日本郵船の所有船舶 - 明治前期明治後期大正期昭和初期太平洋戦争戦後占領期−海運再建期−海運集約期 戻る

淺間丸型 2隻 ASAMA MARU Class (1929 - 1930)

淺間丸
淺間丸 Asama Maru
日本郵船が東洋汽船から継承した桑港線の船質改善のために3隻計画した1万7,000総トン級、最大速力20ノットの大型貨客船。昭和2年(1927)5 月に三菱長崎造船所に2隻発注、川崎造船所に発注予定の第3船は同社の整理問題等により発注先を横濱船渠へ変更した。主機は淺間丸と龍田丸がズルザーディーゼル4基4軸、秩父丸がB&Wディーゼル2基2軸と異なる。国内の関連産業が未成熟のため艤装上の材料、機械、器具は輸入品を用いた。
貨客船 Lpp 170.69(560'-0") B 21.95(72'-0") D 12.95(42'-6") m 主機 D Sulzer & Brothers 4基
三菱造船株式会社長崎造船所(長崎)建造 日本郵船株式会社(東京)
253. 淺間丸 (1) ASAMA MARU 35343/JFXC 16,947G/T 19,108BHP 18/20.713kt
起工 1927.9.10(昭2) 進水 1928.10.30(昭3) 竣工 1929.9.15(昭4) Sno.450 淺間丸 Asama Maru 船客 1等:239,2等:96,3等:504
1929.10.12(昭4)横浜港を出航、北米航路・桑港線に就航
1944.11.1(昭19)マニラから高雄に向け航行中、南シナ海東沙島の東南東60浬(バシー海峡)(20.17N,117.38E)で米潜ATULE(SS-403)の雷撃により沈没
255. 龍田丸 (1) TATSUTA MARU 35362/JFYC 16,955G/T 16,000BHP 19/21.23kt
起工 1927.12.3(昭2) 進水 1929.4.12(昭4) 竣工 1930.5.15(昭5) Sno.451 龍田丸 Tatsuta Maru 船客 1等:239 2等:96 3等:504
1930.4.25(昭5)横浜港を出航、北米航路・桑港線に就航
1943.2.8(昭18)横須賀からトラック島に向け航行中、伊豆御蔵島の東40浬(34.00N,140.00E)で米潜TARPON(SS-175)の雷撃により沈没
龍田丸
龍田丸 Tatsuta Maru

254. 秩父丸 CHICHIBU MARU (1930)

秩父丸
秩父丸 Chichibu Maru
35367/JFZC 貨客船 17,498G/T 起工 1928.2.6(昭3) 進水 1929.5.8(昭4) 竣工 1930.3.10(昭5)
Lpp 170.69(560'-0") B 22.56(74'-0") D 12.95(42'-6") m 主機 D B&W 20,313BHP 2基 17.5/20.65kt
横濱船渠株式会社(横濱)建造 Sno.170 日本郵船株式会社(東京)
秩父丸 Chichibu Maru 船客 1等:243, 2等:95, 3等:500
1938.2(昭13)英字船名を 秩父丸 TITIBU MARU と改名。同4月、再びCHICHIBU MARUに変更
1939.1.14(昭14)鎌倉丸 KAMAKURA MARU (2) と改名
1943.4.28(昭18)マニラからバリクパパンに向け航行中、パナイ島ナソ岬の西約5浬(10.25N,121.50E)で米潜GUDGEON(SS-211)の雷撃により沈没

256. 平洋丸 (1) HEIYO MARU (1930)

平洋丸
平洋丸 Heiyo Maru
長らく同航路に就航中の安洋丸が補助資格を失うために樂洋丸の改良型として計画された9,000総トン級、速力14ノットの大型貨客船。入札に参加した大阪鐵工所は明治期に建造した大隈丸型が日本郵船の期待にそえなかったため同社からの発注が途絶えていたが、大阪鐵工所の強い要望と政府の希望もあり同所への発注が決定された。主機には三菱ズルザーディーゼル機関2基を搭載した。本船は櫻島工場で進水した最長の船で河川進水の新記録を作ったと「八十周年を迎えて」(日立造船)には記載されている。
35365/JRXB 貨客船 9,816G/T 起工 1928.12.4(昭3) 進水 1929.10.5(昭4) 竣工 1930.3.15(昭5)
Lpp 140.20 B 18.28 D 12.37 m 主機 D 三菱Sulzer 10,462BHP 2基 16/16.73kt
株式会社大阪鐵工所櫻島工場(大阪)建造 日本郵船株式会社(東京)
平洋丸 Heiyo Maru 福洋丸 Fukuyo Maru として起工後、昭和4年7月に平洋丸と改名(日立造船社史)
船客 1等:42 2等:80 3等:500
1930.4.19(昭5)香港向け神戸発処女航海
1943.1.17(昭18)横須賀からトラック島に向け航行中、トラック島の北約220浬(10.10N,151.25E)で米潜WHALE(SS-239)の雷撃により沈没

