼は自分の生涯でもベストの映画だと自信をもっていた」
『紙の花』は、グルの半自伝的映画である。映画監督の主人公シンハーは、妻と別居生活を送っている。そんな時に彼はひとりの女性、シャーンティと出会う。そして自ら女優として育て上げ、いつしか彼女を愛する自らに気付く。彼女は許されない恋と知り、引退して姿を消すのだが、もはや、シンハーはシャーンティなしでは映画をつくる意欲も持てないのだ。
2人が互いの愛を確認するシーンがある。そこで「時間の見事な残酷さよ(Waqt Ne Kiya Kya Haseen Sitam)」を歌うのは、他ならぬギーター・ダット。そして、歌の流れる中を見つめあう2人を、グルとワヒーダーが演じている。グルの妹は「彼はギーターを深く愛し、最後までギーターへの愛は変らなかった。しかし、ギーターは彼が2人の女性を等しく愛することができるという考えを受入れることができなかった。グルがヒロインと恋に落ちたとして、いったい何ができよう」と書いている。そう、ギーターにできたのは思いを歌うことだけだったかもしれない。
しかし、むしろ感動的なのは、こういった私小説的なモチーフが、自由なインスピレーションと強固な意志によって、圧倒的な完成度の映画に仕上げられている点である。例えば、シャーンティが映画スタジオのセットに迷い込むシーンがある。それは実は、セットというより映画の物語にさ迷い込むシーンなのだ。セットへの扉を開ける時、カメラの回る音やゆらゆら揺れる影が、気の遠くなるような境界的な時間を生み出す。ワヒーダーの演技も素晴らしいが、このシーンほど美しくラジカルに、映画の意味を語る映像も少ないと思う。グルの天才を感じるところだ。
さて、しかしながら、現在では名作映画のひとつに必ず上げられる『紙の花』は、公開当時は興行的には全くの失敗に終わる。通常の大規模な映画の3倍にもなる予算を使い、インド初のシネマスコープ作品としてイギリスから装置を運ぶことまでしたのだったが。試写が終った時、グルの周りの人々はヒットを確信していたが、ワヒーダーはヒットするはずがないと思ったということだ。
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『紙の花』の失敗ののち、グルは自分で監督をしようとしなかった。1960年の作品『十四夜の月(Chaudhvin Ka Chand)』は、そんな彼を見かねたジョニー・ウォーカーの提案によるものという。グルは製作と主演をしている。ムスリムの社会問題を描いた作品が、当時かなりの高率でヒットしていたという事情があったためらしい。この作品の中で、グルはワヒーダーと幸せな結婚をするのだが、実は彼女が親友の恋焦がれる相手だということが後で判り、結局その親友が命を断ってしまうというストーリー展開である。
1962年には、やはり製作と主演で、『旦那様と奥様と召使い(Sahib Bibi Aur Ghulam)』が作られる。同名のベンガル語小説を映画化しようというグルのアイデアだった。しかし、結局グルは監督を固辞し、彼の映画作りの非常に近いところにいたアブラール・アルヴィーが監督を勤めることになる。監督するように説得するアブラールたちに、グルは答えた。「困ったことは、私が監督のやり方だけでなく、監督をすることで何が起こるかをも知ってしまっているということだよ。私が経験している精神的苦痛や感情的な疲労は、監督をするからには熟練者にだって避けられない。私は人々が何を言おうが気にかけない。ただ私は、仕事が、可能な限り効果的な環境でされるべきだと望むだけなんだ」
1963年に、純粋な娯楽作品『信頼(Bharosa)』に出演したときのことである。監督が倒れ、どうしてもグルが撮影をしなければならない事態になったという。共演したアーシャー・パーレークによれば、その時のグルは、信じられないほどびくびくしていたという。
『旦那様と奥様と召使い』は、興行的にはまずまず成功した。また、批評家たちの評価も高かった。ミーナー・クマーリーの圧倒的な演技、アブラールの哲学的な演出、グル・ダット派とも言われたソング・ピクチャライゼイションの技巧。商業映画の枠を守りながらも、極めて芸術的な香りの高い作品となっている。
物語の舞台は没落の近い封建地主の屋敷である。踊り子遊びに明け暮れる夫を持った若奥様。彼女は夫の気を引こうと酒に手をだし、やがて起こる悲劇の時まで、酒に溺れて時を過す。若奥様の話し相手として重用される使用人グルは、彼女への敬愛ゆえ、自分と同じ身分の少女(ワヒーダー)と一時期遠ざかってしまうのだが、やがてはワヒーダーと結ばれることになる。
