自律神経失調症とボケ(認知症)

 ボケ(認知症)を最初に社会問題として捉えたのが、1972年に作家、有吉佐和子さんが書いた「恍惚の人」でしょう。大家族から核家族になり、数人の家族で支えた合った老人介護が、一人だけに重くのしかかってきた社会の変化が、その背景にあります。「一番なりたくない病気は何?」という問いに、一般の方が「がん」と答えるのに対し、医師、看護師など医療関係者は「ボケ(認知症)」と答えることが多いそうです。「がん」が「先を読めて残った懸案を処理する時間がある」のに対し、ボケ(認知症)が「判断そのものが出来なくなり、長期間にわたり植物状態が続き、残された家族に膨大な負担を掛ける病気である」ことを、数多く体験しているからでしょう。
 
 いわゆる「ボケ」症状に対する今までの公用語「痴呆症」が、悪い印象の言葉であるということで、厚生労働省は、新たな公用語を決めるべく、2004年6月に『「痴呆」に替わる用語に関する検討会』というものを作りました。そして国民から「パブリックコメント(意見募集)」を求めたところ、「認知障害」をトップ(22.6%)に「認知症」、「記憶障害」などの応募があったそうです。しかし「認知障害」という言葉は、学会用語でもあり、「ボケ」以外のもっと広い病態に使われているということでこれを却下し、12月には早々と「認知症」に決定してしまいました。どうも2005年6月の介護保険法改正に合わせようという意図があったようです。

 これに対し、「ぜんそく」という呼吸器疾患を、「呼吸症」と言うのと同じで、「認知症」では、病気の状態を適確に表していないという意見や、社団法人日本心理学会、日本基礎心理学会、日本認知科学会、日本認知心理学会が、協同で「認知失調症」という用語を提案しましたが、これも却下されてしまいました。

 こんな経緯もあり厚生労働省は、決定から3年もたっていないのに、またまた「認知症」という「公用語」を変更しようとしているようです。(公用語の変更は、あらゆる分野に膨大な「法定用語変更手続き事務」が発生します)。個人的には「認知失調症」とか、何となく愛嬌のある「ボケ症」などがいいなあと思うのですが、ここでは現在の公用語の「認知症」を「やむなく」使います。

 まずボケ(認知症)について書いてみます。ネット上にもたくさんのサイトがありますので、詳細はそちらにまかせて、ここではアルツハイマー型と脳血管性障害型の二つがあること(この二つで原因の80%を占めます)、また前者が遺伝的要因が多いということ、後者は脳梗塞などの後遺症として発病することも知っておいて下さい。残りの20%の中に、今回問題とする「向神経薬長期服用が原因と疑われるボケ(認知症)」が含まれます。(これはまだ学会等で認められていない、あくまで「私見」ですが・・・)。

 それからボケ(認知症)と単なる「年による物忘れ」の違いも知っておいて下さい。ボケ(認知症)の定義は、「脳や身体の疾患を原因として、記憶・判断力などの障害がおこり、普通の社会生活が送れなくなった状態」ということで、「普通の生活が困難」という点が、「もの忘れ」とは違います。もう少し詳しく違いを述べると、「もの忘れ」は病気ではなく、半年や1年で進むことがなく、記憶障害のみで他の精神症状を伴わず、「忘れた」という自覚があります。

 それに対して、ボケ(認知症)は明らかに病気であり、急に進むことも多く、時間や判断が不確かになり、物を盗まれたとかの妄想など精神症状を伴い、「忘れた」という自覚もありません。すなわち「年による物忘れ」の原因が「老化による脳の神経細胞の減少」であるのに対し、ボケ(認知症)の原因は「通常の老化による減少より早く神経細胞が消失してしまう脳の病気」なのです。

 ただ他の病気の場合も同様ですが、「もの忘れ」と「ボケ(認知症)」との境は、あいまいな部分もあります。いわゆる「まだらボケ」という、どちらとも分類できない方も見受けられます。