氷川丸型 3隻 HIKAWA MARU Class (1930)

氷川丸
氷川丸 Hikawa Maru
シアトル線の船質改善のために3隻計画された1万1,000総トン級、最大速力18ノットの貨客船。遠洋航路補助法による補助金を受けた。昭和3年(1928)6月、横濱船渠に2隻、大阪鐵工所に1隻を発注し昭和5年(1930)中に全船がシアトル航路へ就航した。
貨客船 Lpp 155.91(511'-6") B 20.12(66'-0") D 12.50(41'-0") m 主機 D B&W 2基 日本郵船株式会社(東京)
257. 氷川丸 (1) HIKAWA MARU 35370/VCGT 11,622G/T 11,000BHP 16/18.212kt
起工 1928.11.9(昭3) 進水 1929.9.30(昭4) 竣工 1930.4.25(昭5)
横濱船渠株式会社(横濱)建造 Sno.177 氷川丸 Hikawa Maru 船客 1等:76, 2等:69, 3等:186 SCAJAP No.H022
1930(昭5)シアトル航路に就航
1950.10.18(昭25)横浜からシアトル向け航海で2名の船客を引受け(戦後日本船による最初の外航船客輸送)
1960.10.5(昭35)神戸着、シアトル・バンクーバー航路より撤退
1960.12.21(昭35)除籍
1961.2.28(昭36)氷川丸観光(横浜)に売却、横浜港に係船、6月1日開業
259. 日枝丸 HIYE MARU 36219/JGYC 11,931G/T 13,122BHP 16/18kt
起工 1929.5.25(昭4) 進水 1930.2.12(昭5) 竣工 1930.7.31(昭5)
横濱船渠株式会社(横濱)建造 Sno.178 日枝丸 Hiye Maru 船客 1等:76, 2等:69, 3等:186
1930(昭5)シアトル航路に就航
1943.11.17(昭18)ラバウルからトラック島に向け航行中、トラック島の南西約370浬(1.45N,148.45E)で潜水艦の雷撃により沈没
日枝丸
日枝丸 Hiye Maru
261. 平安丸 (1) HEIAN MARU 36813/JGZC 11,616G/T 13,404BHP 15/18.38kt
起工 1929.7.19(昭4) 進水 1930.4.16(昭5) 竣工 1930.11.24(昭5)
株式会社大阪鐵工所櫻島工場(大阪)建造 平安丸 Heian Maru 船客 1等:76, 2等:69, 3等:185
1930(昭5)シアトル航路に就航
1944.2.17(昭19)トラック港内で停泊中に空爆を受け、翌日沈没
平安丸
平安丸 Heian Maru

照國丸型 2隻 TERUKUNI MARU Class (1930)

照國丸
照國丸 Terukuni Maru
日本郵船が欧州航路(ロンドン線)の船質改善のために計画した1万2,000総トン級、最大速力18ノットの貨客船。当初タービン主機を予定したがディーゼルに変更され、建造所は政府の国産奨励政策もあり昭和3年(1928)8月、三菱長崎造船所に2隻発注された。
貨客船 Lpp 153.92(505'-0") B 19.51(64'-0") D 11.28(37'-0") m 主機 D 三菱Sulzer 2基
三菱造船株式会社長崎造船所(長崎)建造 日本郵船株式会社(東京)
258. 照國丸 TERUKUNI MARU 36214/JRYB 11,931G/T 10,000BHP 15/17.764kt
起工 1929.1.9(昭4) 進水 1929.12.19(昭4) 竣工 1930.5.31(昭5) Sno.467 照國丸 Terukuni Maru 船客 1等:121, 2等:68, 3等:60
1930.6.30(昭5)横浜港発ロンドン向け処女航海。欧州線に就航
1939.11.21(昭14)カサブランカからロンドン向け航行中、英国東岸ハリッジ沖(51.50N,1.30E)で触雷のため沈没
260. 靖國丸 YASUKUNI MARU 36223/VGRQ→JRZB 11,930G/T 10,000BHP 15/18.022kt
起工 1929.4.22(昭4) 進水 1930.2.15(昭5) 竣工 1930.8.31(昭5) Sno.468 靖國丸 Yasukuni Maru 船客 1等:121, 2等:68, 3等:60
1930.9.22(昭5)横浜港発ロンドン向け処女航海。欧州線に就航
1944.1.31(昭19)横須賀からトラック島に向け航行中、トラック島の北西約300浬(9.15N,147.13E)で米潜TRIGGER(SS-237)の雷撃により沈没
靖國丸
靖國丸 Yasukuni Maru

