- ■沿革 − 作成中 −
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| 三菱社は長崎造船所の拡張と共に神戸港の将来性に着眼して造船所の建設を計画し、場所を和田岬に決定した。地質調査の結果、乾船渠には不向きであるため三菱長崎造船所で7,000トンの浮船渠を建造(建造番号161番船)、明治38年(1905)5月4日に進水し、福浦丸により曳航されて神戸に回着した。新造船は第一及び第二船台が完成するまでは砂浜にブロックを組み立てた船台で建造していたという。 |
創立 1905.07.__ → 終了 1915.10.__
・会社の来歴
1915.10.__→1917.10.__ 三菱合資会社神戸造船所(神戸)
Mitsubishi Goshi Kobe Zosenjo
1917.10.__→1934.04.__ 三菱造船株式会社神戸造船所(神戸)
Mitsubishi Zosen K.K. Kobe Zosenjo
1934.04.__→1950.01.__ 三菱重工業株式会社神戸造船所(神戸)
Mitsubishi Jukogyo K.K. Kobe Zosenjo
1950.01.__→1952.05.__ 中日本重工業株式会社神戸造船所(神戸)
Nakanippon Jukogyo K.K. Kobe Zosenjo
1952.05.__→1964.06.__ 新三菱重工業株式会社神戸造船所(神戸)
Shin Mitsubishi Jukogyo K.K. Kobe Zosenjo
1964.06.__→ 三菱重工業株式会社神戸造船所(神戸)
Mitsubishi Jukogyo K.K. Kobe Zosenjo
・代表者
水谷六郎 (初代所長)

浮船渠(後の第一船渠)の開渠式
明治38年(1905)8月8日 |
入渠中の汽船は満船飾で開渠を祝う日本郵船の和歌浦丸 Wakanoura Maru (1885)。
本船の写真はきわめて少なく、珍しい。 |
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