自律神経失調症には「開き直り」が大切

 「次の次の項目」をご覧下さい。自律神経失調症を漢方薬で治そうとする時、大切なことが書いてあります。

アトピーの方は「皮膚が排泄器官である」という認識を持つ必要があります

 ごく一部の良心的な医者を除いて、ほとんどの皮膚科医は、いまだにステロイド外用薬をアトピー患者に使い続けています。5年10年と使い続けた患者さんが、その離脱にいかに苦しんでいるのかを知っているのでしょうか。何回も繰り返す離脱とリバウンドによる挫折、悪臭をはなつ体液と血液で、ベットカバーまでも濡らしてしまうという、その壮絶な体験談を読むにつけ、それが幼い子供の場合には涙せずにはいられません。

 医学書によると皮膚の働きとして以下の項目が並んでいます。保護作用、汗や皮脂の分泌作用、体温調節作用、痛みなどの感覚作用、呼吸作用、ビタミンDを作る作用などなど・・・。

 ステロイド外用薬からの離脱、すぐに始まる激しいリバウンド、これは単なる汗や皮脂の「分泌」などという「生易しい」ものではありません。これがまさに長年のステロイド外用薬使用のツケである「毒物の排泄作用」そのものなのです。

 逆に言えばリバウンドという皮膚の「毒物排泄作用」があるからこそ、アトピーは治るのであって、これがなければ永久に治らないのです。もともとアトピー体質の方は、汗や皮脂の分泌が少ない乾燥肌のため、排泄作用も弱く毒がたまりやすくなっていたのです。それでは「毒」とは何でしょうか。

 これこそが「外用に使用されたステロイドが皮膚組織に沈着して、起炎症作用を持つ酸化コレステロールに変性したもの」なのです。(別項に紹介した安保徹教授の著書 「医療が病いをつくる」参照)。健康だった皮膚を、象の皮膚のように黒くこちこちにさせた張本人です。

 そうするとこのリバウンドという辛い現象は、喜ぶべき現象と考えなくてはならないのです。ところが辛さを我慢しきれなくなり、「悪いことだと自覚していても、またステロイドの世話になってしまう」という「いたちごっこ」を繰り返してきてしまったのが、重症アトピー患者なのです。

 ステロイドを中止した上で、漢方薬や免疫システム、治癒システム修復療法を始めると、まもなくリバウンドが始まります。ステロイドを中止しただけ以上に、リバウンドは強くなります。漢方薬やシステム修復療法は、不要になった異物を排出する方向に作用しますから、皮膚の排泄作用であるリバウンドは、より強くなります。

 この時に患者さんは、「我慢して頑張るか」、「挫折してステロイドに戻るか」の選択に迫られます。色々な体験談がネットなどにも載っていますが、これらを読むと、この時に「正しい選択」をする以外、「アトピー治癒への道」がないことが理解できます。

 激しいリバウンドの時の対処の方法は、それぞれの体験談の中に書かれているので、ここでは省略しますが、「いかに掻かずにすませるか」、「いかに感染症を防ぐか」がポイントになります。体液の分泌(毒の排泄)が峠を越えるまでが、筆舌に尽くしがたい苦痛の連続で、リバウンドは1回だけではなく、数回繰り返すことも多く、精神力の強さも要求されます。

 ただ幸いなことに、ステロイドの怖さを知っている方は、最初からこれには近づきません。アトピーと言えども、「補湿剤などで皮膚を潤し、炎症(痒み)は自然に治るのを待つ」という「最初の手当」さえ間違わなければ、このような苦しみを味わうことはありません。(炎症とは治癒反応である・・・別項参照)。重症のアトピー患者が増えたのは、どう弁解しようとも、皮膚科医(皮膚科学会)と製薬メーカーの怠慢なのです。
 ステロイドを使わない皮膚科治療が、アトピーの「標準治療指針」になることを願ってやみません。

 (別項にアトピーの漢方免疫併用療法を書いていますので参照して下さい。)

「眠れなくても死ぬことはない」という「開き直り」が必要な場合も

 かれこれ40年、自律神経失調症の患者さんから、漢方薬の相談を受けていると、この「病気ではない病気」にかかりやすい方には、いくつかの特徴が見られることに気づきます。

