太極拳 「技は心によって支えられ、心もまた技によって支えられる」 現在更新していませんリストに戻ります 表紙に戻ります
十二の極意:太極拳を行うにあたっての注意・ポイントです。
上4文字はやや理論的で、目には見えない内面的な内容が多く、
下4文字は実践的な内容を含むものが多くなっています。
「気沈丹田 心静用意」(チーチェンダンティエン シンチンヨンイー):気を丹田に集中させ、心を静めて(力ではなく)意識を伴って表現する。
太極拳の稽古で最も大切なものは「気」、体内を流れる、目に見えない生命エネルギーのことです。
日常会話でも「元気」「病気」「気力」などど使いますが、東洋医学では、気の流れが滞ると病気になるので、健康の為には、気を養い、活発にさせ、体の隅々まで行き渡らせることが必要だと考えます。
「気沈丹田」とは、気を丹田(へその下3cm位のところ)に集中させると言う意味です。それが気を養う方法であり、精神を集中させるコツでもあるのです。
気が集中してきたら、心を静めて、意を用います。意を用いるとは、力で表現するのではなく、意識を伴って表現すると言う意味です。
太極拳は、体・心・呼吸の3者が揃って始めて効果があるのですから、心を静めて、動作に意識を向けて行わなければなりません。
「沈肩垂肘 身正体鬆」(チェンジェンチュイチョウ シェンチョンティーソン):肩と肘の力を抜いて下げ、姿勢を良くして体全体をふんわりと柔らかくする。
「沈肩垂肘」とは肩と肘の力を抜いて下げると言う意味です。肩や肘に力が入っていると、血液や気の循環を妨げるので、健康上よくありません。武道という面から見ても、無駄な力が入っていると敏捷に動くことが出来なくなるので、自分から負ける条件を作っているようなものだとも言えます。肘が張っているというのは、一見強そうにも見えるのですが、実は脇があいていて、守りの形としては不適当なのです。
「身正」は姿勢をよくすること。これはあらゆる健康法や武道の基本です。「体鬆」は体全体をふんわりと柔らかくするという意味です。「鬆」とは髪の毛がふわっとしているさまとか、松かさの様に広がっていることをさします。
体を意識して緩やかに柔らかくすれば、心もおのずからゆっくりとリラックスしてくるのです。ですから、普段でも緊張している時、心配事のある時には、意識して肩や肘を下げ、呼吸をゆっくりとしてみましょう。そうすれば、自然に力が抜けていくのです。
「内外相合 由鬆入柔」(ネイワイシアンホー ユウソンルウロウ) 心と体の動きを一致させ、体をリラックスさせて柔らかくする。
「内外」とはここでは精神と肉体のこと。「内外相合」は、心と体の動きは常に一致していなくてはならないという意味です。これは日常生活の中でも、同じ事が言えます。考えていることと行動とは一貫しているべきですし、心にもない事を言うのは自分も人も傷つけることになります。
「由鬆入柔」とは、体をふんわりとリラックスさせれば、そこから柔らかさが生まれてくると言う意味です。緊張していたら、柔らかい動きは出来ません。体中の無理な力、むりな姿勢を取り除けば、柔らかい体、柔らかい動きがうまれてくるのです。
「上下相随 弧形螺旋」(シャンシアシャンンソイ フーシンルオシュエン)手と足を調和させ、らせん状に回転させる。
「上下」とはこの場合上半身と下半身の事。「上下相随」は、手と足が相従い一体である、バランスがとれていると言う意味です。
「弧形螺旋」はらせん状に回転すると言う意味です。太極拳の円運動は、人間の丸い体に最もふさわしい運動と言えます。背骨を軸にして体をまろやかに動かすと、体中の神経や血管などの働きを程よく活発にさせる事が出来るからです。
「主宰於腰 中正円転」(チュウツァイユイヤオ チョンチョンユアンチョアン)腰を体の中心に据えて、円運動をする。
