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ひ と り 言【 目 次 】 ●この辞書が面白い 辞書好きのひとり言 第1回 『Jaws of Life』なるシロモノが、見てみたい......英和商品名辞典 第2回 多いことはイイことだ! 「お子ラン」的辞書選び...日本人名大辞典 ●辞書の『不思議・愉しみ』 第1回 「淡泊」と「淡白」、どちらが正しい 第2回 国語辞典40冊のある書棚 第3回 一家に一冊、広辞苑の「アンビギュィティ」 ..................................................................................................................................................... ●この辞書が面白い 辞書好きのひとり言第2回 多いことはイイことだ! 「お子ラン」的辞書選び 講談社 日本人名大辞典(監修 上田正昭・西澤潤一・平山郁夫・三浦朱門/2001) ずっと人名辞典を買いたいと思っていたのだが、どれにしたらいいか、なかなか決められなかった。もともとが優柔不断なんである。
でも、ついに意を決して購入したのが、これ、『講談社 日本人名大辞典』、3万2000 円なり。 「日本初、商品名9000! 超一流ブランドから、名もない商品まで。片仮名でも引ける。」(同書帯)
●辞書の『不思議・愉しみ』第3回 一家に一冊、広辞苑の「アンビギュィティ」 いきなり、アンビギュィチィー ambiguity だなんて......まったく。 どなたかがノーベル賞受賞の記念講演で使った言葉.......だったっか......なぁ.......まったく。 英語を使って気取りたかったわけではない。要するに「広辞苑の『謎』」のようなタイトルにしたかったのに、『この辞書・事典が面白い!』(室伏哲郎監修・トラベルジャーナル)の中でこのタイトルにぶつかり、「謎」が、使われていると知ったからには、同じタイトルを使っちゃいけないのである。では、『広辞苑の「不思議」』ならどうだ? な、なんかこれも聞き覚えが......それは、そう、他ならぬこの私自身が、当ホームページで使ってしまったのだった。で、これもペケ。トホホ、我ながら呆れる語彙の少なさよ。こんな時には類語辞典を引けばもちろん早道なのだが、類語辞典なんか引かないもん。自分で思いつくもん! と、言いしれぬ葛藤の末、まあ、苦し紛れに暫定的なタイトルとして『広辞苑の「アンビギュィティ」』とさせていただいた次第である。 広辞苑といえば、まず、私自身にまつわる、お恥ずかし〜い話から告白しなければならない。まさに、顔から火の出る思いというのは、こういうのを言うんだろうなあ、というやつ。 ある日、私は平仮名表記に迷い、一家に一冊の広辞苑で酸漿(ほおずき)を引いた。なになに、ふんふん「ほおずき」とある。あれそうだったっけーと思いつつも、そこはそれ、広辞苑のご威光で、疑うことを私はつゆ知らぬ。また、ある時。またまた平仮名表記に迷って「杯」を引き、「さかずき」と書かれているのを見、なぬ?と一瞬思わなくもなかったが、そのままアンビギュィチィーの煙に巻かれてしまったのだった。 そして、運命の瞬間。前出の本に、「......『ず』と『づ』は同じ発音だが、...『いなずま(稲妻)』『ひとづま(人妻)』などは、使い分けることになっている。.......この仮名遣いの法則が辞書を引くうえでわずらわしいと判断したのか、『広辞苑』は第三版まではすべて...『ず』に統一し......『仮名遣い』も『かなづかい』でなく『かなずかい』.....」 まさに、グワァ〜ン、っていう感じ。頭、めいっぱいどつかれた。でも、知ってました? 私、ほんとーに、知りませんでした。凡例には確かにそう書いてある。けれど、凡例なんて普通読まない(と思う)。そして、この件を私は仕事仲間には打ち明けてはいない。とても言えない。....まあ、諸先輩・同輩が知ってるかどうか探り出してみたい好奇心はあるけれど。しかし、広辞苑は5版まで出ているのに、ずっと3版を常用していたことに、少しは問題があったのかもしれない(姉は初版使ってます。初版、けっこうシブイです)。 