この『旦那様と奥様と召使い』のあと、グルとワヒーダーとの接触はなかったといわれている。この2人が共演した最後の作品でも、それでもグルとワヒーダーが結ばれる形で物語が終ることは、それは観客の要請したものかもしれないが、何か物哀しい。グルがまるで、映画の登場人物として、映画の中で幸福に生きようとしていたかのような印象を受ける。
『紙の花』の後の4年間、グルは上に述べた作品を含めて、7本の映画に主演している。このうち、今回までに実際に見ることができた『嫁(Bahurani)』(1963)、『信頼』(1963)は、どちらも純粋な娯楽作品で、グルはかなり若い役を演じている。そして共通して、誠実な、あるいは一本足りないくらいに正直な人物で、観客の共感を集める得な役周りを演じている。
しかしながら、グルが映画作りの意欲を失っていたわけでない事実はある。『旦那様と奥様と召使い』の後に書かれた評論の中でグルは、次回作はアラビアン・ナイトである、アリババのキャラクターを通じて現代生活の問題に迫りたい、と述べている。この評論「古典と金」は、古典となるべき芸術作品が、必ずしも作者の生前に認められてきたわけでないこと、さらに芸術としての成功が経済的な成功とつながることの困難さについて述べた文章である。グルは、商業映画の世界を離れることは考えなかった。しかしその一方で、普遍的な映画の芸術性の追及をやめることも考えてはいなかった。その両者を切り
結ぶ地点で、グルの孤独な闘いが続いていた。
アリババの企画は、K.A.アッバースがストーリーを書き、カラー作品『Kaneez』として出発するが、結局、撮影開始数日後で中断してしまう。1964年、グル・ダット・フィルムスは『春はまた巡り来る(Baharen Phir Bhi Aayengi)』というタイトルの作品を用意する。それは、ネルーというインドの理想が没した年である。あるいはまたラージ・カプールが『合流点(Sangam)』という娯楽大作に転じた年でもあった。
最後の数ヵ月、グルは大きなアパートに、執事と料理人の2人を除いては一人だけで住んでいた。そして真夜中、孤独に耐えられなくなると、寝椅子を備え付けた映画スタジオの事務所に出かけて行った。移動することと、むさぼるような読書でもって、孤独な夜を忘れようとする、悩める魂を和らげようとする生活が続いていた。
1964年10月9日、『春はまた巡り来る』の脚本の最後の部分を仕上げるため、アブラール・アルヴィーはそんなグルのアパートを訪れた。夜8時。グルに脚本を読んで聞かせるアブラール。後にマーラー・シンハーが演じることになるヒロインは、そのラスト近く、すべての人から見捨てられて自らの領域に
閉じこもる。そして精神的な混乱状態に陥る。
グルはそのくだりを聞くと、黙り込み、考え込んでしまったという。アブラールに促されて答える。「君は知ってるだろうけど、アブラール、私もいつか自分が狂うんじゃないかという恐怖を持っているんだ。孤独というのは本当に重苦しくのしかかってくるものなんだ」
そのあと、グルは落着きがなくなり、ひどく苛立ち始めたという。妻のギーターや、作曲家のO.P.ナッヤルを呼出そうとやっきになったり、あるいは隣家の電話でラージ・カプールと話したりしたという。そして12時過ぎ、疲れたと言って自分の寝室に閉じこもり、そして2度と出てこなかったのである。
現代インドを代表する女優のひとりであるシャバーナー・アーズミーが、ライバルであったスミター・パーティルを追悼する文章の中で、父親である詩人カイフィー・アーズミーの、グル・ダットの死に際しての言葉を引用している。「誰も永遠にこの世に生きようとしてやってきたわけではない。しかしまた誰も、君がしたようには去りはしない(Rehne ko sada dehr mein aata nahin koi,Tum jaise gaye aise bhi jaata nahin koi)」
その言葉の通りである。グル・ダットは、映画に永遠に生きようとしてやってきて、そしてまた、映画の中に去っていったのだから。
目次
今回の文章を書くにあたっては、Rangoonwalla の資料を大幅に参考にしている。しかし痛恨なのは、ぼくがヒンディー語を完全には判っていないこと。いつか、改めて作品からの引用を含めて、もっときちんとまとめられたらなあと思う。
