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Road To Germany Entrance |
Road To Campione Entrance Everytime |
| 2004年のサッカーシーズンが始まりました。サッカーとの出会いはフランスWカップの2年前、アトランタオリンピックの年でした。 現在、セリエAで活躍している中田英寿選手や現Kリーガーの前園真聖選手、現ジュビロ磐田の鈴木秀人選手などがオリンピック代表として アメリカに渡りました。その頃の日本のFIFAでのランキングはおそらく50位前後くらいだったと記憶しています。 その日本がなんとブラジルからゴールを奪いました。センセーショナルでした。 サッカーのことなど何も分からない私が初めてサッカーを観たのが、Jリーグのその年のチャンピオンを決めるチャンピオンシップの試合でした。 場所は国立、身体の芯から凍りつくような寒い日でした。今でもよく覚えています。 その試合をわずかなルールを教えてもらっただけで観たのですが、その日をきっかけにサッカーの虜になりました。 Jリーグの試合を何度か観ているうちに、私はいつしか一人の選手を目で追っていましした。 それが現セリエAで活躍している中田英寿選手です。その頃は湘南ベルマーレに所属していました。 専門的なこともわからないままヒデのプレーを追っかけ、だんだんルールもわかるようになっていくと、ますますサッカーにのめり込むようになりました。 Jリーグの試合はもちろん、日本代表の試合も観に行くようになりました。 ちょうどその頃からフランスWカップの予選が始まり、いやおうなしに熱も上がっていきました。 アジア予選を苦戦していた日本代表は、予選を戦っている最中に加茂監督が更迭され急遽、岡田コーチ(現横浜Fマリノス監督)が代表監督に昇格。 その岡田監督の采配により、日本は見事にWカップ初出場の切符を手に入れました。 この頃、某サイトで同時進行歴史劇「オカコチが行く」の連載が始まり、一部のネットサーファーの間で異様な盛り上がりを見せていました。 フランス大会の前のアジア予選でドーハの悲劇」を観ていた私は、このときほんとうに嬉しかったです。 岡野のゴールが決まってWカップ出場が決まったときには、真夜中にもかかわらず家族で大声で喜びを分かち合いました。 一次予選で日本は緒戦をアルゼンチン、ついでクロアチア、ジャマイカと戦うことになりました。 日本がWカップに初出場したことで、日本中がWカップムード一色に染まっていき、各地で試合の中継なども行われました。 私がその頃住んでいた横浜でもパシフィコ横浜を使って巨大スクリーンが設置され、そこで大勢のサポーターとアルゼンチン戦を観戦しました。 いきなり王者アルゼンチンと戦った日本は当然というか、仕方ないよねというバティのゴールで緒戦を落としてしまい、次のクロアチアにも負け、 楽勝だろうと言われていたジャマイカからはわずか1点を取っただけでした。このゴンのゴールが日本代表のWカップでの初ゴールになりました。 初出場したWカップで思ったような結果の出なかった日本代表に対して国民の意見はずいぶん分かれました。 |
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パシフィコに来た |
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当時の代表のシンボル。 炎のフラッグとハチマキ。 ジャージももちろんあります。 |
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| ついで2002年に日本・韓国で開催されたWカップでは、チケットの販売方法や管理体制で、トラブルが相次ぎ、後味の悪い大会になってしまいました。 日本代表はFIFAラインキングが27位くらいに上がったとはいえ、相変わらずイマイチな成績でグループリーグで負けてしまいました。 大会後トルシエ監督が辞任し、後任にはあのサッカーの神様と言われているジーコが代表の監督に就任。 しかし、彼の戦術は本当に今の日本代表をうまく機能させているのか不安になるような成績が残っています。 2月になるといよいよアジア予選の一次予選が始まります。緒戦は2月18日埼玉スタジアムでオマーン戦です。 サポーターの私たちはただひたすら応援するのみです。本戦出場を信じて。Go To Germany!そしてまずはAthensへ! 2006年Wカップドイツ大会のことなら → ドイツ・サッカー総合サイト「EFA Deutschland」 |