長良丸型 6隻 NAGARA MARU Class (1934 - 1935)

長良丸
長良丸 Nagara Maru
日本郵船が紐育線改善のために第1次船舶改善助成施設の適用を受けて建造した7,100総トン級、速力15ノットの大型貨物船でN型と称された。横濱船渠へ2隻、三菱長崎へ3隻、浦賀船渠へ1隻発注された。
貨物船 Lpp 136.00 B 19.00 D 10.50 m 主機 D M.A.N. 1基 日本郵船株式会社(東京)
262. 長良丸 (1) NAGARA MARU 39666/JBNH 7,142G/T 9,843D/W 6,700BHP 18.58kt
起工 1933.3.28(昭8) 進水 1934.4.28(昭9) 竣工 1934.8.28(昭9)
横濱船渠株式会社(横濱)建造 Sno.220 長良丸 Nagara Maru 第1次船舶改善助成施設適用船
1942.11.14(昭17)ソロモンのショートランド島からガダルカナル島に向け航行中ソロモン群島サンタイサベル島の西約30浬(8.30S,158.48E)で空爆により沈没
263. 能登丸 (1) NOTO MARU 39723/JROJ 7,185G/T 9,666D/W 7,415BHP 15/18.8kt
起工 1933.10.2(昭8) 進水 1934.5.1(昭9) 竣工 1934.10.15(昭9)
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 Sno.580 能登丸 Noto Maru 第1次船舶改善助成施設適用船
1944.11.2(昭19)レイテ島オルモック(11.01N,124.34E)で空爆により沈没
能登丸
能登丸 Noto Maru
264. 那古丸 NAKO MARU 39727/JRWJ 7,139G/T 9,688D/W 7,415BHP 15/18.5kt
起工 1933.9.26(昭8) 進水 1934.6.26(昭9) 竣工 1934.10.25(昭9)
浦賀船渠株式会社(浦賀)建造 Sno.388 那古丸 Nako Maru 第1次船舶改善助成施設適用船 横濱船渠から主機を支給して浦賀船渠へ外注。横濱船渠第221番船
1942.11.14(昭17)ショートランド島からガダルカナル島に向け航行中、ソロモン群島ラッセル島沖(8.58S,159.06E)で空爆を受け大破、船体放棄。のちに沈没
那古丸
那古丸 Nako Maru
265. 能代丸 (1) NOSHIRO MARU 39735/JRPJ 7,184G/T 9,664D/W 6,700BHP 15/18.5kt
起工 1933.12.7(昭8) 進水 1934.6.28(昭9) 竣工 1934.11.30(昭9)
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 Sno.581 能代丸 Noshiro Maru 第1次船舶改善助成施設適用船
1944.9.21(昭19)マニラ港(14.33N,120..57E)で停泊中に空爆を受け、9月24日沈没
能代丸
能代丸 Noshiro Maru
266. 鳴門丸 (1) NARUTO MARU 39738/JBQH 7,142G/T 9,841D/W 7,310HP 15/18.4kt
起工 1933.10.27(昭8) 進水 1934.8.29(昭9) 竣工 1934.12.10(昭9)
横濱船渠株式会社(横濱)建造 Sno.222 鳴門丸 Naruto Maru 第1次船舶改善助成施設適用船
1943.8.8(昭18)サイパンから横浜に向け航行中、硫黄島の南東約90浬 (24.03N142.45,E)で米潜WHALE(SS-239)の雷撃により沈没
鳴門丸
鳴門丸 Naruto Maru
268. 野島丸 NOJIMA MARU 40112/JWFJ 7,184G/T 9,648D/W 6,700BHP 15/18.6kt
起工 1934.2.3(昭9) 進水 1934.10.24(昭9) 竣工 1935.2.13(昭10)
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 Sno.582 野島丸 Nojima Maru 第1次船舶改善助成施設適用船
1942.9.15(昭17)アリューシャン列島キスカ島(52.30N,176.30E)で停泊中に空爆を受け大破、その後も空爆を受け10月13日船体放棄
野島丸
野島丸 Nojima Maru

