慢性頭痛(頭痛持ち)と亀さん

 慢性頭痛は機能性頭痛とも呼ばれ、CTやMRIなどの検査で異常がみとめられず、生命に別状がないために、軽視されがちです。しかし定期的に薬局店頭に鎮痛薬を求めに来る「鎮痛薬常用者」の多くが、「頭痛止め」が目的です。慢性頭痛は、緊張型頭痛と片頭痛に分類されていますが、今回は前者について書いてみたいと思います。(片頭痛の一部もストレスが原因であると言われています)。
 亀さんは棒でつついたり、大声で驚かすと(ストレス)反射的に首を縮め、甲羅の中に頭部を隠します。この「首を縮める」という行為が、「継続的」に起こると、人間の場合肩こり、首のこり、頭痛が生まれます。生体防御の観点から見ると、この頭痛は「ストレスを受けていますよ」という警戒信号になるわけです。

 もう少し詳しく見ると、ストレスを受けて「首を縮める」行為(実際に首を縮めているとは見えない、筋肉の緊張くらいの程度であっても)を継続的に行なうと、頭頸部を包んでいる筋膜や腱膜が異常に収縮し、その結果首筋や後頭部に締め付けられるような痛みが現れるのです。女性の場合には、もともと首周辺の筋肉が細いために、慢性頭痛(頭痛持ち)になりやすいのです。

 この様な頭痛は、最初のうちは外気に触れたり、運動をしたりすると、ストレスが発散されて、消えてしまう場合が多いのですが、鎮痛剤を常用するようになると、この程度のストレスの発散では消えなくなってしまいます。

 店頭に相談に訪れる慢性頭痛の患者の多くは、ストレスに鋭敏に反応してしまう、いわゆる自律神経失調症に属している方のようです。別項に書いたように、自律神経失調症は、漢方では「肝気欝結」という状態を指し、疏肝解欝剤を使って治療するのですが、慢性頭痛の多くがこの薬を使うと見事に軽快することからも「慢性頭痛ストレス説」は理解出来ると思います。

 ただし疏肝解欝剤を使っても(鎮痛剤のような常用による副作用は少ないが)根本的な治療にはならず、服用を中止すればまた頭痛が始まってしまうのは、いたしかたないのです。根本的には、自律神経を支配する中枢である、視床下部の「傷」(ストレスを継続的に受けると、神経伝達を行なう電気的信号が過剰になり、視床下部の細胞に一種の「傷」をつける)を治す必要があり、やはり治癒システムの修復が大切になります。

 多少つついても首を縮めないような「図太い神経を持った」亀さんになって欲しいと思います。

生体防御システムの進化とパソコンのOSの進化

 生体防御システムの中でも、治癒システムと免疫システムは、病気から生命を守る点において特に重要です。治癒システムが、単細胞生物から爬虫類までという、気の遠くなるような時をかけて、はぐくまれたが故に、「頑丈」で「完成された」システムであるのに比べ、免疫システムが、爬虫類から体温を持つ鳥類という、進化の過程の中では「極めて最近」になって、作られ始めたが故に「やわ」で「未完成」なシステムであることは、別項に書いた通りです。


 このホームページを読んでくださる方は、ある程度パソコンの知識をお持ちと思いますが、生体防御システムの進化を、パソコンのOSの進化と重ねあわせて考えると理解しやすいのではないでしょうか。

 現在のマイクロソフト社の礎を作ったMS−DOSは、1981年に発売されました。その後何回かのバージョンアップを繰り返したのですが、通常の使い方をするなら、フロッピー1枚の中にすっぽり入ってしまう程のシンプルさで、それは「頑丈]で「完成された」OSでした。画像を扱わない用途では、現在でも十分使えるすばらしいOSだったので、これが消えてしまうのは本当に残念なのですが、このOSが使えるパソコンそのものが消えてしまうのですから、仕方がないですね。(私もネット接続以外の用途には、1999年末まで使っていました。)

 その後、画像、動画、音声を扱いたいという要求、インターネットのひろまりと、CPU、メモリー、ハードディスクの驚異的発展から生まれたものが、ウインドウズであったわけです。そして1995年に画期的なOS、ウインドウズ95が生まれました。(そしてウインドウズ98を経てウインドウズ2000に発展してきたのはご存じの通りです。) ところがこのウインドウズ95(98もそうですが)という代物は、なんとも「不安定」で「未完成」で「やわ」なOSだということは、「定説」になっています。

 生物は体温を持つようになってエネルギー効率を高めた代償に、細菌などの外敵が体内で増殖するのを許す環境を作ってしまいました。そのために外敵か否かを認識するシステムが必要となり、免疫システムが生まれたことは別項の通りです。生まれてから死ぬまでに出会うであろう、数億種類の外敵を認識するシステムというものは、それは膨大で精緻を極めたものです。

 免疫システムが精緻であればあるだけ膨大なシステムになり、それゆえに「不確実」で「やわ」になってしまうのは、せいぜいフロッピー数枚、数メガバイトから、数百メガバイトに「巨大化」し「進化」したが故に「不安定」で「やわ」なOSになってしまったウインドウズ95と、相通ずるものがあるのではないでしょうか。

