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金剛丸型 2隻 KONGO MARU Class (1936 - 1937)

金剛丸 Kongo Maru |
| 鐵道省が關釜航路の輸送力強化のために2隻計画した大型高速鉄道連絡船。旅客のもっとも集中する夜航便に使用する目的で設計された。邦船としては初めて冷暖房装置を設置、船内電力の交流化や石炭を炭庫に運ぶためにベルト・コンベアを装置したことなど多くの点に新機軸を出した。 |
渡峡船
Lpp 126.50 B 17.46 D 10.00 m 主機 T 三菱IMP. S.G. 2基 三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 鐵道省(東京)
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23. 金剛丸 KONGO MARU 42350/JIPK 7,105G/T 15,600SHP 23.193kt 起工 1935.11.6(昭10) 進水 1936.5.24(昭11) 竣工 1936.10.31(昭11) Sno.630 金剛丸 Kongo Maru 船客 1等(寝台):46 2等(寝台):80 (雑居室) 236 3等(寝台):200 (雑居室) 1,184 SCAJAP No.K123 →1936.11.15(昭11)午前0時30分、処女航海で下関を出航→1946.3.30(昭21)三菱下関造船所により引揚作業に着手→1951.10.14(昭26)釜山から佐世保へ向け航行中、ルース台風のため長崎県北松浦郡宇久島三沖で座礁→1953.10.10(昭28)売却、解体
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24. 興安丸 KOAN MARU 42694/JKBL 7,103G/T 15,600SHP 23.11kt 起工 1936.3.14(昭11) 進水 1936.10.2(昭11) 竣工 1937.1.18(昭12) Sno.631 興安丸 Koan Maru SCAJAP No.K086 →1937.1.31(昭12)関釜航路に就航→1950(昭25)東京郵船(東京)に移籍→1950.3.18(昭25)朝鮮郵船(東京)に移籍→1953.3(昭28)受託運行中の日本郵船は運輸省と中国残留者の輸送契約を締結→1958(昭33)東洋郵船(東京)に売却→1970.10(昭45)解体のため西部興業(三原)に売却

興安丸 Koan Maru |
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天山丸型 2隻 TENZAN MARU Class (1942 - 1943)

天山丸 Tenzan Maru |
| 鐵道省が關釜航路の増え続ける輸送量に対応するために金剛丸級を総トン数で約800トン上回る拡大改良型の昼夜便兼用として計画した鉄道連絡船。第1船天山丸は昭和16年に進水したが工事が遅延して1年後に竣工し、その間にさらに4隻の同型船が計画されたが物資不足により崑崙丸1隻のみが竣工した。主罐には水管式を採用し、テーラー式メカニカル・ストーカを用いた。天山丸は公試運転で23.264ノットの高速力を記録した。 |
渡峡船
Lpp 134.00 B 18.20 D 10.00 m 主機 T IMP. 2Cyl S.G. 2基 三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 鐵道省(東京)
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29. 天山丸 TENZAN MARU 49556/JABR 7,906G/T 16,900SHP 23.264kt 起工 1940.11.19(昭15) 進水 1941.8.8(昭16) 竣工 1942.9.10(昭17) Sno.880 天山丸 Tenzan Maru 船客 1等:60 2等:342 3等:1,646 →1945.7.30(昭20)三崎灯台沖で空爆により沈没
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30. 崑崙丸 KONRON MARU 50035/JYHR 7,908G/T 16,900SHP 23.454kt 起工 1942.6.20(昭17) 進水 1942.12.24(昭17) 竣工 1943.3.30(昭18) Sno.891 崑崙丸 Konron Maru →1943.10.4(昭18)下関から釜山に向け航行中、沖ノ島の東北約10浬で米潜WAHOO(SS-238)の雷撃により沈没
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