■2005年6月20日(月)&28日(火) 東京文化会館/神奈川県民ホール
ベルリン国立バレエ団『ラ・バヤデール』
[音楽]ルートヴィック・ミンクス [振付・演出]ウラジーミル・マラーホフ(マリウス・プティパによる)
[指揮]アレクサンドル・ソトニコフ [演奏]東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
2004年に三つの歌劇場(ベルリン国立歌劇場、ベルリン・ドイツオペラ、コーミッシェ・オペラ)バレエ団が統合され、新たに誕生したベルリン国立バレエ団。芸術監督はウラジーミル・マラーホフ。今回が初来日である。まずは、マラーホフ自身が初めて振付・演出を手がけた『ラ・バヤデール』を観る。
【第1幕 火の祭典】

ニキヤ     ポリーナ・セミオノワ(20日)
        ディアナ・ヴィシニョーワ(28日)
ソロル     アルテム・シュピレフスキー(20日)
        ウラジーミル・マラーホフ(28日)
大僧正     アンドレイ・クレム
マグダヴェーヤ ライナー・クレンシュテッター(20日)
        ディニュー・タマツラカル(28日)            他

幕が上がると、真っ先に目に入るのが二体の巨大な象。もしかして、ガネーシャ(シヴァの息子で、頭が像、乗り物はねずみ)でも祀っているのか? 今まであまり考えたことなかったけど、舞台となる寺院はヒンドゥー教? って、そういうところへ思考が向かうと碌なことにならないので、とりあえずスルー。
美術や衣裳はシンプルかつモダンに仕上げられていて、普段見かける色鮮やかな舞台とはかなり違う。ンが、それだって、所詮は西側が勝手に考えた“インドらしさ”なのだから、違っていても全然構わないわけで。あと、シンプルなのはステージを広く使いたいからなのかなぁ、とも思ったり。

ニキヤのポリーナ・セミオノワは化粧映えする顔立ちで、いかにもインド寺院の踊り子といったエキゾチックな雰囲気がよく出ていたし、長い手脚と柔らかい肢体を生かした踊りも素晴らしく、もはやテクニック的には何の問題もない。この若さでこの完璧さを、末恐ろしいと見るか? 優等生的と見るか? 何はともあれ、これからが楽しみなダンサーには違いない。
一方のディアナ・ヴィシニョーワは、情念の塊のようなニキヤ。日本公演も終盤を迎え、他のキャストがお疲れ気味のなか、ひとり気を吐いていた。迫力。ウラジーミル・マラーホフ振付・演出による本作は、ソロルの造型がメチャメチャ情けなくて、ある意味、ニキヤ=ファム・ファタルって気もするので、こういうニキヤもありかな、と。

ってことで、そうなのよ、マラーホフ版のソロルは頼り無い男で、とても「裕福で名のある戦士」には見えないのよ。最初は、アルテム・シュピレフスキーが、終始、無表情で感情表現に乏しく、おまけに首から肩にかけて妙に丸まっていて猫背気味なため、そんなふうに見えるのかしらん? と、思っていたが、マラーホフを見てもそうだった(笑)。いや、さすがに猫背気味ではなかったけど、完全にニキヤに振り回されている様子。体型もどっしりしていて、正直、歳を感じてしまった。う〜む、衣裳のせいと思いたい。

マグダヴェーヤのライナー・クレンシュテッターとディニュー・タマツラカルは、それぞれの味があって甲乙をつけ難い。ンが、衣裳はこざっぱりし過ぎ。

【第2幕 二人のライバル〜バヤデールの死】

ニキヤ     ポリーナ・セミオノワ(20日)
        ディアナ・ヴィシニョーワ(28日)
ソロル     アルテム・シュピレフスキー(20日)
        ウラジーミル・マラーホフ(28日)
ガムザッティ  ヴィアラ・ナチェーワ(20日)
        ベアトリス・クノップ(28日)
ダグマンタ   アレクセイ・ドゥビニン
大僧正     アンドレイ・クレム
マグダヴェーヤ ライナー・クレンシュテッター(20日)
        ディニュー・タマツラカル(28日)            他