 その中の一つに、「健康や病気に対する完璧主義」があります。よく冗談で言われる「健康のためなら死んでもよい」と考えているのではないかと思われる程、健康に気を使っています。少しでも体に異常を感じると、「病気ではないか」、極端な場合には、「がんではないか」、と病院に駆け込みます。

 日常生活でも、健康雑誌を愛読したり、健康関係のテレビをかかざず見たり、健康のための知識をたえず物色しています。そして健康になるためにはどうしたらよいのか、衣食住のすべてにわたり、「完璧」を期さなければ気がすみません。ようするに「病気が怖い」のです。

 症状の一つに「不眠」というのがあります。「眠れない」などは、病気でもなんでもないのです。人間を長くやっていれば誰でも1回や2回、考え事で眠れないことがあって当然です。それを「完璧主義」が禍いして、「一刻も速く、完全に治さなくては」と病院に駆け込みます。ここに最大の間違いがあるのです。極論すればこの判断ミス・・・気にしないで放っておくか、病院に駆け込むか・・・が、それ以後のこの方の一生を台無しにしてしまうかもしれないのです。

 不幸なことに、「眠れないなんていうものは、病気でも何でもないんだよ」と諭(さと)すだけで家に帰すという医者は、まず存在しません。よほど良心的な「赤ひげ先生」でないかぎり、「不眠症」という立派な「病名」をつけて、睡眠剤なり睡眠導入剤を処方します。

 さらに悪いことには、この薬が「不眠症」を「治す薬」ではなく、年に一度か二度ある「緊急用」の薬であること、習慣性があること、絶対続けて飲んではいけないということを告げない医者がほとんどなのです。

 さらに罪深いことに、二回、三回と通院するたびに、この注意を繰り返す必要があるのに、その義務をはたさずに安易に投薬を繰り返してしまうのです。医薬分業で調剤薬局に処方箋を持ってきた場合には、薬剤師がその責任を果たさなくてはならないのに、医者に遠慮するのか、通り一遍の注意をするのがやっとというのが現状です。薬の専門家を標榜する薬剤師の「権利放棄」そのものですし、医薬分業の存在価値が問われる問題でしょう。

 「不眠症」という「病名」は、「眠れない」という「たまにある状態」に対して、睡眠薬などを使い続けたために「習慣化」させてしまった、「医療過誤の賜物?」と言っても、言い過ぎではないと思います。

 最近大衆薬メーカーが、医者の処方箋なしで普通の薬局で買える「睡眠薬」を発売しました。本来は、「じんましん」の痒みを抑えたり、乗り物酔いを予防する薬の「眠くなるという副作用」を逆手にとった薬です。何の知識もない素人が「連用しなければいいなあ」と思うのですが・・・。悪い「規制緩和」の見本でしょう。

 自律神経失調症になりにくい人は、自分の健康状態の多少の変化には、びくともしません。きわめて「自然流」です。「人間生きていれば多少のガタは出て当然、昨日疲れたからだろう」くらいの反応で、病院にとんで行くようなことはしません。

 「手遅れにならないために、病気は軽いうちに発見することが大切」ということが、「常識」になっているようですが、本当でしょうか。現在の医療水準(医者の程度)を考えると、「よほどのことがない限り病院に行かないほうが身のため」という選択肢も「常識」になるかもしれません。

 ちょっと脱線しましたが、では眠れない時にはどうしたら良いのでしょうか。何てことはない、「無理と眠ろうとしないこと」が正解です。「今、色々頭の中で考えることが多いのでしょ。だったら眠ってないで十分考えなさい」という、「自然の命令」なのです。寝床から抜け出して、頭の中に居座っていることについて、考えてもよいし、考え続けて疲れたら、テレビを見たり本を読んだりしていれば良いのです。

 いつかテレビの番組で、「何日眠らないでいられるか」という実験をやっていました。結果は忘れましたが、たしか数日頑張った人が、「最長不眠記録」だったと思います。人間、(そういうことが出来るかどうかわかりませんが)眠らせないと死ぬことはあっても、眠れなくて死ぬことはないのです。どう頑張っても、いつか必ず眠るのです。