あるいは、グル・ダットを知る人々、デーヴ・アーナンドや、ワヒーダー・ラフマーン、アブラール・アルヴィー、ラリター・ラージミーらの文章は、本当にどれも感動的なので、僕の細切れの紹介でなく、できればそちらをそのまま読んでもらいたいとも思う。それより何より、グル・ダットの作品をきちんとした形でまとめて見てもらわなくちゃならないのだけれど。グル・ダットは、映画の中に永遠に生きているけれど、もし僕らが見なければ、それは存在しないと同じことなのだ。グル・ダットは、そんなふうに危うく今も生きている。
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45 LAKHARANI(Prabhat Films)
監督:Vishram Bedekar/助監督・キャスト:Guru Dutt
46 俺たちはひとつ=HUM EK HAIN(Prabhat Films)
監督:Santoshi/助監督・舞踊監督:Guru Dutt/キャスト:Dev Anand
47 モーハン=MOHAN(Famous Pictures)
監督:A.Banerji/助監督:Guru Dutt/キャスト:Dev Anand
49 ガール・スクール=GIRLS SCHOOL(Lokmanya Productions)
監督:Amiya Chakrabarty/助監督:Guru Dutt
50 闘い=SANGRAM(Bombay Talkies)
監督:Gyan Mukherji/助監督:Guru Dutt(途中まで?)
51 賭け=BAAZI(Nav Ketan Films)
監督:Guru Dutt/歌詩:Sahir Ludhianvi/音楽:S.D.Burman
キャスト:Dev Anand,Geeta Bali,Kalpana Kartik
52 網=JAAL(Film Arts)
監督:Guru Dutt/音楽:S.D.Burman/キャスト:Dev Anand,Geeta Bali
53 鷹=BAAZ(H.G.Films)
監督:Guru Dutt/音楽:O.P.Nayyar/キャスト:Guru Dutt,Geeta Bali
54 両岸=AAR PAAR(Guru Dutt Productions)
製作・監督:Guru Dutt/台詞:Abrar Alvi
歌詩:Majrooh Sultanpuri/音楽:O.P.Nayyar
キャスト:Guru Dutt,Shyama,Shakeela,Johnny Walker
55 55年夫妻=Mr.& Mrs.55(Guru Dutt Films)
製作・監督:Guru Dutt/音楽:O.P.Nayyar
キャスト:Guru Dutt,Madhubala,Lalita Pawar,Johnny Walker
56 C.I.D.(Guru Dutt Films)
製作:Guru Dutt/監督:Raj Khosla/歌詩:Inder Raj Anand
音楽:O.P.Nayyar/キャスト:Dev Anand,Waheeda Rehman,Shakeela
洪水=SAILAAB(Emar Films)
監督:Guru Dutt/キャスト:Gita Bali,Abhi Bhattacharya
57 渇き=PYAASA(Guru Dutt Films)
製作・監督:Guru Dutt/脚本:Abrar Alvi
歌詩:Sahir Ludhianavi/音楽:S.D.Burman
キャスト:Guru Dutt,Waheeda Rehman,Johnny Walker,Rehman
58 12時=12 O’CLOCK(Sippy Films)
監督:Pramod Chakravorty/音楽:O.P.Nayyar
キャスト:Guru Dutt,Waheeda Rehman,Johnny Walker,Rehman
59 紙の花=KAAGAZ KE PHOOL(Guru Dutt Films)
製作・監督:Guru Dutt/脚本:Abrar Alvi/歌詩:Kaifi Azmi
音楽:S.D.Burman/キャスト:Guru Dutt,Waheeda Rehman,Johnny Walker
60 十四夜の月=CHAUNDHVIN KA CHAND(Guru Dutt Films)
製作:Guru Dutt/監督:M.Sadiq/歌詩:Shakeel Badayuni/音楽:Ravi
キャスト:Guru Dutt,Waheeda Rehman,Johnny Walker,Rehman
62 旦那様と奥様と召使い=SAHIB BIBI AUR GHULAM(Guru