 また注意して欲しいのは、「年による物忘れ」といえども「脳細胞の減少」であることには違いがありませんので、早めに何らかの「減少を食い止める」手段を講ずるべきです。また最近では若い世代にも増えてきた認知障害(若年性アルツハイマーやピック病)も注目しなければなりません。

 前置きが長くなりました。本題に入りましょう。

 ボケ(認知症)とは、脳という「中枢神経」の病気であるのに対し、自律神経失調症とは、自律神経という「末梢神経」の病気(でない病気)ですから、解剖学的にも、病気の重大さも全く違う病気です。ですから自律神経失調症の方が、ボケ(認知症)になりやすいということはあり得ません。ただ自律神経の中枢は、視床下部という脳(間脳)にありますし、もう一つの末梢神経である体性神経(知覚神経)が受けた情報は、視床下部を経由して脳とも行き来しています。また大きく「脳神経系」という見方をすれば、神経伝達物質という化学物質が行き交う系であることには変わりがありません。したがって、例えば片(偏)頭痛、うつ病、不眠症、パニック症候群などは、中枢神経系の病気であるか、自律神経系の病気であるかは判然としていない部分もあります。

 自律神経失調症の方が、将来ボケ(認知症)になりやすいとしたら、唯一向神経薬を継続服用したか否かにかかっています。

 別項「どんな軽い精神安定剤でも「脳」に作用する薬の常用には注意が必要」にも書いたように、向神経薬は脳内に自然にある神経伝達物質(化学物質)に似せて作られた物質ですから、長く常用すれば「脳内の自然な営み」が損なわれ、脳細胞の消失(死)を促進し、ボケ(認知症)の進行を早めることは容易に想像されます。

 その例が老人病院等の老人施設で日常的に行われている向神経薬による「睡眠管理」で見られます。ここを訪れた人は、老人たちが一様に「仮面」をかぶったような生気のない顔をしているのに気づきます。ボケ(認知症)の予備軍である、「軽度認知障害(MCI)」、「加齢関連認知低下(AACD)」などに相当する方々です。この老人達がボケ(認知症)になる確率は、普通の生活をしている方の何倍にもなることが報告されています。MCIの方の約50%が4年以内に、またAACDの方の約30%が3年以内にボケ(認知症)になるとされていますが、向神経薬の長期服用が、その進行を早めることが推測されるのです。

 自律神経失調症は、若い方にも多く見られる病気(でない病気)です。病院に行けばほとんどの場合、向神経薬が処方されます。賢明で注意深い方は、本当にこの薬は安心して服用できるのかを調べ、「自律神経失調症を治す薬ではない」ことを知り、口に入れることはしません。しかしこれらの薬を飲めば「治る」と誤解している多くの方は飲み続け、薬から抜け出すことが出来なくなってしまっています。

 若い方に増えてきたという認知障害の原因が、意外にもこんなところにもあるのではないかと危惧する昨今です。

メタボ退治(ダイエット)の第一歩は「昼食抜き」

 この項目を書き始めたのは終戦の日です。戦争体験を持つ人がだんだん少なくなりました。私は1939年9月生まれですから、終戦の8月15日には、5才11ヶ月でした。その日、幼稚園の先生が「今日は大事なラジオがあるから、早く家に帰って聞くように」とのことで、家で終戦のラジオ放送を聞いた記憶があります。(内容はまったくわかりませんでしたが)。1941年生まれの家内にはその記憶がありません。戦後の生活の一旦は、別項「アトピー、花粉症は寄生虫を駆逐してしまった自然のタタリ?!」に書きました。先日広島原爆で被災した少年のドラマ「ハダシのげん」がテレビ放映されました。ここには戦後の食糧難の一旦が描かれていました。

 このような体験を持つ私たち年代の人間からすると、最近のメタボ騒動、ダイエットブームが、あまりにも「馬鹿げて」、「にがにがしい」ものに思えてならないのです。いつ頃から、また何が原因でこのような「馬鹿げて」、「にがにがしい」現象が生まれてきたのでしょうか。一つは飽食の時代に生きる「人間の弱さ」、もう一つは、欧米流「プラスの栄養学」だと思っています。これらについては、別項、「経済先進国の国民の免疫システムがこの数十年でメチャクチャになった理由」「ヒトも植物の遺伝子を持つ。だったら・・・・」「家族、特に子供の健康を守るために是非読んで欲しい本」などに書いてありますので、最初にお読み下さい。