そして、本題。広辞苑最大のナゾとされる、その序文についての話。これは、かなり有名な話だから、ご存知の向きも多いと思うが、やっぱり書いちゃう。広辞苑初版の序文で編者・新村出は、「.....(改訂の業の際)フランスの大辞典リットレないしラルース等の名著およびダルメステテール等の中辞典から平素得つつある智識を、他山の石として、........」と記している。少し諺を知っている人なら、なぬ?と思うところである。「他山の石」の使い方が違うぞ? これじゃあ、リットレもラルースも、自分より劣ってるんだと言ってるようなものじゃない? そして、広辞苑本体でも、「他山の石」は「...自分より劣っている...」とちゃぁんとあるにもかかわらず、である。ひどい誤用。 しかし、考えてみると、ちと酷な気もする。誰だって、記憶違い・思い違いの一つや二つはある筈。そのたまたまの思い違いを一つおかしたために、こうやって何年経っても、繰り返し繰り返し、それこそいたるところで、ましてや、若輩者の私なんかにまでにもとやかく言われてしまうのだから(しかし、編集者も、校正者も気付かなかったんだろうか。そこがむしろ気にかかる)......。しかし、かたーい顔をした広辞苑の中にこんなお茶目な破綻が隠されているのが、私にはむしろ嬉しい、と言っておきます。 かたーいのつぎは重ーい、お話。 広辞苑は重いです。でも、井上ひさしは、この重い広辞苑を左の掌に載せて使うのだとか。辞書の装丁をじっくり見る人もさほどいないだろうけれど、今度改めて見てみて下さい。背表紙には、型押しのデザインが施されているのだが、井上ひさしは、広辞苑を開いて掌に載せたとき、このデコボコが滑り止めになっていいんだって。右手にペン、左手に広辞苑、執筆する井上サンの姿が目に浮かぶ。やっぱり、なんか、とても疲れそうだけど。ちなみに、広辞苑の装丁は安井曾太郎によるもので、滑り止めのデコボコは、鴫と波なんだそう。あれ、鷺だったかなあ.....。 そして、最後は、広辞苑の「嘘」。いま、『広辞苑の嘘』(谷沢永一・渡部昇一・光文社)という本を読み始めたところだが、その序から「警戒されよ、信ずるなかれ」とある。編者の力量に関する疑義、立項の不公平、記述の過不足など、「えっ! そうなの」と思うことも確かにあって、コワイんだけれど、むろん私には、「広辞苑はダメ」だなんて判断できっこない。内容に関する批判を念頭に置きつつも、何か調べたいときは、取りあえずは広辞苑ねと、ズリズリと擦り寄っていってしまうのである。広辞苑依存症候群。広辞苑は辞められないのです。 一家に1冊どころか、第二版、三版、四版、五版(これは電子辞書)と揃い踏み。一家に4冊、家族は二人、一人につき2冊ずつ、なのですよ。 第2回 国語辞典40冊のある書棚 国語辞典40冊を所有しているのである。古書店で立ち読みした『言海』に圧倒され、以来20数年を掛けて、財布が許す限り購入していた.......しかし、これは、私自身についての話ではない。過日、新聞の投稿欄で遭遇した新潟県在住K氏(男性・63歳)のことである。 だ、が、待てよ。 私は、ふと思い立ち、自分の書斎(と呼ぶほどのものではないが、とりあえず、一人になれて、泣きながら机に囓りつくことができるクウカン)の書棚に並べられた、辞書を片っ端から数え始めた。約50冊(国語辞典以外も含むが)、よかった.....何がいいんだか......だが、なんとなく、よかった、よかった、と安心である。 だって、そうじゃん? 国語辞典40冊を所有されているこの方は、作家でも、編集者でも、言語学者でもない。一方、この私は、末席とは言え、言葉に関係した仕事で永年ご飯をいただいてきたのである。少なくとも数で負けては顔向けが出来るまい。誰に顔向けが出来ないのか? お金を支払い続けて下さってる方々? オトーサンとオカーサン? いやいや、違う、多分、それは自分自身に、であると思う(自分の顔に向かって自分の顔向けするのは、かなりアクロバットな気もする)。 過去に、国語辞典の執筆に関わったことがある。編集ではない。執筆そのものにである。言語や国語の知識がさほどあるはずもないのに、言葉に関心があるということだけで、私は自分に、その仕事に参加する資格があると思いこんでいたのだった。 投稿者は、国語辞典を見る楽しみは「言葉の説明の仕方」と言っておられる。