
1996年10月19日、僕はシェラトン・ホテルのロビーで待たされていた。約束を1時間過ぎている。ショッピングが長引いたのだろうか。しかしインドの映画館と同じで、夢の世界は前触れもなく眼前に広がった。シュリーデーヴィーが近づいてくる。ゴージャスな宝石に例えられる瞳がこちらを見ている。天に召されたような夢見心地のまま、インド・スター・ショー(注1)のため来日した女神と向かいあった。
−−生まれた場所と母語を教えて下さい。
「生まれたのはマドラスで、母語はテルグ語です(注2)」
−−とても早くデビューしてますね? どういうきっかけだったんですか?
「4歳で映画の仕事を始めました。ある式典に会議派の州下院議員だった父親(注3)が出席することになり、一緒に行くと言ってついて行きました。そのとき有名な作家の故カンナダーサン(注4)が私を見て映画に出そうと思ったのです。私自身はあまりに幼かったので、両親が私の映画界入りを説得されることになりました」
−−子供の頃、演技するのは好きでしたか?
「演技も踊りも大好きでした。両親は決して強制しなかったんです。私がそれを楽しみ、一生懸命なのを知って励ましてくれてました。映画を見ることも好きでしたし、映画界に入れたことは私の人生で最良のできごとでした」
−−南インドの映画で仕事を始め、その後ボンベイのヒンディー映画界に移られますが、南と北で違いはありますか?
「大きな違いというのはありません。強いて言えば映画にかける時間に関することです。南では可能な限り短時間で映画を撮るのに比べ、北では大変時間がかかります。しかし最近では北でもよくオーガナイズされてきてますね」
−−僕は『CHANDNI(チャンドニー)』(1989)冒頭の結婚式のダンスが大好きです。ご自分のやったダンス・シーンでどれが一番気に入ってますか?
「…それを言うのは難しいですね。というのは私は決して自分の仕事に満足してないからです。もっとうまくできたのにといつも思うんです」
−−印象深い場面というとどうですか?
「『CHAALBAAZ(詐欺)』(1989)のいくつかのシーンですね(注5)」
−−僕が好きなのは『LAMHE(ひととき)』でシンドゥールをもってアニル・カプールに迫り、真実を告げられるところです。あの場面は難しかったですか?
「そんなことはないです。でも確かにあれはとても良い場面ですね」
−−そういった名場面で僕はいつもあなたの目と声に心を揺さぶられます。あなたの演技の特徴は目と声にあると思いますが、どうでしょうか?
「もうひとつありますね。それは私の身長の高さです。でも自分の演技のスタイルについては、私はまだじゅうぶん判ってないんです。今でもどうやったらいいか迷うし、学ぶことがたくさんありますから」
−−雑誌のインタビューで、時々夢の中に蛇が出てくると話してましたね。それは悪夢なんですか?
「良くも悪くもありません。ただ蛇を見るんです」
−−『NAGINA(女蛇)』(1986)で女蛇の役をやるのに、嫌な気持ちはなかったですか?
「いいえ、そういうことは全くありません。私がキャリアを始めたのはまさしく蛇とのからみシーンでしたし。4歳の最初の映画です。蛇を掴んだり、キスしたり(注6)」
−−それはホントの蛇だったんですか?
「本物です」
−−最近の出演作品について、どういう感想を持ってますか?
「『ARMY(アーミー)』は『LAADLA(ダーリン)』のプロデューサーとのコンビで良い仕事ができたと思います。『MR.BECHARA(可哀想氏)』は南インドを代表する第一級の監督K.バーギャラージの作品で、とても素晴らしい経験でした」
−−次回作はどんな作品でしょうか?
「アニル・カプールとの『JUDAAI(別れ)』、それにリシ・カプールとの『KOUN SACHCHA KOUN JHUTHA(嘘つきは誰だ)』がリリース予定です(注7)」
−−日本へは初めてですか? 印象を教えて下さい。
「初めて来ました。今日は東京タワーと池袋のデパートに行きましたが、とてもカラフルで活気のある町ですね。人々もとても親切でした」
−−明日のショーについてと、日本のファンへのメッセージをお願いします。
「明日はお気に入りの曲を踊ることにしてます。『LAMHE』の「Morni」を最初に、あとは『CHAALBAAZ』や『MR.INDIA』の曲もやります。このショーは私にとっても新鮮な経験になるでしょう。日本で初めてのインディアン・ショーに参加するわけですから。みんなが幸せになれるようなショーにしたいと思います」
振り返ると聞き漏らしたことばかりだが、それでも収穫だったのは、プロとしての厳しい姿勢、芯の強さを言葉の端々にうかがえたことだ。その印象は翌日になって再び強まる。実は彼女は9月に母親を亡くしたばかりだったが、舞台に立てば陰など微塵も見せない。そしてショーの中盤、他の出演者の名を呼ぶ不作法な観客を前に、シュリーデーヴィーはマイクを持って艶然と微笑んだ。自ら歌ったのは『MR.INDIA』から「Katte nahin…」のワン・フレーズ。アイ・ラヴ・ユー。それを3度。誰もが胸を突かれ、そして幸せになった瞬間だった(注8)。
(注1)バングラデシュ・日本国際社会福祉団体(B.J.I.)主催のチャリティー・ショーとして行われた「インターナショナル・ギャラクシー・ショー」。
(注2)幼い頃マドゥライからマドラスに引っ越したという話もある。
(注3)ここの事情はやや省略して話してくれたらしい。別のインタビューによれば、父親は(選挙に出たこともあるが)弁護士で、州下院議員だった叔父の代理としてこのとき式典に出たそうである。
(注4)KANNADASAN(1927-81)はタミルの詩人・作家で、映画の作詞家、製作者としても知られる。
(注5)酒場でサニー・デーオルにビールをおごらせる場面は彼女のお気に入りで、いつも言及される。アドリブで演じられたそうだ。
(注6)彼女はその映画の中でムルガン神の役をやったらしい。ある本はそれをシヴァージ・ガネーサン主演のタミル語神話映画『KANDAN KARUNAI(ムルガン神の慈悲)』(1967)とするが、彼女は『THUNAIVAN(パートナー)』(?)が自分のデビューだとたびたび語っている。
(注7)『ARMY』『MR.BECHARA』はいずれも興行的には不発に終わったようだ。『JUDAAI』はボニー・カプール(アニル・カプールのお兄さん)製作の大作。テルグ語映画のリメイクでウルミラー・マトーンドカルが共演。
(注8)シュリーデーヴィーはこの後、ボニー・カプールと結婚していたことを公表、今や一児の母で、このコンサートの時、すでにお腹に娘がいたはずである。