Salon de Jewelry Star誕生秘話 その10

1997年2月2日

「ちょっと待ってよ〜。」
の離婚宣言にもさすがに一瞬うろたえた。 もともとB型の母なので、感情的でもあるし思ったことはすぐに口にするところはあったが、 会社はどう考えてもがいないと続かない。 "営業部門"は母だが"管理部門"は全て父が担当だったので、現実的には離婚は会社を閉めることにもつながり兼ねなかったのだ。思い切り好きなように仕事をしたいがために "離婚"まで考えたものの、それでは仕事そのものが続けられないというジレンマの中で、母は結構悩んだと思うが、 私はこのころの母の葛藤は聞かされていない。(実はもう10年以上も前の事なので、あまり覚えていないのだ。) 私は「離婚する」という母の宣言に対し「せめて私が結婚するまでは我慢してよ。」なんて言う全く説得力のない言葉でしか反対出来なかったが、 やはり両親が離婚するというのは子供にとって(傷付きやすい思春期はとうに過ぎていたが)大変な出来事なのには変わりなかった。 父は一人では何も出来ないだろうからもし離婚してしまったら悲惨なのは父の方だろうな、とちょっぴり父に同情もした。 最近はばついちの男性でも一人になってからの方がのびのびといい仕事をなさっているという方もいるようだが父には難しいと思えた。 両親が離婚してしまったら自分の生活はどうなってしまうだろうか、と不安にもなってやはりそれだけは避けてほしいと願っていた。
結局それから数日立っても離婚が成立することはなかった。 どうやら二人の話し合いで母が仕事を続けるためにはこのままで行くしかないということを悟ったらしい。
(もしくは、私がいまだに結婚してないからかもしれないが、今となっては当時のことを聞き出すことも出来ない。)

それから、母は家事に手を抜かないようになった。 それは母にしてみれば父に「好き勝手やって遊んでいる」と言わせない絶対的な口封じの手段だったのだ。 もともと朝の洗濯、朝食はほとんど欠かさず日課となっていたが、父の夕食がインスタントラーメンになることはまずなくなった。 母はお客さんとの"接待"(要するにカラオケや食事のお付き合い)の時は一度家に戻り、父の夕食の準備をし、それから出かけて行くようになった。
母の意地とも言える頑張りが続いた。

教訓10:仕事を理由に家事をおろそかにしない。

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