 「人間の弱さ」とは、少し大げさに言えば、本能と理性(知性)との葛藤の問題です。野生の動物を観察すると、「食料にありつけた時には、腹いっぱい食べておく」という行動をとります。これは、常に食料不足に悩んできた野生動物の本能です。この本能は遺伝子に刷り込まれ、人間にも引き継がれています。ところが現在は「飽食の時代」です。この時代に本能のままに「腹いっぱい食べれ」ば、肥満になることは当たり前です。人間は理性を持つ動物ですから、「肥満が良いことではない」と考える方なら、日々本能のままに「腹いっぱい食べる」ことはしません。

 この「人間の弱さ」につけ入って肥満を助長する張本人が、「プラスの栄養学」です。「これだけ食べなければ栄養不足で病気になる」いう恐怖の栄養学です。つまり「プラスの栄養学」を信じ、人間としての正常な理性が働くなった場合に、人間は肥満になってしまうのです。

 (7月下旬イギリスの医療専門誌「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」が、肥満の「類は友を呼ぶ現象」を発表しました。そういえば明らかに太りすぎの犬を散歩させている方が、やはり相当な肥満体であることによく遭遇します)。

 肥満を解消する方法は「節食」と「運動」だと言われていますが、わたしは「運動による肥満解消」はあり得ないと思っています。(別項「スポーツでダイエットが出来るという誤解」参照)。唯一の方法は「食べ過ぎないこと」なのですが、もう少し強く言えば「食べなくても人間はそう簡単には死なない」ということです。

 これは戦時中、戦後の食糧難の時代を生きた者だから言えることかもしれません。食糧難の時代を生きた方の証言を聞くと、現在の食べる量の「数分の一」で生活していたと思います。しかも現在の人間よりもずっと健康な生活でした。私の経験でも、終戦前後の数年は肉を食べた経験はないし、卵でさえも本当にたまに、1個を兄弟で分け合って食べた程度です。「すいとん」(「水団」と書き小麦粉を団子状にして煮たもの)に代表される、わずかな朝食と夕食と「コッペパンとスキムミルクだけ」の学校給食だけでも、健康は維持されていました。

 さて1日に3食という習慣はいつ頃から始まったのでしょうか。いくつかの説があるようですが、狩猟生活の頃は1日1食、農耕が発達し食糧が保存できるようになった頃からは、1日2食のようでした。現在のように3食になったのは、江戸時代後半から明治政府が軍隊を作った頃と言われています。すなわち1日3食の習慣は、人間の歴史の中でも極めて最近の出来事なのです。アジアでは、現在も1日2食の国々がたくさんあるようです。

 朝食を抜いている方は意外に多くいます。朝は食欲があまりありませんので抜いて良いのです。(成長期の子供の場合は異論もあるかもしれませんが・・・・)。昼食はどうでしょうか。腹も減っていないのに「12時になったから食べる」のなら、食べない方が正解です。しかし肥満体の場合には、「腹が減っていても食べない」が正解なのです。

 そうすると「昼食を抜いたら腹が減って仕事にならない」と言う方が多いようですが、だまされたつもりで、ます「昼食なし」を体験してみて下さい。どうしても腹が減って困ったら、ヨーグルト1個程度で我慢してみることです。数日間はたしかに辛いかもしれませんが、1週間も経過すると不思議なことに、空腹が苦痛ではなくなってきます。胃袋が小さくなったのでしょうか。