「主宰於腰」は腰が体の主宰者、つまり中心であると言う意味です。腰という字は、月(にくづき)偏に要であり、文字通り腰は体の要です。腰が悪ければ体全体に影響が出てきますし、あらゆるスポーツや武道でも腰は命と言います。太極拳でも、もちろん腰を大切にしています。
「中正円転」は、腰をむやみに突き出したり曲げたりせず、体の中央に正しくすえて、円運動をすると言う意味です。
円運動は宇宙の営みにも似ています。私達が太極拳を行うのは体のどこか一部分をよくするためではありません。一部分にとってよいことが他の部分にとっても必ずしも良いこととは限りません。体全体が良くなることが必要なのです。
「尾閭中正 源動腰脊」(ウェイリュイチョンチョン ユアンドンヤオジイ)尾てい骨の位置を正し、腰と背骨を根源に動かす。
「尾閭」は尾てい骨の事です。尾は体のバランスを取る上で大切な役割を果たしています。人間の尾は退化してしまいましたが、もともと尾があったと考えられる尾てい骨に意識を向けて位置を正しくする、という事が「尾閭中正」です。
尾てい骨を正すと、背骨も真直ぐに成ります。昔から「万病は背骨から」と言われているように、背骨は奥深い生命力にかかわっていて、背骨のゆがみが多くの病気の原因になります。「尾閭中正」は健康を保つ源なのです。
「源動腰脊」は「動きの根源が腰と背骨である」という意味です。背骨は神経が流れ,脳から全身に中枢神経を通わせている,言わば人間の内面をつかさどっている部分。これに対して腰は手足を連結する要であり、外面をつかさどっている部分と言えます。両者は共に大切にしなければなりません。
「含胸抜背 脊貫四梢」(ハンシュンバーベイ ジイグァンスーシャオ)胸を少し膨らませ、背骨をぴんと伸ばす。背骨は両手・両足の先端まで密接なかかわりがある。
「含」は花が満開になる前の、つぼみが少し膨らんだ状態をさします。「含胸抜背」は「胸を少し膨らませ、背骨をぴんと伸ばす」という事です。姿勢を正しくと言うと、胸を極端に張るかたがいますが、そうではなくて、やや控えめにするのです.咲ききってしまった花は散るよりほかにありません。これから少し伸ばすことも縮めることもできる、前にも後ろにも行ける、という余裕が必要なのです。
「脊貫四梢」の「四梢」とは四先端、つまり両手先、両足先を指し、「脊貫四梢」とは「背骨は、両手、両足の先端まで密接なかかわりがある」ということです。背骨が正常で健康であれば、手足の先まで気がめぐり、活発に働いてくれますが、逆に背骨に故障が起これば、手先や足先まで影響が及ぶのです。背骨が正しい状態にあるかどうか、常に心掛けていてください。
「虚領頂勁 三尖六合」(シュイリンディンチン サンジェンリウホー)無念無想にして、頭頂に意識を集中せよ。鼻先・手先・足先を一直線にし、精・気・神と、手と足・膝と肘・大腿と上腕をバランス良く保つ。
「虚」は実に対する虚、空っぽの意味で、「頂」はここでは頭頂、「勁」は神経と意識を意味します。
「虚領頂勁」とは無念無想にして、頭頂に意識を集中せよ、という事です。
雑念を払い、精神を集中するには二つのポイントがあります。一つは「気沈丹田」で言う、いわゆる臍下丹田(へその下3cmくらいのところ)。もう一つは、上丹田とも呼ばれ、霊感が働くとされている頭頂です。頭頂には「百会」というつぼがあり、健康面でも重要なポイントとなっています。
「三尖六合」の「三尖」は3つの先端の意味で、頭部の鼻先・上半身の手先・下半身の足先をさします。「六合」は武道の言葉で、内の三合つまり精(内臓)・気(呼吸)・神(神経)と、外の三合つまり手と足・肘と膝・大腿と上腕をさします。
三尖が一線上になり、六合の内三合、外三合がバランス良く保たれていることが必要なのです。
「呼吸自然 速度均堰v(フーシーツウラン スウドゥーチュンユン) 自然な呼吸をし、動きの速度を平均させる
太極拳では呼吸を特に重視しますが、「呼吸自然」とは、呼吸はあくまで動きを助けるための物であり、自然に楽に行われなくてはならないという意味です。人間の体は大変個性的で、一人一人違いますから、呼吸の長さをこれくらい、と決めることはできません。稽古を積むうちに徐々に長い呼吸になってきますが、特に初心者は逆らわない、自然な呼吸を心掛けてください。