 まちがった操作をしないのに突然フリーズしてしまったり、まちがった操作を許しプログラムを暴走させてしまうウインドウズ95と、まちがった認識で「自分の関節の骨」を「他人のものだ」と攻撃し、リューマチを起こしてしまったり、「がん細胞」という「異物」が体内に生じたのに、「自分のものだ」と認識を間違えて成長を許してしまう免疫システムには、共通点があるように思いませんか。

ヒステリックな禁煙運動とアメリカの国民性

 アメリカの国民性(もっとさかのぼれば、狩猟民族であるアングロサクソン全体に言えるかもしれませんが)を、「免疫」という観点から考えた本があります。「免疫複合」(エミリ−・マ−チン著 青土社)という1996年出版の本です。
 免疫システムとは「非自己」を見つけだし、これを攻撃、排除するシステムであることは、もうおわかりのことと思います。この本の中に免疫システムと軍事システムが結びつきやすいことが指摘されています。即ち外国人の侵攻とは、 「非自己」であり、自分の内部にいて欲しくない「よそ者」であり、暴力に訴えても排除しなければならないという考え方を指しています。

 冷戦期の「共産主義封じ込め理論」と、これに直結する悪名高い「赤狩り・マッカ−シイズム」からも、この観点から見ると「非自己」を徹底的に排除しようとする国民性がかいま見えます。

 これを「健康面」からあらわにしたのが、これも悪名高い「禁酒法」と言えるでしょう。そしてその延長線上に「禁煙運動」があります。

 「酒」も「たばこ」も「健康に悪いもの」と決めつけると、すぐに「外から侵入してくる外敵」すなわち「非自己」と判断し、「徹底的に排除」しようとするわけです。わずか数年の間に、禁煙運動はエスカレ−トし、喫煙者はあたかも罪人のごとく遠ざけられ、サラリーマンの昇進にも影響するとあって、しぶしぶ禁煙者となり、そのためにイライラしながら仕事をし、逆に「非能率化」するといった、馬鹿げたことにもなっているようです。(アメリカ人が「きれやすく」なり、すぐ発砲事件を起こすようになった一因と指摘する記事もあるようです)。

 「何でもアメリカ追従」の日本社会にも、禁煙運動は盛んになってきたようですが、アメリカ社会程の「徹底さ」はないようです。(厚生省の「健康21」の中の「喫煙者半減目標」が削除された)。まだまだ日本人の「非自己排除」の徹底さは、「抗菌製品の氾濫」に見られるように「可愛らしい」ものです。

 喫煙が肺がんの一つの原因であろうことは否定しませんが、「最大の原因」であるという説には納得がゆきません。また「最近の肺がん患者の増加の原因は、数十年前の高い喫煙率が原因であり、禁煙者が増えてきた現在から、数十年後には肺がん患者は減る筈だ」という説にも、疑問を抱かざるを得ません。

 「酒」にせよ「たばこ」、「コーヒー」にせよ、人類が数千年にわたって、たしなんできた「嗜好品」には、「淘汰されずに残った理由」がある筈です。「喫煙者がアルツハイマー病になりにくい」という疫学的統計もあるようだし、「神経が休まる」という事実は否定できないでしょう。

 むしろ近年の肺がん患者の増加(したと仮定しても・・別項参照)は、喫煙以上に「排気ガスを筆頭とした環境汚染」が一役買っているのではないでしょうか。喫煙が肺がんの犯人という説よりも、「喫煙プラス環境汚染」という「複合汚染」を「犯人」と考えた説の方が説得力があるのではないでしょうか。

 映画やテレビで紹介されるアメリカ社会を見ていると、喫煙以上に問題にすべき「健康上の外敵」が存在していると思います。それは「人間ばなれしたデブ」の多さです。小さなバケツ一杯程の大きさのアイスクリームを平気でたいらげる胃袋こそ、排除しなければならないでしょう。

 近い将来、「禁脂肪法」とか「禁バター法」などが制定されることも、冗談ではなくなるかもしれませんね。 

日本の漢方薬の不幸

 「漢方薬は安全だ」という説に疑問符がつき始めました。「小柴胡湯で死者」などと新聞にショッキングに報じられたのもその一例です。漢方薬を長年取り扱ってきた私にとって、大変不幸な出来事であり残念でもあるのですが、「来るべき時が来たな」という感想もあります。というのは現在の漢方薬の使い方に大きな問題があるのです。いくつかの問題点を考えてみましょう。

 日本の漢方薬の歴史から見た問題点。

 漢方薬は遣隋使の時代から日本に伝えられた薬物であることは、よく知られています。そして中国での発展の歴史は、江戸時代までは逐一日本に伝えられ、日本人の病気の治療法の基本になっていました。ただ中国では「国の医学」という認識で、系統だった「中医学」として次の世代に伝えられたのに反し、日本では一種の「徒弟制度」のように、ごく一部の門弟にしか「秘伝」は伝えられず、閉鎖した環境(流派が生まれた)でしか、発展しませんでした。(腹診という日本独特のものも生まれましたが)。ところが明治に入り西洋文明の導入が進み、医療の面でも、西洋医学が一気に漢方医学を駆逐してしまいました。(明治政府の中国蔑視政策も大きな原因であったでしょう)。