 基礎代謝が減った中年以後の方では、昼食を抜くことで「栄養失調」になることは考えられません。夕飯の時間になると、さすがに腹が減ってきますが、ここで食欲に任せて腹いっぱい食べるのは禁物です。夕食こそ「腹八分目」なのです。これだけ食事を減らしても、体重はすぐには減りません。せいぜい月に1キロの減量でしょう。体重は減らなくても「胴回り」が減ってくるのはわかるはずです。少しずつですが、ため込んだ脂肪が徐々に減ってきているのです。減量に取り組むコツは、「あせらない」ことです。これほど人間の生活に必要な食事量は、少なくて良いのです。(私の減量体験参照)。 

 ただちょっとだけ注意したいことがあります。現在の食事情では、三大栄養素(炭水化物、脂肪、たんぱく質)の不足は、相当減食しても問題はありませんが、野菜海草類を極端に減らすと、「微量栄養素」、特に必須ミネラル類、(たとえば鉄、亜鉛など)が不足する危険性があります。鉄はご存知のように赤血球の原料ですし、亜鉛などの多くのミネラルは、新陳代謝に不可欠な「酵素」の原料になるからです。加工食品が多くなった現在では、ミネラルなどのサプリで補うことも手軽で良いことと思います。(ただしミネラルは取りすぎも要注意)。ミネラルサプリは、ほとんどが「無益」なサプリの中で、数少ない「有益」なものと思います。

 また調子に乗って減量をし過ぎないことも大切です。第一段階では、現体重の10%の減量にとどめるのが賢明です。その後しばらく体調を見て、必要ならば第二段階の減量に取り組むのです。いずれにしても「ゆっくり急がずほどほどに」が鉄則でしょう。

「KY(空気が読めない)」と「鈍感力」と自律神経

 安倍前首相が完敗した選挙後、政権の座に居座った時に、「KY(空気が読めない)」という言葉がはやりました。(若者言葉にすぐ飛びつくメディアの悪弊そのもの)。要は「鈍感だ」という意味なのでしょう。

 ところが小泉元首相は、安倍前首相の取り巻きに「鈍感力をつけるようにと注進せよ」と言ったとか。要は「敏感すぎる」という意味なのでしょう。

 どちらが本当の安倍さんの「心の内」なのでしょうか。別項「政治家は自律神経失調症になりにくい?」に書いたように、本来政治家には「神経が太く鈍感」な方が多いのですが、安倍さんは政治家には珍しく「敏感」な方なのでしょう。さすが小泉さんはそれを「見抜いていた」というわけです。

 逆に若者は「KY」と言い、メディア人もその言葉に乗ってしまったのは、やはり「わかってないなあ」と言わざるを得ません。政権に居座ったのは「鈍感」のためではなく、「確信犯」のなせるわざだと思います。敏感で自律神経が乱れやすい人は、「精神的支えとなる師」の言うことには「盲目的に従う」ものです。確信をもって居座ったと思います。

 ちょっと脱線します。「鈍感力」という言葉が、書名であることは知っていましたが、小泉さんが引用したというので、調べてみると、何と「いわくつきの作家」として有名な渡辺淳一の本の名前でした。(ちなみに2005年11月22日、彼のブログが炎上しましたが、その時のタイトル「堅すぎる車掌さん」で検索すると、まだ「燃えカス」が残っています)。

 しかし「鈍感力」という言葉は、自律神経失調症の方に贈る言葉としては、すばらしい言葉なので、「何か得るものがあるかなあ」という「淡い期待」でこの本を読んでみました。10万部も売れ、さらに小泉さんの件でさらに8万部増刷したとのことですが、まったく無価値な本でした。

 以前「「99.9%は仮説」という題名の本から健康・医療を考える」という項目でも書きましたが、本屋が町から消え、本を手にしてから選ぶということが困難になり、いやおうなく通販で買う機会が増えてきました。そのせいか出版社は、内容よりも「刺激的なタイトル」と「有名人のよいしょ書評」の大きな広告で「買わせよう」としています。最近でも、あまりの「推薦書評」で「生物と無生物のあいだ」という本を買いましたが、「それほどかなあ」という感想でした。出版不況は業界が作り出しているのです。