ガムザッティのヴィアラ・ナチェーワは、権力を持つ者としての傲慢さがイマイチ足りない。タカビーな姫様度をもうちょっとプラスして欲しい。その点、ベアトリス・クノップは合格。ヴィシニョーワを相手に一歩も引けを取らない。
ただ、ニキヤ vs ガムザッティのクライマックス、ニキヤがナイフを手にするところはいささか唐突なような。対決の描写があっさりしていて、そこまで追い詰められているようにはどうしても見えないのだ。

ガムザッティとソロルのグラン・パ・ド・ドゥ、シュピレフスキーは相変わらず無表情だし、マラーホフはクノップとの身長のバランスが悪く、ますます情けなく見える。

花籠の踊りで、ニキヤが舞台中央奥から腰を左右にくねらせながら前進してくる踊りがなかったのにはがっかり。好きなのに、あれ。
ンで、そのニキヤの踊りの最中、ソロルは客席に背中を向けて座っているのですわ。でもって、その背中で「ど、どうしよう?」と、思いっきりわなないているのですわ。その表現力はともかく、何故ソロルが領主に従わざるを得ないのかがハッキリしないから、ドラマが成り立たない。先にも書いたように、マラーホフ版のソロルは頼り無い男で「裕福で名のある戦士」に見えず、従って、社会的立場と愛とに引き裂かれる苦悩が伝わってこないのだ。
ニキヤが死ぬ場面にしても、ガムザッティと共にとっとと退出。大僧正が解毒剤を持っているから大丈夫とでも思った? だとすると、あまりにもおバカじゃありませんか? それに、花籠を持ってくるよう指示するのは領主なのに、死の直前、ニキヤが指差すのは娘のガムザッティ。親子は結託しているってことなのかも知れないが、違和感ありあり。こうして細部を詰めていくと不可解な箇所が多い。もしかして、マラーホフにとっては「自己憐憫に身悶えするソロル」以外はどうでもよかったのか?

マヌーの踊りはヨハンナ・ハン。踊り自体も面白味に欠けるが、それ以上に、ここで踊られる必然性が感じられない。単なる場繋ぎになっている。

【第3幕 幻影の出現〜影の王国〜ソロルの目覚め】

ニキヤ     ポリーナ・セミオノワ(20日)
        ディアナ・ヴィシニョーワ(28日)
ソロル     アルテム・シュピレフスキー(20日)
        ウラジーミル・マラーホフ(28日)
マグダヴェーヤ ライナー・クレンシュテッター(20日)
        ディニュー・タマツラカル(28日)
影の王国    コリーヌ・ヴェルデイユ
        針山愛美、寺井七海(20日)
        マリア=ヘレナ・バックリィ、エロディ・プナ(28日)   他

3幕のソロルは“自己憐憫”が服着て身悶えしている。自業自得だろう。シュピレフスキーが冴えなかったのも、むべなるかな。こんな脆弱で奇妙なソロルは、マラーホフぐらいしか踊れんよ(きっと、彼の中では奇妙でも何でもなく、きちんと整合性を保っているンだろうな)。

確かに、ニキヤの幻影に囚われて心壊れていくマラーホフは哀しいまでに美しいが、そこに至る過程に説得力がないから、“壊れていく男”好きの私もさすがにダメだわ。ってゆうか、これでは主役はニキヤじゃなくて、ソロルじゃん……そうか、そうだったのか。ここにきてようやく気がついたよ。マラーホフ版『ラ・バヤデール』って、ダメ男物語だったのね(笑)。それなら、ヴィシニョーワによるファム・ファタル系ニキヤも充分納得できる。ンで、その場合、寺院崩壊も神の怒りじゃなくてニキヤの怨念によるわけで。