267. パラオ丸 PALAO MARU (1934)

パラオ丸
パラオ丸 Palao Maru
日本郵船が南洋航路用に新造した中型の貨客船。主機には排気タービン付の3連成機関を装備。
40096/JWEJ 貨客船 4,495G/T 起工 1934.4.16(昭9) 進水 1934.9.12(昭9) 竣工 1934.9.12(昭9)
Lpp 111.00 B 15.50 D 8.50 m 主機 R&T 排気タービン付 4,400IHP 1基 13/16.946kt
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 Sno.592 日本郵船株式会社(東京)
パラオ丸 Palao Maru 船客 1等:31 2等:106 3等:158
1942.8.5(昭17)サイパンからトラックに向け航行中、トラック島の北西約110浬(8.50N,150.42E)で米潜GREENLING(SS-213)の雷撃により沈没

269. サイパン丸 SAIPAN MARU (1936)

サイパン丸
サイパン丸 Saipan Maru
41672/JIKK 貨客船 5,333G/T 起工 1935.9.16(昭10) 進水 1936.3.10(昭11) 竣工 1936.6.16(昭11)
Lpp 115.00 B 16.40 D 10.15 m 主機 R&T 排気タービン付 Bauer Wach Exh. 4,500IHP 1基 13/16.794kt
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 Sno.626 日本郵船株式会社(東京)
サイパン丸 Saipan Maru 船客 1等:31 2等:85 3等:252
1943.7.21(昭18)関門からサイパンに向け航行中、パラオ島の北約540浬(16.29N,133.57E)で米潜HADDOCK(SS-231)の雷撃により沈没

赤城丸型 4隻 AKAGI MARU Class (1936 - 1937)

赤城丸
赤城丸 Akagi Maru
日本郵船が欧州航路(リバプール線)用に昭和10年(1935)三菱長崎造船所に発注した大型高速貨物船でA型と称された。昭和11年(1936)から昭和13年(1938)にかけて完工したが第2次世界大戦の影響により予定線には就航しなかった。 赤城丸は第2次、淺香丸は第3次の船舶改善助成施設の助成金を受けて建造された。主機には単働式MSディーゼルを基に新たに開発された復働式の8MSD72型を採用したが復働式は解放分解に日数を要するため単働式2サイクル過給機関が登場すると復働式は姿を消していった。吾妻丸のみ船型が船首楼付平甲板型で他船(三島型)と異なり総トン数も小さい。
貨物船 Lpp 140.00 B 19.00 D 10.50 m 主機 D 三菱重工 MS 2DA 1基
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 日本郵船株式会社(東京)
270. 赤城丸 (1) AKAGI MARU 42327/JIQK 7,367G/T 9,612D/W 8,771BHP 16.5/18.9kt
起工 1935.12.2(昭10) 進水 1936.6.6(昭11) 竣工 1936.9.10(昭11) Sno.627 赤城丸 Akagi Maru 第2次船舶改善助成施設適用船
1937.7.15(昭12)東航世界一周線開設の第1船として横浜港出航
1944.2.17(昭19)トラック島から横須賀へ向け航行中、トラック島北水道付近で空爆により沈没
271. 有馬丸 (1) ARIMA MARU 42355/JIZK 7,387G/T 8,000BHP 16/19.3kt
起工 1936.3.18(昭11) 進水 1936.9.10(昭11) 竣工 1936.11.30(昭11) Sno.628 有馬丸 Arima Maru
1942.12.29(昭17)大阪鐵工所因島工場で応急油槽船に改造
1943.4.3(昭18)バリクパパンからトラック島に向け航行中、パラオ島の北約170浬 (10.12N,134.35E)で米潜HADDOCK(SS-231)の雷撃を受け炎上、大破、翌日沈没
有馬丸
有馬丸 Arima Maru
272. 淺香丸 ASAKA MARU 44012/JWUL 7,399G/T 8,000BHP 16/19.3kt
起工 1937.2.18(昭12) 進水 1937.7.7(昭12) 竣工 1937.11.30(昭12) Sno.687 淺香丸 Asaka Maru 第3次船舶改善助成施設適用船
1944.10.12(昭19)台湾馬公(澎湖島)(23.30N,119.30E)で停泊中に空爆により沈没
273. 粟田丸 (1) AWATA MARU 44231/JWVL 7,398G/T 8,000BHP 16/19.3kt
起工 1937.3.2(昭12) 進水 1937.8.5(昭12) 竣工 1937.12.23(昭12) Sno.688 粟田丸 Awata Maru
1943.10.22(昭18)上海からラバウルへ向け航行中、那覇の西約140浬 (26.32N,125.05E)で米潜GRAYBACK(SS-208)の雷撃により沈没
粟田丸
粟田丸 Awata Maru

