■2005年1月28日(金) 神奈川県民ホール
日本におけるドイツ2005/2006 ハンブルク・バレエ『眠れる森の美女』
[音楽]ビョートル・イリイチ・チャイコフスキー [原振付]マリウス・プティパ
[改訂振付・演出]ジョン・ノイマイヤー [舞台美術・衣装]ユルゲン・ローゼ
[指揮]ミヒャエル・シュミッドルフ [管弦楽]東京フィルハーモニー交響楽団
SF小説には“タイムスリップ”と呼ばれるジャンルがある(“タイムトラベル”とも言うのかも知れないが、私はSF者ではないので、正直、そのあたりはあまり詳しくない)。ん? 何故、ハンブルク・バレエ『眠れる森の美女』を語るのにSFが出てくるのか? だって、現代の若者デジレ(ご丁寧にジーンズまで穿いている)が100年前のオーロラ姫の時代に遡るのよ……ほら、立派なタイムスリップSFじゃん(いいのか? それで本当にいいのか?>ぢぶん)。
【第1幕 森の中のプロローグ〜冬〜洗礼−夏】

デジレ王子       イヴァン・ウルバン
オーロラ姫       バルボラ・コフットゥコヴァ
善の精         ラウラ・カッツァニガ
悪の精         ピーター・ディングル
王子の友人       アントン・アレクサンドロフ、ボイコ・ドセフ

国王フロレスタン24世 ヨロスラフ・イヴァネンコ
王妃          ゲイレン・ジョンストン
カタラビュット     アルセン・メグラビアン

星のバレエ《あけぼのの勝利》の登場人物である貴婦人
宵の明星とカヴァリエ  エレン・ブシェー、エミル・ファスフッディノフ
水星とカヴァリエ    カトリーヌ・デュモン、ディアゴ・ボーデン
月とカヴァリエ     シルヴィア・アッツォーニ、アントン・アレクサンドロフ
流れ星とカヴァリエ   リサ・トッド、ヨハン・ステグリ、
火星とカヴァリエ    ジョエル・ブーローニュ、カーステン・ユング
あけぼのとカヴァリエ  ラウラ・カッツァニガ、アルセン・メグラビアン    他

幕が開くとそこは現代。嵐の森で道に迷った青年デジレ。カジュアルな装い(あはっ、セーターを石田純一巻きにしているぞ、初演は1978年か)のイヴァン・ウルバン。チラシの写真からは想像できないカッコよさ。
善の精のラウラ・カッツァニガと悪の精のピーター・ディングルが現れ、いつの間にか、ここではないどこかへ取り込まれていくデジレ。同じ振りを踊りながらも、三者のキャラクターの違いはハッキリと伝わる。遥か彼方には、茨に囲まれた宮廷で静かに眠るオーロラの幻影。
やがて、善の精の導きで辿り着いた場所は宮廷の中。デジレは鏡を通り抜ける。鏡は異世界への入口であり、時に未来をも映し出す。虚構と現実の境目。ある意味、定型。

幼い姫の洗礼式に立ち会うデジレ。宮廷の人々には彼の姿が見えない。最初の混乱も一段落し、自分が置かれた境遇にも徐々に慣れ、適度に好奇心を覗かせながら、ひとり、“存在しない者”として歩き回るデジレ。
入場する来賓たち。女性は裾の長いドレスを着ている。踊るのはたいへんそうだが、実に美しい〜。最後に国王のヨロスラフ・イヴァネンコと王妃のゲイレン・ジョンストンが入場し、祝宴が始まる。

ここで初めてプティパの振付が登場。本来ならプロローグで踊られる妖精の踊り。優しさの精とか、元気の精とか。ノイマイヤーはそれを劇中劇に仕立て、「幼子に与えられる徳を表わす星の役を女官たちが踊る」という設定にした。さらに、宮廷のダンスマスターでもあるカタラビュットの存在が、その結構を補強する。
最後の《あけぼのとカヴァリエ》は、善の精のカッツァニガが踊る。ここは、元々、リラの精のパートだから、この呼応は巧い。さらに、このバレエのタイトルは《あけぼのの勝利》となっており、第1幕にして善=愛の勝利は高らかに宣言されているのだ。
あぁ、それなのにそれなのに、ダンサーの踊りがプティパじゃない。物凄い違和感。どこが違うのか具体的に説明できないのがもどかしいが、絶対違う。フォルム? 動き? パとパの繋ぎ? あー、巧く言えない。でも、確実に違うのよ。各幕の中心にプティパの振付を配する、それも、自身の振付に違和感なく混在させて。ノイマイヤーの意図はそこにあった筈のに、ダンサーが踊れなかったら台無しじゃん。

