大阪商船の南米航路就航船舶 - 大正期
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南米線(西航) 大5.12(1916)開設〜昭15.2(1940)西航及び東航に分割〜同9月休航→戦後
東洋汽船により明治38年(1905)に開設された南米西岸航路に対し東岸側は大阪商船が第1次世界大戦の進展に伴い国産品の南米進出が盛んになったのを契機として計画し大正5年(1916)12月29日横濱を出航した笠戸丸により開始された。寄港地は神戸/長崎/香港/新嘉坡/モーリシャス/ダーバン/ケープタウン/リオデジャネロ/ブエノスアイレス/ケープタウン/ダーバン/新嘉坡/長崎/神戸。
大正6年(1917)3月、第2船たこま丸が神戸港を出航。同月第3船しあとる丸が横濱港を出航、さらに10月からぱまな丸が就航した。大正9年(1920)2月以降、かなだ丸めきしこ丸しかご丸を増便。同年10月命令航路となり寄港地は神戸/四日市/横濱/長崎/長崎/香港/新嘉坡/コロンボ/モーリシャス/ダーバン/ケープタウン/サントス/ブエノスアイレス/サントス/リオデジャネロ/セントルシア/ハバナ/新王倫/クリストバル/羅府/横濱/神戸。
大正13年(1924)12月たこま丸に替わりまにら丸が就航、翌14年(1925)3月にはしあとる丸に替わりはわい丸が就航した。さんとす丸が大正14年(1925)12月よりしかご丸に替わり南米線に就航、翌15年(1926)5月以降はらぷらた丸、8月以降はもんてびでお丸が就航し、めきしこ丸とぱなま丸は撤退した。
笠戸丸
笠戸丸 Kasato Maru (1900)

H.Nakamura
さんとす丸 Santos Maru
さんとす丸 Santos Maru

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