「速度均堰vは、動きの速度が平均していて急に速くなったり遅くなったりしないようにという注意です。太極拳は深く長い呼吸をしながら切れ目なく同じ速さで動きます。こうすることにより、全ての細胞を平均的に活動させ、五臓六腑を平均的に整えるのです。激しいスポーツは内蔵に負担をかけることもありますし、体の一部だけを使うスポーツは、内蔵を含めた体の発達がアンバランスになりがちです。健康の為には全身のバランスの良い発達が必要なのです。
「分清虚実 胯与膝平」(フェンチンシュイシー クワユィシーピン)体重のかかっている足がどちらか、はっきりさせながら、腰を充分に落として行う。
「分」は分ける、「清」は水が澄んでいてはっきり見えるということで、「分清虚実」は虚と実をはっきり分ける、という意味。
「胯」は腿の外側のことで、「胯与膝平」は腿と膝の高さを同じにする、つまり腰を十分に落とすという実践上の注意です。
さて太極拳では、虚実、特に足の虚実をはっきり分けることが重要なポイントの一つです。足の虚実を分けるとは、体重のかかっている足を左右どちらかはっきりさせると言うことで、動く時には必ず足の虚実を明らかにさせながら移動します。実となる足に充分体重をかける前に移動してしまうと、体がぐらつきやすくなります。そして実の足がしっかりしていれば、虚の足は自由自在に動くことができるのです。
「動中求静 眼随手転」(ドンチョンチウチン イェンソイショウチョアン)動く中に静けさを求め、目は手の回転に従う。
「動中求静」とは動く中に静けさを求めるという意味。日常良く使われる「動中静あり、静中動あり」という言葉とも共通しています。太極拳は動いている時にも禅のような内面の静けさを失ってはいけません。そこで太極拳を「動く禅」「行禅」などとも表現するのです。
動きの中に静けさがなければ、動きがあわただしく、粗雑になりがちです。静かに落ち着いた精神をもって体を動かす、その動と静の調和によって美が表現され、健康が得られるのです。日常の暮らしについて言及するならば、あわただしい時にこそ心を落ち着けて、静かに行動することが肝心だと言えましょう。
「眼随手転」とは、眼は手の回転に従う、という意味です。「目は口ほどにものを言う」ともいいますし、「画竜点睛」という言葉もあるように、目は表現をする上で欠かせない点です。一方、手も武道でも踊りでも繊細な指先の動きが要求されますし、仏像などの手先にも美と心がこめられています。このように、目と手はどちらも人間の大切な宝物ですから、目は手の動きを生かし、手は目を生かすというように、相支え合うものとして常に心を配っていたいものです。
「剛柔相済 手与肩平」(ガンロウシアンジイ ショウユイチエンピン)剛と柔は互いに助け合うものである。手と肩のバランスをとり、同じ高さになるようにする。
「剛柔相済」とは、人間の剛と柔は陰と陽のようなもので互いに助け合うものだという意味です。剛の中に柔があり、柔の中に剛があるので、分けて考えることはできません。
「手与肩平」とは手と方が同じ高さになるようにする、という意味で、手と方のバランスがとれたところが一番安定しているとも言えましょう。
空手ではよく「外剛内柔」ということが言われます。つまり外側は剛く無骨であっても、内面は暖かい、やさしさのある人間でなくてはならない、という意味です。それに対して太極拳は、外柔内剛ともいえるでしょう。外から見ると太極拳の動きは柔軟で、あれで頼りになるのだろうか、という疑問をもたれがちです。しかし、太極拳は人間の力の強さだけに頼るものではありません。長年かけて練り上げていくことにより、何にも負けない芯の強さが生れてくるのです。
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