 不眠について書きましたが、自律神経失調症のほかの症状についても、まったく同じなのです。何回かの検査で異常がなく、「神経ですよ」と言われた場合には、その症状が相当苦痛でも、「こんなことで死ぬわけはない」という「開き直り」でやり過ごすという「悠長さ」が大切なのです。

自然治癒力を尊重する医療」の基本は「病人への愛

 暑い日が続きます。例年のように、今月は軽い読み物にします。きざっぽいですが、医療のロマンはいかがでしょうか。

 医療の起源をたどれば、それはまず「親の愛」から始まったのでしょう。子供の痛がるお腹をさすったり、抱きしめたり、傷口につばをつけたり、これが本当の「手当て」でした。歴史を経て、それが「まじない・祈祷」となると、ひとつの「職業」となり、「愛の度合い」がうすめられました。

 さらに歴史を経て、「薬草」や「手技」を使った「治療」が行なわれると、一つの専門の職業というものが生まれました。これが医者の原形でしょう。ただしこの段階では、うすめられたとはいえ、「病人への愛」が基本にあり、そのために「治療をする人」は、尊敬されていたと思われます。

 ところが難しい病気の治療に必要な「毒草」や、「砒素」などの毒物を扱うようになると、治療だけではなく、意図するしないにかかわらず、「人を殺す」ということも可能となり、「治療する人」は、「愛」とか「尊敬」といった対象からはずれて行きます。
ある時期のヨーロッパでは、医者という職業は、「人の生死により金銭を購(あがな)う職業」として、一番低い階層の人間とされていたようです。

 なぜこんなことから書き始めたかというと、医療の中で「自然治癒力」を大切にしていたのは、いつ頃までなのかと、ふと考えたのです。そうすると「治療する人」が、 「病人への愛」を感じ、それゆえに「尊敬」されていた時代と、そうではなくなった時代が、その「境界」ではないかと思えるのです。さらに言えば医療という行為に、「経済」が入り込んできたのがその転機となったのでしょう。

 漢方薬の歴史で言うと、「一般大衆」の病気を治療するために、草根木皮を使い始めた頃までは、自然治癒力を大切にした治療が行なわれていたと思います。一族の知恵ある者が、何とか身内を助けようとする、一種の「愛の行為」であったでしょう。

 ところが身分の高い者が、その富の力で「より速い治療」を望むようになると、治療する者も、競って治療技術を高めようと努力したと思います。これが医者という職業の始まりであり、その意識の中には、「より高い報酬」を得ようという「損得感情」が芽生えてきたことは、当然と考えられます。

 ここに自然治癒力を無視しても、「見かけ上の治癒・・・とりあえず、苦痛を軽減させる手段・・・を演出する技術」が生まれて来たのでしょう。例えば重大な病気の痛みを、「阿片(あへん)」を使ってごまかすような、刹那的な治療が横行するようになってきました。

 すなわち自然治癒力を助ける本当の治療が行なわれていた時代には、「愛」を伴う、「無報酬」の行為があり、そのために治療を行なう者には、「尊敬される」という名誉が与えられていたのです。一方「より速い苦痛からの逃避」を、富の力で得ようとする階級が生まれ、自然治癒力を無視した、「より速い苦痛からの逃避」方法が、試行錯誤され、その技術が富と結びつくと、「病人への愛」が失われると同時に、「尊敬」も失われてしまったのです。

 「お腹をさする」、「抱きしめる」、「傷をなめる」、「まじない・祈祷」、「草根木皮を使う治療」などは、自然治癒力を利用した立派な治療法でありました。

 いま病院には苦痛に悩む多数の病人が、「一刻も速い苦痛からの逃避」を望んで、殺到しています。医者は、自然治癒力を低下させてしまうことを知ってか知らずか、患者からの要求のままに、多量の薬をばらまき、患者は喜んで服用し続けています。