 本の通販サイトで「○○力」で検索すると、すごい数の本が出てきます。「読書力」、「大人力」、「結婚力」、「社会力」、「人生力」などなど。要するに「○○になるためのハウツー本」なのですね。その道で「名を成した」人が、「そうなると良いですよ」という「おせっかい本」なのです。

 鈍感とか敏感とかは「生まれつき」や「生い立ち」の部分も多く、他人から「こうせよという力」で変わるものでもありません。自律神経失調症の方は、たしかに敏感すぎる部分があるので、出来れば鈍感になった方が楽です。しかし他人に言われて、「そうなるように力んでも」、かえってそれがストレスになってしまうのではないでしょうか。「鈍感力をつけよう」などの余計な努力をするより、私がおすすめの「開き直り」の方が、よほど簡単で効果があると思いませんか?

「貧乏人は医者にかかるな!」という本

 新聞広告の刺激的なタイトルに引かれて、懲りずに通販で買ってしまいました。何回か書いていますが、通販で買った本には「はずれ」が多いものです。しかしこれは「まあまあ面白い本」でした。(編集者がつけたタイトルだそうですが、医療関係者だったらつけてはいけないタイトルですね)。

 「貧乏人は医者にかかるな!」(医師不足が招く医療崩壊)  永田宏著 集英社新書 660円 (189ページ)

 著者は医学博士の肩書きを持つが医者ではなく、鈴鹿医療科学大学教授という医療情報専門家のようです。そのためか、医療行政、医療現場の情報にも詳しく、医者の友人も多いようで、医者の「生の声」も聞く機会が多いようです。厚生労働省の医師数、国民医療費等の資料から導き出した結論は、わかりやすく書かれていて納得しやすいものです。

 「最近明らかになり始めた医師不足による医療崩壊は、すでに取り返しがつかない段階に来ており、数年後には大都市の病院でさえも、産科、小児科だけではなく、多くの科で外来診療が不可能に陥る。2025年頃には、”とにかく金である。いい医療を受けたかったらそれ相応の金を積む以外にないし、それが出来なければ、それなりの医療で満足するしかない。そういう時代が確実にやってくる。・・・172ページ”」というのが、この本の骨子です。

 一足先に崩壊した「イギリスの惨状(第6章)」や、アメリカ、ヨーロッパの各国の現状も紹介し、選ぶべき選択肢を掲げています。アメリカには皆保険制度がなく、徹底的に「金持ちのための医療」がまかり通っており、イギリスでは「待機リスト」と呼ばれる「診療半年待ち」が常態化しているそうです。

 「すでに取り返しがつかない段階」ということで、その「対策」として書かれていることは、「実行不可能に近い」ものばかりです。その対策は次の三点だとしています。

 1:医学部の定員を増やす(即効性はない)
 2:国外から医師を輸入する(外国人だという抵抗はないのか)
 3:患者を国外に輸出する(日本人は英語で容態を的確に伝えられるのか)・・・ヨーロッパでは増えている。

 ( )内に書いたような理由から、日本では実現不可能に近い対策ではないでしょうか。著者は、日本でも「待機リスト」、「外来制限」、「混合ないし自由診療(健康保険使えない)」が始まり、本のタイトルにあるように、「富裕層が優先される医療」が避けられないと見ているようです。

 私が別項「病院通いをやめるのも選択肢のひとつです」に書いたような提案を、行政、教育、マスメディアが協力して実行に移せば、崩壊を相当先延ばしか、うまく行けば阻止できると思います。個人的な「どんぶり勘定」ですが、現在の医療(件数、金額共に)の半分以上は「不必要」だと思っています。

 人間は賢い動物です。逆説ですが、医療が崩壊した後に、新しい医療秩序が生まれるかもしれません。治療より予防を大切にする意識が芽生え、病気になったとしても、医療に頼るのではなく、自分の自然治癒力を大切にし、それを信じ、その力で治すということを体験する。

 これこそが「真の医療」だと思いませんか。

 この本は、内容には「救い」がないのですが、このような「逆説」を考えながら読むと、多少の「救い」があるのではないでしょうか。