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| 紐育線 | 大正期〜昭和初期→昭26.7(1951)再開〜海運集約以前〜海運集約期 |
| 昭和26年(1951)7月20日横浜出航の平安丸を第1船として紐育定期航路を再開。翌27年(1952)7月から月2回の定期運航とした。 |
![]() 平安丸 Heian Maru (1951) 清水港 - T.Mizushima |
| シアトル線 | 明治期〜大正期〜昭16.8(1941)休止→昭26.10(1951)再開〜昭35.10.5(1960)終航 |
| 昭和26年(1951)7月31日付で月1回のサービスとして申請許可されたが配船すべき船舶の不足と荷況不振のため再開が遅れ10月30日に至ってようやく第1船平洋丸が横浜港を出航、11月23日シアトルに入港した。続いて第2船阿蘇丸が11月17日、第3船永安丸(用船)が12月21日、第4船興名丸(用船)は翌27年(1952)1月27日、それぞれシアトル向けに横浜を出航した。 |
![]() 平洋丸 Heiyo Maru (1951) |
![]() 永安丸 Eian Maru (1951) |
| ニューヨーク線 | 大9.2.17(1920)紐育線〜昭5.6.29(1930)紐育急航線として開設〜昭16.9.9(1941)休航 |
| →戦後占領期〜海運集約以前〜海運集約期 | |
| 昭和26年(1951)8月、新日本汽船との共同配船で第5次船あめりか丸を第1船として再開。さらに船隊充実のため6次船あとらす丸、あんです丸、7次船ぱなま丸、はわい丸、めきしこ丸を建造した。昭和27年(1952)8月には、あふりか丸を最終船として共同配船を打ち切った。 |
![]() あめりか丸 America Maru (1950) |
![]() めきしこ丸 Mexico Maru (1952) 処女航海で太平洋横断記録を更新した。 |
| ニューヨーク航路 | 戦前〜昭26.7.3(1951)再開〜集約前〜集約期 |
| 昭和26年(1951)7月3日、淺香山丸を第1船(往航)として再開。主力航路である本航路用に5次計画造船で吾妻山型2隻を新造した。米国による建造船規制が全廃されてからは本航路用に本格的な大型高速貨物船A級5隻が6次〜7次計画造船により建造された。 |
![]() 淺香山丸 Asakasan Maru (1937) |
![]() 吾妻山丸 Azumasan Maru (1950) |
![]() 赤城山丸 Akagisan Maru (1951) |
| 極東/ニューヨーク航路 | 戦前〜昭27.9.27(1952)再開〜集約前〜集約期 |
| 川崎汽船は海運民営還元後、ニューヨーク航路の再開のため在来船聖川丸と新造船神川丸型の合計4隻による船隊整備に努めた。昭和27年(1952)9月、横浜港出航の君川丸を第1船として極東/ニューヨーク航路を再開、当初月1回の定期サービスとした。寄港地は往航がフィリピン諸港/門司/神戸/名古屋/清水/横浜/サンフランシスコ/ロサンゼルス/クリストバル/ニューヨーク/フィラデルフィア/ボルチモア、復航がノーフォーク/ニューオーリンズ/ガルベストン/ヒューストン/パナマ/ロサンゼルス/横浜/名古屋/神戸。 |
![]() 神川丸 Kamikawa Maru (1951) |
| 日本/シアトル航路 | 昭27.9.24(1952)開設〜昭34.5(1959)極東/北米太平洋岸航路 |
| 昭和27年(1952)9月の日本/南阿航路開設と同時に日本/北米間往航を活用し、9月24日横浜出航の第三眞盛丸(用船)を第1船として日本/シアトル航路を開設、月1回のサービスとした。本航路は往航が神戸/名古屋/清水/横浜/タコマ/バンクーバー/シアトル/ポートランドに至る片道航路であり、就航船は揚げ切り後、引続いて北米/南阿航路に就航した。 |
![]() 原商船の第三眞盛丸 Shinsei Maru No.3 (1952) |
| ニューヨーク航路 | 昭12.10(1937)開設〜昭27.7(1952)再開〜海運集約以前〜海運集約期 |
| 昭和25年(1950)10月、海運8社がGHQにニューヨーク航路再開申請書を提出したが、山下汽船はGHQの条件に対して単独配船は無理と判断し日本郵船と提携をはかった。昭和26年(1951)9月には配船第3船として山下丸を日本郵船に提供したが用船料の調整がつかず、一航海で打ち切りとなった。昭和27年(1952)4月の講和条約発効後、月1航海の目処がついたので6月に同盟に加入し、7月には第1船山福丸(のち山菊丸と改名)を大阪を起点として就航させた。 |
![]() 山下丸 Yamashita Maru (1951) |
![]() 山福丸 Yamafuku Maru (1952) |
| ニューヨーク航路 | 昭26.6(1951)開設〜海運集約以前〜昭39.4.1(1964)山下新日本汽船へ継承 |
| 新日本汽船は民営還元後の昭和25年(1950)10月、ニューヨーク定期航路開設を申請、翌昭和26年(1951)6月に許可された。当初は大阪商船と共同配船としてOSK-Shinnihon Lineの名称で開始され、同年10月摩耶春丸が第1船として就航した。昭和27年(1952)9月からは単独で月1回の配船を実施するに至った。 |
![]() 摩耶春丸 Mayaharu Maru (1951) |
![]() 武庫春丸 Mukoharu Maru (1952) |
![]() 信貴春丸 Shikiharu Maru (1951) |
| ニューヨーク航路 | 昭26.6.12(1951)開設〜昭31.7.10(1956)国際海運共同配船解消 |
| 昭和12年(1937)に國際汽船が大阪商船に吸収合併された際に、同社の営業機構の一部は子会社に委譲された。戦後、米軍関係で活動を始めた大阪商船の子会社小川運輸(湾内艀業、機帆船業者)は事業の拡張に伴ない、小川運輸、商船運輸、国際海運の3社に分かれたが、国際海運には國際汽船のニューヨーク定期航路の航権があった。この航権を利用してニューヨーク航路の開設が計画され、日産汽船、東邦海運、飯野海運および三菱海運が参加した。 共同配船(ジョイントサービス)方式により、国際ラインのトレードネームで各船会社が新造船1隻を提供して月1航海(昭和27年に月2航海に増配)とし運航は国際海運が行うこととした。何れの会社も単独で定期航路の運営ができるまでの暫定的な方法として、この方式で共同配船を行った。 民間輸送局の許可は昭和26年(1951)6月12日に得られた。この時期にニューヨーク航路開設の許可を受けたのは日本郵船、大阪商船(新日本汽船共同配船)、三井船舶および国際ラインだけであった。この共同配船は昭和31年(1956)7月、国際海運の共同配船の解消声明により終了した(当時は飯野海運と三菱海運の2社のみ)。 |
![]() 若島丸 Wakashima Maru (1950) |
| 戦後再開されたニューヨーク定期航路の第1船として昭和26年(1951)8月16日、ニューヨーク港に入港する若島丸。海運が民間に還元される以前のため国旗のかわりにスカジャップ旗を船尾に掲揚した。 |
![]() ころんびあ丸 Colombia Maru (1951) |
![]() 日令丸 Nichirei Maru (1950) |
![]() 東龍丸 Toryu Maru (1951) |
![]() 東照丸 Tosho Maru (1952) |
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