 ロマンと現実とのあまりの乖離に悲しくなります。

「早期発見、早期治療が大切だ」という誤解

 いつ頃からでしょうか、この「定説」に疑問符がつきはじめたのは・・・

 「健康診断の検査で事故死」などという例は少ないとはいえ、最近の「医者のレベルの低下」を考えると、「無視できない確率」になってきたようです。こういう「事故」を度外視しても、「検査の必要性に対する疑問」が、にわかに広がりを見せてきました。検査漬け、薬漬け医療への疑問が指摘されて久しいのですが、これらは主に「経済面」からの指摘でした。最近の指摘は、そうではなく、「有効性」と検査で異常が見つかった後に行なわれる「治療の是非」が問題となっています。

 「有効性」の点では、「本当に治療を必要としている人」を選んでいるのかという疑問があり、その一つに「基準値」の問題があります。別項に書いた「コレステロール」の基準値や、「高血圧」の基準値、「透析治療に入るべき基準値」などがその例ですが、製薬メーカーや医療機関側の「思惑」で、基準値が「低め」にされており、「投薬させる患者、治療に持ち込む患者を増やそう」という意図が感じられます。(基準を決めるそれぞれの医学会に、製薬メーカーが多額の資金を出している実体があります。本来入り込んではならない医療の分野までが、「マネー資本主義」にむしばまれている怖さがあります。)

 もう一つの問題は、最近自治体の「がん検診」でも中止になった、「肺がん喀痰検査」の例のように、「無意味」と指摘された検査、さらに「精密すぎて」治療の必要がない人までも「がん患者に仕立てあげてしまう」と指摘され始めた、「前立腺がん腫瘍マーカー(PSA)」の例など、「患者のためになっているか疑わしい検査」があります。

 さらに大きな問題は、「本当に治療が必要」と判断される検査結果であっても、その後に行なわれる治療が、「本当にその方に有益かどうか」を考えなくてはならないほど、「医療の荒廃が進んでいる」という現実があります。例えば救急外科、小児科など「救急を要する分野以外」の現在の医療(特に慢性疾患を扱う内科、神経科、皮膚科等)では、「ほとんどの慢性疾患を治せない」というのが現実です。

 そのため長期間の通院が「あたりまえ」になり、本来「緊急用である薬」を、単に症状を抑える目的に長期間使うため、「新たな病気」を生み出してしまうなどの、「いたちごっこ」が日常茶飯事になってしまっています。

 これらには「医者個人のレベルの問題」以前に、医学教育(細分化しすぎた専門科目、身体全体を見ず、検査値だけが頼りの診断)や、倫理(医者の資質の問題)とか医局といった制度の問題、さらに製薬メーカーなど医療(産業)や「業界団体」の側を向いた医療行政(最重要課題!)等から考え直さなくてはならない、「深い問題」があるのですが、何らかの「発想の転換」がないかぎり、問題解決は望めそうにありません。

 それならば「医療側からの改革」ではなく、「患者側からの改革」を促す施策を
考えるというのも発想の転換の一つでしょう。

 それは「今までの常識をくつがえす視点」からの「患者の意識改革」を促す「草の根的な施策」です。その中でも重要なのが、テレビ、新聞を始めとする、マスコミの医療問題に関する「意識改革」です。現在の医療関係の記事、情報のほとんどが、医療側から提供されたものばかりです。したがって記事のほとんどが、最後は「医者、病院に行きなさい」という「オチ」で終わっています。マスコミには患者側の視点から医療問題を提起できる能力が要求されなくてはなりません。少なくとも「早期発見、早期治療が大切」などという、時代後れの認識は捨ててもらわなければなりません。

 人間も動物ですから、検査ではわからない「微妙な異変」をも感じることが出来ますし、多くの「異変」が「体の異常を修復している過程として感じられるサイン」であることを理解すれば(下記の著書:「免疫革命」を参照)」、やたらと病院に駆け込むことをせず、「落ち着いて自分の体と対話する」ことによって、「自然治癒を待とう」という選択が出来るようになる筈です。このような視点からの提言を、ぜひマスコミに要求したいのです。

 一方このような視点を持つ先駆的医者が生まれつつあることは、喜ばしいかぎりです。例えば、「患者よ、がんと闘うな」の著者、近藤誠さんや、別項に書いた安保徹教授などが、マスコミや著書で盛んに発言しています。近藤さんは、多少センセーショナルな発言と、患者にも相当高度な要求をする方なので、万人に受け入れられるという所まではいっていませんが、安保教授は、現役の新潟大学医学部教授であり、しかも世界的な免疫学者でもあり、その朴訥とした語りかけは、すべての医療関係者が傾聴すべきだと思います。