Dutt Films)
製作:Guru Dutt/監督:Abrar Alvi/歌詩:Shakeel Badayuni
音楽:Hemant Kumar/キャスト:Meena Kumari,Guru Dutt,Rehman,Waheeda Rehman
腹違いの弟=SAUTELA BHAI(Alok Bharati)
監督:Mahesh Kaul/音楽:Anil Biswas/キャスト:Guru Dutt,Raaj Kumar
63 嫁=BAHURANI(Meena Pictures)
監督:T.Prakash Rao/音楽:C.Ramchandra
キャスト:Guru Dutt,Mala Sinha,Feroz Khan
信頼=BHAROSA(Vasu Films)
監督:K.Shanker/歌詩:Rajinder Krishan/音楽:Ravi
キャスト:Guru Dutt,Asha Parekh,Mehmood
64 サンジュとサヴェーラー=SANJH AUR SAVERA(S.J.Filmes)
監督:Harishikesh Mukherjee/音楽:Shankar Jaikishan
キャスト:Guru Dutt,Meena Kumari,Mehmood
幸運=SUHAGAN(A.L.S.Productions)
監督:K.S.Gopala Krishnan/音楽:Madan Mohan
キャスト:Guru Dutt,Mala Sinha,Nazir Hussein
<未完成で残され、その後完成された作品>
66 春はまた巡り来る=BAHAREN PHIR BHI AYENGI(Guru Dutt Films)
監督:Shahid Lateef/音楽:O.P.Nayyar
キャスト:Dharmendra,Mala Sinha,Johny Walker
*グルの弟で映画監督でもあるアートマラーム(Atmaram)が完成させた。
グルの演じるはずだった役はダルメンドラが演じた。
86 愛と神=LOVE AND GOD(Akhtar Asif)
監督:K.Asif/音楽:Naushad/キャスト:Sanjeev Kumar,Nimmi,Pran
<未完成作品>
◇秘密=RAAZ(殺人ミステリー)
◇色白の女=GAURI(主演ギーター・ダット)
◆インド映画全般に関わる文献(主なもの)◆
ピーター・マニュエル著、中村とうよう訳『非西欧世界のポピュラー音楽』(ミュージック・マガジン、
1992)
松岡環「女優で綴るインド映画史」『コッラニ:インドの人と文化』12(コッラニ編集部、1987)
同「"南"世界をつなぐインド映画」『映画で知るアジアのこころ(アジア研究所叢書5)』(亜細亜大
学アジア研究所、1991)
同「フィルム・ソングの60年」『季刊ノイズ』9(ミュージック・マガジン、1991)
同監修『大インド映画祭1988カタログ』(ぴあ株式会社、1988)
Ramachandran,T.M.ed."70 Years of Indian Cinema(1913-1983)."(Bombay : Cinema India
International,1985)
Valicha, Kishore."The Moving Image : A Study of Indian Cinema." (Bombay : Orient Longman,
1988)
◆グル・ダットに関する文献◆
<日本語>
次良丸章「グルダットの生涯と作品(アジア映画研究特集<1>育て! アジア映画研究者!)」『Cinema Asia News』1992.8.15, 9-20頁.(guru.html)
蓮實重彦「グル・ダットを擁護しよう」『季刊リュミエール』12(1988夏), 136-138頁.
松岡環 訳・楽曲解説 『エヴァーグリーン・ヒッツ/ギーター・ダット』(オルター・ポップ、WCCD-31005)CD, 199?
根岸洋之「インドの歌う映画作家グル・ダット」『唄えば天国:ニッポン歌謡映画デラックス』地の巻(メディアファクトリー, 1999)所収, 214-218頁
<図書>
Kabir, Nasreen Munni. Guru Dutt : A Life in Cinema. Delhi : Oxford Univ. Press, 1996.
Kumar, Anjan. Shayara / Amen. [in Hindi.] New Delhi : Rajakamal Prakashan, 1988.