 「漢方薬の火を消すな」という情熱に支えられ、漢方薬は明治大正の時代、さらに「漢方の復活」が言われた昭和30年代まで、多くの薬剤師とほんの一部の医者により細々と引き継がれて来ました。この中に膨大な「治験例」を書き留めた数名の医者があり、その方々の書籍が、日本の漢方薬の「バイブル」になり、良きにしろ悪しきにせよ、その後の厚生省の「漢方行政」に大きな影響を与えました。これが次の項に示す「問題点」になるのです。

 (なおこの約100年間の中国の漢方医学(中医学)の進歩が、「漢方薬の鎖国状態」であった日本に伝えられたのは、日中国交正常化が行なわれた1972年以後になるわけです)。

 漢方薬の「適応症」「効能効果」の記載内容の問題点

 薬には薬事法の定めにより「適応症」「効能効果」が記載されています。漢方医学と現代医学という、理論体系が全く異なる薬を、同一の「尺度」で記載しなければならないという矛盾があるのです。例を挙げてみましょう。(別項、及び別項参照)

 副作用で問題となった小柴胡湯の記載例

 一般用医薬品の場合
  効能効果:はきけ、食欲不振、胃炎、胃腸虚弱、疲労感および風邪の後期の症状

 問題点:ここに記載されている症状に使用する漢方処方は、まだまだ無数に考えられ、何の選択の基準も示されていません。

 医療用医薬品の場合
  効能または効果:
1: 体力中程度で上腹部が張って苦しく、舌苔を生じ、口中不快、食欲不振、時により微熱、悪心などのあるものの次の諸症:諸種の急性熱性病、肺炎、気管支炎、感冒、胸膜炎・肺結核などの結核性諸疾患の補助療法、リンパ節炎、慢性胃腸障害、産後回復不全(以上ツムラのみ適応承認)。はきけ、食欲不振、胃炎、胃腸虚弱、疲労感および風邪の後期の症状。

2:慢性肝炎における肝機能障害の改善

 問題点:一般用の「効能効果」よりは多少制限をもうけているようですが、漢方薬を「体力中程度」という「あいまい」な基準で選択してよいものか。適応病名を列挙してありますが、メーカーにより異なるのは全く理解出来ません。また「慢性肝炎における肝機能障害の改善」という「適応」があるために、漢方薬に「無知」な医者が使用し事故を起こしたと考えられます。

 一方中国の書物には何と書かれているか、代表的な例(町医者のハンドブックとも言うべき「中医方剤臨床手冊」)を書いておきます。(原文は簡体字)。

  効用:和解少陽、扶正去邪
  適応症:少陽症、寒熱往来、胸脇苦満、不欲飲食、心煩嘔悪、口苦咽乾、
      目眩、舌苔薄白或微黄膩、脈弦等。

 一般の日本人には理解が難しいとは思いますが、漢方理論の知識がある方ならこの漢方薬の使うべき対象を的確にとらえることが出来ます。すなわち漢方薬は「病名や症状」だけで処方を決定するのではなく、弁証といっていくつかの漢方理論を組み合わせ総合判断して決めなくてはならないのです。それには現代医学とはまったく異なる、漢方理論の知識が不可欠なのです。

 医師の教育過程の中に漢方の講座がほとんど存在しないという問題点

 ごくごく一部には熱心に漢方を勉強している医者がおり、適切に漢方薬を使っている例もありますが、大多数の医者は、漢方メーカーのMR(医薬品情報を医者に提供する職種)から「教えられるがままに」、またはメーカーの数時間の 「研修会」に参加し「漢方認定医」の「錦の御旗」をもらい、「まあ副作用もないと言うし、今まで使ってみた新薬では効いている感じもないし、漢方薬でも使ってみるか」という「軽い気持ち」で漢方薬を使っているのが現状でしょう。漢方資源枯渇の点から考えても、由々しき問題と考えます。

 漢方薬の「ちぐはぐな」研究体制の問題点

 「漢方の科学化」という命題のもとに漢方薬メーカーは、次々と「研究成果」を発表しています。例を小柴胡湯ばかり挙げて申し訳ありませんが、「小柴胡湯の慢性肝炎に対する効果」だとか、「小柴胡湯の免疫に与える影響」などなど。

 漢方理論から言って「小柴胡湯証」(私はこの言葉は好きではありませんが、小柴胡湯を与えるべき病人の意味)の患者に使えば「100%効き」、そうでない患者に与えれば「100%効かない」のです。ところが「証」も考えずに100人の「慢性肝炎」の患者に小柴胡湯を投与し、「60人の患者に有効だったから小柴胡湯の慢性肝炎への有効率は60%である。」という「れっきとした論文」が、大学教授の名前を冠して発表されているナンセンスを、どう考えたらよいのでしょうか。

 ようするに漢方薬は、文部省、厚生省を始めとする国の行政から考え直さなくてはならない、「深い問題点」を秘めているのです。