 最後にこのお二人の最近の著書を紹介します。

「免疫革命」安保徹著 講談社インターナショナル
「よくない治療、ダメな医者から逃れるヒント」近藤誠著 講談社プラスアルファ文庫
 
 この2冊は、現在病院通いを余儀なくされている全ての人々に、「今年最大の収穫」とおすすめしたい本です。

病院の薬に代替出来る漢方薬はない

 漢方薬の相談をしていると、よく「病院の薬は怖いから、それに代わる漢方薬を欲しい」と言われることがあります。特に自律神経失調症の方で、向神経薬(安定剤や睡眠薬)を服用している場合が多いようです。

 結論を先に言えば、そういう都合の良い漢方薬はあり得ないのです。「もし病院の薬と同じ効果がある漢方薬があったとしたら、その漢方薬にも病院の薬と同じ副作用がある」ということを理解しなければなりません。

 そもそも漢方薬と現代医学の薬は、その歴史が違うだけでなく、人体の生理や病理に関する理論、治療体系が全く異なっています。したがって治療を受けようとする患者も、その違いを理解しなければならないのですが、日本では相当の「知識人」と思われる方でさえも、冒頭に書いたような「難題」を要求します。ぜひ義務教育でこの違いを教えて欲しいと思います。

 不眠症の例で説明しましょう。「眠れない」と訴える患者が来ました。現代医学では、「ストレスのために自律神経が乱れて、交感神経が緊張しているんだな。脳の中で興奮剤が多く分泌されすぎているんだ。それでは脳の中で自然に分泌される鎮静剤に似せて作った合成鎮静剤を投与しよう」ということになります。

 実際は、「今晩眠れなくて苦痛だと言うのだから、全体の精神レベルを下げるという危険もあるけれど、睡眠剤を処方しよう。すぐ効かせるためにはしょうがないなあ。今晩だけだからまあ大丈夫だろう。そのかわり続けて服用してはいけないよ。習慣性もあるし、続ければボケやすくなるよ。」ということなのです。そのため、全ての向神経薬には「長期投与注意」の表示が義務づけられています。

 一方漢方では次の様に考えます。「人間の肉体や精神は、肝の経絡を流れる「気」が「順調でのびやかに」流れているのが正常なんだ。ところがこの患者は、ストレスのために、この「肝気」の流れがだんだん悪くなり、ついに滞ってしまったんだ。滞ってしまうまでには大分時間もたっているから、簡単には元のように流れるようにはならないかもしれないなあ。でもそのストレスをうまく発散させるように、運動をさせたり、楽しいことをさせたりしながら、これがうまく流れる(疏肝理気)ように疏肝理気剤を投与しよう」ということになります。

 実際は、「眠れなかったら無理に眠ることはないよ。ベットから起き上がってテレビを見たり本を読んでいたら。疲れたら自然に眠くなるよ。1日や2日は、睡眠不足で仕事にならないかもしれないけれど我慢してね。ストレスは上手に発散し、ためこんではだめだよ。すぐには効かないけれど、ストレスの発散を助ける薬を処方するから、しばらく続けてみて」ということです。

 このように治療に対する考え方が全く異なるので、漢方薬を現代医学の薬に代替できるわけがないのです。(逆も真)。また向神経薬を服用しながら漢方薬を服用するのは無意味なのです。全体の精神レベルを下げているということは、「気の流れ」も止めているわけですから、気を流れるようにしようという漢方薬の作用も相殺されてしまうのです。

 今回は例として向神経薬で説明をしましたが、他の現代医学の薬に対しても、同じことが言えます。病院の高血圧の薬、糖尿病の薬、高脂血症の薬などは副作用が怖いというから、その代わりとして、血圧を下げる漢方薬、血糖値を下げる漢方薬、コレステロールを下げる漢方薬を欲しいと相談に見えます。だいたい漢方が生まれた2000年前には、血圧や血糖値やコレステロールという概念そのものがなかったのです。

別項「自律神経失調症に向神経薬と漢方薬を併用するという愚」参照