Khopkar, Arun. Gurudutt : Tin Anki Sokanntika. [in Marathi.] Mumbai : Granthali, 1985.
Mujavar, Isak. Gurudutt : Ek Asanta Kalavant. [in Marathi.] Pune : Srividya Prakasan, 1989.
Padhye, Bhau. Gurudutt. [in Marathi.] Mumbai : Lokavanmaya Grha, 1990.
Rangoonwalla, Firoze. Guru Dutt, 1925-1965 : A Monograph. Poona : National Film Archive of India, 1973.
<雑誌・新聞>
"Guru Dutt Dead : Leading Figure in Film Industry. [Obituary.]" Times of India, 11 October 1964.
"His Song Scenes Had a Rare Visual Rhythm : Quizzing." Filmfare, February 1-15 1985 (1985): 82-83.
"His Top 10 : Guru Dutt." Movie, October 1991.
"Our Top 10 : Nirupa Roy, Shyama." Movie, September 1991.
"Sahib Bibi, a Spellbinding Show of Cinematic Skill." Times of India, 2 June 1962.
"Some Great & Not So Great Romances." Times of India, 4 June 1988.
"The Song Picture Man." Sight and Sound, 4, no. 10 (1994): 26-28.
Alvi, Abrar. "Hamlet of Films." Filmfare, 30 October 1964. [Reprinted in Rangoonwalla (1973)]
Alvi, Abrar. "My friend, Guru Dutt. [interview by Alpana Chowdhury.]" Filmfare, March 16-31 1985 (1985): 76-79.
Anand, Dev. "Tribute to an Artist." Screen, 23 October 1964. [Reprinted in Rangoonwalla (1973)]
Benegal, Shyam. "The Wonder Years." Filmfare, July 1994 (1994): 97-98.
Chatterjee, Paratha. "Remembering Guru Dutt." Cinemaya, 13 (1991): 46-53.
Chatterjee, Paratha. "Pyasa." Cinemaya, 13 (1991): 54-57.
Choudhary, Aruradha. "Tun Tun : Fat Chance." Filmfare, August 1995 (1995): 100-103.
Cooper, Darius. "The Hindi Film Song and Guru Dutt." East-West Film Journal, 2, no. 2 (1988): 49-65.
Guru Dutt. "We Must Evolve Indian Technique. [interview.]" Screen, 5 April 1952. [Reprinted in Rangoonwalla (1973)]
Guru Dutt. "Classics and Cash." Celluloid, 1963 (1963) [Reprinted in Rangoonwalla (1973)]
Kabir, Nasreen Munni. "Guru Dutt : The Outsider." Filmfare, October 1996 (1996): 146-150.
Kabir, Nasreen Munni. "A Romantic Vision." Filmfare, March 1996 (1996): 118-120.
Khopkar, Arun. "Ghatak and Guru Dutt. [An extract from the unpublished book "Guru Dutt : A Tragedy in Three Acts."]" Cinemaya, 13 (1991): 60.
Khosla, Raj and Abrar Alvi. "Guru Dutt : The Agony and the Ecstasy. [interview by Sushama Shelly.]" Filmfare, December 16-31 1987 (1987): 70-78.
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Mukherjee, Roshmila. "Geeta Dutt : Song Sung Blue." Filmfare, December 1992 (1992): 70-73.
Memon, Nina. "Taking on the Mantle! : Guru and Geeta Dutt's Daughter Nina Memon Unravels the Melody of Her Music and Life.[interview by Priya Nair]" Femina, December 15 (2000): 121-124.
Rehman, Waheeda. "Guruji and I." Journal of Film Industry, 17 November 1967. [Reprinted in Rangoonwalla (1973)]
Rehman, Waheeda. "I Have Become Amitabh's Permanent Mother [interview.]" Times of India, 8 August 1982.
Rehman, Waheeda. "Lifetime Achievement. [interview by Khalid Mohamed.]" Filmfare April 1995 (1995)
Shah, Shameem I. "Shyama : In Fine Company." Filmfare, May 1996 (1996): 104-107
Singh, Madan Gopal. "Kaagaz Ke Phool." Cinemaya, 13 (1991): 58-60.
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