確かにそうである。だが、まさにその部分が未熟なる辞典執筆者には大きな難題となったわけだ。多くの辞典や資料を参考とし、言葉の核のようなものを抽出し、過ぎたるも及ばざるもなく、端的に自分の言葉で表す。かなりシンドイ作業の連続だった。なかなかはかどらない事への焦りにも苦しめられた。ただ、私はその作業が好きだったように思う。自分にとって、本当に有り難い素晴らしい経験。カネにはならんかったけど。カネの多寡は、多分、関係ないと思う......多分。 閑話休題。 投稿者が、語句の説明の違いとして挙げていた例。「右」とは。 「人ノ身ノ、南ヘ向ヒテ西ノ方。左ノ反。ミギリ」......『言海』 「人体を対称線に沿って二分したとき、心臓のない方」......『未記載』 「この辞典を開いて偶数ページのある方」......『未記載』 ついでに、手元の辞典を引く。 「南を向いた時、西にあたる方」......『広辞苑』(第3版) 「東に向かって、南に当たる方。手の位置では、多くの日本人がペンや箸を持つ方」......『新潮現代国語辞典』(第2版) 「相対的な位置の一つ。東を向いた時、南の方、また、この辞典を開いて読む時、偶数ページのある側を言う」......『岩波代国語辞典』(第6版) 「北に向かって東の方」......『インフォワード国語辞典』(ベネッセ・初版) 「北を向いたとき、東にあたる位置」......『新世紀ビジュアル大辞典』(学研・初版) どうやら、方位を使って説明するものが主流のような........「向かう」のは、「南、東、北」で、西に向かってと記したものは見当たらない、「西」はえらくないのかなあ........なるほど、なるほど、奥が深い分析だなあ。 さらに..... 「on or towards the side of the body that is towards the east when a person faces north」......『Oxford Advanced Learner's』 「designating or of that side of the body toward the east when one faces north」......『Webster's New World』(ポケット版) 英英辞典も、方位がお好きと見える。そして、向きは「北」。 方位以外では、 「アナログ時計の文字盤に向かった時に、一時から五時までの表示の有る側」......『新明解国語辞典』(三省堂・第5版) アナログという言葉で、つっかえないといいけど、ジイチャン・バアチャンが......。 「(対)左」 ウソ! 「左」の項目をひけば、当然、「(対)右」なわけで、永遠に引き続けねばならぬメビウス的説明.....。 では、最後に、私の試案を。ふと、時計を見ると昼近くになっている。仕事の前にメールチェックをするだけのハズだったのに、である。ちなみに、この駄文は、今校正をしている作家の方(同世代・同姓)の文体をまねて書こうとしたのだが(ゴメンナチャイ)、ム、ムズカシい.......結果は如何??? 仕事に戻らなくてはならないので、試案は、次回ということで。逃げているわけではありません、グジャグジャと悩む時間が楽しいのですっ! それにしても、K氏ってどんな方なんでしょうねえ。(2003/5/14) 第1回 「淡泊」と「淡白」、どちらが正しい? 「淡泊」あるいは「淡白」かと、表記に迷う。いちばん手近にあったA国語辞典を引く。 たんぱく【淡泊】.......[表記]「淡白・澹泊」とも書く。 な〜んだ、どちらでもよいのか。そして、何気なく、B国語辞典を見る。 タンパク【淡泊】(淡白は誤り)とあった!! ありゃりゃ........。まるっきり逆だ。だから、C国語辞典に手を伸ばす。 たんぱく【淡白・淡泊】 どちらの表記でもよいということか。むしろ、淡白の方が先に来ている。 ちなみに広辞苑はというと、 たんぱく【淡白・淡泊・澹泊】 多数決なら、どちらでも可となるけれど、やはり、Aが、堂々と(淡白は誤り)と言いきるところが気にかかる。 辞書を引けば引くほど、言葉の迷宮に踏み込んでしまう。 辞書は、不思議だ。だけど、そこが愉しい。 |
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