祝宴の後。悪の精とその手下である茨の妖精が鏡から現れ、子供に呪いをかける。彼らは身体に茨が巻き付いているだけのように見える。インパクトあるわ〜。ちなみに、3人の手下の中に服部有吉がいたが、小柄なので、ひとりだけ小鬼のよう。この日は手下3人の動きが揃わず、ダンサー同士がぶつかったりしていた。
呪いを阻止しようとするデジレも加わり、男性5人による踊り。ダイナミック。だが、本来、生きる時代の違うデジレは、この世界に対して何の影響力も持たない。そこで、無力な彼に代わり、善の精が邪悪な魔法を封じ込める(もちろん、鏡の中から現れて)。
ラスト、善の精がデジレに目隠ししたところで幕。目隠しはタイムスリップ、つまり、善の精が魔法をかけることを意味するのか?
善の精のカッツァニガは長い腕が優雅だし、佇まいも凛として、まさに“善き者”という感じなのだが、顔立ちがイマイチ貧相なような……。

1幕が終わったところで、まず、物語が見事に立ちのぼる様に目を見張った。ダンサーの身体をはじめ、作品の構造、モチーフ、キャラクター造型など、至る所にドラマが息づいている。
興味深いのは、子供に呪いをかける明確な理由が描かれていないこと。これは実に不条理であり、だからこそ、現代的でもある。

【第2幕 オーロラ姫の成長と誕生日の祝宴の準備〜オーロラ姫の16歳の誕生日−バラの祭り】

デジレ王子       イヴァン・ウルバン
オーロラ姫       バルボラ・コフットゥコヴァ
善の精         ラウラ・カッツァニガ
悪の精         ピーター・ディングル

国王フロレスタン24世 ヨロスラフ・イヴァネンコ
王妃          ゲイレン・ジョンストン
カタラビュット     アルセン・メグラビアン
6歳のオーロラ姫    フェー・リヒテンベルグ
11歳のオーロラ姫   アナ=レーナ・ウィーク

エジプトの王      ピーター・ディングル
ロシアの王       カーステン・ユング
インドの王       エミル・ファスフッディノフ
スペインの王      セバスチャン・テイル                他

幕が開くと、1幕ラストと同じポーズ(たぶん)のデジレと善の精。目隠しを解かれた彼が目にしたものは、6歳、11歳、そして、16歳のオーロラ。少女の成長を鮮やかに描く。さらに、随所にダンスマスターのカタラビュットが登場し、客席の笑いを誘う。メグラビアンが演技派なこともあって、バレエ特有のエレガントも行き過ぎると笑いに通じることが、実に巧く(しかも、決して皮肉にはならず)表現されていた。
ただ、ひとつ残念なのは、ここでオーロラのバルボラ・コフットゥコヴァが登場してしまうこと。誕生日の祝宴でオーロラの登場を今か今かと待つ楽しみ、そして、姿を現わした瞬間の舞台の華やぎ。それを思うと、一抹の寂しさを禁じ得ない。

ってことで、祝宴。求婚者はエジプト、ロシア、インド、スペインの王子。エジプトの王子が悪の精の化身であり、オリジナルにはないかっちょよさなのである。おまけに、ディングルがばっちりハマっているのよ。何だかよくわからない老婆が出てくるより、王子のひとりに化けている方がスリリングよね。うん、正解。
ここで再びプティパの振付。いわゆる、ローズ・アダージオ。コフットゥコヴァは最初こそ固かったが、徐々に踊りに艶が出てきた。

ンが、2幕の白眉はその後。魅惑的なバラの花で姫の気を引くエジプトの王子、そこはかとなく心惹かれる姫、それを阻もうとするデジレ。この3人による踊りがとても素敵。デジレの姿は他の人には見えないという設定を生かした面白い絡みになっていて、仄かに官能の香りすら漂う。
そして、オーロラがバラのとげに刺され、気を失って倒れると、エジプトの王子は着ていた衣裳を脱ぎ捨て、悪の精にその姿を変える。そして、閃光一瞬、身を翻して井戸(?)に消える。お見事!
人々が不安な面持ちで立ち尽くす中、娘を寝台へ運ぶ国王。徐に現れた善の精は、宮廷全体を深い眠りに沈める。

2幕のラストも善の精がデジレに目隠ししたところで幕……になるかと思いきや、その手を振り解くデジレで幕。ここで初めて、彼は自らを主張し始める。巻き込まれ型ヒーローがようやく己の使命に気がつく、ってか? う〜む、タイムスリップSFというより、ファンタジーの趣が強くなってきたぞ。時空を超える冒険を通して青年デジレの成長が描かれる。そんな感じ?