274. 吾妻丸 (1) AZUMA MARU (1938)

吾妻丸
吾妻丸 Azuma Maru
赤城丸型とは船型、深さが異なる。
44403/JWZL 貨物船 6,646G/T 起工 1937.5.3(昭12) 進水 1937.10.23(昭12) 竣工 1938.3.10(昭13)
Lpp 140.00 B 19.00 D 12.30 m 主機 D 三菱重工 三菱M.S.DoubleAct.8MSD 8,000BHP 1基 16/19.2kt
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 Sno.700 日本郵船株式会社(東京)
吾妻丸 Azuma Maru
1943.1(昭18)大阪鐵工所築港工場で応急油槽船に改造
1943.12.3(昭18)バリクパパンからトラック島に向け航行中、パラオ島の南西約180浬(6.34N,131.40E)で米潜TINOSA(SS-283)の雷撃により沈没

妙見丸型 2隻 MYOKEN MARU Class (1938 - 1939)

妙見丸
妙見丸 Myoken Maru
貨物船 Lpp 110.00 B 15.24 D 8.84 m 主機 T 石川島 1基
株式会社播磨造船所(相生)建造 日本郵船株式会社(東京)
275. 妙見丸 MYOKEN MARU 45197/JHFX 4,126G/T 4,528SHP 16/17.631kt
起工 1938.3.26(昭13) 進水 1938.7.18(昭13) 竣工 1938.9.30(昭13) Sno.267 妙見丸 Myoken Maru
1939.8.12(昭14)東亞海運(東京)に出資
1942.1.24(昭17)モルッカ海(1.26N,125.10E)で潜水艦の雷撃により沈没
279. 妙法丸 MYOHO MARU 45690/JQAM 4,122G/T 4,690SHP 16/17.709kt
起工 1938.8.18(昭13) 進水 1939.2.3(昭14) 竣工 1939.4.1(昭14) Sno.268 妙法丸 Myoho Maru
1939.8.12(昭14)東亞海運(東京)に出資
1943.1.19(昭18)ソロモン海域(5.38S,156.20E)で米潜SWORDFISH(SS-193)の雷撃により沈没

妙義丸型 2隻 MYOGI MARU Class (1939)

妙義丸
妙義丸 Myogi Maru
貨物船 Lpp 109.73 B 15.24 D 8.84 m 主機 T 三菱Zoelly D.G. 1基
三菱重工業株式会社横濱船渠(横濱)建造
281. 妙義丸 MYOGI MARU 45867/JQCM 4,021G/T 4,300SHP 17.39kt
起工 1938.6.18(昭13) 進水 1938.9.30(昭13) 竣工 1939.5.25(昭14) Sno.297 日本郵船株式会社(東京)
妙義丸 Myogi Maru 主機は三菱長崎で製作(第740番船)
1939.10.2(昭14)東亞海運(東京)に出資
1944.11.14(昭19)マニラ湾で空爆により沈没
277. 妙高丸 MYOKO MARU 46264/JQZN 4,103G/T 4,300SHP 17.24kt
起工 1938.10.21(昭13) 進水 1939.3.20(昭14) 竣工 1939.10.5(昭14) Sno.298 日本郵船株式会社(東京)
妙高丸 Myoko Maru 主機は三菱長崎で製作(第741番船)
1939.10.5(昭14)建造中に東亞海運(東京)に譲渡
1943.1.7(昭18)ラエ(6.40S,147.10E)で空爆により沈没
妙高丸
妙高丸 Myoko Maru

崎戸丸型 7隻 SAKITO MARU Class (1939 - 1941)

