シルヴィ・ギエム
木村和夫、平野玲、古川和則、大嶋正樹 他
作品にもダンサーにも格別な思い入れのない私には、あっという間の20分だった。
「飯田宗孝のスキンヘッドは目印だったのに、芸術監督になったら踊らないのか」とか、「これからは平野玲を木村二世と呼ぼう」とか、「何があったか知らないが、大嶋正樹は確かに一皮剥けたね」とか、「古川和則は存在そのものがたおやかだわ」とか、「今回、中島周がメインの作品を観られなくて残念」とか、「高橋竜太にあと少し背があればな……」とか、リズムにツッコミ入れているうちに、あら終わっちゃたよ(いいのか、それで?>ぢぶん)。
ギエムからは以前のような苛烈さは感じられず、むしろ、穏やかな空気が漂っていた。なんつーか、自然体の『ボレロ』?
首藤康之の時にも思ったが、殊更“最後”に意味を求めるのは観客の方であって、ダンサー自身は粛々と踊っているだけなのかも(ま、カーテンコールの熱狂ぶりからすれば、そんな天の邪鬼なことを考えていたのは少数派でしょう)。
『PUSH』『春の祭典』『ボレロ』と観て、「最近の作家は周囲数メートルの範囲でしか物事を考えられない」という批判を思い浮かべたり。マリファントは“私とあなた”を描き、ベジャールは“私と世界”を描く。良くも悪くも、ベジャールは20世紀の振付家なのね。