| 戻る |
| シアトル航路 | 明29.8.1(1896)開設〜大正期〜昭和初期→戦後 |
■横濱丸、静岡丸 YOKOHAMA MARU and SHIZUOKA MARU (1912)
| 再編集中 |
![]() 横濱丸 Yokohama Maru (1912) |
![]() 静岡丸 Shizuoka Maru (1912) |
![]() 愛宕丸 Atago Maru (1924) |
| 日本郵船の東航紐育線 | 大5(1916)開設〜昭和初期→戦後 |
| 大正3年(1914)パナマ運河が開通するとパナマ運河経由紐育航路開設の機運がおこり日本郵船は大正5年(1916)6月21日横濱出航の對馬丸を第1船として本航路を開始した。寄港地は日本諸港のほか比島、香港、上海、桑港。使用船6隻で約4週1回のサービスとした。 |
![]() 對馬丸 Tsushima Maru (1915) |
| 桑港航路 | 明31.12.15(1898)開設〜大15.3.10(1926)以降日本郵船が継承 |
| 大正4年(1915)、米国で海員の保護、不熟練乗員の乗り組防止、海上の生命安全を目的としたラフォレット海員法が施行された。Pacific Mail社はこの影響で船費がかさんで赤字運航となり、KOREAとSHIBERIAをAtlantic Transport社へ売却した。東洋汽船はこの時期に地洋丸を海難喪失したため、ただちに保険金及び増資により、この2隻を購入してこれや丸、さいべりや丸と命名し、引き続き北米線へ就航させた。 |
![]() さいべりや丸(左)とこれや丸(右) |
| タコマ線 | 明42.7.3(1909)開設〜大4.9(1915)タコマ線〜大7.6(1918)北米線〜 |
| 大9.2(1920)ピューゼットサウンド線〜昭6.7(1931)廃止 |
| 明治42年(1909)に開設された香港タコマ線をタコマ線と改称。新造船まにら丸、はわい丸が就航し、命令船4隻(まにら丸、はわい丸、しかご丸、かなだ丸)及び自由船2隻(たこま丸、めきしこ丸)の6隻により年26航海とした。寄港地は明治44年(1911)以降、マニラ/上海/長崎/門司/神戸/四日市/横濱/ビクトリア/シアトル。 |
![]() まにら丸 Manila Maru (1915) |
![]() めき |
| 紐育線 | 大9.2.17(1920)紐育線〜昭5.6.29(1930)紐育急航線として開設〜昭16.9.9(1941)休航→戦後 |
| 大正9年(1920)2月17日、シンガポール出航のへいぐ丸を第1船として開始、就航船はへいぐ丸、ほのるる丸、あむうる丸、あまぞん丸、あるたい丸、あらすか丸、すまとら丸の計7隻により月1回の定期サービスとした。起点をシンガポールとし寄港地は往航が香港/上海/青島/門司/神戸/横濱/桑港/バルボア/クリストバル/ハバナ、復航はクリストバル/バルボア/桑港/横濱/神戸/門司/上海。本航路は紐育急航線開始後、昭和6年(1931)8月、内地帰着したへいぐ丸を最終船として休航。 |
![]() あむうる丸 Amur Maru (1919) |
| 北米航路 | 大9.1(1920)開設〜昭和初期 |
| 第1次世界大戦後、三井物産は北米太平洋岸/東洋の取扱荷の増加に伴う定期航路開設の要望が起きたため社内荷を基礎とした北米定期航路を開設した。本航路は同社船舶部の初の定期航路であり剣山丸を第1船として3〜4隻を配船した。寄港地は大連/神戸/横濱/シアトルを原則とした。 |
![]() 剣山丸 Tsurugisan Maru (1899) |
■赤城山丸型 2隻 AKAGISAN MARU Class (1924)
![]() 赤城山丸 Akagisan Maru |
| わが国初の大型航洋ディーゼル船(主機はB&W社製)として知られる。(船と海の挿話を参照) |
| 北米東岸・ガルフ/日本航路 | 大11.1(1922)開設〜昭5.1(1930)川崎汽船同盟脱退 |
| 北米大西洋岸方面長期配船からの帰還船のために開設。大正11年(1921)1月に新たに結成された同盟に加入、國際汽船の八重丸を第1船として定期航路を開始した。昭和2年(1927)8月國際汽船のKライン脱退後は川崎汽船、國際汽船が単独に運航、川崎汽船は昭和3年(1928)運航船舶6隻を國際汽船へ譲渡したのち昭和4年(1929)6月最終船和蘭丸で配船を休止した。 |
![]() 和蘭丸 Holland Maru (1920) |
| 川崎ルーズベルト西回り世界一周航路 | 大13.3(1924)開設〜昭3.10(1928)中止〜昭和期 |
| 川崎造船所建造のストックボートを運航するため同社船舶部が大正13年(1924)1月、米国ルーズベルトライン(Roosevelt S.S. Co.,Inc.)と共営による航路として計画。ニューヨークを起点としてガルフ/日本/中国/南洋各港/スエズ経由ニューヨーク帰港、両社で月1航海の定期航路とした。同年4月11日、伊太利丸が第2船としてニューヨークを出航。11月以降、荷動きの増加に伴い月2回に増配、べにす丸、らいん丸、富士丸、ぼるどう丸、うゑいるす丸を配船した。さらに大正15年(1926)8月に竣工した川崎汽船初のディーゼル船玖馬丸を投入して船質の改善を図った。昭和2年(1927)以降、北太平洋航路への転配が続き昭和3年(1928)10月日本帰港の玖馬丸を最終として配船を中止した。昭和12年(1937)政府の三国間航路奨励に伴い再開。 |
![]() 玖馬丸 Cuba Maru |
| 副川崎ルーズベルト西回り世界一周航路 | 大14.3(1925)開設〜昭2.2(1927)休止 |
| インド東岸カルカッタ方面から北米向け積荷の見込みがついたため川崎汽船のみの配船で大正14年(1925)3月12日神戸出航の丁抹丸を第1船として開始。日本を起点としてジャワ/カルカッタ/ラングーン/紅海・スエズ経由または喜望峰周りで北米大西洋岸・西インド諸島を終点またはガルフ諸港を経て日本に帰港した。1ヶ月半に1回の割合で諾威丸、白耳義丸、蘇格蘭丸、伊太利丸、びくとりあ丸等が就航したが荷動きの減少に伴い漸次転配され定期配船が困難となったため昭和2年(1927)2月末日本帰港の丁抹丸を最終として配船を休止した。 |
![]() 諾威丸 Norway Maru (1920) |
All Rights Reserved,Copyright Fumio Nagasawa - Since 1998