崎戸丸
崎戸丸 Sakito Maru
日本郵船が東航世界一周航路用にA型貨物船を改良して整備した同社の戦前の代表的な大型高速貨物船(*1)でS型と称された。昭和12年(1937)2月4隻を三菱長崎造船所、3隻を同横濱船渠に発注した。船型はA 型の三島型に対して遮浪甲板型を採用、ディーゼル主機を2基搭載し20ノットに近い最大速力を出した。佐渡丸と佐倉丸(近海郵船名義)は優秀船舶建造助成施設による助成金の適用を受けた。
貨物船 Lpp 145.00 B 19.00 D 12.50 m 主機 D 三菱重工 2基 日本郵船株式会社(東京)
276. 崎戸丸 SAKITO MARU 45508/JQFM 7,126G/T 9,600BHP 17/19.7kt
起工 1938.4.16(昭13) 進水 1938.10.27(昭13) 竣工 1939.1.20(昭14)
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 Sno.723 崎戸丸 Sakito Maru
1944.2.29(昭19)宇品からサイパンに向け航行中、沖大東島の南南東約120浬(22.40N,131.50E)で米潜TROUT(SS-202)の雷撃により沈没
280. 讃岐丸 (2) SANUKI MARU 45864/JGBN 7,158G/T 9,600BHP 17/19.8kt
起工 1938.8.29(昭13) 進水 1939.2.8(昭14) 竣工 1939.5.1(昭14)
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 Sno.724 讃岐丸 Sanuki Maru
1945.1.28(昭20)佐世保から高雄に向け航行中、朝鮮南西岸小黒山島の西約110浬(33.55N,122.55E)で米潜SPADEFISH(SS-411)の雷撃により沈没
讃岐丸
讃岐丸 Sanuki Maru
282. 佐渡丸 (2) SADO MARU 46186/JPAN 7,180G/T 9,600BHP 17/19.7kt
起工 1938.10.15(昭13) 進水 1939.4.8(昭14) 竣工 1939.6.30(昭14)
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 Sno.725 佐渡丸 Sado Maru
1942.11.18(昭17)ショートランド島エレベンタ泊地に停泊中、空爆により沈没
佐渡丸
佐渡丸 Sado Maru
318. 相模丸 (3) SAGAMI MARU 47282/JWUN 7,189G/T 9,600BHP 16.5/19.8kt
起工 1938.5.2(昭13) 進水 1939.11.27(昭14) 竣工 1940.7.6(昭15)
三菱重工業株式会社横濱船渠(横濱)建造 Sno.316 相模丸 Sagami Maru 三菱長崎726番船
1942.11.3(昭17)ミンダナオ島ダバオ港タロモ泊地(7.02N,125.33E)で停泊中に米潜SEAWOLF(SS-197)の雷撃により沈没
相模丸
相模丸 Sagami Maru
321. 相良丸 SAGARA MARU 47837/JNPQ 7,189G/T 9,600BHP 17/19.8kt
起工 1939.6.23(昭14) 進水 1940.3.23(昭15) 竣工 1940.11.12(昭15)
三菱重工業株式会社横濱船渠(横濱)建造 Sno.317 相良丸 Sagara Maru 三菱長崎727番船
1943.6.23(昭18)神戸から横須賀に向け航行中、御前崎灯台の南東で米潜HARDER(SS-257)の雷撃により大破、翌日天竜川河口掛塚灯台の南西1.5浬(33.45N,138.10E)に座礁、9月1日船体放棄
相良丸
相良丸 Sagara Maru
323. 笹子丸 SASAGO MARU 48637/JHFP 7,189G/T 9,600BHP 17/19.8kt
起工 1940.3.27(昭15) 進水 1941.3.13(昭16) 竣工 1941.6.28(昭16)
三菱重工業株式会社横濱船渠(横濱)建造 Sno.326 笹子丸 Sasago Maru 三菱長崎第728番船
1942.10.15(昭17)ガダルカナル島北西岸タサファロンガ沖(9.30S,160.00E)で上陸作戦中に空爆により沈没
316. 佐倉丸 (2) SAKURA MARU 47026/JWWN 7,146G/T 9,600BHP 17/19.5kt
起工 1939.8.5(昭14) 進水 1939.12.13(昭14) 竣工 1940.3.30(昭15)
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 Sno.729 佐倉丸 Sakura Maru
1942.3.1(昭17)ジャワ島北西岸バンタム湾(バンテン湾)(6.00S,107.00E)で上陸作戦中、魚雷艇の雷撃により沈没
佐倉丸
佐倉丸 Sakura Maru
参考:
(*1)本型は減トン甲板口を有する遮浪甲板型として計画されたが笹子丸は建造中、相良丸を除く5隻は竣工後に閉鎖した結果、約2,100総トンの増加を来たした。

橿原丸型 2隻 KASHIWARA MARU Class (1942)

