俺の名前はアクラム・シェーク。ボンベイ生まれの42歳(1998年当時)。映画のスタントマンを始めて、…もう17、8年になるな。叔父がアクバル・バクシー(1998年没)といって、有名なファイト・マスターなんだ。この道に進んだのは、その縁だね。もちろんアクション映画は子供の頃から好きだった。
最初の半年は訓練期間だった。スタントマンの学校なんてのはない。広場やビーチで訓練するのさ。初仕事はアカデミー賞をとった『Gandhi(ガンジー)』(1982)だ。村人の役でね。20日間で千ルピーもらったかな。それ以来、百本以上の映画で仕事をしてるはずだ。
アミターブ・バッチャンが『Coolie(クーリー)』(1983)の撮影中に大ケガしたときも、バンガロールの現場にいた。プニート・イッサルのボディーブローがまともに入っちまったんだ。
スターだってケガをする。スタントマンはなおさらだね。俺も『Karmayudha(運命の闘い)』(1992)の撮影で、25フィートの高さから飛び降りたが、狙いがはずれてクッションのそばの地面に激突さ。左腕の複雑骨折だった。一週間休んだら、ギブスして仕事に戻ったけどね。小さいケガは数え切れない。身体の中には金属片も埋まってる。正真正銘の筋金入りさ。保険なんてかけちゃいない。ケガをすれば治療代はプロデューサーが出すが、自分の身体は自分で守るしかない。
俺たちが仕事をもらうのは、ファイトマスターを通じてだ。仕事をうけたファイトマスターが、声をかけてスタントマンを集めるわけだ。もちろん何本もかけもちすることが多いから、ボンベイ中のスタジオを行ったり来たりすることになる。
仕事によってギャラは変わる。ガラスを突き破れば、たった2秒でも5000ルピーになる。自動車をジャンプして越えたり、ビルの上から落っこちれば2万ルピーだな。危険度によるわけだ。
思い出深いのは、イギリス映画『The Deceivers(恐怖の秘密結社デシーバーズ)』(1988)かな。今や007俳優のピアーズ・ブロスナンの代役だった。主人公が馬に乗ったまま気絶して、馬も疲労で転んでしまうというシーンだ。実際には気絶した演技をしながら、馬を操って転ばせなきゃならない。これは事前に馬を転ばせる訓練をかなりやった。5、6テイクでOKがでたかな。とにかくスタントではタイミングが重要で、そのためには計算が必要だ。それと演技力がなくては務まらない。
アニル・カプール主演の『Love Marriage(恋愛結婚)』(1984)では歌場面もやった。アクション絡みだったからな。
外国映画もやってきたが、インド映画に比べて、アクションのプランがよく練られてるね。インド映画は予算が少ないから、外国の映画が2週間かけるところを、1日で撮ったりする。その分リスクが高い。どうなるか判らないままアクションが進行するんだ。今年(1998年)だけでも既にボンベイでスタントマンが撮影中に二人死んでるし、訓練中に死んだ奴も一人いる。
スタントそのものに、インドと外国で大きな違いはない。俺たちが得意なのは、馬を使ったアクションかな。車に比べて安いし、ダコイット(盗賊)の乗り物だから話にもよく出てくる。ジャッキー・チェンの映画なんかは研究のためによく見るよ。インドの格闘シーンは自然流で、カンフーはないけどね。
92年には映画製作に乗り出した。ワンランク上の仕事をしたくてね。シャトルガン・シンハー主演の『Jagannath(ジャガンナート)』が公開されたのは94年だった。もちろんハードなアクション映画だ。
日本へは印日合作の『Aye Meri Bekhdi(ボンベイtoナゴヤ)』(1993)のファイトマスターとして来たのが最初だ。そのときの日本側スタッフの一人が、今の妻。今は二人でインド料理レストランを経営している。
映画の虫は止まらないから、時々インドに戻ってスタントの仕事もしてるけどね。叔父はアクシャイ・クマール主演の『Khiladiyon Ka Khiladi(勝負師の中の勝負師)』で第42回フィルムフェア賞をとってるくらい超売れっ子のファイトマスターなんだ。助手の俺にもいくらでも仕事はある。
俺は映画が性にあってる。スタジオやロケの自由な雰囲気が好きなんだ。一生、映画の仕事をしてくつもりだ。今の目標は2作目を作ること。今度は監督もしたい。本当は去年、日本を舞台に撮る予定だった。2ヶ月、日本ロケしてね。でも直前にカメラマンが心臓発作を起こして流れてしまった。キャスティングやスケジュール作りに2年もかけたのにな。日本を舞台にした映画はきっと作る。それが俺の今の夢だ。