セミオノワの場合は、彼女自身の若くピュアな印象が、神に仕える者としての純粋さ、一途さ、頑なさを際立たせ、この世では結ばれない悲恋物語としての説得力を辛うじて支えていた。ソロルにしても、若いシュピレフスキーが踊れば、単なる愚かな若者と思えなくもないし。

《影の王国》はもっと頑張りましょう。>コール・ドの皆さん
たぶん、揃えることを一番に考えたと思われ。アラベスクの脚の上がりは全体的に低く、動きもゆっくり、ひとつひとつ確認しながら。それでも、最前列でフラフラ揺れている人がおりましたですよ。
第1ヴァリエーションのコリーヌ・ヴェルデイユ、去年の《マラーホフ贈り物》では地味な印象の彼女も、この中に入ると頭ひとつ抜け出た感じ。東京公演で第2、第3のヴァリエーションを針山愛美と寺井七海に踊らせたのは、マラーホフの気配りかしらん?(当初、配られたキャスト表には第1ヴァリエーションに巣山葵の名前があったが、実際に踊っていたのはヴェルデイユだった)

ところで、あの牧歌的な背景画はヒマラヤですか?

【第4幕 黄金の神の怒り】

ニキヤ     ポリーナ・セミオノワ(20日)
        ディアナ・ヴィシニョーワ(28日)
ソロル     アルテム・シュピレフスキー(20日)
        ウラジーミル・マラーホフ(28日)
ガムザッティ  ヴィアラ・ナチェーワ(20日)
        ベアトリス・クノップ(28日)
ダグマンタ   アレクセイ・ドゥビニン
大僧正     アンドレイ・クレム
黄金の仏像   マリアン・ヴァルター(20日)
        ライナー・クレンシュテッター(28日)          他

黄金の仏像はマリアン・ヴァルターとライナー・クレンシュテッター。どちらもテクニック的には踊れているが、ケレン味が足りないというか、端正過ぎるというか。とは言え、登場の仕方(台座ごと真ン中からパカッと開いて、そこからダンサーが登場)はかなりユニークでした。装飾は仏像らしかったわ……って、仏像? あれ? ヒンドゥー教じゃないの?(ま、宗教的なツッコミは、こちらも深い知識があるわけではないので止めておきましょう)

ガムザッティとソロルの結婚式では、ソロルがかつてニキヤに贈った白いヴェールが重要なモティーフとして使われる。つまり、犯人を告発するわけで。ニキヤの幻影からヴェールを受け取ったソロルは、そのままガムザッティに渡してしまう。すると、真っ白なヴェールが血に染まり、それを見たソロルは初めてニキヤが誰に殺されたのか理解する。ソロル、マヌケ過ぎ(泣)。それに、2幕で実際に指示をするのは父親の方だから、あまり効果的な演出とも思えない。

寺院崩壊は、結構、派手でしたね。チカチカと点滅する光に、すんごい勢いで流れ込むスモーク。でも、テグスがハッキリ見えちゃっているンだな。それに、出演者が逃げ惑いつつセットを動かしていたり(笑)。
最後は、崩壊した階段の上に佇むニキヤと跪くソロル。ふたりは白いヴェールを手にしており、永遠に結ばれましたとさ、めでたしめでたし……って、ホントか?

オーケストラは信じられないぐらい下手(東京も神奈川も変わりなく下手だったので、回数を重ねればよくなるわけでもないのね)。

ちなみに、プログラムによると舞台はゴルコンダ。デカン高原東部を支配したイスラム王国で、15世紀末から16世紀初めにかけて成立し、17世紀後半にはムガール帝国に滅ぼされたそうな。ってことで、やはり宗教的にはヒンドゥー教だと思われ。今まで「何の宗教か?」なんて考えたことなかったが、これもあの「強大な象をかたどった装置」のおかげね。