橿原丸
橿原丸 Kashiwara Maru

完成予想図 - 「商船建造の歩み」より
政府が国策として計画した桑港航路用の2万6000総トン級、最大速力24ノットの大型旅客船。当初、建造費の8割を助成する予定であったが予算上の遅延や減額等で日本郵船は建造引受けの決定を見送っていたという。両船ともに建造中に海軍省に売却され特設航空母艦として竣工した。
旅客船 Lpp 206.00 B 26.70 D 13.90 m 主機 T 三菱 IMP. 4CYL. D.G. 2基 日本郵船株式会社(東京)
278. 橿原丸 KASHIWARA MARU 27,700G/T 56,250SHP 25.5kt
起工 1939.3.20(昭14) 進水 1941.6.26(昭16) 竣工 1942.5.5(昭17)
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 Sno.900 橿原丸 Kashiwara Maru 速力は計画値
1940.2.10(昭15)建造中に海軍省(東京)に売却
1941.6.16(昭16)隼鷹 JUNYO と改名、特設航空母艦に類別
1944.12.9(昭19)長崎県野母崎の南西約50浬で米潜SPADEFISH(SS-411)の雷撃により中破(米潜SEADEVIL(SS-400)との記録あり-日本海軍全艦艇史)
1945.4(昭20)修理完了
1947.8.1(昭22)佐世保船舶工業で解体



終戦直後の空母隼鷹 Junyo

1945.11.1 佐世保軍港エビス湾
313. 出雲丸 (2) IZUMO MARU 27,700G/T 56,630SHP 25.63kt
起工 1939.11.30(昭14) 進水 1941.6.24(昭16) 竣工 1942.7.31(昭17)
川崎重工業株式会社艦船工場(神戸)建造 Sno.660 出雲丸 Izumo Maru
1941.2.10(昭16)進水前に海軍省(東京)に売却
1942(昭17)7.31に飛鷹 HIYO と改名
1944.6.20(昭19)沖ノ鳥島の南西(140.00N,133.00E)で米機動部隊と交戦中に潜水艦の雷撃により漂流、後に空爆により沈没

興津丸型 2隻 OKITSU MARU Class (1939 - 1940)

興津丸
興津丸 Okitsu Maru
同型船に大阪商船の南阿丸と西阿丸があった。
貨物船 Lpp 132.50 B 17.85 D 10.00 m 主機 T 石川島 1基
株式会社播磨造船所(相生)建造 日本郵船株式会社(東京)
312. 興津丸 (1) OKITSU MARU 46267/JGFM 6,666G/T 9,765D/W 5,270SHP 13/17.65kt
起工 1938.8.25(昭13) 進水 1939.8.9(昭14) 竣工 1939.10.15(昭14) Sno.260 興津丸 Okitsu Maru
1944.1.26(昭19)トラック島からマーシャル諸島ブラウン環礁エニウエトク島に向け航行中、東カロリン諸島ポナペ島の北約150浬(9.24N,157.45E)で米潜CREVALLE(SS-291)の雷撃により沈没
314. 尾上丸 (1) ONOE MARU 41811/JGIM 6,667G/T 9,746D/W 5,429HP 13/17.676kt
起工 1939.6.15(昭14) 進水 1939.12.26(昭14) 竣工 1940.3.15(昭15) Sno.261 尾上丸 Onoe Maru
1943.11.26(昭18)ラバウルからトラック島に向け航行中、ラバウルの北西約370浬(0.40N,148.20E)で米潜RATON(SS-270)の雷撃により沈没

新田丸型 3隻 NITTA MARU Class (1940 - 1941)