【第3幕 幻覚〜茨の森を抜けて〜眠りから覚めるオーロラ姫〜眠りから覚める宮廷〜結婚〜エピローグ−森の中で】

デジレ王子       イヴァン・ウルバン
オーロラ姫、少女    バルボラ・コフットゥコヴァ
善の精         ラウラ・カッツァニガ
悪の精         ピーター・ディングル

国王フロレスタン24世 ヨロスラフ・イヴァネンコ
王妃          ゲイレン・ジョンストン
カタラビュット     アルセン・メグラビアン

ディベルティメント:《アモルの祝福》
富           ディアゴ・ボーディン
陽気          アンナ・ハウレット
勇気          カトリーヌ・デュモン
《青い鳥》
青い鳥         アルセン・メグラビアン
フロリナ王女      シルヴィア・アッツォーニ              他

森の中に佇むデジレ。彼はすでに自らの意志で、この不思議な出来事に立ち向かうことを決めている。目の前に現れるいくつものオーロラの幻影。プティパの振付とノイマイヤーの振付が混然一体となって、本当に幻を目にしているよう。善の精とデジレとの印象的なパ・ド・ドゥがあったのは、確かここだったと思うが(覚えてろよ!>ぢぶん)……ノイマイヤーらしい流麗さで、思わず見愡れる。

この後の、デジレが善の精の導きで宮廷に向かう描写も秀逸。普通なら小舟やゴンドラに乗って移動するところを、ノイマイヤーは紗幕を使う。舞台手前に下手から上手へ向かって流れていく森。その奥で踊るデジレと善の精。シンプルで洗練されている。
悪の精と茨の妖精たちとの戦いも迫力があってよかった。本当に戦っている感じがしたもの。碌に戦わないバージョンが多いから新鮮だわ〜。

続く目覚めのシーンも凝っている。朽ち果てた宮廷の2階に眠るオーロラ。そこまで何とか辿り着いたデジレは、すぐに目覚めのキスをするのではなく、ただ彼女を眺めている。身じろぎをするオーロラ。彼女の手がデジレの唇に触れる。そして、オーロラが今にも目を覚まそうという瞬間に、彼はカーテンの影に身を隠す。デジレ、可愛過ぎる……。しかも、金髪のウルバンには、そんな戸惑いやはにかみが似合い過ぎるほど似合う。やがて、目が覚めたオーロラが恐怖に泣き出すと、ようやく姿を現わし、彼女にそっとキスをする。あぁ、なんてロマンティックなの!

宮廷全体が目覚め、結婚式の準備が始まる。またまたカタラビュットが大活躍。デジレを着替えさせたり、婚姻の舞の段取りを決めたり、そりゃもう大忙し。着替え途中のデジレが出てきて軽く笑いを取っているうちに準備は整い、100年前の宮廷の衣装に身を包んだ来賓たちが入場してくる。ここでも女性陣は裾の長いドレス。鮮やかな深紅が素敵。

童話の主人公の踊りは大部分カットして、《アモルの祝福》と《青い鳥》のシンプルなディベルティメント。
フロリナ王女のシルヴィア・アッツォーニ、独特の存在感が確立されていて素晴らしい。1幕から出ずっぱりのメグラビアンも、最後まで完璧な踊りを披露。
グラン・パ・ド・ドゥはお馴染みのプティパ振付。ったく、金髪なびかせて踊るのは反則だよな。しかも、ウルバンの髪質ってフワッとしていて、なんつーか、天使みたい。もう腰砕け(笑)。それもあって、コフットゥコヴァはちょっと老けて見えてしまうのだが、さすがに踊りは巧い。堪能させていただきました。

フィナーレは全員で踊る。いつの間に着替えたのか、デジレは最初のジーンズ姿に戻っている。高らかに鳴り響く音楽。式が最高潮に盛り上がった瞬間、デジレは、突然、目眩に襲われ倒れ込む。
そして、ふと目が覚めると、そこは現代の森。雨は上がり、目の前のベンチにはオーロラそっくりの少女が眠っている……って、ありえねー。やられたよ。「あのノイマイヤーなら、“100年の眠り”にもきっと巧緻な解釈を盛り込む筈」と、信じていたのに。こんなナンセンスな終わり方するとは思わンかったわ。ま、そもそも“100年の眠り”自体ナンセンスなわけで、それを思えば、現代の公園で少年少女が呑気に居眠りしているのもありかもね〜。あ、もしかして、ドラッグですか?

って、こういうこと書いているから不満かと言うと、そんなこと全然ありません。古典作品を鮮やかに再生するノイマイヤーの手腕は本当に素晴らしいと思うし、舞台芸術としても、エンターテインメントとしても、完成度はメチャメチャ高い。ただ、こちらの興味が“解釈”に偏っていたのがマズかったな……と。できればもう一度、今度は変に構えたりせずに観たいかも。NHKホール、行っちゃおうかなぁ(をいをい)。
最後に、ユルゲン・ローゼの舞台美術と衣裳にブラボー!