新田丸
新田丸 Nitta Maru
日本郵船が欧州航路の船質改善と同航路に就航中の北独ロイド社のシャルンホルスト級に対抗するために優秀船舶建造助成施設の適用を受けて建造した1万 7,000総トン級、速力21ノットの大型貨客船。昭和12年(1937)9月三菱長崎造船所に発注、主機には客室配置の容易なタービン機関を採用、諸補機および甲板機械は全て電化された。第2次世界大戦の勃発により新田丸は桑港線、八幡丸はシアトル線、桑港線に就航。 春日丸は進水後、海軍に徴用され佐世保海軍工廠で航空母艦に改造されて竣工、後に新田丸、八幡丸も海軍省へ売却され航空母艦へ改造された。
旅客船 Lpp 168.00 B 22.50 D 12.40 m 主機 T 三菱Zoelly IMP. D.G. 2基
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 日本郵船株式会社(東京)
315. 新田丸 NITTA MARU 46813/JPTN 17,150G/T 25,200SHP 19/22.474kt
起工 1938.5.9(昭13) 進水 1939.5.20(昭14) 竣工 1940.3.23(昭15) Sno.750 新田丸 Nitta Maru 船客 1等:127, 2等:86, 3等:70
1942.8.1(昭17)海軍省に売却、同年9月20日冲鷹CHUYOと改名。同年11月25日呉海軍工廠で航空母艦に改造
1943.12.3(昭18)トラック島から横須賀に向け航行中、鳥島の東で米潜SAILFISH(SS-192)の雷撃を受け、翌日八丈島の東約200浬(32.37N,143.30E)で沈没
319. 八幡丸 (2) YAWATA MARU 47477/JWQN 17,128G/T 25,200SHP 18.5/22.15kt
起工 1938.12.14(昭13) 進水 1939.10.31(昭14) 竣工 1940.7.31(昭15) Sno.751 八幡丸 Yawata Maru 船客 1等:127, 2等:88, 3等:70
1942.5.31(昭17)呉海軍工廠で航空母艦に改造、特設空母八幡丸となる。同年8月1日海軍省に売却、雲鷹UNYO と改名
1944.9.17(昭19)シンガポールから日本に向け航行中、南シナ海東沙島の南90浬(19.08N,116.33E)で米潜BARB(SS-220)の雷撃により沈没
八幡丸
八幡丸 Yawata Maru
322. 春日丸 (2) KASUGA MARU 48210/JQEO 17,130G/T 25,200SHP 19/21kt
起工 1940.1.6(昭15) 進水 1940.9.19(昭15) 竣工 1941.9.5(昭16) Sno.752 春日丸 Kasuga Maru 船客 1等:127, 2等:88, 3等:70
1941.9.5(昭16)佐世保海軍工廠で特設空母春日丸として竣工
1942.8.1(昭17)海軍省に売却、大鷹 TAIYO と改名
1944.8.18(昭19)台湾馬公からマニラに向け航行中、ルソン島北西端ボヘアドール岬の南西 (18.10N,120.22E)で米潜RASHER(SS-269)の雷撃により沈没
春日丸
春日丸 Kasuga Maru

三菱重工業長崎造船所で進水する春日丸

三池丸型 3隻 MIIKE MARU Class (1941 - 1943)

三池丸
三池丸 Miike Maru

S.Kizu
日本郵船が氷川丸型の就航後10年目に優秀船舶建造助成施設に基づき北米シアトル線および濠州線用に4 隻計画した1万1,000総トン級、速力20ノットの貨客船。本航路用の第1船三池丸は昭和16年(1941)9月に竣工、第2船安藝丸は太平洋戦争の勃発に伴い、資材の関係上旅客設備を縮小するなど上部構造の一部を省略、構造を著しく簡単化して竣工したが両船とも予定航路に就航せず徴用された。
貨客船 Lpp 153.00 B 20.00 D 12.60 m 主機 D 三菱重工 10MS72/125 2基
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 日本郵船株式会社(東京)
325. 三池丸 (2) MIIKE MARU 48890/JHLP 11,738G/T 14,000BHP 17/20.614kt
起工 1940.2.1(昭15) 進水 1941.4.12(昭16) 竣工 1941.9.30(昭16) Sno.760 三池丸 Miike Maru
1944.4.27(昭19)パラオから日本に向け航行中、パラオ島の北約100浬(8.34N,134.53E)で米潜TRIGGER(SS-237)の雷撃により沈没
328. 安藝丸 (2) AKI MARU 49570/JGMR 11,409G/T 14,000BHP 17/20.614kt
起工 1941.7.15(昭16) 進水 1942.5.15(昭17) 竣工 1942.10.15(昭17) Sno.761 安藝丸 Aki Maru
1944.7.26(昭19)マニラから高雄に向け航行中、ルソン島北西端の西約150浬(18.04N,118.00E)で米潜CREVALLE(SS-291)の雷撃により沈没
安藝丸
安藝丸 Aki Maru

S.Kizu
329. 阿波丸 AWA MARU 49894/JRNR 11,249G/T 14,000BHP 17/20.614kt
起工 1941.7.10(昭16) 進水 1942.8.24(昭17) 竣工 1943.3.5(昭18) Sno.770 阿波丸 Awa Maru
1945.4.1(昭20)シンガポールから敦賀に向け航行中、台湾海峡鳥きゅう(土へんに丘)興の南西24浬(25.26N,120.08E)で米潜QUEENFISH(SS-393)の雷撃により沈没
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